さくらと桃矢と小狼と



− 10 −

「うっそお、木之本君じゃな〜い!?」
「ほんとだ。月城君も居る〜!!」
「やだァ。すっごい偶然〜〜!!!」

ランチタイムも終わりに近づいた頃、入ってきた女子大生風の三人連れは
桃矢(小狼)の顔を見るなり口々に言った。
どうやら木之本桃矢の顔なじみらしいが、今の彼には当然覚えが無い。

「……いらっしゃいませ」

強張った営業スマイルを浮かべ、席へと案内する桃矢(小狼)の後ろで三人は賑やかに
喋り続ける。

「木之本君ったら、合コンとか誘ってもゼンゼンだしィ」
「こないだも、みんなガッカリしてたんだから〜〜。」
「ねぇ、バイト何時まで?終わったら、どっか遊びに行こうよ〜!!」

華やかな服装と化粧。甲高い声。
まるで香港の姉達のようだと思うと、自動的に憮然とした声が出る。

「……仕事中なので」

メニュ−を手渡した桃矢(小狼)が一旦奥に引っ込むと、そっと近づいてきた雪兎が
小声で言う。

「彼女達、同じ大学なんだ。
 以前から、よくコンパやサ−クルに誘われているんだけど…。」

想像どおりの説明を聞いていると、ふいに雪兎は言葉を切って後ろを向いた。
その肩が小さく震えている。

「月城さん?」

今は自分より低い位置にある雪兎を覗き込むように尋ねる。
振り返った雪兎は眼鏡を外し、目尻に滲んだ涙を擦りながら答えた。

「ごめんごめん。と−やも彼女達が苦手っていうか……。
 李君のむすっとした表情とか言い方とか、と−やにそっくりだったから」

雪兎はまた、肩を震わせクスクスと笑う。
同じ顔で同じ声なのだから、そっくりなのは当たり前だ。
そう思いたい桃矢(小狼)だが、多分雪兎が言っているのは違う意味でだろう。

「と−やの知り合いじゃマズイよね。
 あのお客さんは、ぼくが受け持つよ。李君は6番のテ−ブルをお願いするね」

笑いを噛み殺した雪兎が注文を取りにテ−ブルに行くと、三人はまた大騒ぎで
雪兎を遊びに誘おうとする。

「や〜ん、月城く〜〜んv」
「ねぇねぇ、海に行かない〜?」
「バイトぱっかりしてないで、偶には私達ともつきあってよ〜♪」

押しが強くてかしましい彼女等は、やっぱり香港の姉や従妹を連想させる。


   『小狼ったら、最近ゼンゼン帰って来ないじゃないの〜!?』
   『さくらちゃんとのデ−トで忙しいのよねぇ〜♪』
   『もう少し姉を大事にしないと、グレちゃうわよ〜?』
   『次の休みには帰りなさいよ〜。さくらちゃんと一緒に♪』


女子大生達の誘いを笑顔でかわしていく雪兎を横目で見ながら
桃矢(小狼)は深々と溜息を吐いた。



− 11  −

昼食後、サッカ−部とチアリ−ディング部はそれぞれ軽い練習をこなし解散となった。

「まだ時間も早いですし、どこかでお茶でもいかがでしょう?」

知世の言葉に真っ先に賛成したのは、カバンの中のケロだ。

「わい、美味い菓子が食える店がええな〜♪」

「だったら、わたし一度行ってみたかったお店があるの!!」

目を輝かせるさくらに、スポ−ツバッグを肩にしょった小狼(桃矢)はニヤリと笑った。

「甘い物ばっかり食ってると、太るぞ」

彼氏の姿をした兄のデリカシ−の無い発言に、さくらは頬を膨らませる。

「小狼くんの顔して、そういうこと言わないで〜!!
 お兄ちゃんだって、甘い物好きなクセに!!」

さくらに連れられ、小狼(桃矢)と知世とカバンの中のケロとが向かった先は、李 小狼の
マンションだ。
その一階にある喫茶店のドアに、さくらは嬉しそうに駆け寄った。

「出来た時から、ず−っと来てみたかったの。
 でも小狼くん、お茶なら自分で淹れるって、いつも先にお家に入っちゃうから」

アンティ−ク風の細工の取っ手に手を伸ばしたとたん、チリリリ…ン と涼やかな音が鳴った。
花や柑橘類やハ-ブや、様々な香りが混ざり合った空気がふわりと辺りを包む。

「いらっしゃいませ。どうぞ中へ」

ドアを開けた女性が、微笑みながら言う。
蝶の刺繍が施された白いチャイナ服。艶やかな黒髪。
切れ長の眸と、細く整えられた眉。
エキゾチックな雰囲気の美しい女性に、さくらはすっかり『はにゃ〜ん』となっている。
そんなさくらとは対照的に、小狼(桃矢)は僅かに眉を寄せた。

