「これさえあれば他には何もいらない!」・・・と言ったのは、どこかの評論家先生らしい。
指揮者が違う、オーケストラが違う、録音年が違う。これらの要素は同じ曲であってもその曲の表情を変えてしまう、と言うのがクラシック音楽の面白いところで(まぁ中には駄演と呼ばれるものも多数あるが)、それらを含め「この曲はこのCDさえあれば他にはなんにもいらない」なんてCDはないと思っている。ただ、「好き嫌い」というものはあるわあけで、聴いているうちに自然と同じ演奏を好んで聴く「愛聴盤」というものが出てくる。「これさえあれば他には何もいらない」というわけではないが、そういうCDを思いつくまま紹介してみよう、というページです。
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★ベートーヴェン交響曲第5番「運命」
カール・シューリヒト&パリ音楽院管弦楽団
特に3楽章から4楽章にかけてのアタッカ(楽章間のインターバルをとらず連続して演奏すること)のトランペットの音色がすごい。少しビブラートがかかった、それでいてやらしくなくキンキンしない音色に聴く度に背筋がゾクゾクっとさせられます。その後の金管楽器もよく鳴っていてるものの、決してうるさく感じさせないところが◎。 |
★ベートーヴェン交響曲第7番
カルロス・クライバー&ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
★ベートーヴェン交響曲第8番
ハンス・シュミット=イッセルシュテット&ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
冒頭から明るくて華やかなウィーン・フィルの音が堪能出来ます。個人的には、ベートーヴェンの交響曲の中では2番と8番が一番ウィーン・フィルには合っているような気がします。 |
★ベートーヴェン交響曲第9番「合唱つき」
ハンス・シュミット=イッセルシュテット&ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
★ブラームス交響曲第1番
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー&ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
考えてみるとこの曲にはなぜか決定版がないような気がします。どちらかと言えば、この曲は重厚で音の厚みのあるものを好むのですが「決定盤と言えばこの演奏」ってのがない。アバドや、ケンペ、スィトナー、ワルター、ヨッフム等いいのはあるんですけどね。結局取り上げたのはフルトヴェングラー&ウィーン・フィル盤。実はこのCD、交響曲を最初に買ったCDのうちの1枚で、長いことこればっかり聴いてきました。どうしてこれを買ったのかと言うと、ジャケットが怖そうでしょ(笑)。ああ、これを買うとクラシックが聴けるのかと思った(笑)。 |
★ブラームス交響曲第2番
シャルル・ミュンシュ&フランス国立管弦楽団
これはすごい。スピーカーを通して熱気がこっちまで伝わって来そうな演奏。気合の入ったミュンシュの怒鳴り声に圧倒されたのか、あまりの熱気に曲が終わる前に思わず聴衆の拍手がまき起こるすごい演奏。 |
ピエール・モントゥー&ロンドン交響楽団
幻想交響曲、火の鳥(いずれも僕の同曲のベスト)などの演奏を聴いて、モントゥーと言えば「怪演」というイメージがあったのだが(この辺はポール・パレーの印象に通じるものがあるが)、このブラ2の演奏は一枚でそれを覆すに十分であると思う。そのイメージのギャップにはっきり言ってびっくりしました。曲の構築力、アンサンブル、どれを取ってもきちっとした正統派な名演と呼ぶにふさわしいと思う。上記のミュンシュ盤とは正反対の演奏で、「おもしろさ」と言えばミュンシュ盤だがもちろんどちらも名演。 |
★ブラームス交響曲第3番
オトマール・スィトナー&ベルリン国立歌劇場管弦楽団
冒頭から十分に「ため」を効かせた面白い演奏。あまり他の演奏には聴くことが出来ない「ため」がデフォルメしているという考え方もあるが、オケをたっぷうり歌わせている聴き応え十分な一枚。 |
★ブラームス交響曲第4番
カルロス・クライバー&ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
言わずと知れた名演奏。DG盤が有名だが、僕はライヴ収録のEXCIUSIV盤がお薦め。DG盤よりもさらにオケを歌わせています。ちなみに、カップリングがチェリビダッケのモーツァルト。なんだかなぁ^^ゞ |
★マーラー交響曲第1番「巨人」
クラウディオ・アバド&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
