牡丹と桜 「あ、そうだ!」 通学路の彩りも、ソメイヨシノから八重桜へと主役を交代し始めた頃。 隣を歩く少女の声に、少年は首を傾けた。 キラキラした眸が、まだ新しいブレザ−を映す。 「わたし、小狼くんに聞いときたいことが、あったの!!」 問いかける声さえ、弾むようだ。 数日前、再度の“留学”と称して、友枝町に…さくらの側に戻って来た小狼。 以来、二人は毎朝いっしょに登校していた。 同じ中学ではあるが、クラスは違ってしまった二人には、貴重な時間だ。 「なんだ?」 あれこれ話しかけては、ゆっくり歩こうとするさくらに、小狼も歩調を合わせている。 通り過ぎる車や自転車に気を配りながら、話の続きを促した。 「えっとね…。あ、カバンの中に」 言い終えるより早く、片手に2つ持っていた通学鞄の1つを渡す。 マスコットを幾つもぶら下げた中から、さくらはカラフルな手帳を取り出した。 それを見届けると、再び鞄の持ち手をつかむ。 「小狼くん、ありがとう!!」 はにかむように笑って、お礼を言うさくら。 英国式の古風な紳士教育を叩き込まれた彼には、女性の荷物を持つのは 当たり前だ。 姉達などは、当然の様にブランドのロゴの入った紙袋を突き出してくる。 けれど、さくらは小狼が鞄を手に取る度に、『ありがとう』を繰り返すのだ。 鳶色の眸を細める小狼の前で、さくらはパラパラと手帳を繰っている。 捜していたペ−ジは、すぐに見つかったようだ。 小さなペンを右手に持つと、笑みを浮かべたまま、言った。 「小狼くん、お誕生日は7月13日だよね!!」 「そう…、だけど」 唐突な質問に、小狼は頷きつつも首を傾げた。 何を今さら。 去年、香港に電話をくれたし、プレゼントも手作りしてくれたではないか。 疑問を口にする前に、次の問いを投げかけてくる。 「血液型は、O型で」 「……ああ」 それも、確かに合ってはいる。だが、小狼の困惑は深まるばかりだ。 記憶力は良い方…ことに、さくらに関しては…だが、教えた覚えがない。 眉を寄せた小狼には気づかず、手帳を見つめるさくらは次の質問に移った。 「好きな科目は、体育と算数。 嫌いな科目は、国語。…変わってない?」 「変わっては、いないけど…。」 是か非かをハッキリさせる彼にはめずらしい、歯切れの悪い返事。 さくらが手帳から顔を上げると、真剣に考え込む表情にぶつかった。 「今は“算数”じゃなくて、“数学”っていうよな?」 「あ、そっかぁ…。 わたしたち、今は中学生だもんね!!」 小狼の訂正に、さくらは大きく頷いた。 そして、手帳に何やら書き込みを始める。 “算数”に二重線を引き、隣に“数学”と書き直しているらしい。 それを終えると、また声を張り上げようとする。 「それから、小狼くんの好きな…」 「ちょっと、待て。 さっきから、一体何の確認なんだ?」 どこまで続くかわからない質問攻めに、堪らず小狼は口を挟む。 さくらは眸をキラキラさせたまま、にっこり笑った。 「だから、小狼くんのいろいろ!!」 「はぁ?」 少年らしく引き結ばれた口元から、やや間の抜けた声が漏れた。 * * * さくらの話をまとめると、こうだ。 遡ること、小学校6年生の夏休み。 互いの≪いちばん≫を確かめ合ったものの、小狼は香港に帰国し、二人は 遠く離れてしまった。 そんな彼等を見守っていた苺鈴が、ある日、大道寺知世を通して、さくらに 情報提供をしたのだという。 曰く、 『秘蔵!李小狼全デ−タ!!』 そういえば、と。さくらの話を聞きながら、小狼は思った。 最初に日本に来る、数年前。苺鈴に、あれこれ質問攻めにされた記憶がある。 『小狼、好きな色は?好きな食べ物は?嫌いな食べ物は?好きな…』 訊かれた以上、隠すことでもないし全て真面目に考え、答えた筈だ。 ……といっても、5〜6年は昔の話である。 「なるほどな…。」 どおりで、“好きな科目”が小学生仕様だった筈だ。 他にも古くなった情報があるかもしれないし、好みも変わっているかもしれない。 さくらが確認したいと思うのも、頷ける。 口に出した呟きと表情で、小狼の了解を感じ取ったらしい。 さくらは再び手帳に視線を落とし、質問を始めた。 「じゃあ、続きね。小狼くん、好きな色は緑?」 「そうだな」 答えながら、小狼は思った。 魔除けの色でもある碧玉石の濃く、深い緑。 かつての自分が考えたのは、その緑だったと思う。 けれど今、目に浮かぶのは、もっと明るい色だ。 やわらかな、春の若葉の色。 「好きな食べ物は、点心とチョコレ−ト。 ……これも、変わってない?」 少し心配そうに見上げてくる、翠の眸。 小狼は迷わず頷く。 「ああ」 「よかったあ!!あのね、今日のお弁当、おかずは春巻きとシュウマイなの。 それとね、昨日、チョコクッキ−焼いたの。 だから…、えと。小狼くん、もし今日、他にご用がなかったら…」 もじもじと、口籠るさくら。 実を言えば、成長期の真っ只中にある小狼は、細々として手の込んだ点心より もっと食べ応えのある料理を好むようになっていた。 けれど、毎朝早起きをして2人分の弁当を作って来るさくらに、言う必要はない。 最近では、チョコレ−トなどの甘い物を食べたいと思わなくなっていることもだ。 