昔からある日本語(やまとことば)であっても、今まで聞いたことの無いものに出くわすことがたまにあります。知らなかったことを恥じるべきかもしれませんが、私は「また一つ言葉のストックが増えた」とうれしくなってしまいます。そんな言葉をご紹介します。「こんなの、とっくに知っているよ」という方は読み飛ばしてください。
なお、最近のものだけでなく、15年ぐらい前に知った言葉も含みます。その時点でもじゅうぶん、いい歳のおじさんだったもので。
*「初見」というのは、私が初めてこの言葉を知ったメディアです。
*とりあえず順不同で掲載し、今後言葉を見つけるたびに増やしていくつもりです。
みかじめ(料) 初見:朝日新聞(だったと思う)
この語を初めて知ったのは15年ほど前か。文脈から見て「みかじめ料」は「暴力団が飲食店などからとる用心棒代」(日本国語大辞典。以下「日国」と略す)であることは想像できたが、当時家にあった広辞苑(第3版)を引いても載っていなかった(第6版には「みかじめ料」として載っている)。
今回改めて日国を調べると、「みかじめ」で「取り締まること。指揮・監督をすること。また、その人」とある。「~料」がつくと前述のとおりである。
用例として「科除規則」(1869)に「見ヶ〆」とあるというので、図書館でこの本を探した。「科除規則」は「とがのぞききそく」と読み、明治初年に宣教師プティジャン氏が出版した教義書のひとつである。「科」という字には、「罪科、とが」の意味がある(拙稿「
科について」参照)。キリスト教の教義からどのような行為が「とが」にあたるのかを示し、それを除くにはどうしたらよいかを教えている書物である。
「見ヶ〆」は、その校正再刻版の第四の掟の第十七条に出てくる(「南蠻文集」長沼賢海編、春陽堂 1929年 より)。
大勢の差配又は見ヶ〆などを任せ置たるものゝ無理を行ふ事を知ながら異見をも加へずしてしらぬ體にて其儘に差置たるや
ここでの「見ヶ〆」の意味は、日国のとおり「取り締まり、指揮・監督」であろう。人々の指揮監督を人に任せても、その監督者が非道なことをしないよう、これを指導しなければならないということである。「見ヶ〆」という字面を見ても「見張って、取り締まる」という意味でできた言葉のように見えるが、全く違う語源をもつ「みかじめ」という言葉に、それらしい字を当てているだけなのかもしれない。
ぶんまわし 初見:白川静著「字統」 「規」の項
規則の規の左側は、夫婦の夫ではなく、「ぶんまわし」を字形化したものだという(字統)。「ぶんまわし」は製図用のコンパスのことで、古くから使われる日本語のようである。
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ぶんまはし 「和漢船用集」 |
日国に、用例として、「源平盛衰記」第37「一谷落城の巻」の「急ぎ張りける程に、分廻(ブンマハシ)をあし様に充てて」を挙げている。14世紀前半成立の書である。
博文館帝国文庫の「校訂 源平盛衰記」(第6版、1896年)を確認すると、卯の花とホトトギスの絵のある紙を扇に仕立てるときに、コンパスの当て方が悪くて、ホトトギスの尾と羽を切り残してしまった、という場面である。
確かに扇を作る時にはコンパスを使うだろう。しかしこの時代にまだ鉛筆は伝わっていない(徳川家康が最初に使用したと言われる)。筆で線を書くと切る時に難しいので、針のようなもので型をつけるというやりかただったのだろうか。
ちなみに、私は大学の工学部建築学科を出ていて、製図道具には馴染んでいたはずであるが、5年ほど前に字統で見るまで、この言葉を知らなかった。お恥ずかしい限りである。
なお、「ぶんまわし」はコンパスのほかに、回り舞台や賭博の一種(ルーレットのようなもの)も意味したという。
また、コンパスそのものは中国には相当古くからあったもので、後漢時代の画像石にも定規とコンパスを持つ神が描かれている(拙稿「
