予備校というと、僕らの世代には既に市民権があった。でも今ほど大規模に展開されておらず、どちらかというと日陰のイメージだったが、この本を読んで見方が変わった。本当に真面目に教育について考えているのは塾と予備校だけだ、という話を以前高校の先生だった人に聞いたのがこの本を手に取ったきっかけ。読んでみて本当にそうだ、と納得した。
また、こんなところに全共闘運動の意味を考え続けた団塊の世代の人たちの活躍があったのか、という事にも感心した。
内容も面白く(人によるかもしれないが)、教育というものを考える上で示唆に富む本だと思う。
著者は河合塾に1968年から勤め、河合塾での1970年代から現在までの30年の歴史を通じて、日本の教育について提案をしようとこの本を書いたとのこと。
はじめに、に日本の教育システムが疲労を起こしている、ということを指摘した上で、
「 しかし、日本人の誰もがその装置により、世の中に出ていくための衣を装わされたのであれば、装置の疲労にはっきりと気づき指摘することはなかなか難しい。なぜなら多感な年齢に装わされたその衣は、いかに劣悪なものであろうと、いかに薄汚れたものであろうと、ノスタルジックな心象の影に覆い尽くされ、欠点さえも懐かしいものとして、むしろ美化されてしまうからだ。
予備校がその装置の疲労をはっきりとみることができたのは、そこに組み込まれていないからだった。もっとも原始予備校時代はあたかも自分が組み込まれているかのように錯覚し、聖職の一端を担っているという思い込みの栄誉に満足していたのであるが。・・」
と書いてある。
著者は最初に大学進学率の変化のデーターを示した上で、日本の高等教育がエリート型(大学進学率15%以下)からマス型(15%〜50%まで)に変わっていく途上での予備校の物語を始める。最初は出来ない子だけのクラスを作ったりして、実績を上げていったが、1970年代に講師をしていた大学の教授から、自分の研究室に中途半端にごろごろしている若い者がいるのだが、使ってみてくれないか?と頼まれ、現代文を講義させてみたところ、その若者の講義が大人気になった、というところから、話に熱を帯びてくる。
この全共闘くずれの若者は、三回のうち二回は受験国語で、一回はスペシャル授業だった。そのスペシャル授業では、ランボーなどの韻文を主にあつかっていたとのこと。
「大学入試の国語では韻文はまず出題されないのだが、スペシャルに集まる生徒たちは言葉の美しさ、言葉の持つ不思議なパワー、詩人たちの愛、情熱、生きざまに酔い痴れた。そのことは生徒たちに教科としての国語を見直させるきっかけとなった。
国語を学ぶということは、問題の正解を出すための忌まわしい作業ではなく、美しさや激しさに触れて、感動したり共感したりする営為であるということを、はじめて知った生徒が多かったのだ。国語を学ぶ意味や価値を知ることは、それだけで国語力をレベルアップさせるものなのだ。」
その通りだと思う。僕は詩はよくわからないが、テキストの持つ意味を直感するすばらしさ、というようなものが国語の本当の楽しみだと思う。
その後、その若者の友だちが次々に入ってきて、予備校そのものを変えた、という事らしい。
自主ゼミと称し、時間外で大学院レベルの数学を噛み砕いて教えたり、漢文では司馬遷の史記などを講談師のように解説し、生徒に朗読させたり、オレンジシートと称し、いつでも講師が座って質問を受け付ける場所を作ったり、運動会を真剣にやったり、生徒にもらった缶ビールを飲んで講義する講師がいたり・・。
「高等学校では当時、生徒に社会性をつけさせるために全人教育の時間というものを設けていたのだが、学校ではその時間をもてあましていた。観念ばかりが先走ったいわゆる「〜のためにする」授業というものは、いつの時代も空転し、成立しないものなのだ。
全共闘講師たちは、社会性というものは、一つのテーマを巡って人と人とがぶつかり合う中から醸し出されるものだと信じていた。大学合格という目標を共有して、講師が生徒を叱咤し、生徒がそれに応え、あるいは反発し、成功したらともに手を取り合って喜ぶ。失敗したら一緒に泣く。
アカデミックな教育からすれば、受験という亜流でむしろ卑しい領域かもしれないけれど、本当の社会性はむしろ卑しいとされる領域における、具体的現実的な問題を共有した師弟同士の本音の関わり合いの中でこそ生まれるのではないかと考えていた。
本当に生徒が求めているもの、本当に生徒にとって必要なものを、この自由な穴ぼこの中で自分も勉強しながら与えつづけよう、というのが彼らの覚悟であった。もちろん必要なお金はいただく。いただいたお金に報いるものだけのものはきちんと返す。これが彼らの考えであった。」
観念ばかりが肥大化して、結局は何も残さなかった、とも言われている全共闘運動だが、その波が過ぎ去ったあとも、運動の意味について考え続けていた人たちが、大学から予備校に来て花を咲かせた、という事だろうか。
