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 急な来客にも関わらず、夕食には李家の料理長が腕を振った、自慢の料理が並べられた。
 元々、客には慣れている家なのだ。他国で暮らす一族の者がやってくることもあれば、
 何らかの事情を抱え、李家に保護を求めてくる者もいる。

 自分も中国風の衣装に着替えてきた小狼は、テーブルに着く前にそっとさくらに耳打ちした。

 「ケルベロスは?」

 「お部屋にいるの。…それでね、李くん。あのね……」

 さくらは顔を赤くして、言いにくそうにうつむいた。

 「わかってる。ケルベロスの夕食だろ?すぐに部屋に運ばせる。
  でなきゃあいつ、厨房に忍び込みかねないからな」

 小狼の言葉に、さくらがホッとしたように顔を上げる。

 「ありがとう。ごめんね、迷惑ばっかりかけちゃって」

 「おまえは、≪李家の≫客だからな。気を遣わなくていい」

 小狼の突き放したような言い方に、さくらはしゅんと肩を落とした。
 なんとなくだが、さくら達が泊まることを小狼が心良く思っていないと、感じているのだ。
 だが、美味しい夕食とテラスの窓から一望できる見事な夜景。
 そして小狼の姉達の賑やかなおしゃべりに、少しは明るい気分になったのだろう。
 食卓では笑顔を見せていた。

 もっとも雪兎の食欲には、さしもの四姉妹も驚きを隠せなかったようだ。
 しかし、それも一瞬のこと。それならそれで、お薦めのランチのお店や、今流行のデザートの
 数々を紹介しては、盛り上がっていた。

 今度、大学を受験する末姉の緋梅(フェイメイ)を除けば、全員が香港大学の学生だが、
 相変わらず勉学以上に、遊びや食べ歩きに熱心なようだ。
 夕食の後も、しきりに日本での小狼の様子を聞きたがってさくらと知世に群がり、はたまた
 これから夜の街へ繰り出そうと桃矢と雪兎に群がる。
 そんな姉達を追い散らすように、客人達をゲストルームへ案内した小狼は、ぐったりと疲れ
 果てて自室のベッドへ倒れ込んだ。


    * * *


  チチチイイイィィ………


 鳥の声が、した。
 ふと見上げると、長い尾をなびかせた二羽の白い鳥が空を横切っていく。


  タタタタタ……


 軽い足音をたてて、彼が≪ライバル≫と呼ぶ少女が、その後を追って走っていた。

 ……おいっ、待て!

 呼びかけるが、聞こえないのかどんどん遠ざかっていく。
 小狼は、少女の後ろ姿を追って走った。


  ザブッツ


 いつのまにか、あたりは膝までの水で満ちている。
 足を取られて走りにくい。
 それを疑問に思うよりも、小狼の頭はただ一つのことで占められていた。

 ……何処だ、何処にいるんだ…!?

 少女の姿を見失った小狼は、激しい焦燥にかられていた。
 彼女の名を呼ぼうと思うのに、喉がカラカラで声が出ない。


  ピシャ――ン……


 突然、背後で水音がした。
 振りかえると、そこは少女と出会った古井戸の前だった。
 あの時と同じように、少女は井戸のふちに立っている。
 井戸の中から、白い布が生き物のように伸びて、彼女の身体を絡めとっていた。

 ……だめだ!目を覚ますんだ!!

 だが、その声も今度は届かないようだ。
 虚ろな眸のまま、幾重にも幾重にも、布に巻かれていく。
 必死で水を蹴って駆け寄ろうとする小狼の前で、ぐっと布が張り、少女の身体が井戸の中に
 引きずり込まれる。

 暗い、闇の底へ……。
 思わず小狼は手を伸ばした。


 ………さく………!!


    * * *


 ガバッ と小狼は跳ね起きた。

 自分の部屋だ。
 着替えと魔法具と本しかない、苺鈴や姉達に言わせれば『殺風景でつまんない』部屋である。
 枕もとの時計の針は、午前2時を指していた。
 暗闇に慣れた眸に、淡い水色の寝巻きが深海の魚のように、ぼうっと光を放って見える。

 ……夢……?

 小狼は額の汗を拭った。びっしょりと寝汗をかいている。
 きっと、昼間の出来事のせいだろう。あんな夢を見たのは…。
 そして次の瞬間に、ハッとその表情を硬くした。

 昼間、感じた気配。

 ……そんな馬鹿な!?
    この家の中で……!!

 小狼は、眠っている時ですら肌身から離さない宝玉を握り、寝巻きのまま部屋を飛び出した。



                                        − つづく −


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 (初出01.5〜8 「友枝小学校へようこそ!」様は、既に閉鎖しておられます。)