− 10 − 水が、龍のように立ち上がり、うねり、≪翔(フライ)≫に乗ったさくらに襲い掛かっている。 小狼は折れた柱の上に立って≪浮歩≫を解くと、ポケットからクロウカードを取り出し 空に放った。 彼の手を離れたカードがクルクルと回転する。 小狼は逆手に握った剣をカードに振り下ろした。 「≪凍(フリーズ)≫!!」 剣の切っ先が、カードの表わずか数ミリで止まる。 澄んだ音をたてて魔力が波紋を描いて拡がった。 ≪主≫と認めた者の魔力に呼応したカードが揺らぎ、濃い霧のように立ち昇る。 そして、空間に巨大な氷の魚が姿を現した。 一瞬にして水が動きを止め、氷の柱となって水面に砕け落ちる。 さくらがこちらに気づき、振り向いた。 「李くん!!」 せり上がる水の壁を越えて、さくらは小狼の傍まで飛んで来た。 「どうして、ここに?」 小狼は剣を構え、空間の頭上に浮かんだ女魔道士から目を反らさずに答えた。 「水に呑まれた後、気づいたらここにいた」 「じゃあ、あそこにいたみんな…」 「ああ。何処かにいる筈だ」 「早く、探さなきゃ…」 「探さずともよい」 結い上げられた長い黒髪。古風な衣装と装身具。 どこかしら母を思わせる女は、しかし母とは違う怒りを剥き出しにした声で 二人に向かって言った。 「おまえ達と共にとり込んだ者は、そこにいる」 その声と同時に、女魔道士の背後の水の壁から四つの青白い水球が現れた。 中には、苺鈴、知世、桃矢、雪兎の四人が倒れている。 意識を失っているのだろう。四人とも、ピクリとも動かない。 「私は、クロウ・リードを呼んだのだ…なのに、何故…?クロウ・リードは何処だ…」 女魔道士は、繰り返した。一言ごとに、怒りが高まってくるのが感じられる。 小狼は小声でさくらに言った。 「二手に分かれるぞ。おれが奴の動きを止める。 その隙に、おまえは皆を助け出すんだ」 「うん」 「クロウ・リードは、何処だ!?」 爆発するような叫びと共に、両手が振り上げられる。 同時に二本の水柱が立ちあがり、二人をめがけて襲い掛かった。 「いくぞ!」 「はい!」 さくらは≪翔(フライ)≫で左に飛び立ち、小狼は右に跳躍した。 二人が逆方向に動いたことに、女魔道士は一瞬、戸惑った。 その隙をついて小狼は柱から柱を飛び移り、女魔道士のほぼ真下まで近づく。 再び小狼はポケットからクロウカードを取り出した。 「≪嵐(ストーム)≫!!」 ≪時(タイム)≫の次に小狼が捕獲したカードだ。 表に描かれた可愛らしい少女の姿に反し、≪凍(フリーズ)≫同様気が荒く、扱いの難しい カードでもある。 小さな少女の姿をした精霊は、瞬く間に女魔道士を取り囲む竜巻となった。 「今だ!」 振り返ると、さくらは≪剣(ソード)≫で知世を封じ込めた水球を切り裂き、≪翔(フライ)≫で 安全なところへと運ぼうとしていた。 だが、一人づつそんなことをしていたのでは時間がかかりすぎる。 小狼はもう一度柱から柱へと飛び移ると、苺鈴を封じ込めた水球の前に立ち、 剣を振り上げた。 しかし…。 キィン 小狼の剣は鈍い音を立てて弾かれた。 この水球は、いわば小さな結界なのだ。並大抵の魔力では、破ることなど出来ない。 それでも小狼は二度、三度と剣を振り下ろした。 だが、両手に痺れが残るだけで、水球には傷一つつかない。 「くそっ、だめか…!」 主が望めば、どんなものでも切ることが出来るのが≪剣(ソード)≫の魔力。 けっして、自分が劣っているわけではない。 それでも、アイツに出来ることが自分には出来ないこと。 目の前の従姉妹を救うことが出来ないこと。 それが、無性に悔しかった。 「…貴様等……許さん……」 怒りに震える女の声に、小狼はハッと≪嵐(ストーム)≫の創り出した竜巻を見た。 ここが相手の魔力による世界である以上、自分の魔法が長くは保たないことを 小狼は承知していた。 それでも、≪嵐(ストーム)≫が破られるのは早かった。 女魔道士のまとう白い肩巾(ひれ)が、竜巻の壁を切り裂いた。 「許さん…!!」 叫びと共に、≪嵐(ストーム)≫がカードに戻される。 水が、津波のように小狼に押し寄せた。 いや、押し寄せるのは思い通りにならぬ苛立ち。己の望みを邪魔する者への憤り。 歪められた執着。自制を失った怒り。 荒ぶる感情が、小狼を呑み込もうとする。 ………コンナニモ願ッテイルノニ ………何故、届カナイ ………何故、手ニ入ラナイ ………オマエガ 邪魔ヲ スルカラダ…!! 恐ろしいまでの負(マイナス)の波動に、小狼は正気を保つだけで精一杯だった。 おそらく間違いなく、この女魔道士は既に死んでいる。 そして、そのことを自分で自覚してさえいないのだろう。 強い魔力を持つ者が、この世に執着や恨みを残して死んだ場合。 それは、とても厄介な存在となる。 強すぎる≪思い込み≫だけで存在しているようなものなのだ。説得など通じよう筈もない。 とすれば、魔力でねじ伏せるしかないのだが、相手は肉体を持たないだけに、生身の こちらが圧倒的に不利になる。 しかも、ここは相手が創り出した異空間なのだ。 ……だめだ、アイツ……。 幽霊とか、苦手だし ちゃんと修行もしていないし こんな奴に、対抗出来る筈がない……!! 自らを護る結界を張りながら、小狼はそんなことを考えていた。 辛うじて、津波をやりすごすことは出来た。 だが、既に小狼に余力はなく、剣を支えにその場に膝をついた。 「李くん、李くん!返事して!!」 知世を安全な場所に降ろしたさくらが、≪翔(フライ)≫で飛んでくるのが目に入る。 「逃げろ…!逃げるんだ…」 もう、声すら上手くは出せない。 さくらは下から吹き上がる水を避けながら、何とか小狼の傍まで近づこうとする。 「来るな!おまえ達だけでも逃げるんだ…!!」 「でも…きゃあっつ!!」 間一髪で水柱をかわしたさくらが、悲鳴を上げる。 小狼は天窓のような頭上を仰ぎ、声を振り絞った。 「上空は、魔力が弱い。上に飛べば出られる筈だ…!」 「黙れ!!」 図星だったのだろう。女魔道士は声を荒げて、小狼を立ち昇る水の渦に巻き込んだ。 もはや抵抗も出来ず、小狼は水球に封じ込められてしまった。 ≪翔(フライ)≫に乗ったさくらは、固まったようにじっとこちらを見ていた。 ……何を、ぐずぐずしているんだ…!! 水球の中で、≪気≫を吸い取られていくのを感じながら、小狼は思った。 ……いつも…人のことばかり気にして……! 泣きそうな眸だった。 胸が、痛んだ。 ……もっと…おれに魔力(ちから)があれば… あんな顔、させずに…すむのに…… 黄色いぬいぐるみが、さくらに何か言っている。 小狼も、もう一度言おうとした。 「に、げ……」 ふうっと目の前が暗くなり…小狼の意識は、そこで途切れた。 − つづく − ≪TextTop≫ ≪Top≫ *************************************** (初出01.5〜8 「友枝小学校へようこそ!」様は、既に閉鎖しておられます。) |