再演版・悲しい恋 |
− 7 − 劇中・その3 舞台上、さくらに抱きつかれた小狼は、真っ赤になって固まったままである。 これ以上間が空いては、劇が成り立たなくなってしまう。 その時。 「姫様、たいへんでございます!!」 苺鈴を先頭に、侍女役の四人が舞台に現れた。 もちろん台本には、こんな場面はない。本気で驚いた二人は、慌てて離れた。 「ああ姫様、一大事です!すぐに宮殿にお戻りを…」 と、ハートの侍女・千春。 「あら、そちらの方は…?」 と、小狼を見たダイヤの侍女・利佳がハッとして声を上げる。 「貴方はもしや、隣の国の王子では!?」 台本にはない展開に、本気でたじろく小狼こと王子。 が、彼は観客に背を向けたクラブの侍女・苺鈴が自分に向かって手振りと目配せで 舞台の一方の袖を見ろと示しているのに気がついた。 そちらを見ると、山崎君が大きな白い紙を持って立っている。 紙には彼が次に言うべきセリフと動作が書いてあった。 助かったとばかりに小狼は、息せき切ってそれを読み上げた。 「姫、また必ずお目にかかります!」 そして彼は…紙には≪セットの陰に引っ込む≫と書いてあったので…数歩の助走をつけて 軽々とジャンプし、庭園の植え込みのセットの向こうに姿を消した。 ちなみに、この植え込みのセットは彼の現在の身長より、10cmほど高い。 客席から上がる歓声。 一方のさくらは、観客の目が小狼に向いていたその隙に、奈緒子ちゃんからセリフを 書きつけたメモを渡されていた。 「だれか、だれか――!!」 人を呼ぼうとする侍女達を、姫はうつむき(手の中のメモを読みながら)震える声で制する。 「…待って…、待ちなさい。誰も呼んではなりません」 青ざめて動揺を隠せない姫の様子に、侍女達は顔を見合わせる。 ややあって。 「わかりました。私どもは、ここで姫様以外の誰にもお会いしませんでした。 それで、よろしいですね?」 クラブの侍女・苺鈴のセリフに姫はかろうじて答えた。 「…ええ…。ありがとう」 「それよりも、一大事です。国王が…お父君が、お倒れになりました!!」 スペードの侍女・奈緒子のセリフと同時に、舞台が暗転した。 (暗転=演劇で、幕を降ろさず、舞台を暗くした中で次の場面にかえること:広辞苑参照) |
− 8 − 舞台裏・その3 暗転と同時に、全員が舞台裏に引き上げた。 「まったく、どうなることかと思ったわ」 と、苺鈴。 「でも、やっぱり苺鈴ちゃんが出演して下さって良かったですわ」 と、ビデオでさくらを追いながら、知世が囁く。 「こういう時のために、お芝居に出ようとなさったんですから」 * * * 急遽、増やされた四人目の侍女。 手早く王子の衣装を直した後、利佳ちゃんの手を借りながら衣装を作る知世に、苺鈴は そっと言った。 『ごめんね、大道寺さん』 『いいえ、すぐに出来ますわ。 もう少し時間があれば、もっと苺鈴ちゃんにお似合いになるコスチュームをお作りできました のに、それが残念ですけれど…』 『そんなことないわ。十分よ』 『…苺鈴ちゃん。李君が心配で、お出になるのでしょう…?』 そっと尋ねた知世に、苺鈴は張り上げかけた声をひそめて答えた。 『だ、だって!…あの小狼が、ぶっつけ本番で≪王子様≫なのよ? いざとなったら、私が出ていってフォローしてあげなくちゃ。 まったく、しっかりしているようでヌケてるし、とろいし。 木之本さんは木之本さんで、≪ぽややん≫だし…』 知世はただ、静かに微笑むだけだった。 * * * 苺鈴の心配は、再演日の今日、現実のものとなってしまったわけだ。 あの場を何とかするため、自分達侍女役が舞台に出ていくことを提案したのは苺鈴で、 奈緒子ちゃんはとりあえず場面を終らせられるよう、セリフを考えて割り振ったのだ。 一方、さくらは自分のしでかしたミスにパニック状態である。 「ごめんね、ごめんね、奈緒子ちゃん。 わたしのせいで劇、めちゃくちゃになっちゃう……」 「いや、おれがちゃんとフォロー出来なかったから…。さくらだけのせいじゃない」 半泣きのさくらを庇いつつ、慰める小狼。 しかし。 「ちょっと、二人とも黙ってて! …(ぶつぶつ)…あそこはああして、次はこうなって、そしてこう…。 よ〜し、次の幕、臣下A・B・Cこっちに来て、セリフ変更だよ〜! あ、エリオル君、ちょっとお願いがあるんだけど…。 (ごしょごしょごしょ)…じゃあ、よろしくね〜〜。 それから、さくらちゃんと李君、セリフの変更、いっぱいあるけど書いてる時間ないから 一度で覚えてね。自信なかったら、手のひらに書いといて〜!」 「な、奈緒子ちゃん…?」 「…柳沢…?」 今まで見たこともないくらい、生き生きとした奈緒子ちゃんに圧倒されるさくらと小狼。 彼女は本好きで怪談好きであること以外には、おっとりとして目立たない女の子に 思われていたのだが、今やすっかりこの場を仕切っている。 「ひらめいた〜ひらめいたよ〜〜。この劇、いけるよ〜〜!!」 その背後には、ごおごおと炎のオーラが見えるようである。 「奈緒子ちゃん、燃えてるわね」 「そうだね」 妙にのんきな利佳ちゃんと千春ちゃん。 「柳沢さんに、あんな一面があったなんて…。大道寺さん並だわ」 それは誉め言葉なのか、苺鈴? 「ま、人は見かけによらんちゅうこっちゃな」 当たり前すぎるが的確なセリフだ、ケロ。 「おほほほほほ〜〜♪素晴らしい舞台になりそうですわ〜〜♪♪」 大道寺知世は、いかなる時もマイペースなのであった。 − つづく − − もどる − ≪TextTop≫ ≪Top≫ |
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