漢字はホントは面白い 建築用語編」参照)。
せなじ 初見:諸橋轍次著「荘子物語」(講談社学術文庫、第29刷 2011年)
着物の背中側真ん中にある縫い目のことという。「荘子物語」に、「督というのは、もと着物の『セナジ』の縫い目のことであります。『セナジ』は着物のまん中にありますから、(以下略)」とある。しかしこの言葉は日国にも広辞苑にもなく、ネットで検索しても出てこない。「せ」または「せな」は「背中」のことかもしれないので、「なじ」や「じ」でも調べてみたが、結果は同様である。
「督」という字についても、諸橋氏ご自身の「大漢和辞典」で調べてみた。字義として、一:みる、二:しらべる、三:かんがへる などと並び、十三に「なか。まんなか」、十四に「せぬひ。衣服の背中の縫ひめ」とある。「
に同じ」ともあるのでこの字を調べると、「一:新しい衣の衣ずれの音、二:せぬひ」 とある(この二つの字義は「説文解字」の記事そのままである)。どうやら
が持っていた「せぬい」という意味を、同音の督も持つようになったようだ。しかしどちらにも「せなじ」という語はでてこない。
結局いまのところ、「せなじ」というのは「荘子物語」にしか見えない謎の言葉である。
注:「督」について、字統には、「督正を原義とする字であろう」とある。
すくも 初見:
宿毛市(高知県)のHP
実は私は「すくも」という言葉を昔から知っていた。それは「蝉の抜け殻」のことで、父(和歌山県出身)が言っていたのを聞き覚えたものだ。しかし、あるとき(何のためか忘れたが)宿毛市のHPを見ると、「枯れた葦のことを"すくも"と言い、地名はそれに由来するものと言われている。」と書かれている。
意外に思って、「すくも」を辞書やネットで調べてみた。するとさまざまな意味でこの語が使われていることが分かった。順不同にあげると、
1 葦や萱などの枯れたもの。「すくも焚く~」と和歌にも詠まれている。
2 藻屑
3 草の根
4 泥炭
5 もみがら
6 藍の葉を細かく刻んで発酵させたもの。染料の原料。これを突き固めて小さな塊にしたものが藍玉。
7 (すくもむし)セミの幼虫
8 (すくもむし)地虫(コガネムシ類の幼虫)
私が知っていたのは7の意味だけで、それも抜け殻と思い込んでいたが、実際は生きて動いているものをいうようだ。その他の意味については「知らなかった日本語」である。
さて、上記の意味の共通点はなんだろうか。古代日本語で何らかの「もの」または概念を表す「すくも」という言葉があって、それが時代とともに意味の拡張を重ねてきたものと思われるが、その概念とはなんだろうか。
リストをじっと眺めていると、すくもとは「繊維質のものが絡まりあって腐りかけているもの」ではないかと思えてきた。8は腐葉土の中に棲息しそれを食べて育つ。7は、実は木の根から樹液を吸うが、やはり腐葉土に近い土の中にいる。1~3と5はこれから腐って土になるもの。4の泥炭は、植物遺骸が完全に分解されず繊維質をとどめているものである。6も見た目は腐葉土に似て、植物繊維を含む発酵物である。
これで、私の中に「すくも」について納得できる共通概念ができあがった。あとは、これをなぜ「すくも」と言うか、つまり語源の探索だが、これはなんともわかり難い。「竦む」(すくむ)という動詞と関係があるかもしれないが、未解明である。
【以下の4語は2017.10.追記】
にらぐ 初見:白川静著「字統」 「淬」字の項
字統で「彩」の字を調べていて、同じページの「淬」字の解説にある「にらぐ」という語が目に入った。「刀刃をにらぐときに水を入れておく器の意とするが、にらぐことを淬また
という。」とある。
これもなんとなく異様な日本語という感じがして、ひょっとしたら白川氏の出身地である福井県の方言ではないかとも思ったが、日国にも広辞苑にも掲載されていた。