「四階の李さんですね。店主の緋蝶(フェイティエ)です。
 おいでくださるのをお待ちしておりましたわ」

「……どうも」

丁重な愛想笑いを浮かべる彼女に、無愛想に頭を下げた。


   * * *


店内の客はまばらだったが、内緒話がしやすいようにと三人は一番奥の席を選んだ。
天井が高く、イギリス風と中国風が入り混じった装飾の店内は、どこか懐かしい雰囲気だ。
この店はお茶の専門店で、紅茶の他にも中国茶や緑茶、ハ−ブティ−等が何種類も並ぶ。
添えられるお菓子もクッキ−等の焼き菓子の他に、月餅や桃饅頭といった中国のお菓子。
おまけに和菓子まで揃っている。

「どれにしよう〜。どれも美味しそうで、決められないよう〜〜。
 知世ちゃんはどれにする?」

メニュ−を見ながら尋ねるさくらに、知世はうっとりと答えた。

「私は桜の香りの“春のフレ−バ−ティ−”にいたしますわ。さくらちゃんのお茶ですもの♪」

「あははは…、お兄ちゃんは?」

相変わらずの知世に困ったように笑い返すと、さくらは隣の小狼(桃矢)にも尋ねた。

「俺は普通の紅茶でいい」

「お兄ちゃんったら、せっかくだから珍しいのにすればいいのに。
 う〜ん、わたしはどれにしようかな…?」

「こちらの花茶はいかがでしょう?
 店のオリジナルブレンドですが、初めての方にも飲みやすい味と香りに調合していますわ」

注文を取りに来た緋蝶(フェイティエ)が微笑みながら勧める。

「あ、じゃあそれを」

はにゃ〜〜んとしながらさくらが答えると、隣で小狼(桃矢)が言った。

「俺も同じものを」

「……ほえ?」

首を傾げるさくらだったが、小狼(桃矢)はそれ以上何も言わなかった。


   * * *


「……それにしても」

桜の香りを楽しみながら、知世は小狼(桃矢)を見つめて意味ありげに微笑む。

「李君とケロちゃんが入れ替わった時は、お互いに大変なご様子でしたけど。
 お兄様はあまりご不自由もなく?」

難しそうな顔でお茶を口に運ぶ小狼(桃矢)の代わりに、さくらが答えた。
二人分の花茶が入った透明なガラスのティ−ポットの中では、乾燥した花の蕾が開いて
ゆらゆらと揺れている。

「ケロちゃんの時ほどじゃないけれど、お兄ちゃんは小狼くんのお家に泊めてもらって
 小狼くんは雪兎さんのお家に泊めてもらって。たくさん迷惑かけちゃってるよ。
 ケロちゃんがカ−ドさんにイタズラさせるから…!!」