アバドのベルリン・フィルシェフ就任直後の「巨人」。アバド&ベルリン・フィルの熱気が伝わってくるようなエネルギッシュな名演。特に2楽章ラストのバス・トロンボーン&テューバによる下降音のフレーズは畳み掛けるようなテンポが個人的に気に入っています。この演奏はアバドのベルリン・フィルシェフ就任ドキュメンタリー映像とともにビデオにもなっています。ビデオを見る限り、終楽章ラストでのホルンのスタンド・アップがないのでその点では物足りないかも知れないが、アバドの髪を振り乱してのエネルギッシュ指揮が見ることができ大満足です。 |
★マーラー交響曲第3番「夏の交響曲」
クラウディオ・アバド&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
アバド&マーラー3番の最新版。冒頭のファンファーレなどは、ややテンポをゆったり目にとって、一音一音を目一杯吹かせているので朗々とした雄大な響き出しています。ひとことで言えば「知的なマーラー」。その後の行進曲風な箇所もとても明るくて元気が出ます。特に6楽章がすごく、ベルリン・フィルを見事に歌わせきっています。「感動」の2文字なくしては聴けない。大太鼓のロールがなんとも言えません。 |
★マーラー交響曲第6番「悲劇的」
サー・ジョン・バルビローリ&ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
かなり遅めのテンポで音も重厚でいかにも「悲劇的」といった演奏。普通、2楽章スケルツォ、3楽章を牧歌的なアンダンテ・モデラートの順で演奏されることが多いが、一時期マーラー自身が2楽章と3楽章の順序を入れ替えて演奏したことがある。このバルビローリ盤はその楽譜にしたがって2楽章と3楽章の順序を入れ替えて、2楽章をアンダンテ・モデラート、3楽章をスケルツォとしている。スケルツォの冒頭は1楽章冒頭と同じくいかにも「悲劇的である。だから2楽章にスケルツォを持ってきた場合、1楽章で打ちのめされているところに、「ほれ、これでもかっ!さらに地獄に落としてやる!」と言う感じがして、すごくブルーな気持ちになる。それより牧歌的な雰囲気のアンダンテ・モデラートを持ってきた方がメリハリがあって構成的にも僕はこっちの方が好きだ。交響曲ではあまり使われないヘンデルグロッケン(カウベル、牛の首に下がっているカランカランと音がする楽器)の音色もチャカチャカしたものより、アルプスの少女ハイジが出てきそうでいかにも牧歌的雰囲気が◎。バルビローリのうなり声も聴けます。 |
レナード・バーンスタイン&ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(DVD)
「悲劇的」の第4楽章は |
★マーラー交響曲第9番
この曲は僕にとって「別格」である。それは僕が好きなブルックナーをしても揺るがせない。「特別」だとか単に「好き嫌い」の話ではなく、次元が違うのである。とにかくクラシック音楽と言うジャンルの中でも「別格」なのだ。マーラーが「死」をイメージしながら書いたということもあるのかも知れない。 さて、この「別格」にはももちろん名演がある。曲が曲なだけに歴史的名演とさえ呼ばれるものがある。その中で僕が取り上げるのは、ジュリーニ、バルビローリ、ワルターなど名演がある中、やはりバーンスタイン、カラヤン、アバドをあげたい。バーンスタインが生涯一度だけカラヤンの手兵ベルリン・フィルを振ったという歴史的にも貴重な記録である。その上素晴らし名演なのである。正直それがマラ9でよかったと思っている(笑)。これがどうでもいいような曲だったら僕は泣いていただろう(爆)。 |
レナード・バーンスタイン&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
バーンスタイン盤とカラヤン盤の違いはと言うと、感情むき出しでこれでもかぁ!なのがバーンスタイン盤。カラヤンは、自分の手兵であるベルリン・フィルを、曲に対するスタイルが全く正反対のバーンスタインが振ることになり、いくつかの対バーンスタイン妨害工作をしたと言われている。練習時にいくら指示をしても全く反応せずバーンスタインの言うことをオケが聞かなかったと言うのもその一つ。憤慨したバーンスタインがオケに対して「この不感症!」と言ったのは有名な話。それでも本番はこれでもかと、指揮台の上で感情むき出しに叫んだりに飛び跳ねたり指揮台をガンガンするものだから(CDでも聴こえる)、ベルリン・フィルのメンバーもだんだんバーンスタインのペースに合わせるようになり、結果的にすごい名演になってしまったのである。まさに最初で最後の歴史的名演なのである。アンサンブルの精緻の乱れから言うとあきらかにカラヤン盤の方が優れているとは思う。特に例をあげると、3楽章ラストの畳み掛けるような箇所は感情抜きに見るとすれば、どう見たって何をやっているのかわからない(笑)。そこには「マーラーの交響曲」というより「バーンスタインのマーラー」があると思う。同じバーンスタイン盤でもコンセルトヘボウ管とのライブ盤はちょっと低音が薄いような気がします。 |
ヘルベルト・フォン・カラヤン&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
