2005年3月5日
ICHIROメジャーを震撼させた男 ボブ・シャーウィン 朝日文庫
イチローは間違いなく今の日本人の中で最も貴重な人のひとりだと思う。
昨年の1シーズンの最多安打記録には本当に興奮した。
今の日本全体を覆っている、ぼんやりとした閉塞感を、ひとときだけでも取り払ってくれた功績は大きい。

野茂が切り開いた、日本人のメジャープレイヤーへの道を、名実ともに日本一の実績を持って追いかけたイチローは、今やアメリカでも最も有名で、かつ評価されている日本人だろう。

以前、イチロー語録という本を読んだが、求道者というような雰囲気を持つイチローの言葉に感心した。

この本は、イチローがメジャーにデビューした2001年のシーズンの全てを、アメリカ人のスポーツジャーナリストが記録した本である。アメリカ人のジャーナリストだけに、アメリカ国内でのイチローに関する情報を網羅している。逆に、イチロー自身の声は言葉の問題もあり、あまり伝えられていないが、それだけに客観的なイチローの評価が知れて、彼のすごさがよくわかる。

日本人選手の活躍で、メジャーリーグの中継も増え、プレーを見る機会が増えている。
やっぱり、面白い。メジャーの野球は日本のプロ野球とは別のスポーツ、という感じ。
メジャーの中継を見ていると、日本のプロ野球選手が行きたくなる気持ちもよくわかる。

本の中に紹介されているエピソードを一つ。

2001年まで、マリナーズのライトはジェイ・ビューナーで彼のあだ名は”ボーン”だった。
そのため、セーフコ・フィールドのライトは「ボーン・ヤード」と呼ばれていたらしい。
しかし、イチローが加入し、活躍を始め、9月にはライトはイチローの背番号51を称えて「エリア51」と呼ばれるようになったとのこと。(エリア51というのはニューメキシコの片田舎にある極秘の地域で、アメリカ軍の新型ミサイルの発射や最先端の軍事実験が行われているが、アメリカ政府はその存在すら認めていない・・とのこと。ここに入り込んで消息を絶っているものも多いらしい)

12番目の天使(オグ・マンディーノ)を読んだときにも感心したが、野球はアメリカ人の生活に深く入り込んでいて、文化の一部ではないかなあ、という事を再認識した。

一度だけアメリカでクリーブランド・インディアンズの試合の日に、ジェイコブズ・フィールドの隣の駐車場に朝早く車を止めた事があるが(野球を見に行ったわけではない)、試合は昼過ぎに始まるのに、朝からたくさんの車が来ており、駐車場でバーベキューをし、キャッチボールをし、ビールを飲みまくり・・・というお祭り騒ぎだった。帰りには、そこら中にビールの瓶が転がっていたのが印象的だった。(転がっている空き瓶のことを”Dead soldier"・・・死んだ兵士という事を後で聞いた)

車をとめるときは、あまりのお祭り騒ぎに、帰るときには車がメチャクチャになっているのではないか・・と心配しながら駐車したが、何ともなっておらず、さすがにマナーは守るんや・・と感心したことを覚えている。
往きの高速道路を走っている時に、インディアンズの旗をなびかせながら走っている車が多かった。メジャーの試合を見ることが、彼らにとっては一つのイベントなんだと思う。それと、広い国土、クルマ社会であることが重なり、さらにアメリカ文化に根付いたスポーツである、ということが相まって、あの駐車場での大騒ぎがあるんだろう。
翌日、その話をアメリカ人にすると、「それは当然。」と言うと同時に、僕らがそれをみてびっくりした事をさも楽しそうに聞いていた。あれは、アメリカ文化の一つの誇りの部分なのではないか。

ぜひ、この人が書いた2004年のシーズンの記録も読んでみたい。
そのうち出るかな。