願わくば、花の下に



春休み最後の一日。
今日も私は合唱部で練習に励んでおりました。
さくらちゃんもチアリ−ディング部で頑張っておられます。

帰りは待ち合わせて、途中までご一緒します。
一日の中で一番楽しみな、さくらちゃんの撮影タイムですわ〜♪

友枝町は、今が桜の満開です。
きっと、明日の始業式までが見頃でしょう。

そこかしこにピンク色の霞がかかった光景は、申し分のないものです。
普段にも増して可愛らしい、さくらちゃんのバックには♪

けれど、レンズ越しに見るさくらちゃんのお顔がほんの少し、いつもと違うのです。
桜の花を眺めて、遠い目をなさって。
時折、小さな溜息を吐かれます。


「さくらちゃん、どうかなさいましたか?」


お尋ねすると、慌てたように笑っておっしゃいます。


「ほえっ?な、なんでもないよ、知世ちゃん。
 桜、すごくキレイだね〜!!」



その言葉に、私は黙って頷きました。
ただ、さくらちゃんの横顔を見つめて、こう思ったのです。

桜の花よりキレイなのは、さくらちゃんですわ。
憂いを帯びた表情すらも、うっとりする程に。
けれど、桜は雨の中で露を含むより、青空に咲き誇るのが似合う花。
そう思うのは、私だけではない筈です。
一体、何がさくらちゃんのお心を哀しくさせているのでしょう…?

そんな私の気持ちが届いたのでしょうか。
友枝公園の橋の上で足を止めたさくらちゃんは、水面を流れる花びらを見つめて
おっしゃったのです。


「わたし、桜の花が大好きだよ。
 お母さんがつけてくれた、わたしの名前。
 女の子が生まれたら“桜”って名前をつけるって。
 お父さんに出会う前から、ずうっと決めていたんだって」



そのお話なら、聞いたことがあります。
さくらちゃんのお母様のことを話す時の母は、いつも夢を見ているようでした。
きっと、今の私も母と同じ表情をしているのでしょう。


「素敵ですわ…。
 さくらちゃんにピッタリのお名前ですもの」



さくらちゃんがニコッと笑ってくださいます。
本当に、桜の花がほころぶように。

さくらちゃんが他のお名前であることなど、考えられません。
もちろん、違うお名前であったとしても、さくらちゃんの素敵さには何の変わりもないでしょう。
けれど、さくらちゃんの優しさやふんわりさ、可愛らしさを。
それでいて凛と強いお心を表せるお名前が、この世に他にあるでしょうか…!?

……つい、力が入ってしまいましたわ。

私がそんなことを考えている間にも、さくらちゃんは薄紅色の靄を眸に映して
小さく溜息を吐きました。


「お母さんが、好きだった花…。
 だから、わたしも桜の花が大好き。
 ……大好き、だったのに…。
 今年はね、おかしいの。
 去年までは桜が咲いたら、楽しくてうれしくて、ただそれだけだったのに。
 今は、桜の花を見ているとね、なんだか…。

   なつかしいような
   くるしいような
   こわいような

 そんな気持ちになるの…。
 わたし、おかしいのかな?」



そう呟かれたさくらちゃんは、今まで見たことのないお表情(かお)をなさっていました。
ああ、どうして私は記念すべきこの瞬間に、カメラを構えていなかったのでしょう…!?
心底残念に思いながら、私はお尋ねしました。


「さくらちゃん。
 そのお気持ちのこと、どなたかにお話しされましたか?」



さくらちゃんは首を横に振ります。


「お父さんには言えないよ…。きっと、心配かけちゃう。
 お兄ちゃんに言ったら、からかわれちゃうし。
 ケロちゃんには…、多分、言ってもわかんないと思うし…。」



確かに、ケロちゃんにこの手のお話は難しいと思いますわ。
お父様とお兄様にお話しできないのも、わかる気がしました。
きっと、次の質問へのお答えで、それがハッキリするでしょう。


