私が建築学科の学生だった頃の話である。私が所属したU先生の研究室の研究分野は「地域計画学」や「生活空間学」といったものだった。大きくは地球全体から小さくは自動車の中まで、人の生活する空間について考えるという、何でもありの研究室だった。
ちなみに、私は「江戸時代後期の裏長屋コミュニティ」というタイトルの卒業論文を書いたが、落語・川柳・滑稽本などを題材に当時の人たちの生活状況を探ったところ、面白いというので新聞やラジオ放送に取り上げられ、一躍(つかの間の)有名人になってしまったのだが、それはさておき・・・。
当時の地域計画などの文献で、「連担市街地」「家屋連担地区」などという語がよく使われていた。建物が立ち並んでいる街並みを、人々が肩を寄せ合って荷物を担ぐ様子にたとえているのだと、深く考えず使っていたが、ある日U先生が、「連担の担の字は間違った字が定着したものだ。本来は『のき』の意味の
『檐』という字を書いたのだ」とおっしゃった。
漢字についてそれほど関心がなかった当時の私は、「変なことを知ってはるなあ」と思った程度だったが、今回ふと思い出したので、このことについて調べてみた。
たしかに「連担」という語は、「担」を「になう」と考えると、何を担っているのか分からず、意味不明である。この語は「広辞苑」第6版にも載っていない。三省堂「大辞林」第3版(コトバンク)には、「それぞれが拡大することによって連なり,相互に融合すること。」とあるが、これは複数の市街地がスプロールしてくっつき、境目がなくなってしまったようなイメージであり、私が知っているような、単に建物が軒を並べているという意味とは少し違う。
一方、「檐」という字は常用外だが、「のき、ひさし」という意味があり、「連檐」という熟語は大漢和辞典にも載っていないが、「軒を連ねる」という意味と理解することができる。
ただし、同辞典によると、檐の字には「エン」「タン」の二つの音があるが、「のき、ひさし」の意味で使う場合は「エン」であり、タンと読むのは手偏の「擔」(新字体で「担」)に通じて「になう」の意味を示す場合だという。すなわち、「軒を連ねる」という意味の連檐は、レンエンと読むべき熟語であることになる。
連檐について日本での使用例を調査すると、次の2件が見つかった。
一つは大正12年(1923年)制定の内務省・鉄道省令「軌道建設規程」。第8条・第9条に、「両側人家連檐又ハ連檐スヘキ場所」という文がある。そういった場所では、軌道外の道路に一定の「車体外有効幅員」を取らなければならないと定めている。この規程は古いものだが今も有効で、総務省の「法令データ提供システム」で見ることができる。しかしルビは打たれておらず、当時この熟語をどう読ませようと意図したのかは分からない。
もう一つは国木田独歩の随筆「武蔵野」(明治31年(1898年)発表)の一文である。
この趣味を描くために武蔵野に散在せる駅、駅といかぬまでも家並、すなわち製図家の熟語でいう聯檐家屋を描写するの必要がある。
「聯」は連と通用する字である。この例では「家並」のことを「聯檐家屋」と呼び、わざわざ「製図家の熟語でいう」と断りを入れている。当時から土木・建築用語であるとの意識があったのだろう。また、「聯檐家屋」という語には、青空文庫版(底本は集英社版「日本文学全集12」第9版(1972年))では「れんたんかおく」とルビが打たれているが、岩波書店「新日本古典文学大系 明治編28」(2006年、底本は単行本初版、民友社1901年)ではルビは連檐の部分に(れんたん)と表記され、凡例によると、カッコつきのルビは校注者による振り仮名であるとのことである。どうやら独歩本人が「れんたん」とルビを振ったわけではないようだ。
ちなみに、「日本国語大辞典」には「連担」「連檐」は載せず、「れんたんかおく」(連檐家屋・聯檐家屋)を掲げて「軒を連ねた家屋」と説明し、上記の「武蔵野」を引用している。集英社版を情報源としたようである。
この「連檐」がなぜ「連担」と書かれるようになったか。「檐」が「擔」と通用することは大漢和にも明記されており、意味を深く考えず「連擔」と記される場合も生じたのだろう。のちに擔の新字体である「担」が使われるようになり、この結果、レンタンとしか読めず、字面から意味を推測することもできない「連担」という熟語ができてしまったのだろう。
ちなみに、「檐」の旁である詹(漢字としての音はセン・タン・ダン、意味は「多言のさま」)を声符として持つ漢字のうち、タンの音を持つものには
擔・膽・澹・・・簷・・・憺・檐・があり、センは
瞻・蟾・贍・・・・擔・澹・・・譫があるが、エンは
檐と
簷(意味は同じく「のき・ひさし」)ぐらいしかない。これらのうち「擔」と「膽」が当用漢字に採用され、「担」「胆」という新字体が定められた。
こうした経緯で生まれた「連担」という熟語が、現在どう使われているか。