意味は、熱した鉄を水に入れて鍛えること、つまり「焼き入れ」することである。「にらぐ」の「に」は「煮」のことかとも思ったが、日国にも語源説は挙がっておらず、不明である。
用例として両辞書に、松尾芭蕉「おくのほそ道」(1693頃)出羽三山の章(本によっては月山の章)の「かの龍泉に剣を淬(にらぐ)とかや」という部分が引かれている。さらに日国には「観智院本名義抄」(1241)の「
ニラク」ほか、広辞苑には「三蔵法師伝」(承徳頃点=11世紀末)「大弁は訥(ニラク)が若し」が挙げられている。
角川文庫版「おくのほそ道」(頴原退蔵・尾形仂訳注、12版、1973年)で確認すると、月山から湯殿へ下る谷沿いに鍛冶小屋があり、ここで「月山」と銘を打った剣を鍛えていたことを聞いて、「干将(かんしょう)・莫耶(ばくや)のむかしをしたふ(後述)」場面である。
ところが、同書の凡例によると、「底本には句読点・濁点・ふりがな等がいっさい付いていないので、新たにこれらを補い、」とのことである。「淬」の箇所の脚注によると、曾良本に「ニラクと傍訓」があるのでこれに拠ったようだが、「ニラク」を「ニラグ」に変えたのは訳注者の判断ということになる。
さらにこの箇所の脚注に、龍泉・干将・莫耶の説明として、「太平記」巻13「兵部卿宮薨御事付干将莫耶事」の一部が引かれている。干将莫耶の物語は中国の伝承のひとつで、「呉越春秋」や「捜神記」に採り上げられ、日本に伝わって「太平記」などに引用されている。物語の内容については
ウィキペディアなどでも見ることができるのでそちらに譲るが、この脚注に引用された「太平記」の文章は、「龍泉の水に淬(にぶら)して、三年が内に雌雄の二剣を打ち出だせり。」となっている。うっかりすると見過ごすが、問題の字が「にらぐ」ではなく「にぶらす」と訓まれているのである。ウェブ上にあった「太平記」国民文庫本(1909年)で確認しても同様である。
また新たな「知らなかった日本語」が登場した。日国にも広辞苑にも「にぶらす(淬す)」は掲載され、「にらぐに同じ」として、上述の太平記の用例が引かれている。
しかしこれも変わった言葉である。「にぶらす」と聞けば「鈍らす」と受け取り、刃の切れ味を鈍くすることかと思ってしまうではないか。「焼き入れ」の反対の「焼きなまし」を想起させる。
思うに、古くはニブラスという言葉が使われたが、上記のように誤解されることがあるので、ニラグという語に取って代わられた。しかしこの語も、工業の近代化に伴い、「焼き入れ」「焼きなまし」という対の言葉が使われるようになって、忘れ去られてしまった、ということではないだろうか。
荒っぽい推論で恐縮であるが、漢字についての検討に移りたい。
日国は「にらぐ」を見出し語として、漢字は「
」と「淬」をこの順に掲げている。広辞苑は見出しは「
」のみであるが、用例に使われている文字は「淬」(「おくのほそ道」)と「訥」(「三蔵法師伝」)である。
説文解字には「淬」は「滅火器也」とあり、冒頭に引いた字統の説明のとおり、道具の名前としている。「
」については、「堅刀刃也」とあり、刀の刃を堅くすること、すなわち日本語のニラグの意味である。いずれも形声文字である。「説文解字注」における段玉裁の注は、「淬」に「與火部之
義略相近」(火部の
と意味はほぼ近い)と書きながら、「
」には「與水部淬義別」(水部の淬と意味は別)と、矛盾した記述となっている。字統には「
」字は掲載されていない。思うに、ニラグは、火にも水にも関係のある語なので、漢字でも火偏・さんずい偏両様の字が作られて用いられたのであろう。
広辞苑の引く「三蔵法師伝」(正式には「大唐大慈恩寺三藏法師傳」)の用例に、「訥」をニラクと読んでいることは不審である。「大正新脩大藏經テキストデータベース」(ウェブサイト)により、引用箇所の前後を閲覧したが、刀剣を鍛造するような場面ではない。原文は「大辯若訥」であるが、大弁とは、「すぐれた弁舌。雄弁。能弁。達弁。」(大辞林)のことであり、「優れた弁舌は訥弁のようだ」という、逆説的警句だと思われる。訥という字を大漢和辞典で調べても、「いいなやむ」「ことばがたっしゃでない」というような意味しかない。説文解字にも「言難也」とあり、論語には「君子は言に訥にして、行ひに敏ならんことを欲す」(里仁)という文がある。
