月は夜ごと海に還り
(4)
「・・・00・・・4・・・!!」
喉がガラガラに枯れて、声が塞き止められた。
疲労に掠れた目は、体を引き摺り気味にし、右膝からコードが剥き出しになった仲間の痛々しい姿が瓦礫の山の向こうから現れる
のをようよう捉える。
「004、膝が・・・」
「お前が004・・・悪いが今は邪魔だ」
マシンガンの掃射を加速装置で間一髪振り切った敵は、瓦礫の山の上に着地して、004の出現を忌々しく見た。
「体を蜂の巣にされたいか!?」
「やめておけ。お前も009もそれ以上は持つまい・・・」
004は右手の照準を敵にぴったり合わせたままゆっくりと009に近付いて、立つこともままならない疲弊しきった体を庇う様にして支えた。
だがその動作はぎこちない。敵が指摘した様に004自身のダメージは相当な物だったのだ。
「駄目だ、004・・・その体では・・・一度逃げて・・・」
004は答えなかった。相変わらず照準を合わせたまま、009の体を背後に隠す。
敵は再びサーベルをかざした。
無言で睨み合う。南の方向から焦臭い風が吹き付けた。
どちらが先に動いたのか、ふたりの姿が消えた。
マシンガンの発射音、金属同士が激しくぶつかる音。
空中で衝突し、絡まる手足、サーベルと鋼鉄の右手が互いの脇、肩をかすって宙に突き抜ける様子が、ストップモーションで
009の目に飛込んだ。
そのままふたりは折り重なって地面にドサリと衝突した。
土埃がもうもうと舞う中を、転げ回って相手の急所を狙おうとする。レーザーナイフとサーベルが目に見えない早さで打ち合っている。
途切れる事の無いその鋭く空虚な音は、見守る009の視線を心を容赦無く踏み拉いた。敵のサーベルが振り降ろされる度にザクッ
ザクッと地面を突刺す乾いた音が響く。
004のレーザーナイフが、敵の肩をえぐった。
「・・・ぐっ・・・!!」
黒で覆われた全身が仰け反って飛びのく。マントからじわりと鮮血が滲み出るのが見えた。
──── 今だ・・・!
009は力を振り絞り、がくがくする指でさっきの十字架をたぐり寄せた。
敵がふらりと立ち上がろうとする所に、潤む両目で狙いを定め、投げつける。
004が血に濡れたナイフを再び構える。
風を切り、勢い良く回転する鉄の十字架。
しかし、敵の加速装置の方が早かった。
009の投げた十字架が、ガランッと重い音をさせて地面を削ったのと同時に、敵のサーベルは空中で004の左肩を貫いていた。
「・・・っっ!!・・・ぐうっ・・・!!」
勢い良く鮮血が飛び散った。ちぎれたコードが火花を散らしながら小さな蛇の様に跳ねる。
「・・・004─────!!」
009は擦れる声で悲鳴を上げた。
ビシュッという音と共に血しぶきを上げてサーベルが引き抜かれ、同時に一瞬で生命を絶たれた左腕がドサリと地面に落ちた。
鋼色の刃に、赤い色のぬるりとした液体が滴る。
004はガクリと地面に片膝をつき、ぜいぜいと唸り声にも似た荒い息を吐き続ける。
「 ・・・く・・・そ!!」
004の全身が仰け反り、硬直した。ぽたぽた落ちる人工血液が、乾いた大地に吸い込まれて行く。
004の体は崩れ落ち、痙攣を繰り返す。
敵は悶絶する相手を静かに見下ろすと、黒いマントをサッと引き寄せて、体の向きを変えた。
「・・・待て ・・・!なぜ・・・なぜ・・・と・・・とどめをささ・・・ない?」
呼吸をする度に体中を貫く激痛を堪えながら、004は敵に問うた。
「俺の受けた指令は、お前を殺す事ではない」
敵は振返って答える。
「これ以上時間は無駄には出来ない」
ザクッザクッと焦土を踏んで、敵は009に歩み寄った。
009は仰向けに倒れたまま力の入らない肘を無理矢理突っ張らせて、何とか後ずさろうとした。
至近距離まで近付くと、ガッとサーベルを009の顔の真横に勢い良く突き立てた。
飛び散る土塊が、頬にかかる。
敵は横たわる体にのし掛かる様にして膝をつき、指で乱暴に009の顎を掴んで上向かせた。
黒い瞳が何かを探ろうとでもする様に、じいっと赤い瞳を覗き込む。その視線の鋭さに射抜かれ、串刺にされてしまいそうだった。
相手は一言も声を発さないのに、胸を上下させている自分の荒い呼吸だけが、至近距離の濃い空気の中にうるさい位満ちていた。
「009を放せ・・・!こっちが先だ・・・!」
右肩で必死に焦土を躙りながら、004は声を振り絞った。自由の効かない自分の目の前で、彼が敵の好きな様に扱われるなど、屈辱以外の
何物でもなかった。ズルッ、ズルッと体を引き摺る音までもが痛覚を刺激し、彼らとの距離を益々広げる様に思われた。
敵はそんな004をちらりと見遣った。
突然、009の視界が暗くなる。
唇が、乱暴に奪われていた。
「・・・・・!!!」
004は自分の眼を疑った。
深く、隙間無く重なり合い、無理矢理こじ開けて舌を絡め取られる。
あまりの唐突な出来事に009の頭の中では世界がぐるりと回転していた。息苦しさに悶え、逃れようと未だ痺れる体を捩ったが、顎を
掴む指の力は益々強くなり、更にきつく吸い上げて来る。
「・・・っ・・・ぅ、ん・・・」
噛みつかれる様な口づけ。
砂粒が唾液に混じって粘膜を刺激し、煤の苦い味が喉に流れ落ちる。
湿った音。熱い息。どちらの物か分からない。
舌は自在に口腔を這い回り、万遍なく犯し、吸われ、舐められた。
空を覆っていた灰色の煙が途切れ始めた。
ちかっちかっと太陽の光が射し、重なるふたりを照らす。
白い光が覆い被さる相手の頭や肩を鮮やかに縁取る様子が、009の霞む目に入った。
瞬間息を飲んだ。
──── ・・・この人は・・・!!
ガッ!!
004のマシンガンが、ふたりの足元の地面を抉った。
敵は009を抱えてジャンプし、瓦礫の山の頂上へ舞い降りる。厚いマントの中に、009の細い体はすっぽり隠されてしまう。
004は歯軋りした。
相手を、傷付いた自分の体を心の奥底から呪いながら。
「時間切れだ」
敵はそう言って、空いた手で唾液のつたう自分の顎を拭った。
「何だと・・・!」
彼方から大きな音が近付いて来たかと思うと、ゴウッと頭上から小型の飛行機が降下した。側面の扉は開いたままになっている。
ふたりの姿がぱっと瓦礫の山から消え、飛行機の縁に飛び移った。
そのままガシャンと無情に閉じられる扉。
「009!!!」
004は飛び去る機体めがけて、激痛に震える右肩を伸し、這い蹲ったままマシンガンを乱射した。
一発撃つごとに引きちぎれそうな苦しみが全身を貫き、人工血液が一滴、また一滴と肩から滴っていく。
やがてカチッカチッと空回る音が、自らの心を、体を嘲笑う。
いつの間にか南から迫って来た炎が周囲を舐めまわし、自分を囲んでいる。
絶望の中でゆらゆら揺れるその炎の中に黒い機体は飛込んで、段々小さくなって消えて行く様に思われた。
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