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2016.4. 掲載
和歌山県人にとって「ザ行」は存在しない?
もうずいぶん昔の話である。富士通のワープロ専用機OASYSが一世を風靡していた時代のことである。
私の同僚である生粋の和歌山県人(和歌山市の生まれ育ち)が、そのOASYSに向かって作業していたが、不意に素っ頓狂な声を上げた。
「このワープロおかしい。壊れとるど!」
話を聞くと、彼はある式典のために式次第を作成していたが、その中で「万歳三唱」と入力しようとしても、ちゃんと変換しないという。
「そんなことはないやろ。もういっぺんやってみて」というと、彼はひらがなで入力を始めた。その画面を見て私は驚いた。なんと彼は、「ばんだいさんしょう」と打っているのである。当然ながら、漢字変換すると「磐梯山小」などと表示され、「万歳三唱」とはならない。
この状況に私は少なからず動揺した。彼も難しい試験を経て就職し、今までサラリーマンとして遜色なく活躍してきた人物で、決してアホではない。その彼が「だ」と「ざ」の区別もできないのか。
私の父も和歌山県人(田辺市出身)なので、和歌山県人が、しばしばザ行の言葉をダ行で発音することは知っていた。「ダンネン(残念)」「デンダイ(ぜんざい)」「ドウキン(雑巾)」などなど。しかしそれは、あくまで発音するときのクセであり、頭の中ではちゃんと区別されているものと思っていた。
このときの「事件」で、和歌山県人の脳内の辞書にはザ行の音を持つ言葉はなく、すべてダ行に置き換わっていることが判明した(彼を含むほんの一部の人かもしれないが)。
しかし考えてみると、普通の日本人も、多くの外国人が区別するLとRの音を区別できないし、BとVについても大体は区別していない。書くときも、カタカナならどちらもラ行、バ行である。和歌山県人の場合はそれにZとDの一組が加わっただけと考えることもできる。
また、言語の時代による変化は、母音・子音ともその数を減らし、単純化していく方向にあるという。この点から見れば、和歌山語(?)は日本語の進化の先頭に立っているのかもしれない。
本稿は、決して和歌山県人や和歌山語を馬鹿にするために書いたのではないことをわかっていただきたい。なにしろ、私にも、ハーフながら県人の血が流れているのだから。