時代の意味、自分たちがしたことの意味を考え続けた人たちだからこそ、予備校で真の教育が出来たのかもしれない。
予備校の講師と学校の先生の最も大きな違いは、予備校の講師は教材作りに積極的に関わらざるを得ない、ということであるという。
「教材づくりには、まず教科の知識を充分に持ち、生徒の状況をよく把握していて、何をどう与えたらいいのかの判断力と制作力が求められる。いま、この重要な教材づくりが、公教育の先生方の手からほとんど失われている現状は、大変危ない感じがするのである。」
そういえば、ヨーロッパで現在学力1となっているフィンランドの授業をテレビでやっていたが、この時も先生が自分の授業で何について調べるのか、どのようにまとめるのかなど、自分自身で全てを企画しているという状態だったと思う。教材を作る自由、というのも確かに必要なのかもしれない。(作るのはしんどいだろうが。)
この本で初めて知ったが、河合塾が中国、韓国と日本の統一入試の比較を初めて行い、日中韓三国共通テストを各国の生徒に実施させたとのこと。各々の国の問題が紹介されているが、この比較は面白い。こんな事は日本の文科省はようやらんやろなあ。でも、どこかの教育大あたりでそんなことを考えて企画する人がいてもおかしくないように思うが・・・。
大学でも無理なんだろう。
予備校の話の最後の方に、カンボジアの学校の支援活動を行う話が出てくるが、これには感動した。
学校について(高校がメイン)も語られるが、1985年の第二次ベビーブームのさなかに、入試競争が激化し、高校が予備校のお株を奪って、知識の記憶・ドリル・正解発見のテクニックなどを教えはじめたとのこと。高校が教科の本質を教えず、テクニックを教えるようになってしまった、という。
教科の本質的授業などやっていては昨今の入試競争に勝てない、勝てなければPTAや県教委から叱られる・・という悪循環。高校の先生もベビーブームの嵐の被害者とのこと。
このころから高校と予備校の役割が逆転したらしい。
講師はカリキュラム会議でこう言った。
「いいですか、生徒たちは答えの出し方は教えてもらってきているが、なんでこの問題が出されるかとか、なんでこうすれば正解が出るのかとか、なんでこの教科を学ぶのかとか、本質というか教科の根っこの部分を考える教育をほとんど受けてきておらん。だから、教科の根っ子のところ、本質の部分を教える。それしかない。」
「一部の子たちは、評論文の読解のために、まず最初に設問を読めと教えられてきているのです。問題文はあと回しです。その上で設問を意識しながら、文章をばらばらにして部分の意味を掴み、部分の図形的つながりで全体を解釈する技を教えられてきているんです。
そこでぼくは声を枯らして言いました。「それじゃあ、駄目だ。まず全体を何度も読む。目で読むのではなくて、身体で読む。そのために声を出して読む。そして全体の意味を掴む。最初は苦しいが慣れると一発で書き手の息遣いまで分かるようになるぞ。さあ大声を出して読もう。・・・」
考えさせられるハナシである。
僕は、昨年、数学を作った人々という文庫本を読んで、この歳になってようやく数学というものの意味がわかったような気がした。
こういう事を先に知っていたら・・と思うが、一流の数学者が長い時間をかけてやっとまとめた本(文庫本で3冊)の中身を、誰もがわかるように授業として説明することなどなかなかできないだろう。
だからこそ、このような本質の部分をどういう風に教えるのか、考える事が必要だろう。
ただ、いくら考えて、素晴らしいテキストを作ったとしても、実際に「あー、そうだったのか」という体験をしたことのない人には教えることは出来ないと思う。
最後はやっぱり「人」に来てしまう。
この本では、最後に今の大学について、入試の重要性や今の大学が進むべき道などが示される。
大学は、役割別に研究者、高級技術者養成大学、専門職業人養成大学、よき社会人養成大学の3つに分類されている。
一番しんどいのは、よき社会人養成大学であり、1992年にピークの205万人となった十八歳人口が2000年には151万人、2009年には120万人まで下降するのをもろにかぶる事になる。これらの大学が、はたして存在する意義があるのか?という問いに対して、著者は専門学校に近いような(勉強以外の領域で能力を開花させる)ものにならないと、生き残れないだろう、と言っている。
長くなったので、もうやめるが、ここ30年の移り変わりを、予備校という今の教育制度の外側で冷静に分析しながら見てきた著者の話にはすごく説得力がある。
この本はすごくいい本だと思う。
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