この「大辯若訥」の「訥」という字に、承徳(1097-1098年)頃の日本で「ニラク」というかなが打たれたということだが、なぜそう訓んだのかは理解できない。また仮に、当時そう読むことがあったとしても、それが「淬」字と同じ意味を表していたとは思えない。「三蔵法師伝」の原文を読んで、何か気付かれた方は、ぜひご教示いただきたい。
大唐大慈恩寺三藏法師傳卷第八 部分(大正新脩大藏經テキストデータベースより)
以常人之資竊衆師之説。造因明圖。釋宗因義。不能精悟。好起異端。苟覓聲譽。妄爲穿鑿。排衆徳之正説。任我慢之偏心。媒衒公卿之前。囂喧閭巷之側。不慚顏厚。靡倦神勞。再歴炎涼。情猶未已。然奉御於俗事少閑。遂謂眞宗可了。何異鼠見釜竃之堪陟。乃言之非難。蛛覩棘林之易羅。亦謂扶桑之可網。不量涯分。何殊此焉。抑又聞之。大音希聲。大辯若訥。所以淨名會理杜口毘城。尼父徳高。恂恂郷黨。又叔度汪汪之稱。元禮摸揩之譽。亦未聞誇競自媒而獲紳之推仰也。云立致書其事遂寢。冬十月丁酉。太常博士柳宣。聞其事 寢乃作歸敬書偈。以檄譯經僧衆曰
【2018.10.追記】「三蔵法師伝」の「大辯若訥」について、出典と考えられる古い文献があることを知った。「老子」(「老子道徳経」)の第四十五章である。ここには、「大成若缺」や「大直若屈」「大巧若拙」といった、常識に警鐘を鳴らす句に並んで、「大辯若訥」が掲げられている。朝日新聞社版(福永光司訳「老子 下」、1978年)では「大弁は訥(とつ)なるが若し。」と読み下し、「本当の雄弁は却って訥弁に見える」と訳されている。もちろん、「にらぐ」と読むということは記されていない。
ちなみに、江戸時代の画家、伊藤若冲の号も、この章の「大盈若冲」(大盈(たいえい)は冲(むな)しきが若し=本当に充実しているものは、一見、無内容に見える)からとられている(拙稿「
さんずいとにすい」参照)。
きぶい 初見:生活協同組合コープこうべ発行「ステーション」(2017年8月号)の広告
妻が購読している雑誌の裏表紙に載っていた、「きぶき」と書かれた酢(マルカン酢㈱発売)の広告が目に留まった。宣伝文句にこうある。
「きぶき」とは厳しいという意味の「きぶい」が変化したもので、昔から兵庫の北から吹く冷たい風をうけて発酵した引きしまった酢のことを「きぶき酢」と呼び、かつて良質の酢の代名詞として使われていたのです(古事類苑より)
こんな言葉は聞いたことがなかったので、まずは手掛かりとなる「古事類苑」について調べてみた。古事類苑は、明治政府により編纂された一種の百科事典で、様々な資料から引用して分野別に編纂したものである。ネットで調べると、「古事類苑データベース」(国文学研究資料館ウェブサイト)というサイトが見つかり、「きぶき」で検索すると次の記事がヒットした(飲食部12「酢」の項。ただしこれは「抜粋版テキスト」の検索であるので、確認のため刊本(吉川弘文館、1984年)で同項の全文を調べたが、ほかに「きぶき」の用例はなかった。「きぶい」「きぶひ」「きぶし」ではヒットなし)。
江戸にては酢のよきを、北風酢といふは、まつたく酢の出所の在名にもあらず、世にぬるきを南風といへば、それに対してきぶきといはんとて北風酢といふとか、「萬金産業袋 六酒食 醋之部」
「萬金産業袋(ばんきんすぎわいぶくろ)」は、江戸時代享保年間の発行。各種商品を詳細に解説した、消費者向けガイドブックのようなものらしい。しかし引用文は「北風酢」の説明であり、「きぶき」という語は自明のこととして使用されている。