逆に美しさから言えば、文句なしにカラヤン盤である。必要以上の感情を排除し、端的にマーラーの交響曲を演奏している。前述した3楽章のラストの箇所などは、バーンスタインほどテンポも速くないし決して熱くはなってないのだが、その分整然とした音楽が聴ける。バーンスタイン盤のようにピアニシモで流れているところにいきなり弦楽器がフォルテシモで「ずちゃ〜ン」と入ってくるなんてこともない。あくまでも美しい音楽が流れているのである。演奏テクニックから言えば明らかにカラヤン盤である。しかし、特にこの曲はバーンスタイン盤を聴いてしまうとカラヤン盤ではどうしても物足りなさを感じてしまう。 |
クラウディオ・アバド&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
この曲はバーンスタイン盤かカラヤン盤のどちらかだと思っていたら、間に割って入ってきたのがこのアバド&ベルリン・フィルとの新盤。印象としてはカラヤン盤よりバーンスタイン盤に近いような気がします。ベルリン・フィルはカラヤンからアバドにシェフが代わって低音が弱くなったなんて言われますが、マラ3との新盤もそうだけど低音の響きがすばらしい。バーンスタイン盤とカラヤン盤とのいいとこ取りをしたような演奏。会場の臨場感なども十分に再現されていると思う。この曲は「死」のイメージの中作曲されたとも言われている。それゆえにアバドが大病をする前の演奏だが大病後にふたたび演奏されていたらだったらまた違うマーラーになっていたに違いない。少々演奏が荒いという意見もあるが、僕の中ではバーンスタイン盤につぐ演奏であることは間違いない。なんと言っても一枚に収まってるところがすばらしい(爆)。 |
★チャイコフスキー交響曲第5番
エフゲニー・ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団
1956年の演奏である。モノラルでチャイコフスキー後期3大交響曲として4,5,6番一緒にCD化されている(もっとも4番のみクルト・ザンデルリングの指揮だが)。ムラヴィンスキーが同オケでチャイコフスキーの5番を振ってCD化されているのは他にもたくさんあると思うがほとんど持っていない。ムラヴィンスキーのチャイコフスキー後期交響曲は1960年のスタジオ録音されたものが有名らしい。が、この1956年に録音されたものはウィーン芸術週間に参加したときの演奏で、ホールの性なのか録音の性なのかわからないが結構残響がある。4,6番などはちょっと残響がありすぎて似合わないかな?とも思うが、5番に関しては(全体としてはやはり残響がありすぎるとの印象もあるのだが)特に2楽章が逆に残響がいい方向に出ていると思う。2楽章はすごくロマンティックかつせつなさが感じられる美しい曲だが、この演奏のホルンの音色のすばらしいこと極まりなし。ちょっとビブラートがかかってふらふら気味のところへうまい具合に残響音がかみ合ってそれはそれはすばらしく美しくなっている。この2楽章だけでも十分聴く価値はあると思う。ただこのCD、5番が2枚に分断されてしまっている。チャイコフスキー後期3大交響曲のCDにはよくあること(笑) |
★チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」
フェレンツ・フリッチャイ&ベルリン交響楽団
これは僕が持っているCDの中でも1,2を争うほどの名演奏。「悲愴」という標題は作曲者自身がつけたと言われている。しかし悲愴感が漂っている演奏というのはそうそうないと思っていた。このフリッチャイの「悲愴」を聴いてやっとすばらしい「悲愴」らしい「悲愴」に出会うことになった。全体を覆うかのごとくの悲愴感もすばらしいが、熱くてたたみかけるような疾走感、そして圧倒感がある3楽章もこれまたすばらしい。4楽章の悲愴感がより一層際立つ格好となっている。某評論家もこの曲をベタ褒めしているがそれは置いといて、とにかくしばらくはこの演奏を超える「悲愴」は出てくることがないだろう。 |
★ドヴォルザーク交響曲第9番「新世界より」
フェレンツ・フリッチャイ&RIAS交響楽団
フリッチャイの「新世界より」は2種類録音が残っている(多分)。1つはこのRIAS響との演奏。もう1つはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とのもの。前者は1953年の録音でモノラル。後者は1959年の録音でステレオ。となれば俄然ベルリン・フィルとの演奏を選ぶところではあるが、オケが違うとは言え6年しか違わないのにフリッチャイのこの曲のアプローチが全然違うのだ。このRIAS響との演奏は推進力が全然違う。まぁ、早い話がテンポが違うのだが。演奏時間にしても、3楽章こそ30秒遅いがトータル的に見てもRIAS響との方が7分も短い。しかしただ単にテンポが速いだけではなく音も引き締まっている感じがするし演奏自体も非常に熱い。この演奏を聴くまで、どうも「新世界より」はこれと言ったものがなかったが、この曲にもようやく愛聴盤が見つかった。 ちなみにベルリン・フィルとの演奏は、2楽章における弦楽器がすばらしい。 |