「わいとちゃうで〜。あれはユエが…」

カバンの中から訴えるケロに、さくらは声を潜めて説教する。

「ケロちゃんだって、一緒に≪替(チェンジ)≫を発動させたんじゃない」

知世も小声で疑問を投げかけた。

「ユエさんは、どうしてお二人を入れ替えさせたんでしょうか?」

「最近、事件もの−てタイクツやからとちゃうか?
 カ−ドは大概、にぎやかで楽しいことが好きやからな〜」

「それって、ケロちゃんのことでしょ〜?」

睨みながらも、さくらはお茶菓子のクッキ−を摘んではカバンの中のケロに渡している。

「確かに、ケロちゃんが李君になった時は、とても面白かったですけれど。
 李君とお兄様とでは、あまり違和感を感じませんわね」

守護者と守護獣に加えて、知世までもとは。
ガックリと肩を落とす小狼(桃矢)に、クッキ−を食べていたケロが胸を張って言う。

「な、そやろ?どっちがどっちでも、あんましかわらへんで〜〜」

「……やかましい、ぬいぐるみ」

小狼(桃矢)は低く呟くと、お皿に残っていた最後のクッキ−を口の中に放り込んだ。

「あ−!!最後の一コ〜〜!!!
 ホンマ、兄ちゃんは小僧とおんなじにイケズや……ふがッ!!」

「ケロちゃんっ!!」

慌ててバッグを抱きかかえ背中に隠したさくらは、大声に振り向いた緋蝶(フェイティエ)に
引き攣った笑顔を向ける。
一旦、店の奥に引っ込んだ彼女は、お盆の上に何かを乗せて近づいてきた。

「時々、店を覗いていらしたでしょう?今日は来てくださって本当に嬉しいわ。
 またお二人でおいでくださいね」

微笑みながら、テ−ブルの上に焼きたてのクッキ−の皿を置く。
やっぱり『はにゃ〜ん』となるさくらの隣で、小狼(桃矢)はじっと彼女を見つめる。
今の彼には、彼女の放つ月の気配が感じ取れた。



− 12 −

慌しいランチタイムが終わり、アルバイトの仕事は皿や鍋を洗ったり、店内の掃除をしたり
ディナ−タイムの準備をしたりといった雑用になる。

一人暮らしで掃除にも洗い物にも慣れている、桃矢(小狼)は手際よく仕事をこなしていく。
二人のバイトは、午後5時で上がりだ。ディナ−には別のアルバイトがやってくる。
それでも、7時間近くの立ち仕事にはさすがに疲れを感じていた。
この身体自体が本来の彼ほど鍛えられたものでないせいかもしれないが。

テ−ブルクロスを取替え、白いフリ−ジアを生けた一輪挿しを置いていく。
揺れる花が、昨夜の光景を桃矢(小狼)に連想させた。

月の光の中、白い翼を拡げた天使の姿が。


   * * *


『やっと、あえた…。』

そよぐ竹林の中、宙に浮かんだ影が嬉しそうに言った。
その声は優しく、歌うように月の光の中に響いた。
ふわふわと揺れる長い髪。
優しい微笑を浮かべた美しい女性(ひと)の顔を、彼はよく知っている。
木之本家を訪れるたびに、彼女の写真が食卓の上に飾られていたから。
亡くなって十年以上経つ筈なのに、生前の姿と意識を少しも損なっていない。
それは、彼女が強い魔力と意志とを併せ持つ者であったことを示していた。

『はじめまして、木之本撫子です』

彼の一番大事な少女の近い将来の姿を連想させる女性は、淡い光の中で名乗った。
その光の波動は、彼が時折木之本家で感じていたものだ。
これまでは心を澄ませても、姿を見ることすら出来ずにいた。
それが今、こうして話まで出来るのは、彼女の血を引く息子の身体に入っている所為だろう。
そして、月の力が彼に力を貸してくれている。
夜空に輝く満月と、家の中で眠る雪兎の中の月(ユエ)と。

