さくらと小狼と観覧車  〜 Twenty minutes in the Ferris wheel 〜



「はい、次のかた〜」

係の人の声に、まずさくらが、続いて小狼が乗り込んだ。
最後に知世…の筈が、

「ごゆっくり、お楽しみ下さいな」

そう言って、ぴしゃりとドアを閉じてしまった。

大晦日の友枝遊園。
時刻は夜の11時。

観覧車の中に、二人きり…。


   * * *


「あ、知世ちゃんだ。よかった、お兄ちゃんたちと乗ってるよ。
 はうぅ〜。また、ビデオ撮ってる…」

さくらの声に、小狼は苦笑を浮べたものの、振り返らなかった。
後頭部にさくらの兄のものと思われる鋭い視線を感じていたので…。

今年の夏休みにもこの観覧車に、さくらと二人で乗ることになった。
その時、後ろの観覧車に乗っていたのはやはり大道寺知世と、小狼のいとこの李 苺鈴。
苺鈴は、今夜は小狼の姉達と共に香港の有名ホテルでのパーティーに行っており、日本には
来ていない。
しかし、知世とは何やら色々とメールでやりとりしていたようで、今、こうして二人で居られるのも
そのおかげなのだろう。

考えてみると、知世が空港でお菓子を見せてケルベロスを自分の手提げに移動させたのも、
計画のうちだったのかもしれない。


小狼は今日の午後、四ヶ月半ぶりに日本にやってきた。
三日から学校が始まるため、ニ日の午後の飛行機で香港に戻らなければならない。
ほぼ48時間というあわただしい滞在である。

空港でさくらと大道寺知世に出迎えられた後、友枝遊園で行われる20世紀から21世紀への
カウントダウン・イベントにやって来たのだ。

「ごめんね、急に誘っちゃって。
 小狼くん、ずっと飛行機に乗っていて疲れてるのに、夜遅くまでつきあわせちゃって…」

ふいに、すまなそうに言うさくらに小狼は短く応えた。

「いや、いいんだ」

……一緒にいられるなら、どこだってかまわない…。

と、心の中で思ったが、とても口には出せない。
膝がふれそうなほど近くにいるさくらは、薄紅色の着物を着ており、まるで彼女自身が
振袖に咲いた大輪の牡丹の花のようだ。
空港で出迎えられた時にまず、そう思ったのだが、それもやはり口には出来なかった。

空港でも、今も、さくらはほんのり染めた頬に、ほころぶような笑みを浮べている。
想いは通じたというのに、いまだにそれを直視出来ない小狼だった。


   * * *


「ありがとう、来てくれて」

さくらは前の席に座る小狼に言った。
それは遊園地のことではなく。

「…おれが、来たかったから…」

頬を赤らめ、だがはっきりと応えてくれた小狼と競い合うように、さくらの頬もまた更に濃く染まる。
オレンジのダウンジャケットの襟元からのぞく緑のマフラーは、前の冬にさくらが編んだものだ。
編目が不揃いな上、香港では必要のない筈のそれを大事に持っていてくれた。

「…うん…」

胸がいっぱいになり、それ以上言葉が続かなくなると、小狼はふっとさくらから視線をそらせて窓の外を見た。
少し顔色が悪いように見えるのは、暗い照明のせいだろうか?

さくらは、今日知世から手渡された苺鈴からのメッセージを思い出した。

『小狼には内緒よ!』

と前置きされた、プリントアウトされたメールは小さく折りたたまれて手提げの中に入っている。


『お正月休みだっていうのに、宿題が山ほど出ているの。
 多分小狼、日本への行きと帰りの飛行機の中でもやっていると思うわ。
 答えくらい見せてあげるって言っても、「自分で出来る」って聞かないの。
 だからね、そっちでぼんやりしていても退屈なんじゃなくて、眠いだけ。
 不機嫌そうに見えても怒っているんじゃなくて、疲れているだけ。
 でも、それを言ったらますます意地になるから木之本さんは知らないフリをして、
 ただ黙って一緒にいてあげて。
 そのためだけに無理をしてでも小狼は日本に行ったんだから』