日国では「きぶい」で掲載されている。意味その①は、「厳格である。また、容赦がない。苛酷である。」であり、これは14世紀に用例がある。⑤に「食べ物などの味が渋い」、⑥に「酸味が強い」と味覚関係の意味が出てくる。
⑤には「其味森々然として苦してしかもきぶいぞ」という「四河入海(しがにっかい)」での用例が出ている。この書物は北宋の詩人蘇東坡の作品の注釈集で、17世紀初めの出版。「国立国会図書館デジタルコレクション」(ウェブサイト)で閲覧すると、「橄欖(かんらん)」という詩の一節、「正味森々苦且嚴」の翻訳文として書かれていることがわかった。橄欖という木の実の味の表現である。ここでも「きぶい」は自明の語として使われている。
しかしこの用例を見ただけでは、「きぶい」が「渋い」の意味であることは分からない。「嚴」という字に、味に関して「渋い」という意味があるのかと思ったが、大漢和辞典で調べてもそのような意味はない。橄欖の実を食べれば渋いということを、日国の編者が知っていたのだろうか。
⑥の用例として「やはり鯉はこくせうがよいに、此酢はきぶひ酢じゃ」(洒落本・聖遊郭1757年)とある。「鯉のこくせう(濃醤)」とは、鯉の味噌煮込み料理で、いわゆる「鯉こく」。酢との関連がわからないので、これも原典に当たる必要がある。
ひまわり版「洒落本コーパス」(ウェブサイト)で閲覧すると、鯉の刺身を出された遊郭の客(これが釈迦や孔子といった聖人であることが趣向である)が、酢の味について甘いとか苦いとか言っている場面である。
▲主李白、折ふし此方に酢をきらしました故、となりへもらひにやりましたが、酢がきヽますればよふござりますが、
▲孔子、やはり鯉はこくせう(濃漿)がよいは、此酢はきぶい酢じや、
▲しやか(釈迦)は、コレハあまたるい、
▲老子はにがいかほして居たまへば、
▲李白は気のどくがり、是はふかげんにござりますか、
▲孔子曰、イヤイヤ酢はすいが酢のあじじや、釈迦のあまいといわるヽは方便也、苦イトあるは老子のすねなり、心こヽにあらざれば、喰へども其味をしらず、酢はすいにきはまつたものじや、
日国の「渋い」「酸味が強い」の用例は、両方とも味として好ましくない、つまり「まずい」というために使われている言葉だと思われる。しかし最初の萬金産業袋の例は、「良い酢」を表現するために使われていて、だからこそ商品名にも採用されている。
つまり、「きぶい」というのは純粋に「渋い」や「酸味がきつい」ことを表す言葉で、渋い、または酸味がきついことが肯定的な場面では褒め言葉に、そうでなければ
貶し言葉になる、ということであろう。よって、商品名の「きぶき酢」も、単に「酸っぱい酢」ということになるが、特に酢の場合、刺激が強い(ぬるくない)ものが好まれたものと思われる。
くぼさ 初見:白川静著「文字講話Ⅱ」(平凡社ライブラリー 初版 2016年)p161の引く「古事記伝 九之巻」
「古事記伝」の地の文(本居宣長が書いた部分)に、「利」と書いて「クボサ」と仮名を振った語があった。「古語」であるならここで取り上げなくてもよいかもしれないが、不思議な響きにひかれて少し調べてみた。
古事記伝では「其祓物を取りて、己が利(クボサ)にせし事と聞こゆ」と使われている。お供え物を着服するということで、意味のうえで漢字の「利」がふさわしいところであろう。
日国を調べると、「くぼさ」に「贏さ」「利さ」の漢字をあて、「日本書紀」推古20年是歳条(岩崎本訓)「其れ臣を留めて用ゐたまはば則ち国の為に利(クホサ)有りなむ」他一例を例示しているが、この2例は、「クホサ」と清音で書かれている。もう一例、「改正増補和英語林集成」(1886)の例は、「Kubosa クボサ 利潤」と、明確に濁音となっている。
日国の用例は以上の3件で、「贏」と書いてクボサと読ませる例は掲載されていない。語源説は朝鮮語説を含め3説が紹介されているが、しっくりくるものはないようだ。
