2004年11月27日
免疫の意味論 多田富雄 青土社
1993年に書かれた本で、古本をアマゾンで購入。
著者は医学部の免疫の専門家である。

自分とは何だろう、というのは誰もが思う疑問ではないか。
その疑問に対して、「免疫」という観点から答えを考えた本がこれである。自分というのは精神の問題であり、身体でいうと神経系の事象という気がするが、一見関係が薄いような気がする「免疫」というものから考えたのがこの本である。

著者の言葉によると、「免疫は、病原性の微生物のみならず、あらゆる「自己でないもの」から「自己」を区別し、個体のアイデンティティを決定する。還元主義的生命科学がしばしば見失っている、個体の生命というものを理解するひとつの入り口である。」とのこと。
確かに、免疫というのは自分以外のものを排除する機能だから、自分以外を知る、ということは自分を知る仕組みがある、ということになる。

はじめに、孵卵2〜3日目のウズラの胚にある脳胞の一部を切りとって、同じ時期のニワトリ胚の中脳胞という部分に移植する、という実験が書かれている。どういうことかというと、ニワトリにウズラの頭を移植する、ということらしい。そうすると、ウズラのように鳴くニワトリができる。だから、個体の行動様式を決定しているのは脳である、ということになるのだが、残念ながらこの動物は生後十数日で死んでしまう。
死因は移植されたウズラの脳が、ニワトリの免疫系によって拒絶され、脳神経細胞を殺してしまうからである。

「・・・個体の行動様式、いわば精神的「自己」を支配している脳が、もう一つの「自己」を規定する免疫系によって、いともやすやすと「非自己」として排除されてしまうのである。
つまり、身体的に「自己」を規定しているのは免疫系であって、脳ではないのである。」

ということは脳は身体を支配していないことになる。
脳=精神=自己ではないのだ。
なんか、すごくないですか?この事実。

当時研究が進行中であり、まだ噛み砕いた説明ができないような状態だったようで、専門用語がたくさん出てくる。HLA抗原、ヘルパーT細胞、キラーT細胞、サプレッサーT細胞、B細胞などなど・・。
わかりやすく書こうとしておられるようだが、難しい。
しかし、そこを我慢して読んでいると、人体、というより自然の不思議な力に畏怖の念をおぼえてしまう。

章立てを見てみると、

第一章  脳の「自己」と身体の「自己」
第二章  免疫の「自己」中心性
第三章  免疫の認識論
第四章  体制としての免疫
第五章  超システムとしての免疫
第六章  スーパー人間の崩壊
第七章  エイズと文化
第八章  アレルギーの時代
第九章  内なる外
第十章  免疫系の反乱
第十一章 免疫からの逃亡
第十二章 解体された「自己」

この章の見出しを見て、面白そうだと思った人は、ぜひ読まれることをお勧めします。

1970年代ごろまでは、免疫というと、「全ての「非自己」と反応し得る能力が完全なセットとして一揃い用意されている」という認識だったとのこと。
しかし、考えてみると「自己」というのは簡単に「非自己」を定義できるほど安定したものではないらしい。幼時には作られず、成熟してはじめて分泌されるホルモンや母乳蛋白などもある。そういうものも、免疫は「自己」としている。「刻々と変化する外部や内部の環境に可塑的に適応して自己組織化していく」超システム(スーパーシステム)が免疫系というものだそうだ。

ノーベル賞を取った利根川博士の研究も出てくる。
ここは難解だったが、要は抗体の細胞の遺伝子は他の細胞と異なり、遺伝子の断片をつなぎ合わせてランダムに組み替え(組み合わせは一千万種類以上)、さらに他の蛋白では絶対にあり得ない回数の突然変異が頻繁に起こり、途方もない種類の抗体分子を作り出す遺伝子のセットが作られるらしい。(このランダム性の仕組みを解明したのが利根川博士の研究)

「免疫というシステムは、このような「先見性」のない細胞群をまず作り出し、その一揃いを温存することによって、逆に、未知のいかなるものが入ってきても対処し得る広い反応性、すなわち「先見性」を作り出している。地球上に存在さえしないものにも反応し得るという免疫系の「多様性」は、実はレパートリーを作り出す過程におけるランダムネスに基づくのである。」

ところが、(この本が書かれた時点では)いったいどうやって間違って自己を攻撃する抗体などを作らず、非自己とだけ反応する抗体を作り出しているのか、仕組みは分からない!らしい。
おまけに、免疫はいったん抗体を見つけると反応し、終息し、記憶を残す(はしかに二度かからない)という仕組みを持っている。これだけの事をいったいどうやってやっているのか。

それ自体も遺伝子のなかに書かれているのだろうか・・・そうではないだろう、とのこと。
この働きは、固定したものに基づいているのではなく、何らかの動的なシステムとなっているのではないか、とのこと。この仕組みを規定することができれば、生物学の基本原理のひとつになるのではないか、というほどのものらしい。

後半はエイズウィルスの話やアレルギーの話など、免疫に関係する一般的な話題などもあり、読みやすい。
癌細胞に、何故免疫系が寛容なのか?もわかっていないが、説明を読んでいて面白い。10年前の最前線でも十分に刺激的であった。

40億年かけて地球上で進化した生物というのは、宇宙の片隅のあだ花のような実験なのかもしれない。なんで今の自分という存在があるのか、いまだに分からない。

何かのひょうしに地球上にできた、たった一つの細胞からなる生物が、40億年の時間をかけて、いくつかの細胞が集まった生物になり、何度かの絶滅をくぐり抜けて、今の植物や動物になっているという歴史がある。
その地球上で生き残った生物である哺乳類の免疫系というのは、人智を越えた複雑でエレガントな働きをしており、いったい何の意志によってこのような素晴らしいシステムができたんだろう?と思わざるを得ない。
自然に意志があるかどうかはわからないが、あらゆる非自己に対応するために、抗体分子を作る遺伝子がランダムな組み合わせを作る仕組みを備えている、という事実にはびっくりする。
何かそういう仕組みを作れ、と言われたエンジニアが四苦八苦しても、そう簡単に思いつけるような仕組みではないだろう。なかほどに書かれているが、実際には免疫系の働きには曖昧に見える部分も多く、いったいどうやって色々な仕組みを総合的に作用させているのか、わからないほどすごいシステムらしいのだ。

「・・・そもそも「自己」とは何なのか。これほど神経質なまでに「自己」と「非自己」を区別する必要が本当にあったのだろうか。「自己」と「非自己」を区別するような能力は、どこで何が決めているのだろうか。その能力に破綻が生じた場合何が起こるのか。「非自己」の侵入に対して、「自己」はいかなる挙動を示すのか。
 こうした問題こそ、現代免疫学がいま解析の対象としている問題である。分子や遺伝子を扱う現代生命科学の最前線にいるにしては、ずいぶん大ざっぱで、ほとんど形而上学的な問題ではないか。」

科学の最先端は、どんどん哲学的になってくる。
科学には仕組みを解明することはできるが、何故そうなっているかは分からない。
そして、何故そうなっているかを考えないと、仕組みを解明できないのかもしれない。
この免疫系という仕組みにしても、ついつい誰が作ったのか?と考えてしまう。
そうなると、人間を越えた存在というものを考えてしまいますよね。

免疫の最先端の本ではないが、免疫系という対象を通して、自己というものに迫った素晴らしい本。
ちょっと難解だけど・・。