「はじめまして、李小狼です。お…、僕も貴女にずっとお会いしたいと思っていました」

一方の身体の器が違うことも、一方には身体という器が無いことも
光に溢れたこの空間では、問題にならない。

透き通った彼女の大きな眸は翠がかって、さくらと同じ色をしていた。
笑みを湛えた唇が微かに開いて、音とは違う声が彼に告げる。

『さくらちゃんのことを、よろしくね』

「はい」

大きく頷くと、彼女は花が咲きこぼれるように笑った。
それもまた、さくらと同じ笑顔だった。

『さくらちゃんのいちばんがあなたで、ほんとうによかった』

その言葉と共に、彼女の姿は消えた。
青白い光だけが、冴え冴えと辺りを照らす。
月の力を借りてさえ、交わせた言葉は僅かでしかなかったけれど。

空から降り注ぐ光の道に、桃矢(小狼)は深く頭をさげた。


   * * *


「李君、どうしたの?」

雪兎の声に、桃矢(小狼)の意識は現実に戻る。
心配そうな眸に、自分が仕事の手を止めていたことに気づいた。

「…すみません」

俯く彼に、雪兎はそれ以上は何も聞かずにっこりと笑う。

「こっちは済んだよ。…じゃあ、そろそろ帰ろうか?」



− 13 −

「小狼くんちで使っちゃったもの、ちゃんと返してよ。
 それから、6時にはぜったいに家に帰ってきてね」

何度も念を押された挙句に、財布を押し付けられた小狼(桃矢)は、さくらと別れた後
近所のス−パ−に向かった。
ちょうど野菜の産地直送販売などがあって、ついつい買いすぎてしまう。
両手に一つづつ、袋二つ分の量を彼が一日で消費したというワケではないが
今夜の夕飯の買い物を兼ねてだ。
大きな袋をぶらさげてマンションの自動ドアをくぐると、スポ−ツ新聞から顔を上げた管理人が
にこやかに声をかけてくる。

「随分、たくさんの買い物ですねぇ。お部屋まで運びましょうか?」

「いえ、大丈夫です」

こんな子供(ガキ)に、じ−さんが気をつかうな。立場が逆だ!!
心の中で呟きながら、表面上は丁重に固辞する。
エレベ−タ−で四階まで上がり、小狼(桃矢)は渡された鍵でドアを開けた。

「ただいま−……っ、と」

後ろ手にドアを閉めた瞬間、条件反射のように口にしてしまう。
クラブやバイトで遅くなる夜でも、家にはさくらと藤隆が居た。
さくらが眠ってしまって、藤隆が出張で留守で。そんな時でも、彼は食卓の撫子の写真には
必ず声を掛けていたのだ。

『ただいま、母さん』

あのガキは、どうなのだろうかと思う。
口にする言葉は、多分日本語ではないにしても。

小狼(桃矢)は、勉強机の上のフォトフレ−ムを手に取った。
日本にやってくる前に撮られたものだろう、家族の写真。
中央にはビシッと背筋を伸ばした少年が、緊張した面持ちで写っている。
その隣には彼の母親であり、当主だという李 夜蘭。
美しく、そして威厳に溢れた彼女は気安く挨拶の出来る存在ではなさそうだ。

二人の左右と後ろには、思い思いの笑顔とポ−ズの四人姉妹。
いつも少年にくっ付き回っていた従妹の姿もあった。
押しが強くてかしましい顔ぶれに、小狼(桃矢)の眉間に皺が寄る。

「……あんな家、苦労するだけに決まってんだろ?」

その家の出である少年の声で呟いて、小狼(桃矢)はフォトフレ−ムを机に戻す。
そのまま視線は隣に置かれた電話の子機で止まった。

   トゥルルルル…、トゥルルルル…

とたんに赤いランプが点滅し、コ−ル音が鳴り響く。
小狼(桃矢)は、その場に立ったままコ−ル音を数える。
六回目の後、留守を伝える音声が流れはじめた。

   ピ−ッ

メッセ−ジを促す電子音と共に、沈黙が降りる。
液晶には国際電話を示す表示。
電波を通して伝わる凛とした空気に、自然と小狼(桃矢)の背筋が伸びる。
やがて子機からは涼やかな女性の声が流れ始めた。

〔李 小狼の母でございます。息子がご迷惑をお掛けしております。〕

流暢で美しすぎる日本語。
一言一句を確かめるように、ゆっくりと話す。
冴え冴えとした月の気配が、まだ明るい部屋の中に満ちていくようだ。

〔若輩ゆえ至らぬところも多きことを承知の上で、さくらさんの側に参らせました。
 異国の地に子を送りし母の想いに免じ、何卒、愚息を今暫くの間見守ってくださいますよう
 お願いいたします〕

遠い海の向こうに居ながら、彼女はここに誰かが居ることを知って話している。
声だけで伝わる圧倒的な存在感に、小狼(桃矢)はその場に立ち尽くしていた。

『いいえ、こちらこそ。
 小狼くんをさくらちゃんのそばにこさせてくださって、ありがとうございます』

答えた声は、音ではなかった。
小狼(桃矢)は、後ろを振り返った。

やわらかな光が、そこにあった。

「母さん…?」

背中の白い翼、長い髪、少女のような微笑。

数年ぶりに見た母親の姿は輪郭がぼやけ、淡く透けて。
以前のようにハッキリとしたものではなかった。
それでも花びらのような唇が形作る言葉は、ハッキリと届いた。

『小狼くんのいちばんがさくらちゃんで、ほんとうによかった』

強い魔力を持つ身体に入っているせいだろう。
強い魔力に幾重にも覆われた部屋と建物のせいだろう。
そして、電話の向こうにいる相手も強い魔力を持つ者だからだろう。
撫子の声は、海の向こうのもう一人の母親にも届いているのだ。

