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2015.1. 掲載
あいさつの言葉
日本語のあいさつの言葉には、よく考えると意味が分からないものがあります。
たとえば「ありがとう」。ていねいに言うと「ありがとうございます」ですね。「ありがたいことだ」と言うこともありますし、時代劇では「ありがたき幸せ(仕合せ)」などというせりふもありますが、「ありがたい」とは何でしょうか。
「ありがたい」を漢字で書けば、「有り難い」となります。つまり、「よくあることではない」、「めったにない」という意味です。
「有り難き仕合せ」は、もともとは「めったにない幸運なめぐりあわせです」という意味で、ほめられたときや褒美をもらうときに、謙遜や「恐れ多い」という態度を示すために使われたようですが、のちに感謝の気持ちを表すときに使われるようになってきたものと思われます。
ちなみに、英語ではご存じのとおり”Thank you.”と言いますが、これを直訳すると、「あなたに感謝します」となります。この”thank”(感謝する)にあたる言葉が日本語にはなかったので、ほかの言葉を使って感謝の気持ちを示す言い方が生み出されたのでしょう。
由来はどうであれ、現代では、「ありがとう」は誰でも使うし、誰にもわかる言葉です。でも、生い立ちを知ると、「ありがとう」の言葉の裏に、
「あなたが私にしてくれたことは、めったにないほどうれしいことです。」
「あなたは私に、この世にめったにない善意を示してくれました。」
という気持ちが隠れているような気がします。
次に、「こんにちは」はどうでしょうか。これも漢字で書いてみると、「今日は」。今日はどうだというのでしょうか。
昔は、「こんにちは、結構なおひよりで」などと言っていました。つまり、「今日はいい天気ですね」という意味です。天気の悪いときは「こんにちは、ごきげんよろしゅう」などと言っていたかも知れません。このような言葉の後半が省略されて、「こんにちは」となったのです。
もう一つ、「さようなら」について考えましょう。時代劇では「さらば」と言います。
今でも上品な奥さんは「さようでございます」と言ったりしますが、これは「そうです」という意味ですね。「さようなら」の「さよう」は、この「さよう」なのです。つまり、「さようなら」は「そうでしたら」「それでは」ということになります。「さらば」も、「さ・あらば」を縮めたもので、まったく同じ意味になります。実は、昔なら「さらば、ごめん」(それではこれで失礼します)と言うべきところですが、これも後半を省略するようになったものです。
そう考えると、現代人が使う「それじゃあ」とか「じゃあね」という別れのあいさつも、「さようなら」や「さらば」とまったく同じ意味を別の言葉で表現しているだけ、ということになりますね。
こうして見てくると、日本のあいさつ言葉では、本来言うべき言葉を省略したために、意味が分からなくなったものが多いようです。しかも、後半部分に「ごきげんよろしゅう」や「ごめん」といった意味のある言葉がくるべきときでも、平気で後半を省略してしまいます。ちなみに、関西弁で「ありがとう」という意味の「おおきに」は、「大いに」「大変に」ということで、本当は「おおきにありがとうございます」と言っていたのですが、後半の大事な部分が省略されてしまったものです。
しかし、それでもあいさつ言葉として立派に通用しているのが面白いですね。
近ごろよく使われる「どうも」というあいまいなあいさつも、後半にくるいろいろな言葉を省略したものです。「こんにちは」が後半を省略したためにどんな天気のときでも使えるようになったのと同じように、「どうも」も、「ありがとう」や「すみません」など、いろいろな場面で使える言葉になったわけです。これも、案外、日本語の伝統にしたがって変化してきた言葉だといえるかもしれません。