ウェブで「連担」を検索してみて目につくのは、「連担建築物設計制度」に関する記事である。これは建築基準法第86条第2項(1999年施行)に基づく制度で、国土交通省HPによると
複数敷地により構成される一団の土地の区域内において、既存建築物の存在を前提とした合理的な設計により、建築物を建築する場合において、各建築物の位置及び構造が安全上、防火上、衛生上支障ないと特定行政庁が認めるものについては、複数建築物が同一敷地内にあるものとみなして、建築規制を適用。
とのことである。法文には「連担」という言葉は使われていないが、制度の名として「連担」が使われている
1)。建物の密度が高く、かつ安全性の高い街を作る手法として考え出されたものだろうが、「密集建築物設計制度」などと名付けては、同省が解消に向けて取り組んでいる密集市街地と混同されてしまう。恐らく担当官が頭を絞って、かつて専門書で読んだことのある「連担」を引っ張り出してきたのだろう。
ちなみにこの制度は、火事で焼失した法善寺横丁(大阪・ミナミ)の再建のために使われたことで知られている。同省の国土技術政策総合研究所の資料には、「連担させていきます」というサ変動詞としての使用例もある(国総研資料第368号:ウェブより)。
さらに、「連たん」という交ぜ書きで法規そのものに使われている例もある。「法令データ検索システム」で調べると1つの法律と6つの省令がヒットする。これらのうち、都市計画法第34条第11号(2001年施行)を見てみる。
第34条は市街化調整区域(市街化を抑制すべき区域)で許可の対象となる開発行為を列挙しており、第11号は次のようなものである(一部省略)
市街化区域に隣接し、又は近接し、かつ、自然的社会的諸条件から市街化区域と一体的な日常生活圏を構成していると認められる地域であつておおむね五十以上の建築物が連たんしている地域のうち、政令で定める基準に従い、都道府県等の条例で指定する土地の区域内において行う開発行為で・・・
ここでいう「連たん」は、軒を連ねて小集落を形成している状況をいうものであろうが、この法律で「連たん」という語が使われているのはこの1か所のみで、どこにも定義されていない。先に引いた日本国語大辞典の知識があれば、連檐(れんたん)の檐が常用漢字ではないので交ぜ書きにした、という推測はつくが、一般的社会人が読んでわかる言葉とは到底言えない。しかも檐を「たん」と読むことには上述したとおりの疑義がある。「軒を連ねている」が口語的に過ぎるのなら、「集落を形成している」とか「近接して存在する」とかいった言い換えはできなかったものだろうか。
もう一つ、総務省のホームページにある「大都市部における市町村合併の推進について」(市町村の合併に関する研究会報告書、2007年公表)にも「連たん」という交ぜ書きが使われている。
市街地が他市町村と連たん(P3)
市街地が連たんしている地域が合併により一つになることで、効率的な公共施設等の整備・利活用や、効果的なサービスの実施、面的に一体性のある市街地整備の円滑な推進が可能となることがうかがわれる。(P31)
この場合の「連たん」は、だんだん大きくなった市街地が隣接する市町村の市街地と接触・融合して、街並みのなかに境界線があるはずだが見た目にはどこかわからない、といった状況になったものを指すようで、先に引いた「大辞林」の「連担」の定義に近いようである。境目が分からなくなった市町村は合併してしまえばいい、という論理を説明するために用いられている。先の2例とはニュアンスが違うが、これが文科系官僚が考える「連たん」の意味だろうか。
繰り返すが、「連担」や「連たん」は大多数の辞書には載っていない言葉である。昔勉強した本にあったから、官僚には馴染の言葉だからといって、何の説明も加えずに、法文や政府の文書に使っていいはずがない。自分たちはよく知っているつもりだろうが、現に国土交通省と総務省で語義のニュアンスが異なるのである。法文や公文書は国民の財産であるはずなので、通常の知識を持つ日本人が読んでわかる言葉を使ってもらわなければならない。
注1)法文に無い語を制度等の名前に用いる点で、「戸開走行保護装置」と同様である。 戻る
参考・引用資料
広辞苑 第6版第1刷 新村出編、岩波書店 2008年
大辞林 第3版 三省堂(コトバンク)
大漢和辞典 修訂版 諸橋轍次著、大修館書店 1986年
法令データ提供システム 総務省ウェブサイト
武蔵野 国木田独歩著
①青空文庫(ウェブサイト)(底本は集英社版「日本文学全集12」第9版(1972年))
②新日本古典文学大系 明治編28(岩波書店 2006年、底本は単行本初版、民友社1901年)
日本国語大辞典 第2版 小学館 2001年他
国土交通省ホームページ
国土技術政策総合研究所ホームページ
総務省ホームページ
画像引用元(特記なきもの)
JIS第1・第2水準以外の漢字(明朝体) グリフウィキ(ウェブサイト)