〔……どうか、小狼を……。あの子を、よろしくお願いいたします〕

チリリリ…と、微かに髪飾りが揺れる音。
深々と頭を下げる姿が見えるような気がした。

“メッセ−ジを録音しました”

無機質な機械音声が告げるのを聞きながら、小狼(桃矢)は撫子を見つめていた。
翠色に透き通る眸は、さくらにそっくりだ。
ひさしぶり、とか。変わってないね、とか。
言葉は一言も出なかった。

彼に向けられる撫子の微笑みは、ますます淡くぼやけていく。
電話が切れた所為かもしれないし、撫子自身の下界に留まれる限界が迫っているのかも
しれない。

『と−やくんも、ありがとう。ずっと、さくらちゃんのそばにいてくれて。
 おかあさんとの約束を、まもってくれて…』

ふわりとした微笑でそれだけを告げ、撫子の姿は跡形もなく消えた。



− 14 −

「小狼くんとお兄ちゃんを元に戻すだけなのに、ど−して知世ちゃんの作ったお洋服に
 着替えなきゃならないのかなぁ…?」

夕暮れ時の木之本家。
控え目に疑問を投げかけるさくらに、ビデオを手にした知世は歌うように言った。

「久々の、さくらちゃんの『封印解除(レリ−ズ)!!』ですもの!!
 やはり特別な時の衣装は、特別でなければ!!!
 とっておきの一品を選んでまいりましたわ〜〜♪♪」

「はうぅ〜〜」

肩を落とすさくらは、既に黒を基調に星と月の飾りを散りばめた衣装である。
コンセプトは“魔法の国のお姫様”だそうだ。
頭の上にはティアラととんがり帽子の中間のような飾りがきらめいている。
いつもながらの光景に、ケロと桃矢(小狼)と小狼(桃矢)はそれぞれに苦笑いを浮かべた。
雪兎だけがニコニコと。

「さくらちゃん、とっても似合ってるよ。
 知世ちゃんって、本当に洋服作るのが上手だね〜〜」

「……何でもいいから、早く済ませろ。
 もたもたしてると父さんが帰って来るからな」

小狼(桃矢)が突っけんどな声で言った。
魔法のことは全て話してあるが、息子と娘の彼氏が入れ替わった図など見せたくない。
ましてや、この姿で藤隆を『父さん』と呼びたくないのである。

「大道寺…。さくらはともかく、こっちにカメラを向けないでくれ」

一方の桃矢(小狼)も、知世に向かって文句を言う。
この場でもっとも楽しそうな彼女は、眸をキラキラと輝かせながら言った。

「まあ、何故ですの?
 ≪しっかりと固く熱い抱擁≫を交わす李君とお兄様。それを見守るさくらちゃん…。
 貴重すぎて撮り逃すワケにはまいりませんわ〜♪」

「「固いとか熱いとか、勝手に付けるなッ!!!」」

声を揃える二人に、ケロが言う。

「ほれほれ、頃合やで〜。
 タイミングを外すと、あと一晩そのまんまやで〜〜」

「「………ぐっ……。」」

二人は互いに自分の顔を見つめ、溜息を吐いた。

「……いくぞ」
「……おう」

じりじりと近づきながら、二人は睨み合う。
互いに腕を伸ばしはするものの、まるで柔道かレスリングの試合のように
一定の距離を置いたまま互いに攻めあぐねているようだ。

「小狼くん、お兄ちゃん…。」
「なかなか勝負がつかないみたいだね〜」
「長期戦でしょうか?それまでバッテリ−が持つと良いのですが」
「このままやと引き分け…、やのうてホンマに時間切れになってまうで〜」

たらたらと冷や汗を流しながら、二人は五月蠅い外野に向かって言った。

「……ゆき、後ろを向いてろ。ぬいぐるみもだ」
「大道寺も、頼む」
「「「ええ〜〜?」」」

一斉に不満そうな声が上がったが、星の杖を持ったさくらが両手を合わせる。
明日は月曜日で学校もあるし、もう一日このままだなんて大変すぎる。

「雪兎さん、ケロちゃん、知世ちゃん…。お願い」

しぶしぶと二人と一匹が背中を向けるのを確認し、目を合わせた。
次の瞬間、目を瞑って一気に距離を詰める。
どんと、硬いものにぶつかると同時に、両腕を伸ばして相手を抱き止めた。

