さくらと知世とはちみつミルク


**このテキストは、「イラスト集2」の巻末書き下ろしコミックスから少し後という設定です。**


− 1 −

「大道寺は休みだそうだ。今朝、お母さんから電話があった。
 風邪が流行(はや)っているようだから皆、外から帰ったらちゃんと手をあらって、うがいするようにな」

は―い! 

という生徒たちの元気な声にうなずいて、朝のHRを終えた寺田先生は教室を出た。
さくらが心配そうに隣の席に目を向ける。

「めずらしいな。大道寺が休むなんて」

後ろの席から声をかける小狼への返事にも、いつもの元気がない。

「うん…。知世ちゃん、コンクールとかでお休みしたことはあるけれど、病気でお休みなんて
 なかったから…」

その日の午前中、さくらは幾度となく空いたままの隣の席へ視線を向けていた。
その淋しそうな横顔を、小狼は教科書ごしにじっと見つめていた。


   * * *


昼休み。
お天気もいいので、芝生の上で女の子達は並んでお弁当を食べていた。

「知世ちゃん、心配だね」
 
そう言ったのは、千春。

「うん、それでね。わたし、放課後お見舞いに行こうかって思って…。
 みんなも行かない?」

さくらの誘いに、

「ごめんなさい、私今日、ピアノのお稽古の日だわ」

と利佳。

「わたしも−。ごめんね−、さくらちゃん」

と奈緒子。

「私も、水泳教室だ〜」

と千春。
相変わらず忙しい、イマドキの小学生達である。

「そっか…。じゃあ、わたし一人でいってくるね」

「ほんとにごめんね、さくらちゃん。
 あ、そうだわ。もし、よかったら…」

利佳が、傍らの小さなバックに手を伸ばした。


女の子達のやりとりを、何とはなしに木の上から眺めていた小狼は、小さく呟いた。

「見舞い…か」

そして、その全てを教室の窓から見下ろしているエリオル。
何を考えているのか、いつもと同じ微笑を浮かべた表情からは、窺い知ることは出来なかった。


   * * *


放課後。
帰り支度をするさくらに、小狼はためらいつつも声をかける。

「今日、大道寺の家に行くのか…?」

「うん!あ、そうだ。小狼くんも一緒に行かない?」

にっこりと笑って言うさくらに、小狼は顔を赤らめ、言葉を詰まらせながら答える。

「い、いや…おれは…、その、き、今日は用事があるから。
 それより、見舞いにいくんなら…」

「…ほえ…?」

そのやりとりを背に、ゆっくりと教室を後にするエリオル。
廊下に出た彼は、そっと呟いた。

「さくらさんの周りにいるのは、ほんとうに優しいひと達ばかりですね」

浮かべた微笑もまた、ほんとうに優しいものだった。


− 2 −

「ただいま―っ!」

バターンと勢いよくドアをあけ、息せき切って帰ってきたさくら。
例によって雪兎とともにエプロン姿でキッチンに居た桃矢が、

「…怪獣…」

と、呟く。

「ただいま、お兄ちゃん。あ、こんにちは。雪兎さん」

「こんにちは、さくらちゃん。今日も元気だね」

雪兎の挨拶に嬉しそうな笑顔を返し、さくらはカバンを下ろして帽子を置くと自分のエプロンを取り出した。

「なんだ?帰る早々。今日の夕飯当番は、お前じゃねぇぞ」

壁のボードを示す桃矢をよそに、さくらは踏み台を持ち出して、何やら捜しながら言った。

「お見舞いに行くの!」

「見舞いって…また、あのガキが風邪ひいたのか?」

こめかみに、≪怒≫マークを付けて問う桃矢に、さくらは答える。

「ううん。今日はね、知世ちゃんのお見舞いなの!」

「…そうか。知世ちゃんか」

コロッと表情を和らげる桃矢。
その様子に、雪兎はクスッと笑いをもらした。

「うん。それでね、知世ちゃんのお見舞い、小狼くんが考えてくれたの!!」

