邂 逅
入学式の日は快晴だった。
北西に望む北アルプスの山々の頂にはまだ雪が残っているが、降り注ぐ太陽の光りは明らかに冬のものとは違う。ふと周囲を見渡すと、目に映る景色はどこか霞みがかっており、全体的に柔らかな気配を漂わせていた。
式が終わった後、新しい友人と遊びに行く途中に城に立ち寄ったのは、その春の気配を確かめたくなったからだ。桜の開花にはまだ早いとわかっていたが、綻びかけた蕾くらいなら拝めるかもしれない。
新生活は楽しい予感に満ち溢れていた。配属されたクラスの雰囲気は悪くなかったし、初めて袖を通した制服は急に自分を大人にしてくれたようで嬉しい。配布された新しい教科書、後日行われるクラブ活動紹介、小学生時代とは明らかに違う日常のスタートには不安よりも期待の方が大きかった。
友人と加入するクラブについて話しながら女鳥羽川を渡り、大名通りを歩いていると、松本城の天守閣が見えてきた。小振りで黒っぽいその姿は、例えば姫路城のような優美さや、熊本城のような壮麗さはないものの、長い歴史を潜り抜けてきた確かな存在感のようなものが感じられて好ましい。そのまま城の天守閣を左手に眺めながら太鼓門前の桜並木をゆっくりと歩いた。
予想通り、桜はまだ1分咲きというところで、ふっくらとした薄紅色の蕾が、じっと花開く機会を窺っていた。それでも、灰色の桜の並木の上部は煙るような淡いピンクを帯びていて、何か人の心を浮き立たせる。
あと数日もすれば、降りしきる花弁の中を歩くことができるだろう。もう中学生になったのだから、夜桜見物をしに来るのも悪くない。そんなことを友人と語り合っていた時だった。掘に面した土手に、誰かが佇んでいるのが見えた。それは同じ中学校の制服で、だから妙に目を引いたのだ。
少年だった。すらりと伸び背は同年代にしては高い方で、大人びた顔を併せて見ても、上級生ではないかと思われた。
ここで、何をしているのだろう…。
じっくりと腰を落ち着けて桜の見物をするにはまだ早く、かといって城を眺めているわけでもないらしい。彼の視線の先を追っいくと、そこには北アルプスの頂と春の空だけが存在していた。
「あれ、仰木だ…」
隣から友人の呟きが聞えたので、そちらを振り向くと、彼は怪訝そうな面持ちで少年の横顔をじっと見詰めている。
「知っている人?」
訊ねると、友人はどこか怯えたような、怒ったような表情で、ぶっきらぼうに返事をした。
「同じ小学校だったんだよ。仰木高耶っていうの。あいつ、入学式にも出ないで何やってたんだ…」
「え、入学式?っということは、あの人、同い年なんだ…」
驚いてもう一度少年の姿を見てみると、確かに彼の顔にはどこかあどけなさが残っており、体の線もやや細い。しかしどう見ても、あの背の高い少年が、自分と同じ12歳とは思えなかった。
「そうだけど、あんまり関わり合いにならない方がいいぜ。家庭の問題だか何だか良く知らないけど、ちょっと前から変わっちまってさ、怖えんだよ。小学生の頃からうちの中学の先輩達から目を付けられていて、入学早々にリンチ食らうんじゃないかってもっぱらの噂になってる」
入学の浮かれた気分に、さっと冷や水を浴びせ掛けられたような気分だった。自分にとって、あれほど輝いてみえた新生活。そこに、全く違った側面から踏み出そうとしている者がいる。
よくよく観察してみれば、少年の制服はまるで誰かと掴み合いを行った後のように崩れており、顔にもうっすらとした痣が浮かんでいた。西北の空を見詰める眼差しはキツく鋭く、ギラギラとした熱を帯びている。何となく、その眼差しを向けられたら、ぐさりと心を刺し貫かれそうな気がした。こんな眼差しを持った人間を見るのは初めてだ。
確かに、怖い……。
思わず後退ってしまったのは、その眼差しの激しさに怯えたからだ。
「ほら、成田、行こうぜ!そろそろ待ち合わせ場所に行かないと、遅れちまう…」
仰木という少年を避けるように、友人が自分の手を引いた。それに引きずられるようにして、元来た道を歩き出す。途端にほっと溜息が洩れて、知らず知らずのうちに自分が緊張をしていたことを知った。
あんな人もいるんだ……。同い年で、まだ、12歳なのに……。
背中に、彼の存在を感じる。ヒリヒリするような熱を感じる。
怖くて、友人が言うようにできれば関わり合いを持ちたくないのに、何故かそれは、とても心引かれる気配だった。自分でも良く分らない衝動。
もう一度振り返って、あの瞳に問いかけてみたいと思う。
その視線の先に、何を見ていたのか。
何を思っていたのか。
……そんな勇気はないけれど。
早春の空を見上げる。山々の稜線に切り取られた柔らかい青。
始まりの色だ、とふと思う。
先ほどまでの浮ついた気分とはまた別の思いで、これまでとは全く違う生活が始まることを予感する。
仰木高耶。
仰木高耶、か……。
その名をしっかりと胸に仕舞い込み、友人と一緒に4月の街の中を駆け出した。
後ろに流れている景色の中に、どこから飛んできたのか薄紅の花弁が、ひらりと一瞬目を翳めていった。
季節は春。出会いの季節。
《完》
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■砂子様感想■
今回の素材は桑原水菜著「炎のミラージュ」(集英社コバルト文庫)です。この作品はもう、何度嵌り、離れ、そして出戻るを繰り返しているのか、分らないほど付き合いは長いです。第1巻が出た時からだから、ひい、ふう、みい、よう…(数えるのを止める)
そんなに長い付き合いでも、実はミラのパロは初めて。で、なぜ今更書く決意をしたかと申しますと、来月に米沢にミラツアーに行くのと、いよいよ最終巻がでるのとで、4月は私的にミラ強化月間となっているからなのですね。そんな訳で、譲と高耶さんの出会いをでっちあげ(全くだ)てしまったのでありました…。
■イッカク感想■
関わりたくないのに、惹かれずにいられない・・・譲、それは恋だよ。と、思わず言いたくなりました。(笑)
いえ、私は直×高オンリーですよ! 入学式、新学期、わくわくしましたね・・・「学校を卒業すると、春はだまって通りすぎるようになった」 というような青春18切符のコピーが過去にありましたが、全くそうだなと思います。あの頃ほど春を意識することはもうないなぁ・・・
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