漢字教育士ひろりんの書斎日本語の本棚
2017.4.  掲載

 無塩せき

 スーパーをぶらついていて、「無塩せき」と表示されたソーセージを見つけた。こんな言葉は聞いたことがなかったので、「いい歳になるまで知らなかった日本語」のネタにしようと思い、意味や由来を調べ始めた。すると、この言葉が持つさまざまな問題がわかってきて、この「ちょっと遺憾な官僚用語」のほうに載せることとした。

 まず、「無塩せき」と、かな漢字の交ぜ書きとなっている点。「せき」とはどんな字を書くのか。この表示の根拠となっていると思われる「ソーセージ品質表示基準」(平成12年の制定時は農林水産省告示、現在は消費者庁告示)を見ると、「漬物」(つけもの)の「漬」を使い、「無塩(せき)」と、ふり仮名を使って書かれている。「無塩(せき)ソーセージ」の同告示による定義は次のとおりである。
ソーセージのうち、使用する原料畜肉類、原料臓器類又は原料魚肉類を塩(せき)していないものをいう。
 してみると、「塩(せき)する」というサ変動詞も存在するようだ。しかし由緒正しい言葉とは思えない。
 ご存じの方も多いと思うが、「漬」を音読みすると「シ」である。常用漢字表には訓読みの「つける、つかる」しか定められていないが、例えば「全訳 漢辞海」という漢和辞典には音「シ、ジ」とある。「せき」と読んでいるのは、「責」に引き摺られた、いわゆる「百姓読み」ではないか。

 なにも無理に音読みしなくても、訓読みで「塩漬け」とすれば変な交ぜ書きもしなくて済むではないか、と思ったが、ここでさらなる疑問が湧いてきた。「ソーセージ」の語源は「塩で味付けされた」ことを表すラテン語だそうで、ソーセージに塩は不可欠なものではないだろうか。「塩漬けしていないソーセージ」などというものがありうるのか。と思って再度スーパーで「無塩せきソーセージ」の原材料表示を見てみると、しっかりと「食塩」が書かれてあった。これはどういうことだろう。
 上記の定義の中には「塩(せき)していないもの」とあったが、「塩(せき)する」の定義はどこにもない。ということは「塩(せき)する」は通常の日本語で、知らなければ辞書を見ろ、ということか。そこで広辞苑を見ると、思ったとおり「塩(せき)」「無塩(せき)」とも載っていない。全14巻の「日本国語大辞典」にもそんな言葉は載っていない。大漢和辞典に「塩漬」の語はあったが、読みは「しほづけ」である。あたりまえすぎて馬鹿馬鹿しい。
 みたびスーパーで調査すると、「無塩せき」の加工食品は、ソーセージだけでなくハムやベーコンにもあるとわかった。そこで「ハム類品質表示基準」や「ベーコン類品質表示基準」(ともにソーセージと同様の省庁告示で、ソーセージ品質表示基準と同日の制定)を見てみると、「塩(せき)し、」という文言はあるが、ソーセージと違って「無塩(せき)」のハムやベーコンの定義はない。しかも、ボンレスハムやロースハムなど各種のハム・ベーコンの定義はあるが、どれを見ても「塩(せき)し、」という語が使われており、塩漬していないハムなどありえない状況である。
 訳がわからないままさらにネットで調査したところ、「ハム・ソーセージ類公正取引協議会」による「ハム・ソーセージ類の表示に関する公正競争規約及び同施行規則」という文書を見つけた。これは、
「不当景品類及び不当表示防止法」(景品表示法)第12条の規定により、事業者または事業者団体が、公正取引委員会の認定を受けて景品類または表示に関する事項について自主的に設定する業界の自主ルール
であり、厳密には官僚用語とは言えないかもしれないが、官僚の指導の下に出来上がったものであるのは間違いないだろう。
 この文書には、先に挙げた告示と同様の定義が列挙されているが、どういうわけか、告示にはなかった「無塩せきハム」と「無塩せきベーコン」も定義されている(こちらの規則では、「無塩(せき)」ではなく「無塩せき」と表記されている)。しかもこれらの定義では、
無塩せきハム:ハム類(ボンレスハム、ロースハム、ショルダーハム、ベリーハム)のうち、使用する原料肉を発色剤を用いず塩づけしたものをいう。
と書かれており、なんと塩漬けの有無ではなく発色剤の不使用を表す語だという。アッと驚く意味のすり替えである(ベーコンも同様、ソーセージは前述の告示と同様)。
 塩漬けしていないから「無塩漬(せき)」というのであれば、「漬」の読み方に問題があるだけのことだが、塩漬けしていても発色剤を用いなければ「無塩せき」だと言うなどとは、まさに羊頭狗肉、体を表さない名というしかない。酒を飲んでいてもドラッグをやっていなければ飲酒運転ではない、というようなものだ。業界関係者はもちろん、認定した公正取引委員会は何を考えていたのか。

 いまさらながらスーパーで調査すると、「無塩せきソーセージ」の一商品の袋の裏に、用語の解説が載っているのに気がついた。
無塩せきとは? 塩せき(原料肉を漬ける)工程で、発色剤を使用していないものを「無塩せき」といいます。 ※塩を使用していないという意味ではありません。
 なるほど、こんな言葉は解説して貰わないと、一般消費者にわかる道理はない。しかしちょっと待った。ハムやベーコンと違い、ソーセージの「無塩(せき)」は「塩(せき)していないもの」であったはずだ。なんと、消費者庁告示が無視されていることになる。

 以下は推測である。食肉加工業界では、塩漬けすることを格好良く言うために、音読みで「塩漬」という言葉を作り出し、これを(間違えて)「えんせき」と呼んでいた。農林水産省は、業界のルールを元に告示を作成する際に、業界で定着していたこの言葉を採用したが、常用漢字の音訓にない読み方なので、わざわざ「塩(せき)」とふりがなを打った。
 告示のうちソーセージのみに「無塩(せき)」が定義されているのは、多分ハムやベーコンより「無塩(せき)化」が早く進んだからであろう。ソーセージについて、告示の定義と商品記載の説明が異なっている理由は、筆者の知ったことではないが、推測はできる。塩漬けしないソーセージなどあり得ないものだというのが常識なので、業界では「無塩せき」と言っても「塩漬けしないこと」ととられる心配がなかったが、官僚である告示の起草者は文字通りに受け取って作文してしまったものではないか。ハムやベーコンの告示に今も「無塩漬」がないのは、この定義の間違いに気が付いたからだと思うが、ソーセージについては、いったん定めた告示を「間違えてました」と修正するわけにもいかないのだろう。

 まずは「塩(せき)」という普通は読めない語を作り出し、その字面には全く現れない「発色剤」さえ使わなければ「無塩せき」と言っていいという。身内だけで使うのならいざ知らず、告示や規則として世に出すのなら、こんな言葉のもてあそびは言語道断である。
 省庁の告示に載ったり、スーパーの売り場で見かけたりする言葉であるから、「塩せき」や「無塩せき」もやがては国語辞典に掲載されることだろう。こんな言葉を「日本語」として掲載しなければならない辞書編纂者諸氏に心から同情する。



参考・引用資料

全訳 漢辞海 第3版 第1冊 佐藤進ほか編、三省堂 2011年

広辞苑 第6版第1刷 新村出編、岩波書店 2008年

日本国語大辞典  第2版 小学館 2001年他

大漢和辞典  修訂版 諸橋轍次著、大修館書店 1986年

 その他ウェブ掲載の資料

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