台所の上の棚から目当てのものを取り出したさくらが、ニッコリとこぼれるような笑顔をみせる。

ビキビキビキッ

瞬時にして倍増した≪怒≫マークにまみれた桃矢に、ついに雪兎が吹き出してしまう。

「…ゆき、何が可笑しいんだ?」

「べつに…。(クククッ)大変だね、おにいちゃん」

「うるせ−」

「ほえ??」

きょとんとして、二人のやりとりを見ているさくらの手にあるのは、ステンレス製の小さな保温ポットだった。


   * * *


小一時間後。
大道寺邸にて、私服に着替えたさくらは知世の母、大道寺園美の大歓迎を受けていた。

「まあ、さくらちゃん!わざわざ来てくれたのね!!
 知世が風邪をひくなんて、めったにないから会社を休んだんだけど、やっぱり休んでよかったわ〜!!!」

そのパワーに、たじろぎ気味のさくら。
園美はさくらの母・撫子のいとこであり、同い年の彼女達は今のさくらと知世のように≪とってもなかよし≫
だったそうだ。

「今、お茶を入れるわね。おいしいお菓子もあるのよ〜」

いそいそと支度をしに、園美は部屋を出ていった。
ベッドの上に座っている知世は、白いネグリジェにガウンを羽織り、まるで外国のお人形さんのようだ。
熱のせいで、少し顔が赤いのに気づき、さくらが心配そうに話しかける。

「知世ちゃん、だいじょうぶ?急に来ちゃってごめんね」

「少し熱があるだけですの。
 さくらちゃんがお見舞いに来て下さるなんて、ほんとうに嬉しいですわ」

「うん。あのね、他のみんなはね、今日はお稽古とかあって、来れなかったんだけど…。
 でもね」

さくらは手に持っていた紙袋から、ひとつひとつを取り出して説明した。

利佳からは、今日、昼休みに皆で食べようと学校に持ってきていた、手作りのお菓子。
奈緒子からは、読み終わったばかりの『すっごく面白かったよ』という本。
千春からは、今日の日直だった彼女が家の庭から持ってきていた花を幾つか抜いて作った小さな花束。
髪につけていたリボンで、綺麗に飾られている。
花束には、画用紙を切って作ったカードが添えられていた。

『風邪っていうのはね、風邪の妖精が魔法の粉といっしょにばらまいているウィルスが原因なんだよ。
 だから風邪は、心の綺麗な人しかかからないんだって。
 木之本さんと李君に続いて、大道寺さんも風邪をひきました。
 きっとクラスの全員が風邪をひくことになるでしょう。』

もちろん、クラス委員の山崎君の手作りである。
千春は一度それを取り上げて、赤いペンで

『ウソだからね!』

と書き添えようとしたのだが、目を通した後、そのままさくらに渡したのだ。
手渡されたそのひとつひとつに、知世は嬉しそうに微笑んだ。

「でね、これ。わたしからのお見舞い…」

さくらは紙袋から小さなポットと、お菓子などを載せるレースペーパーで包んていたマグカップを取り出した。
ポットの中身をカップに注ぐと、部屋にほのかな甘い香りがひろがる。
さくらからカップを受け取り、知世はそれをひとくち飲んだ。

「おいしいですわ」

「よかった!あのね、小狼くんが教えてくれたの。
 前にね、これのおかげで風邪がすぐに治ったから、
 『大道寺にも飲ませてやれ』って。
 それでね、小狼くん、今日はご用があって一緒に来れなかったけど、
 『早く、元気になれよ』
 って、つたえてくれって」

知世には、わかった。小狼は今日、用など何もなかったのだ。
ただ、さくらを知世の元へ来させることが。
自分を交えず二人だけの時間を作れるようにすることが、彼の知世への≪お見舞い≫なのだ。
そして、それが知世にとって一番嬉しいのだということを、小狼はよくわかっているのだ…。

