2006年5月14日
働くということ 日本経済新聞社編 日本経済新聞社

日経の朝刊にずっと連載されていたシリーズを単行本にまとめたもの。
買おうか、どうしようか…と思いながらずっと本屋で見ていたが、結局買ってしまった。

連載で読むのは良かったのだが、まとまってしまうと、重たい。

「経済学者ケインズは「生きるために働く必要がなくなった時、人は人生の目的を真剣に考えなければならなくなる」と予想した。食べるに困らない豊かな時代。人々が働くことの意味を見つめ直している。」

第一章に書かれているが、働くことの意味を考えていくことの事例が並ぶ。
若年層の失業率の高さ、NEETの問題、フリーターの増加…。
どうしたらいいのか、答えはない。

まともな大学は、親に安易に子供に大学院への進学や留学、留年を勧めることを絶対にやめてほしい、という。
モラトリアム進学や留学は働く意義をつかめない世代の増殖を招くという。

「就職あきらめ組は六十七万人。国内総生産(GDP)の0.4%分、年間二兆円を稼ぎ出す能力を無駄にしている」らしい。

アルバイト先でちゃんと若者に働いてもらうために、モーニングコールをかけるサービスをやっている会社もあるとのこと。
「責任感が希薄なアルバイトの戦力化」らしい。
「七・五・三」中卒の七割、高卒は五割、大卒で三割が就職後三年以内に辞める、という時代。

日本青少年研究所が世界の中高生に「人生の目標」を聞いたところ、日本は「楽しく生きる」が六十二%と首位。米国やフランスで多い「高い社会的地位や名誉」はわずか二%だ。若者の享楽志向は経済活力の回復や成長の持続の点では懸念もあるが、「何がしたいのか分からない」世代が増える中で、仕事の楽しさは求心力となる。

終わりに−の部分にこう書いてある。

「取材の過程で浮き彫りになったことがいくつかあります。一つは世代間に横たわる就労観の溝です。大学の就職課に母親同伴で渋々と相談に訪れる男子学生。大企業への就職には見向きもせず、「起業」を目指してセミナーに日参する大学・高校生。労働市場に参画することが「自立」への第一章だとすれば、いま、その道筋はかつてないほど多様です。「何はともあれ就職」を選択してきた中高年の世代から見れば、認めがたいモラトリアムとも映ります。
 経済水準が高まり「食うに困らない時代」であるがゆえに、フリーターでも一定の生活水準が保てるようになりました。サービス業を中心に新たな職種も登場し、”飽職の時代”とも言えるほど選択肢は豊富です。
 それなのに早くから人生の路線を定めようとせず、ゆっくりと自分のやりたいことを見極めたいと判断を先送りする若者が増えてきています。親世代も「あなたのやりたいようにしなさい」と物心ともに親元へのパラサイト(寄生)を許し、巣立ちを遅らせる事態を招いています。
 若い人たちに「同世代のフリーターの増大をどう思うか」と聞いてみたことがあります。大半は「他人迷惑をかけているわけでもないし、自分探しはいいと思う」「前向きなフリーターだっている」という肯定派でした。むしろ、団塊など先輩世代に対し「ポストを独占している」「退職金や年金を食い逃げしている」と不満を言い募る姿が印象的でした。
 若年層の就労システムが崩壊すれば、技術やスキルの伝承は途絶え、年金に代表される世代間の相互扶助のメカニズムまで壊れてしまいます。本格的な人口減少時代が間近にせまるいま、「自分探し」にとどまり続ける若者の姿は、長期停滞する日本経済の未来にも重なって見えます。」

この問題提起は正しいと思う。
そして、これを解決するための取材班の結論は…

「 しかし、世代を問わず一人ひとりが「働く意味」を取り戻し、見つめ直すきっかけとなるのは、立派な就業支援センターやパソコン研修ではないはずです。親や子、友人、先生といった身近な人たちとのふれあいや何気ない会話などを通し、働く喜びを伝え合う機会を持つことが欠かせません。」

そうだと思う。

「自分」は探すものではなく、作るものだ。
探して、見つけられる自分などない。自分の外に自分はない。
何かを一生懸命やって、その結果が「自分」になる。「自分」というのは過去の歴史の積み重ねであり、結果論が大半だと思う。
ビル・ゲイツだって、松下幸之助だって、本田宗一郎だって、自分探しなどしなかったと思う。
ただ、やれることをやっただけだろう。

この本にはいろいろな事例が出てくるが、もうちょっと進むべき方向性を示してほしかったと思う。
ただ、今の職業事情について知りたければ、いい本だと思う。