「裏」の部首が「衣」だと知ったときには、目からうろこが落ちた思いがした。
「袋」のように下に付くものや「複」のように偏として付くものはおなじみだが、まさか衣を上下に分けてその間に他の構成要素が入るとは。しかも、調べてみると、このような文字は、常用漢字だけでも「表」「衰」「衷」「褒」(以上、部首は衣)「哀」(部首は口)といくつもあり、常用漢字以外にも「襄」や「褻」が存在する。
また、衣偏や衣が下にある場合は文字通り衣服や布に関係した漢字がほとんどであるのに対し、衣が上下に分かれている場合は、感情や勢いを表す場合が多いようだ。これはどういうことだろうか。
まず、衣及び先にあげた裏表以下の6文字の字源について、「字統」(白川静著、平凡社)によって確認しておく。また、「漢語林」(鎌田正・米山寅太郎著、大修館書店発行)も参照して異説を注記する。
衣―上半身の衣服を象った象形文字。上のなべぶた部分が奥襟で、下部が前身頃。
裏―里を声符とする形声文字。衣の裏地を言う。(漢語林によると、里には筋の意味があり、縫い目の筋が見える裏地を示す)
表―衣と毛の会意文字。獣毛の見える表地を表す。
衰―衣と(ゼン)との会意文字。は麻の組紐で、死者の襟元にこれを加えて穢れを祓うことを表す。(漢語林では蓑を象る象形文字とする。字統では蓑は衰と同様喪葬の儀礼に関するものだったとする)
衷―中を声符とする形声文字。衣装の中に着込んだ肌着を言い、外に表れない心情を言う意味に転じた。
褒―形声文字だが、元は保の部分が今の字体と異なり、孚を声符とするという。また、懐中に乳児を包み込んでいる形という。(漢語林は声符は保であるとする)
哀―衣と口(サイ、祝詞を収める容器)の会意文字で、サイを衣の襟元に置き、死者の招魂を行う儀式を表す。(漢語林では衣を声符とする形声文字とする)
こうしてみると、衣以外の構成要素の位置(胸元にあること)が意味を持つものは、この中では衰・褒・哀の3文字といえる。
甲骨文字の時代、会意文字や形声文字は、その要素を揃えて書き表すことが肝要で、その配置についてはあまりこだわらず、さまざまなバラエティを許容した。現在にまでそのバラエティが伝わっている例としても、島と嶋と嶌、崎と嵜、讐と讎などいろいろある。また、今では違う意味に使われている脇と脅なども、元をただせば同じ文字であったという(字統)。
上に挙げた文字の中でも、「裏」については、同じく衣+里で形成される「裡」という字形がある。「裡」は、現在では、「成功裡に終わった」とか「心の裡を明かす」というふうに使われ、「うち」と訓じ、裏とは別の漢字と思っている人も多いが、もとは裏の異体字である。「里」は、音を表すにしろ筋という意味を持つにしろ、どこにあってもかまわないわけである。
しかし、衰・褒・哀の3文字について言えば、
や口や保はこの位置にあってこそ、漢字全体として意味を持つことができるのであるから、会意というよりも、全体として一つの状況を写した象形文字といってもいいかもしれない(褒については、先に引用した字統の「また」以下の解釈を採りたい)。
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「卒」金文 |
なお、ちょっと気づきにくいが、「卒」という字の上部も衣が変形したものである。金文ではよくわかるが、衣の前襟の合わせ目に斜線が交わっている(活字体の下部の横線)。これは、死者の衣の襟を結び留め、霊が迷い出るのを防いでいる形という(字統)。日本書紀などでも、死去することを「卒す(しゅっす)」と記すことがあるのは知られている。
常用漢字以外では、「裹」(カ、つつむ)・「襄」(ジョウ、のぼる)・「
」(カイ、おもう・いだく)なども、喪葬の際の招魂の儀礼に関する文字であり、衣の中の字形はそれぞれ「果」「
(ケン、祝詞の器である「サイ」が二つ)と
(テン、呪具「工」が4つ)」「
(トウ、涙を落としているさま)」であるという(字統)。死去の際には、死者の胸元にさまざまな呪術的措置を施し、儀礼を行ったものであろう。そのことを文字として表すのに、死者の着物が用いられたわけである。
漢字は人と神とのコミュニケーションのために作られたものと言われ、その字形には呪術的起源を持つものが多いとされる。衣に関する字についても、単に服飾関係の物品を示すものばかりではなく、当時の宗教的儀礼を表すものも多いようだ。
注1)(財)日本漢字能力検定協会発行「日本語教育研究16」(2010年)所収論考「『衣』の中には何がある?」を加筆修正。 戻る
参考・引用資料
新訂字統 普及版第5刷 白川静著、平凡社 2011年
漢語林 新版第2版第2刷 鎌田正・米山寅太郎著、大修館書店 2002年
画像引用元
金文、小篆 漢字古今字資料庫(台湾・中央研究院ウェブサイト)
JIS規格外漢字(明朝体) グリフウィキ(ウェブサイト)