「…やはり私の目に、狂いはありませんでしたわ…」

「ほえ?なにか言った?知世ちゃん」

思わずもれたつぶやきに首をかしげるさくらに、知世はただ、優しく微笑む。

「いいえ、何でもありませんわ」

そして知世はもうひとくち、はちみつミルクを飲んだ。


   * * *


「おまたせ、さくらちゃん。…あら、この香り…?」

ティーセットとお菓子を乗せたワゴンを転がしてきた園美は、部屋の中の甘い香りに気がついた。

「あ、あのっ、すみません、これ…」

さくらは、はっと気がついて、慌てて謝る。
小狼の家とは違い、おそろしく大きい大道寺家のキッチンに入るのは気が引けたため、ポットとカップを
持参してきたのだが、よく考えてみれば、これはこれで大変失礼なことではないだろうか?

しかし園美は、気を悪くしたのではなかった。

「はちみつミルクね!…なつかしいわ…。
 雨宮の家で、よく飲んだ…」

「えっ、そうだったんですか?」

「ええ、そう。小さな頃、風邪をひいたときには必ずね。
 雨宮の家では、ずっと昔からそうだったのよ。
 おじい様も子供の頃、飲んだのだと言っていたわ…」

「ひいおじいさんも…!」

まだ会ったことのない、ひいおじいさん。
こんなところに確かな繋がりを感じ、さくらは顔を輝かせた。
その笑顔を見つめ、園美は決心を新たにする。

『近いうちにかならず、おじいさまとさくらちゃんを会わせるわ。
 こんどは、ちゃんと曽祖父とひ孫として…』

でも、今はまだ。

「私はあまり風邪をひかなかったし、雨宮の家を出て長いから、すっかり忘れていたわ…。
 ありがとう、さくらちゃん」


− 3 −

楽しいお茶の後、さくらはボディガードのお姉さん達に車で送られていった。
少し疲れたのか、眠っている知世の枕元に付き添っている園美。
今は穏やかな、母親の顔をしている。
すると、小さなノックの音が。

「はい?あら…!
 今は、ニューヨークの筈じゃ…」

小さく開かれたドアの向こうで、誰かが小声で答えている。
眠っている知世を気遣っているのだろう。

「ええ、今は眠っているわ。特製の風邪薬が効いているのよ。
 明日にはきっと、元気になるわ。
 久しぶりに、三人で朝食がとれるわね。そう…昼にはまた、戻るのね」

園美はそっと知世を見やり、静かにドアを閉じていく。その隙間から漏れる、言葉。

「ええ。雨宮家秘伝のお薬よ。
 今度あなたが風邪をひいたら、私が作ってさしあげるわ…」

 パタン

知世はベッドで幸福な微笑みをうかべ、夢の中を漂っているところ。


………明日の朝は…
     大好きな方々、みんなに元気な声で
     『おはようございます』って……


                                   − 終 −


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もしも、「イラスト集1&2」の巻末書き下ろしコミックス「さくらと風邪とはちみつミルク」シリーズ
(Fan通称)に続編があるとしたら…。
誰もが考えそうなネタですね。
しかも、場面構成から何から思いっきりパクリまくっております。(汗・汗)
原作ではコミックス10巻から11巻の間。アニメでは第67話から68話の間くらいでしょうか?
…実は、この話で一番書きたかったのは、最後の御方です。
私はコミックス12巻を読みながら、こういう≪顔が出ない登場≫を期待していました。
メールとか、携帯とかで。
仕事か何かの都合で離れていて、園美さん以上に会えないけれど≪ちゃんといる≫という。
そして、『私は撫子が一番!』という園美さんをそのまま受け入れられる度量の広い大人の
男性を期待しておりました。
…ホントに知世ちゃんのお父さんって、存在していないのでしょうか…?
本文中でハッキリ書かなかったので、ここを読んで「そういうことか」と思われたかもしれません。

はちみつミルクは幸せの象徴として、これからの大道寺家でも、未来の李家でも(笑)作り続け
られるといいなと思います。

※「イラスト集」は正式名称「CARDCAPTOR SAKURA LLUSTRATIONS COLLECTION」です。

(初出00.12 「友枝小学校へようこそ!」様は、既に閉鎖しておられます。)