   * * *


小狼が考えていたのは、やはり苺鈴のこと。
昨日終業式の後、ハッパをかけられたのだ。

『少しは≪両想い≫らしいこと、してきなさいよ!』

……両想いらしいことって…。

『久しぶりに会えて、女の子は当然、期待してるんだから!
 木之本さんをガッカリさせちゃダメよ!!』

……期待って、言われても…。

「あの…」

はっとして、さくらの方に顔を向ける。
ほら、またやった。会話が途切れたまま見つめられると、つい視線をそらせてしまう。
こういうのって≪ガッカリさせる≫ことなんだろうな。
だから照れくさいのを抑えて、出来るだけ穏やかに返事をした。

「なんだ?」

「ブローチ、ありがとう。とっても綺麗。さっき、雪兎さんにもほめられちゃった」

一週間遅れのクリスマス・プレゼントは、さくらの右の胸の上でピンクのストールをとめている。

「そうか」

女の子の喜ぶものなんて、よくわからない。きっと綺麗なものや可愛いものが好きなんだろう。
でも、そういうものがあふれた店には、どうにも入りにくい。

そのブローチを見つけたのは、古びた骨董屋。偶然目について、そのまま離れなかったもの。
値札には持ち合わせが足りず…といっても、値札どおりの値段で買うなんて大人しい観光客ぐらいの
ものだが…一時間の交渉の末に財布をはたいて手に入れた。
でも、そんな話、わざわざするほどのものでもない。

胸元のブローチにそっと手を添えて、さくらが確かめるように言った。

「これ、似てるね。翼の生えたハート」

「ああ、≪希望(ホープ)≫だろう?見かけたときに思い出したから、だから…」

そのまま言葉が続かない小狼の後を、さくらが続ける。

「うん、≪希望(ホープ)≫のカードさんにもなんだけどね、わたし、これとよく似たブローチを持ってたの」

「……!?そうだったのか…」

小狼の驚いた顔を見て、さくらはあわてて言った。

「あ、ううん!ちがうの。今は持ってないの。利佳ちゃんにあげちゃったの」

「佐々木に…?」

「うん。あのね、≪剣(ソード)≫のカードさんのときこと、覚えてる?
 クロウカードを集めてた頃、ちょうど小狼くんが転校してきたばかりの頃だよ。
 利佳ちゃんの買ったブローチが、≪剣(ソード)≫のカードさんだったの。
 封印したら、利佳ちゃんのブローチが無くなっちゃったから、代わりにわたしのをあげたの」

そういえば、そんなこともあった。
魔力の気配を感じて駆けつけたら、今まさに≪剣(ソード)≫が目の前の少女に振り上げられたところだった。
剣には剣をもって対抗しようとした小狼に、さくらは

『利佳ちゃんにケガさせちゃダメ!』

と言ってしがみついたのだ。
結局、≪剣(ソード)≫に操られたクラスメイトの佐々木利佳は、さくらが発動させた≪幻(イリュージョン)≫
によって注意を奪われ、無事にカードは封印された…。

ふっと回想から意識をもどすと、なぜだかさくらはくすくすと笑っていた。

「あの頃の小狼くん、こわいなぁって思ってたの。
 いっぱい怒られたし、ずーっとにらまれてて、びくびくしていたの」

「………。」

小狼は顔を赤くして俯く。
いいわけなんて出来ない。あの頃は本当にさくらに酷いことをしたり、言ったりしていたのだから。
あの頃は、さくらのことをぼんやりして頼りない、ただの女の子だと思っていた。
こんな奴に任せていたら≪この世の災い≫が起こってしまうに違いないし、
それより先に、こいつは大怪我をしてしまうだろう。
だから、おれが。そう思っていた。

