2005年第一刷。本屋で立ち読みして面白そうだったので購入。
はじめに、のところで、論理について著者はこのように書いている。
「論理的であることとは、「語と語、句と句、文と文の関係性にこころを向け、その関係性に注意を集中すること」に他なりません。
もうひとつは「論理的に思考する」のではなく、「思考を論理的に表現する」ことが大事である、ということです。思考はそもそも論理的ではなく、ハチャメチャであるというわけです。科学的大発見などをもたらす思考は、「どんな考え方をしてもよろしい」というハチャメチャな自由があってこそ実現するものです。しかし、ハチャメチャ思考をそのまま表現してもおそらくだれにも分かってもらえないでしょう。なんらルールのないところで自由に考えたものを第三者に伝えたいのであれば、こんどは第三者と共有できるなんらかのルールに沿ってその考えを整理し、表出する必要があります。そのルールが論理に他なりません。飛躍が最大になるように仕組まれているのが思考で、飛躍が最小になるように仕組まれているのが論理と言っていいでしょう。」
今まで、論理的に考える、というような内容の本を読んできたが、この本はちょっと視点が異なり、表現の形式としての論理というものが大事である、という内容。
序章で、テレビの討論番組の事例がひかれ、いかにそれが「論理的」でないか、なぜそれが「論理的」でないのか、という説明がされる。この最初の部分が一番面白かった。
日常生活でもよくあるが、相手の主張の根拠をチェックせず、とにかく相手の主張にかみつく「主張直撃型議論」のどこが問題かを示される。
また、土井たか子の「ダメなものはダメ」という「無根拠型議論」についても、非生産的であり、全く論理性に欠ける、と指摘している。
なぜダメなのか?と聞いたら、「説明しないと分からないヤツは話にならない」というような乱暴な議論はおかしいわなあ。どう考えても平和憲法を大事だと思っている人の言うこととは思えない。そのあたりをスッパリ切っているのが面白い。
「・・・私たちは大人になると、自然に議論のスキルとか、考えをまとめて発言することが身につくのではありません。議論のスキルを高めたり、考えた結果を論理を経由させて第三者に伝えることを身につけたりするには、ある種の意識的努力が必要です。思考を論理的に表現する技術を身につけることは、自分の母語を自然の恵みの一部として無自覚的に獲得したのとは異なり、努力とその持続が必要となります。場数を踏むことが重要なのです。・・・」
論理的に表現するためには、常にそれを意識しておかないといけない、という事である。もともと、人間は論理的ではないのだ。最近、ホントに人間はいい加減なものだ、という気がする。
努力は大事ですね。常に、その主張の根拠は何なのか、という意識を持ち続けることが必要らしい。
続く第1章、第2章では、あるコンテキストの中で、誰にとっても意味が共通の言葉「観察語」と、その言葉をどういう意味で使うのか、という定義付けを必要とする言葉「理論語」の説明がある。
ここはよくわかるし、経験的にもすごく大事なことが書いてある。
中の事例で、「我慢」という語がひかれる。同じ我慢という言葉を、ある人は精神的な意味で使い、別の人は生物学的限界、という意味で使っているが、その「我慢」という言葉の意味を確認しないまま議論している、という状態。こんな状態では、結局生産的な話し合いにならない、という事が示される。実生活でもよくあるハナシだと思う。
レッスンとしては、議論の中に「理論語」を見つけ、それを事前に定義しておく、という事になる。
第3章では「論証とは何か」、第4章では「論証と論拠」という表題で進んでいく。
内容はわかりやすく、読むと当たり前、という感じだが、それは読んでから思うこと。
ここまでかみくだいて説明してくれている本はありがたい。
「・・・「あなたがそう主張するときに、その主張を支持するような証拠はありますか?」という質問に答えるのが根拠を出すことにほかなりません。一方、「あなたはその根拠を提示すると、どうしてあなたの主張が成り立つと思うのですか?」に対する答えを出すのが論拠を提示する事に対応するのです。」
議論をするときに、ここまで掘り下げれば、有意義な議論ができそうだ。主張の核心に迫る方法論である。
普通は、ここまで考えて議論をすることはない。感覚的に「そう思う」などと言っている。たしかに、よく考えてみたらおかしい、と後で思うということもあるし・・・。
第5章は「演繹的論証と帰納的論証」、第6章「論証の妥当性・推測力・健全性」、終章「論証の評価」という順に進む。
最後の方はかなり専門的になってくるが、よくわかる説明。
論理表現のレッスンという題だが、人との話し合いを実りあるものにするにはどうしたらいいか、という事が書いてある前半部分が僕には面白かった。
どうしていつもしょうもない話し合いばかりなのか・・・と思っている方、一度読んでみては?
|