「「よし!!」」

小狼(桃矢)は頭の上で、桃矢(小狼)は顎のすぐ下で、その声を聞いた。
さくらの呪文が響く。

「二人の魂の、その器を入れ替えよ!!≪替(チェンジ)≫!!!」


   * * *


「李君に月城君、いらっしゃい」

出張から帰って来た木之本藤隆は、リビングを覗いて見慣れた顔に微笑んだ。
ちなみに大道寺知世は、ついさっき迎えの車に乗って帰ったところだ。
きっと今夜は徹夜でビデオの編集をするのだろう。
李 小狼は気帳面に、月城 雪兎は藤隆に劣らずにこやかに、それぞれ挨拶をする。

「こんばんわ」
「おじゃましています」

さくらと桃矢も一日ぶりに帰って来た父親を笑顔で出迎えた。

「お帰りなさい、お父さん」
「父さん、お帰り。あり合わせだけど、もうじき夕メシ出来るから」

「ただいま、桃矢君、さくらさん。
 留守中、変わったことはありませんでしたか?」

藤隆の言葉に二人は顔を見合わせ、そして声を揃えて返事をした。

「いいや、何も」
「うん、何にも〜!!」

「そうですか。
 お土産に苺を沢山買ってきましたから、デザ−トに皆で頂きましょうね」

箱いっぱいの大粒の苺を見て、ケロがぐるぐると辺りを飛び回る。

「わ〜い、苺や苺や〜〜♪♪
 お父はん、わい苺ミルクがええな〜〜」

桃矢に箱を渡した藤隆は、最後に食卓に向かって言った。

「ただいま、撫子さん」

フォトフレ−ムの中の彼女は薄いヴェ−ルをまとった花嫁の姿で、幸せそうに微笑んでいる。
桜のブ−ケを持った写真は、藤隆と撫子の結婚式で撮られたものだった。



− 15 −

木之本家で三日続けて賑やかな夕食を食べた小狼は一人、マンションの自動ドアをくぐった。
管理人がエレベ−タ−の前に立ち、そのドアを開けて待っている。
まるで小狼が現れる前から、その気配を察知し待ち構えていたように。

「小狼様、お帰りなさいませ」

恭しく頭を下げる管理人が発したのは、日本語では無い。
それに答える小狼も、同じ広東語で応えた。

「ありがとう烟(イェン)。騒ぎの間、色々と助かった。
 …母上にも連絡を?」

「それが私の役目でございますから」

肯定の答えを返す烟(イェン)に、小狼は頷いた。

「わかっている。
 …ところで、誰が日本語以外はからっきしだって?」

管理人室に置かれたスポ−ツ新聞は、英語版の経済新聞を包んでいた。
李一族の者の多くは広東語と英語と日本語の三カ国の言葉を使いこなす。
意地の悪い質問に、李一族に連なる男はスラスラと答えた。

「まあ、その場の話の流れというものですな。
 …ところで、今日の午後に緋蝶(フェイティエ)の店へさくら様がお見えになられたそうです。
 ご友人の大道寺知世様と、そして小狼様もご一緒だったとか」

「…………。」

この場合の≪小狼様≫が、今ここで話している彼であってないことは明白だ。

「前もって皆にも連絡はしておりましたので、不都合はなかったかと思います。
 さくら様は、お茶もお菓子も大層お気に召したご様子だったとか。
 またのお越しをお待ちしていますとの緋蝶(フェイティエ)からの言伝です」

名も身元も変えてはいるが、このマンションに関わる者は全員が李一族の関係者だ。
住人はもちろん一階の喫茶店と雑貨屋の店主も、管理人も。

世界最強の魔力を持つカ−ドの主・木之本 桜。
同時に十四歳の少女でしかない彼女を保護する李一族。
上級道士・李 小狼は、李家より任じられて此処に居る。

カ−ドとその主を守ることは、小狼自身の意志であると同時に、李家の意志でもあった。


   * * *


一日ぶりの我が家…といっても、一人暮らしのマンションで小狼はほっと息をつく。
真っ直ぐに向かったのは自室のチェストだ。
軽く手をかざし、呪文を唱えると封印が解ける。