少し脅かせば逃げ出すと思ったのに、意外に頑固だったのに驚いた。
力の差を見せつけてあきらめさせてやろう、そればかり考えていた。

それは、今思えば酷い自惚れだった。
自分しか見えず、自分のものさしでしか他人を計れない。そんな自分。
『穴があったら入りたい』とは、こういう気持ちのことをいうのだろう。
冷や汗をかいて赤面する小狼の前で、しかしさくらは急にまじめな顔になり、
まっすぐにこちらを見た。

「でもね、今、考えてみるとよくわかるの。
 小狼くん、あの頃と今と、変わったけれど変わってないよね」

「…?」

さくらの言っている意味が、わからない。

「あの頃だって、わたしを助けてくれてたよね。
 わたしがケガをしたり泣いたりしないように、心配してくれてたよね」

「…それは…。当然のことだろう?
 あの頃は、おまえもあまり魔力が強くなかったし、カードのことも全然知らなかったし…。
 それに、女の子は怪我をさせたり、泣かせたりしちゃいけないんだ…」

これは、彼の歳の離れた四人の姉達の教育のたまものであろう。

「ほら、やっぱり。小狼くんのそういうところは、あの頃も今もぜんぜん変わってないよ。
 ただ、わたしが気づけなかっただけだよね」

鈴を鳴らすような声で、ふたたび笑いはじめたさくらに、小狼はますます顔を赤らめて小さく言う。

「…そんなこと、ない…」

この春、香港の学校に戻った時。
元々通っていた私立校なのだから編入したクラスにも小狼を知っている者は大勢いた。
その皆が、一様に言う。

『変わった』

と。

『どこが?』

と問うと、口々に返ってくる答え。

『話しかけやすくなった』
『笑った顔なんて見たことなかった』

こんな答えもあった。

『ほら、そういうところだよ。以前なら「そうか」で終っていたじゃないか』

自分を変えたのは、今、目の前にいる一人の女の子。
それが、何だかくすぐったい。
けっして嫌ではないのだけれど。


   * * *


さくらの笑い声が静まる頃、観覧車は最も高い頂点にさしかかった。
眼下に友枝町が一望できる。以前に二人で乗った昼間のそれとは違う、幻想的な夜の顔。

「あ、あそこ月峰神社だよ!もう少ししたらあそこに行くんだね。
 あれが商店街で、あの辺が友枝小学校。お隣が星條高校。道の向こうが友枝中学校。
 今は、真っ暗で穴が空いたみたいだね。わたしの家はどこかな…」

「…おれ…」

窓に顔を寄せてあちこちを指差すさくらに、小狼が話しかけた。

「なあに?」

さくらは振りかえった。小さく、小さく、胸がとくんと音をたてる。
けれど。

「…なんでもない…」

また、目をそらせてしまった。
なんだか、かなしい。
ほんの少し眉を寄せているだけなのに、とても苦しそうに見える。

思い出してしまう。ここは、小狼がひとりで≪無≫のカードと戦おうとしたところ。
カードの魔力(ちから)は≪無≫には通用しないからと、さくらを残してひとりで行ってしまった。

いつも小狼は、ひとりで考えて、ひとりで決める。
さくらの気づかないところで、いつもいっぱいつらい想いをしている。
…今も、きっと…。

「…無理しないでね」

「うん……。えっ?」

問いかける小狼に、さくらは窓に顔を向けたまま、小さく呟く。

「わたし、知ってるよ。小狼くん、すごく頑張っていること。
 今までも、日本にいたときもずっと頑張ってたのに、今は香港でもっともっと頑張っていること。
 来てくれて、嬉しいけれど……ほんとにほんとに嬉しいけれど、でも……」

わたしのために無理をして欲しくない。
無理をしてでも会いに来てくれて、すごく嬉しい。
どちらもが、本当。

どうして本当の想いが、いっぱいあるのだろう?
どうして全部がいっぺんに叶わないのだろう?