別に、嫌いになったわけではないのだから。 「ありがとう」 ぎこちないながらも、微笑を浮かべて礼を言う。 それだけで、言いたいことは伝わったのだろう。 ぼっと染め上がった少女を見れば、“女性最優先(レディ−ファ−スト)”を 叩き込んでくれた姉達に感謝すら覚える。 とろけそうな笑顔だったさくらは、しかし次の質問で、顔を曇らせた。 「嫌いな食べ物は…、特になし、だよね? いいなぁ…。わたし、コンニャクだけはダメなの。 なのに、いっつもお兄ちゃん、おでんとか筑前煮とかで、わたしのお皿に い〜っぱいコンニャクよそってくるんだもん…。」 つい最近の記憶なのか、げんなりした顔をするさくら。 その耳に、低い呟きが届いた。 「あ…、おれも」 「ほえ?」 顔を上げると、小狼は何やら考え込んでいる。 さくらが目を丸くしていると、やがて難しい顔で言った。 「“コンニャク”って、白かったり黒かったりする、ぶよぶよしたゴムみたいな ヤツだろう?おれも、アレは駄目だな…。 香港では食べたことなかったけれど」 好き嫌いなどなかった筈の彼が、異国で出会った異様な食品。 その記憶に辿り付いた小狼は、露骨に顔を歪めた。 心底嫌そうな表情に、さくらは思わず小狼に詰め寄る。 「ホントに!?ホントに小狼くんも、コンニャク嫌いなの!?」 「ああ。食感というか、歯応えが…。 日本食は嫌いじゃないが、アレだけは、ちょっとな。 だいたい、味も栄養も無いんだろう?何で、わざわざ食べるんだ?」 小狼の素朴なコメントに、さくらは顔を輝かせた。 思わぬ同志の発見に、自分より一回り大きな手をがっしと握る。 不意打ちで顔まで近づけられて、小狼はかあっと赤くなった。 「そうそう!そうだよねッ!! わたしも、ずうっと前から、そう思ってたの!! コンニャクなんて、味も栄養もないのに、何で食べるのって!!」 その時、風の囁きのような音が、二人の耳を掠めた。 くすくす くすくすくす… なにあれ ちょ−可愛い〜♪ 遅ればせながら、気づく。 ここは、ご町内の真っただ中。 通勤途中のサラリ−マンとかOLとか、学校に向かう小中高校生が行き交う 往来であることを。 慌てて手を離し、互いに一歩引く。 真っ赤になって俯くと、アスファルトを彩る薄紅の花びらと、黒い皮靴の先。 「……続きは、今日の放課後、さくらの家で聞くから」 「あ…。でもでも、あと1つだけだから…」 顔を上げると、手帳で顔半分を隠したさくらの顔。 上目づかいで、『だめ?』と問うている。 ひらひらと舞う花びらと、同じ色の頬で。 「……で?」 溜息混じりに促すと、最後の確認。 「小狼くん、好きなお花は牡丹?」 百花の王。富貴花。 高貴、壮麗、王者の風格。 それらを体現するに相応しい、大輪の艶(あで)やかさ。 代々の李家当主が、亡くなった父が、母が、愛した花。 だから、答えたのだろう。かつての自分は。 「今は…、違う」 「違うの?」 花びらが、舞う。 人通りが途切れたことを確かめて、そっと耳元で告げた。 一番、好きな花の名を。 明るく、やわらかな翠が大きく見開かれて 満開の花のように、笑った。 − 終 − ≪TextTop≫ ≪Top≫ *************************************** (2010.5.2 本文を一部修正しました。) 小狼君のプロフィ−ルは、コミックス2巻参照です。 牡丹の花言葉には、“富貴・高貴・壮麗・王者の風格”等の他に、 “誠実”や“恥じらい”もあるそうです。 小狼君って有言も不言も実行あるのみで、おまけに赤面症でしたね。(笑) 名家の御曹司でもありますし、牡丹はピッタリです。 染井吉野の“精神美(心の美しさ)”も、さくらちゃんにピッタリですが、 山桜の“あなたに微笑む”は、彼女そのもの。 ちなみに、八重桜の別名は“牡丹桜” 花言葉は“豊かな教養”とか“理知に富んだ教育”とか。 さすがは学校の植樹の定番。 (花言葉は、参考資料や種類・色によって異なります) 最後に、ふと思いついたオマケです。 下らない上に色々と台無しになる内容なので、反転にて。 − オマケ − その日の昼休み。 山崎「ねぇねぇ。 木之本さんが李君にプロポ−ズしたって、ホントなのかなぁ〜?」 さくら「ほ…、ほええぇ〜ッ!?(////)」 小狼「はぁッ!?なんだソレ!!」 山崎「あれぇ〜、違うの? 今朝、李君が木之本さんに手を握られて、真っ赤になってて、 『コンヤク』がどうのとか言ってたって。学校中の噂だよ〜?」 千春「あ、その話はめずらしく、ウソじゃないから」 奈緒子「うんうん。私も聞いたよ〜?」 利佳「私も…。」 小狼「…………。(汗)」 さくら「…………。(///////)」 知世「心配ご無用ですわ、お二人とも!! 『実は李君もさくらちゃんと同じでコンニャクが嫌い』 という発見に感激したさくらちゃんが、つい…という ガッカリな真相は、既に複数のル−トで流してあります。 放課後までに、根も葉もない噂は沈静化することでしょう!!」 小狼「…ていうか、何故それを知っている大道寺…?(汗)」 さくら「わたし、まだ今朝のこと話してないよね?知世ちゃん…。(汗)」 知世「………おほほ、おほほほ、おほほほほ〜〜♪」 |