「李君には…?」


とたん、さくらちゃんのお顔が真っ赤に染まります。
本当に茹でたてのタコさんか完熟トマトのようですわ。
そんなさくらちゃんも、やっぱり超絶に可愛らしいのですけれど♪


「絶対、言えないよ…!!(////)
 どうしてか、わかんないけど…。知世ちゃんだから言うんだよ」



まあ、さくらちゃん。なんて嬉しいことを…!!
もちろん、わかっています。
私がご家族やケロちゃんや李君より、信頼されているという意味ではないと。
ただ、私が同じ女の子で、好きな方がいることをご存知だからだと…。
それこそが、さくらちゃんのお気持ちの答えだと思うのですけれど。

カメラをカバンに収め、私もレンズ越しにではなく、桜を見上げます。
一面の、薄紅色。
はらはらと散り始める花びら。
その光景を心に焼き付け目を閉じます。


「人が桜を見る時の気持ちは、恋に似ているといいますわ…」


えっ、と。
さくらちゃんが息を飲む気配が伝わってきます。
でも、私は瞼の裏に思い浮かべるのです。
世界で一番、大好きな方のことを。


「去年咲いた桜を今年も見るように、想う人にまた会える切ない懐かしさ。
 その美しさを言い表せないように、想う心を伝え切れないもどかしい苦しさ。
 儚く散っていく花びらのように、自分や相手の心が移ろってしまいそうな不安。
 まるで桜に魅入られるように、自分以外の誰かに心を占められてしまう怖れ…。」



目を開ければ、そこには丸く見開かれた翠の眸があります。
どこかホッとしたようなお声で、さくらちゃんはおっしゃいました。


「知世ちゃんも、桜を見るとそんな気持ちになるの…?」

「はい」


……なりますわ。
春でなくとも。花の下でなくとも。
さくらちゃんを見つめていれば…。

李君は香港の方ですけれど、きっとこの気持ちがおわかりになるでしょう。
私と同じように、“桜”に恋をしているのですから。


「ありがとう、知世ちゃん!!」


そう言って、さくらちゃんは笑ってくださいました。
去年とも、昨日とも、ほんの数分前とも違う笑顔で。

絶好の場面を撮り逃した私が、内心でどれほどの悔し涙を流したことか…!!


……さて。
今日を振り返るのはこのぐらいにして、明日に備えて今夜は早く休みましょう。
李君は今頃、飛行機の中でしょうか。

明日、李君が友枝中学校に編入することを黙っているのは、とても心苦しかったですわ。
でも、真面目な李君がこんなイタズラを思いつくなんて、よほど浮かれている証拠でしょう。
驚かせたいというお気持ちも、わかりますもの。

ああ、明日が楽しみですわ〜♪
降りしきる花びらの下、さくらちゃんと李君の感動の再会をカメラに収められるのですから。

撮影場所の下準備もバッチリです。
なにしろ、さくらちゃんの待ち伏せ場所として桜並木をお薦めしたのは私ですもの♪


おやすみなさい、さくらちゃん。
世界で一番、大好きな方。



  願わくば、花の下に

  明日は満開の笑顔が咲きますように




                                   − 終 −


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桜満開のお話ですが、結局GW更新となりました。(汗)
コミックス版最終回の前日、のようなイメ−ジです。
あの再会場面は当然、知世様の演出・撮影が込みであったと信じて疑わない
間違った知世ちゃん像の持ち主である管理人です。

当初はさくらちゃん視点で書いていましたが、最近このパタ−ンが続いていたので
知世ちゃん視点にしてみたら……大暴走。(汗)これでもかなり省略しました。
ちなみに作中の語りは、いわゆる『さくらちゃん日記』だと思われます。

文中の『人が桜を見る時の気持ちは、恋に似ている』という感覚は、日本人限定だと
思いますが小狼君には通じそうです。
狂おしさ…を感じるには、もう少し大人になってもらう必要がありますが。(笑)
なお、このフレ−ズは『ボクを包む月の光/日渡早紀』5巻を参考にしております。