宇宙船ビーグル号を読んで、久々にSFの面白さを味わったので、もう1冊名作と言われているSFを読んだ。
華氏451度は、最近話題になった映画「華氏9/11」の題名の元になったもの。
1975年に初版。2004年の18刷を買った。原作は1953年に発行されている。
これは、叙情的なSF作品。SF作品というと、とかくメカニカルなものが出てきたり、かっこいい科学的説明があったりするが、この本にはそんなものは無い。SF的なもの(テレビの進化したものや、ロボット犬など)については、あまり凝った説明はなく、中心になるのは近未来の社会そのものであり、SF作品を通じて社会批評をしている。
華氏451度(摂氏約220度)は紙が燃える温度であり、この本のテーマは「本」という人間が考えるための道具を為政者が抹殺し、大衆を思いのままに統制している、という近未来の社会そのものである。
主人公は、本を隠し持っている家に行って、火炎放射器のようなもので家ごと本を焼く、焚書官という仕事をしている。その彼が通りすがりに知り合った少女と話すことでこの社会のおかしさに気づき、何とかしようと動き出す・・という展開。
この本が出版された頃のアメリカは反共のキャンペーンが吹き荒れた時代で、その時代背景がこの本を生んだのではないか。テレビのような受身で情報を垂れ流すようなメディアによって、大衆がコントロールされ、思うままに操られるという危機感が色濃く反映されている。
サイエンス・フィクションとしての古さはあるが、物語としてのテーマは今でも面白く、スリルのある展開は一気に読ませる。
解説によると、ブラッドベリはマルキシストでもなく、共産主義のシンパでもなかったらしいが、体制はどうあれ、誰もが同じ方向を向く(向かされる)という全体主義を最も嫌っていたとのこと。
1953年というと、昭和28年。東西対立の時代の始まりか。
僕の中では、ベトナム戦争、反戦フォークソング、安保反対のデモなどの東西対立の中の出来事と、反体制・革命などという言葉が雑多な思い出と一緒くたになっている。人生で一番多感な時代を東西対立の時代の中で過ごしてきた、というのは事実。
今の50歳台近辺の人たちは、多かれ少なかれ、そんな時代を過ごして、今も何かが心の中に残っているだろう。その経験を語りつぐべきなのか?あの頃は今よりどうだったんだろうか?ベトナム戦争が1964年〜1975年。反戦歌というような歌がかつてたくさんの若者を引きつけ、それを歌うことがかっこよかったという時代・・・今の若い人には想像もできないだろう。あの時代に僕らが得たものは何だったのか?その何かを引き継がなくていいのだろうか。
そんなことを考えさせられた1冊だった。
SFの名作と言われるだけはある。
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