「考えるヒント」といえば、小林秀雄、というのは、昭和40年代の受験生ならわかるのではないか。
小林秀雄の評論は、よく試験に出された。とにかく、何が書いてあるのか、わからなかった。書いてある事は日本語だが、意味がわからない。
何が言いたいねん?と思っていたが、小林秀雄をわかるためには、「考えていること」が必要だったんだと思う。
結局、仕事を始めてから、小林秀雄そのものではなく、彼について書かれた本を読んで、ようやくおぼろげながらわかるようになった。
それから、何冊か文庫本を買って読んだが、その中に「考えるヒント」のシリーズもあった。
著者の池田晶子は、小林秀雄に傾倒しており、巻末には「小林秀雄への手紙」と題されたラブレターも載っている。
「私の仕事の意味すなわち本質を捉え論評できるのはあなただけだという、これもまた深い確信が変わらずにあります。生きていて下さったら よかったのに、まあそんなことを言ってもしょうがない。」
「批評という形式、あなたの文章は、何を説明しているわけでもない。「説明」というこの文章の調子が私は大嫌いで、野暮の極致だとかねが ね思っているのですが、文章が説明的になったら負けと言っていいでしょう。なぜって、語ろうとしているところのものが、そもわからないこ
となのだから。わからないことをわかったことのように説明することはできない。わからないというまさにそのことが、その言葉であるのでな ければ、そんなものはウソッパチでしょう。何を説明するのでもなく、断定的に語られるあなたの言葉によって、読む者は、わかります。わか
るということは、決して説明によってわかるのではない。言葉自体の力によってわかるのだ。だから、読む者にわからせようとして書く必要な どないのだということも、あなたから学んだことでした。」
この本は、池田晶子が小林秀雄の「考えるヒント」をもとに、新しく「考えるヒント」を書いたもの。文体も小林秀雄風になっている。
書いてあることは、少し難しい。
本の中に、40年前に小林秀雄が「考えるヒント」に書いたことが、ゴチックで引用されて出てくるが、何の違和感もなく読めて、こういうのが時代を超えた言葉というものなのかと思う。
「常識」から始まって、「無私の精神」まで、15の章がある。
第8章の「学問」というところには、なぜ小林秀雄が学問の方法をとらずに、批評という方法をとったのかを書いている。結果的に、この章は現 在の「学問」をやっている知識人と呼ばれる人たちをするどく批判することになっており、なるほど、と思わされる。
「知性のこの蒙昧状態は、戦後の政策によって出現し、小林がそれを嘆いていた昭和の時代を経て、今日にまで至るものであるが、今日それが とくに加速しているように見えるのは、そのように蒙昧に育った人々がそのまま次世代を教育する側に回ったからである。いわば、道を知らない者が道を教えようとしているのである。まともに前へ歩けようはずもない。小林は当時すでに事態を予測していたに違いないが、平成の現状
を知れば改めて驚くにも違いない。なんとここまで壊れ果てたか。」
「精神もしくは心の問題を扱う人は、医者であれ学者であれ、精神と物質、心的実在と物的実在の関係如何という人類の難問について、必ず一 度は衝突しておかなければならない。いや、するのでなければ嘘である。なぜなら、心的実在と物的実在という、関係しようのないふたつの実在を、関係させつつ生きているのは、他でもない自分だからである。これを謎と問うのでなく、なにゆえの学問だろうか。学問とは、学説を身につけることではない。学説を掲げて、人生に臨む態度である。この態度なり、決心なりは、犯罪者の脳波を調べてその精神を理解したつもりの学者たちには無縁なものだろう。そう言われても、彼らには何のことやらわかるまいが。」
「現代日本に限らない。近代以降、制度として整備された大学は、覚悟という言葉の意味すら解さぬ愚者の楽園となり果てた。べつに学問をしなくてもいいのだが、生活は保障されるからという理由で大学にいる者たちの言葉が、一般生活者にとってどうでもいいものとなるのは当然である。学問や学者が、世間に侮られる存在となるのも当然である。ところが中にいる者たちは、これを逆手にとって居直るか、卑屈になって媚びを売るかのどちらかである。精神の仕事をしているのだ、なぜ生活が問題か。そんなふうに矜持を示せる者などいやしない。だからこそ生活者を目覚ますこともできるなど、思いもよらない。
理科系の学問は、産学協同の掛け声に活路を見出したが、文化系の特に哲学など、完全に無用の長物である。無用にも用がある。科学が用なら、哲学の用とは、科学を用とするこの世のありようそのものを問い質すことに決まっている。われわれはなぜ生きているのかという問いを問
うことは、生きるためには有用なことか無用なことか、常識は知っているはずである。」
第11章の「哲学」では、小林秀雄の哲学について、こう書かれていた。
「小林秀雄の哲学的思惟の深さと正確さは、おそらく、当時の正統派哲学者たちの及ぶところではない。彼は、思惟に関する学問は、「学んで知る」ことなどできない、「思って得る」以外にはないということを知り抜いていたから、「学んで知る」こと自体を疑ったこともない正統派の哲学者たちと、道を同じくすることなどできるわけがなかった。自分は哲学者などと名のろうとは思わぬ、批評家という異端の汚名で十分だという、豪傑の覚悟がここにある。そして同時に、正統からは異端と思えるこの構えこそが、まさしく伝統という正統そのものにして蘇るという逆説が生じる理由も、ここにある。伝統すなわち学問の命とは、「思って得た」先哲たちの、懐疑する確信に他ならないからである。懐疑する確信、この一点に自覚的にとどまり続ける限り、思惟には、習慣化も硬直化もあり得ないからである。しかしこれは、きわめて狭くて稀な道である。なぜなら、思惟についてのこのような構え方自体が、「学んで知る」ことのできるものではなく、「思って得る」以外は得られないものだからである。」
この人の、小林秀雄への思い入れもすごいものがあるが、どこからどこまでが引用文かわからないほど小林秀雄がのりうつった文体もすごい。
17歳の頃は、全くわからなかった人が、少しはわかるようになった、という進歩は感じることができた。
30年以上かかった。まだまだ努力不足か。
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