岩波文庫版「日本書紀」(坂本太郎・家永三郎・井上貞光・大野晋校注、第1刷 1995年)を見ると、推古20年是歳条のほか、推古12年4月条にも「訟を治る者、利(くほさ)を得て常とし」という使用例があり、この部分には「クフサともいう。利益の古語」という注釈が付されている。
言うまでもなく、日本書紀は全編漢字で書かれており、必要に応じて万葉仮名で読み方を示している部分もあるが、クホサに関してはそれもないようで、この読み方はいわゆる「古訓」であるようだ。
広辞苑第6版では見出しが「くほさ」と清音で、上記の推古12年条が引用され、同じく「クフサ(ともいう)」という記述がある。
日国の見出しにある「贏」という字について大漢和辞典で調べると、訓読みは挙げられていないが、意味として「まうける、まうけ、利得」とある。また、「あまり」という訓を掲げている辞書もある。字統では、「やどかりが貝からはみ出す形であるから、」あまりの意味を生ずるとしている。
クボサ(クホサ、クフサ)という語の用例は、日本書紀など古いものが多いが、古事記伝や和英語林集成など江戸・明治時代の文献にも現れている。しかし現代では全くの死語となっていると言えるだろう。この語は「利(り)」や「得(とく)」といった音読みの語に取って替わられたが、それがどういう理由によるものか、今後も気に留めておきたい。
けせね 初見:水木しげるの遠野物語(P148、第63話) 小学館 初版第2刷 2010年
漫画版の「遠野物語」を読んでいて見つけた。エ段の音が3つ連続する、聞いたことの無い言葉である。
貧しい農家の主婦が、山奥で「マヨイガ」を見つけた。これは、家具調度の整った豪邸だが人は誰もいない、というもので、何でも持ち帰っていいことになっているが、無欲な主婦は何も持たず帰宅した。すると家の前の小川に上流からお椀が流れてきた。食器にすると汚いと叱られるかもと思い、「ケセネを量るのに使うべ」と決めた。この椀でケセネを量りだしてから、ケセネは尽きることがなく、その家は裕福になったという。
「ケセネ」には注が付いており、「米や稗、その他の穀物」のことという。
この漫画は原作に忠実に描かれており、原作の柳田国男著「遠野物語」(角川文庫、改版21版、1979年)でも柳田自ら同じ注を付けている。(私はこの本を40年ほど前に読んだが、「ケセネ」について覚えているはずもない)
この語について辞書を調べたが、広辞苑にや日国にも出ておらず、「角川 古語大辞典」にも載っていない。やはり東北方言かと思っていろいろ調べると、ウェブサイトに「宮古弁小辞典」(吉田仁編)というものがあり、「けせね」について解説があった。
けせね 精白した穀物
*生心と書かれることがある。
キシネ、キスネとも言う。
宮古と遠野は国道経由で75kmほど離れており、方言の区分でも沿岸方言と中部方言という別の分類に属しているようだが(ウィキペディア「岩手県」)、この語については大筋は同じものを指しているようだ。「キシネ」にあてた漢字が「生心(キシン)」であろう。柳田の注と異なるのは、「精白した」という条件が付くことだが、遠野でも精白した穀物に限って「けせね」と呼んでいたのか、そこまでの調査は行っていない。
各地の方言までこのページで取り上げるつもりはなかったが、調べてしまったので掲載することにする。
参考・引用資料(各語共通)
日本国語大辞典 第2版 小学館 2001年他
広辞苑 第3版第4刷 新村出編、岩波書店 1986年
広辞苑 第6版第1刷 新村出編、岩波書店 2008年
新訂字統 普及版第5刷 白川静著、平凡社 2011年
大漢和辞典 修訂版 諸橋轍次著、大修館書店 1986年
説文解字 後漢・許慎撰、100年:下記「説文解字注」より
説文解字注 清・段玉裁注、1815年:影印本第4次印刷 浙江古籍出版社 2010年
画像引用元(特記なきもの)
JIS第1・第2水準以外の漢字(明朝体) グリフウィキ(ウェブサイト)