中に入っているのは護符や様々な魔法具、魔法薬、魔法書の類。
どれもが貴重であり、また危険な品々でもあった。
そして、他にも大事なものがしまってある。
二重に掛けた呪文を解いて、チェストの端の小さな戸を開けた。
中の棚にはピンク色のクマのぬいぐるみと手紙の束。
彼にとっては貴重で、そして他人に見られるには気恥ずかしい品々である。

呪文を掛け直すと、リビングに戻って留守中の電話やファックスを確認する。
昨夜の電話は三件。
従妹の苺鈴からの電話はさくらのことをひやかす内容だったので、広東語で話してくれていて
助かったと思う。
残りの二本は山崎から。さくら達から話は聞いたが、今日の試合の件でだろう。
話を合わすように注意しなくてはならない。

今日の電話は一件。
香港の李家からの電話であるにも関わらず、再生しても何も音声が聞こえない。
声に魔力を掛けてあったのだろう。
でも、何故そんなことを…?

首を傾げながら、お茶でも淹れようとキッチンに入った小狼は、冷蔵庫のドアに貼り付けられた
メモに気づいた。


   『一晩、世話になった。しっかり食えよクソガキ。
    追伸
    口に合うかわからんが、管理人のじ−さんと喫茶店の女主人にも分けてくれ。
    他にも世話になってる奴がいるなら、よろしく言ってくれ』


冷蔵庫を開けると、中は作り置きのおかずで一杯になっている。
野菜をタップリ使った煮物類が中心だ。
玄関には、綺麗に磨かれた茶色の革靴がきちんと揃えて置かれていた。



− 16 −

『と−やくんは、おにいちゃんだから。
 さくらちゃんがおっきくなるまで、さくらちゃんのそばにいて、まもってあげてね』

まだ十歳だった桃矢は、消毒薬の匂いのする病室で大きく頷いた。
ベッドの上の撫子は少し痩せて、ますます色が白くなっていたが、熱の所為か頬は薔薇色に
染まり、いつもと変わらずに綺麗だった。

『うん、母さん。さくらは、おれがずっとまもるから。
 ずっとずっと、母さんのぶんもおれがまもるから…。
 母さんは、空のきれいなところへ行ってもだいじょうぶだよ』

桃矢は答えた。
本心は、ずっと側に居て欲しかった。
けれど、言えなかった。
旅立ち損ねてこの世とあの世の狭間を彷徨う者達の姿を、彼はずっと感じ続けていた。
母さんに、あんな風になって欲しくはなかった。

だから、自分がしっかりしなくては。
母さんが居なくなったら、淋しくてたくさん泣くだろうさくらと
母さんと約束したから泣かないだろうけれど、辛くて大変な父さんと
どっちも、自分が守らなくてはならないのだ。
母さんが安心して向こうの世界へ行けるように。

口をへの字に結んだ桃矢の頭を白い指で撫でながら、撫子は言った。

『ずっと、じゃなくてもいいの。
 と−やくんが、と−やくんのいちばんすきなひとに会えるまででいいの。
 そうしたら、と−やくんはそのひとのことをいちばんに考えなくちゃ』

