串カツ屋をネットで探していて、「二度漬け御免(ごめん)」という言葉を見つけた。その気で探せばたくさん出てくる。店内の掲示にあったり、ウェブ上の説明文にあったり。ハウス食品のポテトチップス「オーザック」の限定品にも「二度づけゴメンの大阪串かつ味」というのが(過去に?)あったようだ。
大阪の庶民的な串カツ屋では、たっぷりのソースが金属のケースに入れて供される。これを一日中、多くの客がいわば「共同利用」するわけで、したがって
齧りかけの串カツを再度ソースに浸すことは(衛生上というよりは気分を害するので)禁止されている。
通常は「二度漬け禁止」や「二度漬けはご遠慮ください」と表示されているが、これを「二度漬け御免」と言っていいものか。
「御免」というのは、「ごめんなさい」が「許してください」の意味であるように、「許す」という意味の尊敬語である。江戸時代には「斬り捨て御免」などという物騒な言葉もあったではないか。したがって、「二度漬け禁止」のことを「二度漬け御免」と言うのは大きな間違いである、と断じようと思ったが、念のために辞書を調べてみた。
「広辞苑」第6版(第1刷 岩波書店、2008年)では、
①免許の尊敬語。おかみのおゆるし。「天下-」
②免官・免職の尊敬語。「御役-となる」
③容赦・赦免の尊敬語。転じて、謝罪・訪問・辞去などの時の挨拶
と、予想された説明が並ぶが、その次に、
④希望しないこと。いやなこと。「残業は-だ」
と書かれているではないか。①~③は類似した意味だが、④は全く違う。しかも例文を読んでも違和感はない。
他の辞書も調べてみた。「大辞林」第3版(コトバンク)でも5番目の意味として「拒否・拒絶の気持ちを婉曲に表す語」と説明し、「戦争はもう-だ」「そんな役回りは-だ」という例文が掲げられている。「デジタル大辞泉」(同)でも、3番目に、「嫌で拒否する気持ちを表す語。もうたくさん。」として「戦争は二度とご免だ」という例文が挙げられている。
というわけで、「二度漬け御免」も、「二度漬けされるのはいやだ」という店主の意思表明という意味で正当な用法であるようである。しかしなぜ、「御免」が「許す」と「拒否する」という正反対の意味を持つに至ったのか。
以下は推論である。
御免はもともと上位の者(幕府や官庁)にお許しをいただくことだった。免職の時も、建前は退職するお許しをいただいて「御役御免」となるものだった。これが残業を拒否したり戦争を拒絶したりするときも、形式的にお許しを得たうえで断りたい、という意識につながったものではないか。つまり、行動する場合も行動しない場合も、自分の態度について上位者のお許しを得ようということではないか。
もうたくさん、うんざり、もう結構、勘弁してほしい、許してほしい、ごめんこうむりたい…
さらに念を入れて、家でほこりをかぶっていた「広辞苑」第3版(第4刷 岩波書店、1986年)を調べてみて再度驚いた。なんと、上記の①~③の意味はあるが④の意味は書かれていないのである。つまり昔は広辞苑では、「御免」に「希望しないこと、いやなこと」の意味は認められていなかったのである。
第5版(第1刷、1998年)を所有する友人(
「商・夏の会」会員の
じゅんや氏)に調べてもらったところ、第5版も第6版と同じだとのことである。つまり、第4版か第5版で④の意味が追加されたことになる。
機会があれば第4版も調べたいところだが、私自身の言語感覚が一時代前のまま停まっているようで、いささかショックであった。