1986年に文庫の初版。1991年の第15刷を読んだ。
途中まで読んで、そのまま本棚に眠っていた本だったが、今回読み直した。
外山滋比古という人は、英文学者だが、日本語が素晴らしい。
さすが、文学者だと思う。難しいことをやさしく書くというエッセイストの見本だと思う。
この本は、主に自分の経験から、アイディアをどうやって生み出すのかという方法論を書いている。
冒頭に、「グライダー」というエッセイがある。これがこの本の中身を表している。
「ところで、学校の生徒は、先生と教科書にひっぱられて勉強する。自学自習という言葉こそあるけれども、独力で知識を得るのではない。いわばグライダーのようなものだ。自力では飛び上がることはできない。
(中略)
学校はグライダー人間の訓練所である。飛行機人間はつくらない。グライダーの練習に、エンジンのついた飛行機などがまじっていては迷惑する。危険だ。学校では、ひっぱられるままに、どこへでもついて行く従順さが尊重される。勝手に飛び上がったりするのは規律違反。たちまちチェックされる。やがてそれぞれにグライダーらしくなって卒業する。
優等生はグライダーとして優秀なのである。飛べそうではないか、ひとつ飛んでみろ、などと言われても困る。指導するものがあってのグライダーである。
(中略)
人間には、グライダー能力と飛行機能力がある。受動的に知識を得るのが前者、自分でものごとを発明、発見するのが後者である。両者は一人の人間の中に同居している。グライダー能力をまったく欠いていては、基本的知識すら習得できない。何も知らないで、独力で飛ぼうとすれば、どんな事故になるかわからない。
しかし、現実には、グライダー能力が圧倒的で、飛行機能力はまるでなし、という”優秀な”人間がたくさんいることもたしかで、しかも、そういう人も”翔べる”という評価を受けているのである。
学校はグライダー人間をつくるには適しているが、飛行機人間を育てる努力はほんのすこししかしていない。学校教育が整備されてきたということは、ますますグライダー人間を増やす結果になった。お互いに似たようなグライダー人間になると、グライダーの欠点を忘れてしまう。知的、知的と言っていれば、翔んでいるように錯覚する。
(中略)
この本では、グライダー兼飛行機のような人間となるには、どういうことを心掛ければよいかを考えたい。
グライダー専業では安心していられないのは、コンピューターという飛び抜けて優秀なグライダー能力のもち主があらわれたからである。自分で翔べない人間はコンピューターに仕事をうばわれる。」
この本が書かれたのは今から約20年前。
まさにここで書かれていることが、今の社会で要請されていると言っていいと思う。
書かれてから時間は経っているが、中身は全く古くない。
「考える」ということに関して、現実的な知恵がつまった本である。
それらは、すべて作者の経験から導かれたもので、説得力がある。
「朝飯前」というエッセイの中で、
「夜考えることと、朝考えることとは、同じ人間でも、かなり違っているのではないか、ということを何年か前に気づいた。朝の考えは夜の考えとはなぜ同じではないのか。考えてみるとおもしろい問題である。」
と語っている。
朝の仕事が自然であり、食事の前の方が頭の働きが良い・・・という事になる。(ちょっと耳が痛いが)
その結果、作者は朝食を抜くことにして、朝飯前の時間を長くした、という結論。
面白い。経験に裏付けられた視点から、説得力のある文章だ。
「考える」という事に関して、どうやって「いい考え」を得るのか、ということについても多くの興味深い事が書かれている。
”見つめるナベは煮えない”という海外のことわざを引き合いに出して、「いい考え」を得るためには、ナベをじっと見つめているのではなくて、(ずっとそのことを考え続けるのではなく)一度”寝させる”事が必要だ、という。
大きな問題ほど、長い間、寝させておくことが、解決の方法だ、という。
「努力をすれば、どんなことでも成就するように考えるのは思い上がりである。努力してもできないことがある。それには、時間をかけるしか手がない。幸運は寝て待つのが賢明である。ときとして、一夜漬けのようにさっとでき上がることもあれば、何十年という沈潜ののちに、はじめて、形をととのえるということもある。いずれにしても、こういう無意識の時間を使って、考えを生み出すということに、われわれはもっと関心をいだくべきである。」
セレンディピティという言葉も、この本で知った。
アメリカで、対潜水艦兵器の開発をしていて、音波探知機をつくるために実験をしていると、潜水艦から出ているのではない音が聞こえ、その音源を調べてみたら、イルカの交信であったという例をひいて、
「科学者の間では、こういう行きがけの駄賃のようにして生まれる発見、発明のことを、セレンディピティと呼んでいる。ことにアメリカでは、日常会話にもしばしば出るほどになっている。自然科学の世界はともかく、わが国の知識人の間でさえ、セレンディピティということばをきくことがすくないのは、一般に創造的思考への関心が充分でないことを物語っているのかもしれない。」
このほかに、アイディアを生み出すためのノートの作り方、考えをまとめるための方法(とにかく書いてみる)、論文のテーマ(一文で表現できないとダメ)、しゃべることの重要性(声にも考えさせるようにする)・・など、わかりやすく、ためになることが書かれている。
古い本だが、内容は全く古びてはいない。
こういう本は文庫でずっと残しておくべきだと思う。
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