『でも、おれはさくらをまもるから。
 ほかのやつのことは、さくらのつぎに考えるからいいんだ』

撫子の翠の眸が、桃矢を映す。
不思議な微笑を浮かべて。

『だいじょうぶ。
 と−やくんが、と−やくんのいちばんすきなひとに会えたら
 すぐにさくらちゃんも、さくらちゃんのいちばんすきなひとに会えるから』


   * * *


「母さんの言うことは、いつも正しかったな」

桃矢は、ぽつりと呟いた。
それがほんの少し悔しくて、ほんの少し淋しい。
初恋の、月の巫女もそんな女性だった。

「撫子さんって、とても素敵な人だったんだね」

雪兎が微笑む。
課題のレポ−トを仕上げる為の泊り込みの筈が、いつの間にやら縁側での酒盛りとなっていた。
竹林の上には満月から僅かに欠けた月が浮かんでいる。

雪兎が桃矢の前に現れて、さくらの前に李小狼が現れるまで、たった数ヶ月。
それもまた、桃矢が小狼を気に入らない理由の一つだった。

「今の≪いちばん≫が誰かぐらい、ちゃんとわかってるから心配すんな」

「……?」

首を傾げる雪兎の、丸く見開かれた淡い色の眸を真っ直ぐに見つめる。

「今のは、お前の中のお前に言ったんだよ。…月(ユエ)」

そう言って、桃矢はグラスの酒を飲み干した。
空になったグラスを縁側に置くと、隣には白い翼を持った銀色の髪の守護者が居る。

「……まだ、あのガキの魔力(ちから)が残っていたみたいだな」

桃矢の声に、月の化身は無表情に答えた。

「ガキ、ではなく李 小狼だ」

「お前もあいつの味方かよ」

ぼやく桃矢に、月(ユエ)は言った。

「私は主だけの味方だ。
 ……だが、主の為に創られた筈の雪兎は、今はお前の為だけに存在している。
 それがわかっているのなら、もう下らないことで起こすな」

「ああ、悪かった」

桃矢の返事に、淡い紫色の眸が僅かに細められる。
そして、月の光の中に月は消えた。


   * * *


   『一日、入れ替わってみた感想はいかがです?』

   『……べつに。食べるのがめんどうだったくらいだ』

   『こっちは何も食べられなくて、つまらなかったぞ!!』

   『こんなことで、相手の何がわかるというのだ?』

   『そうだ!!一日入れ替わったって、コイツのことなんかわかるもんか!!』

   『ええ、もちろん。
    貴方達は、互いを理解することはできません。
    けっして相容れることもできません。
    そのように私が創ったのですから。
    けれど、貴方達が互いを見ようと見まいと、貴方でない存在がそこに居る。
    そのことを忘れずにいてくだされば良いのです』

   『ようするに、この陰気なだんまりを気にするなってことだろう?』

   『空気だと思えということか。……煩い空気だが』

   『それにしても、おしゃべりな月(ユエ)に無口なケルベロスというのは新鮮でしたね。
    退屈したら、また試してみましょうか?』

   『『クロウ〜〜!!』』

   『冗談ですよ。
    でも貴方達は≪対≫ですから。きっと長い付き合いになるでしょう。
    だから、お互いの存在を知ったなら、次はお互い上手に付き合う方法を考えてくださいね。
    仲良くするということだけが、付き合い方ではないのですから』


   * * *


その後の木之本家では、李 小狼が食卓に着く回数が増えた。
兄は妹の部屋のドアを叩き、受験勉強中の妹とその彼氏を面白くなさそうな顔で睨み
面白くなさそうに声を掛ける。

「お前もメシ食っていけ、クソガキ。一人増えても、手間は同じだからな」

その度に、木之本家の妹は頬を膨らませて怒り続けた。

「ガキじゃないもん、ちゃんと李 小狼くんって名前があるのに−!!」

「かわったようで、な〜んもかわっとらんなァ」

「あははは、そうだね」

ふよふよと小さな羽根を動かしながら、封印の獣は呟き
月を眠らせた青年は、にこにこと笑う。

食卓の上のフォトフレ−ムの中では、翠の眸がいつもふんわりと微笑んでいた。



                                   − 終 −


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「カ−ドキャプタ−さくら」では久々の長編(頁数的に:汗)となりました。
前編を読んで期待されたのとは違う方向の話だったかもしれません。
元々、桃矢兄ちゃんと小狼君が入れ替わったら、桃矢兄ちゃんはもう一度(小狼君の魔力の
影響で)、小狼君は初めて(血の繋がりで)、撫子さんに会えるのではないかな?
と思ったのが、この話を考えたきっかけでした。
桃矢兄ちゃんの「脱・シスコン」については、そう簡単に認める素振りは見せたらんけれど
でも…、みたいな感じです。

本編で説明不足となりましたので、蛇足的補足。
≪替(チェンジ)≫が作られた目的は
「自分と相手は全く違う。けれど、全く違う存在が自分と同じように存在している」
ことを実感として知るためじゃないかなと。(汗)
「一人だから、二人になれる」
という理屈ですね。
≪対≫として創ったケロちゃんとユエさんが、仲良しになれそうもない気質を持っているあたり
クロウさんの性格が伺えます。(笑)