冬 至
カチッという軽く乾いた音と同時に、視界が急に明るくなった。
読み耽っていた報告書が白々と照明を反射し、思わず目を細める。
「……こんな暗い部屋で。目を、悪くしますよ」
深みのある、低い声が静かに語りかけてきたので振り返ると、直江が照明のスイッチに手を置きながら、こちらを眺めていた。
「……気付かなかった。もう、日が暮れたのか」
報告書をデスクに投げ出しながら窓の外に目をやると、いつの間にか外は深い闇に沈んでいる。
「冬至が近いですからね。一日が終わるのも早い」
「……どんなに環境が変わっても、太陽の周期だけは変わらないな」
空がなくなっても、季節が曖昧になっても、隔絶されたこの四国で、昼夜の長さだけは他と変わらない。
「不思議なものです。一日の長さは変わらないのに、陽が落ちるのが早くなるだけで、どうしてこうも一日の終わりを早く感じてしまうのか」
スイッチから手を離し、直江がゆっくりと歩いてくる。
「その代わり、夜は十分に長いだろう」
「夜なんて……」
直江が目の前に立つと、視界がふいに暗くなった。ソファに腰を下ろした状態で見上げると、改めてこの男の大きさを実感させられる。
「どんなに長くなったところで、束の間の夢ですよ。こうして…」
語りながら、直江の長い指が、ゆっくりと自分の頬に触れてくる。包み込むように優しく触れ、ラインを辿るようにして喉に向かって指を動かし、項を掻き揚げる。
「あなたに触れているだけで、瞬きをする間に朝が来る」
髪の中に食い込んだ指に力が入ると同時に、直江の彫りの深い顔が寄せられる。
「なお…」
「また、あなたと過ごす一日が終わるんだ……。こんなにも、早く……」
口付けは初めから深く、執拗だった。裏四国が成ってからこの方、直江は何かに駆り立てられるように、貪欲に求めてくる。一切の余裕が失われ、情交はより本能的で生々しいものとなっていた。夜毎自分を抱くのは数百年を連れ添った男ではなく、雄の臭気に凝り固まった獣だった。
何を恐れているのか、何に憤っているのか、何に絶望しているのかなど、知っているから拒めない。
それを与えたのは、他でもない、この自分なのだから。
「冬が、嫌いになりそうですよ。この季節の夜は、絶望に似ている。でも……」
口付けを止めた直江の唇が、耳元で低く囁く。溜息のように、密やかに。
「俺が一番憎いのは、あなたですよ、高耶さん……」
向けられる言葉の刃。それによって傷つけられる度に、魂が血を流す度に、直江の痛みをより強く感じる。けれど、彼に掛けてやれる言葉などない。一体、どんな言葉を掛けてやれるというのか…。だから、こうして腕を伸ばす。瞳を閉じ、打ちひしがれた男の絶望を黙って受け止める。
「あなただ……」
「ああ……」
項に感じられる、吐息よりも熱いものが涙であることを知っている。だから、直江の頭を抱えこんで、その色素の薄い髪に頬を埋める。
確かに、冬の夜はこの絶望に似すぎている。
徐々に失われていく光。明けない闇。一日が経つのがあまりにも早くて、その時の速度に追いつけない焦燥感。
でも、それだって永遠じゃない。
これからますます冬の気配が濃くなっていくけれど、あと数日もすれば、太陽はゆっくりと回復していく。静かに、密やかに、それでもより長く、より輝かしく、より強い光を伴って。
四国の大転換は、確かに何かを終わらせたけれど、これで全てが終わったわけではない。先は、続いている。この夜の闇があまりにも深くて見えないけれど、それでも、直江だっていつかは気付くだろう。絶望の底を照らす光明は必ずある。少なくとも、自分は諦めてはいない。自分が諦めない限り、この男だって諦めることはない筈だった。絶対に。いつだって、そうやって生きてのだから。
二人で。
だからこれからも二人で歩いていく。
息の止まるその最期まで。決して足を止めることなく。
「直江…、なおえ…」
自分を蹂躙する男をしっかりと抱きとめる。
男の絶望を抱きとめる。
だから、来い。早く、ここへ来い。ここへ来て、自分の隣に並べ。
お前になら、できるだろう?
そうすれば、道は拓ける。夜は明け、景色は変わり、そして、そしていつか辿り着く。
俺たちの、最上の場所へと。
必ず……。
必ずだ。
《完》
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■砂子様 あとがき■
「夏至」の真逆。終わらない一日がなければ、明けない夜もないのです。実は私、冬至が好きでして、寒さは益々厳しくなっていくけれど、間違いなく昨日よりは今日、今日よりは明日と、陽が長くなっていくことにワクワクしてしまうのですよ。逆に、夏至が近付いてくると憂鬱でして、どんなに暑さが増してきても、日照時間がどんどこ減ってくると物悲しくなってきてしまうのですね。そこのところの「冬至」に感じる希望をうまく表現したかったんですが、やっぱり力不足と時間不足で駄目でした。いつか、冬至ネタでまたリベンジを試みたいと思いますのです…。
■イッカク 感想■
「また、あなたと過ごす一日が終わるんだ……。こんなにも、早く……」
このセリフが・・・せつない・・・・痛い・・・『無人駅』もそうでしたが、またもや泣かされてしまいました・・・2人の生き様がこの短い文章の中に詰まっています。そうですよね、直江は最後に高耶さんの隣に並ぶことができたから、最上への道が開けたんですよね・・・ やっぱゆんちゃん、上手いなぁ。やられました。
今だ最終巻から目を逸らし続けている私には絶対書けないお話し(テーマ)を書いて頂きました。
どうもありがとう!!(TT) またよろしく!!
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