わからないさくらは、言葉を途切らせて唇を噛んだ。


   * * *


あれほど黙っていろと言ったのに、やはり苺鈴はさくらにいろいろと言ってよこしたのだろう。
苺鈴なりに心配してくれているのはわかっていても、さくらにこんな顔をさせたくはなかったのに。

「…おれは…」

気の利いたことは、やっぱり言えない。
何て言えば喜んでもらえるのか、わからない。
だから、本当のことだけを言おう。自分の、本当の想いを。

「以前は、自分のためだけに強くなりたかったんだ。
 誰よりも強くなるためだけに、修行していた。
 でも今は…ほんとうに強いってどういうことなのか知るために、修行している」

「ほんとうに、強い…?」

澄んだ翠の眸が、まるく見開かれる。
ほどけた唇が発するあどけない問いに、小さくうなづく。


     それは、見かけではなく

     魔力ではなく

     拳法や剣術の技でもなく

     もっと、別のもの

     今、ここにいる少女の秘めているもの

     それを、自分の中に確かめることが出来たら…


……かならず帰ってくるから 
    この街に、おまえの傍に……。


さっき観覧車の頂上で言いかけて、呑み込んだ言葉。
口に出して言うのは、まだ早い。
やらなければならないことが、たくさんあるから。


小狼の真剣な瞳に、さくらの顔が かああっ と染まった。

……なんでだろう…?すごく、どきどきするよ
   別に、なんにも言われたわけじゃないのに
   なんだか…『好きだ』って…言われたときみたいに
   すごく、すごく、どきどきするよ…?

思わずさくらは小狼から視線をそらせ、取り繕うように明るく言った。

「あ、知世ちゃんとお兄ちゃんと雪兎さん、何かいっぱいお話しているみたい。
 楽しそうだよ。何を話しているのかな…」

言われなくても、さくらの兄が今は自分をにらんではいないことは判る。
何しろ、もしも視線というものに物理的な力があれば、小狼の頭は今頃穴だらけになっていただろうほどの
凄まじさだったのだから…。
とはいえ、わざわざ振り向いて確かめる気にもならず、小狼はただ、

「そうか」

と答えただけだった。


   * * *


小さな点のようだった人の波が、ミニチュアの玩具のようだったメリーゴウランドやティーカップが、
だんだん大きくなってくる。
もうすぐ、地上についてしまう。

さくらは言った。

「来年もまた、いっしょに来れるといいね」

「…来年は、わからない」

正直過ぎるその答えに、さくらはちょっとだけ苦笑する。

……そうだよね。困らせちゃったかな…?
   でも、ちょっとだけウソでもいいから、夢を見させてくれたら
   ううん…。それはやっぱり、小狼くんじゃないよね……。

「…でも再来年か、その次の年には…」

小狼の言葉に、さくらの唇から笑みが消える。
まっすぐな、眸。
強い光を放つ、鳶色の輝き。
まるで、こころに翼が生えた瞬間のような、不思議な驚き。
 
「…きっと…」


     まだ、約束ではなく

     でも、あてのない夢ではなく

     少しづつ確かになる未来を

     つくっていこう

     二人で、いっしょに



  ガシャン



「ありがとうございました〜」



     過去から続く 未来へと続く

     二人きりの20分が、終る



                                   − 終 −



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このお話は、「月の裏側」の中の1エピソードを題材に作った別のお話です。
また、「月の裏側」は「さくらと一番の贈り物」の後日談という形をとっております。
それぞれ関連があるため前の2つを読んでいないと、いまいち判りにくいかもしれません。
「月の裏側」は、雪兎さんとユエさんを中心に書いたものでしたので、さくらちゃんや小狼君の
気持ちをほとんど入れることが出来ませんでした。
また、雪兎さんとユエさんは苺鈴ちゃんと面識はあるものの、あまり親しいわけではなかった
ので、彼女が今回は小狼君と一緒に日本に来ていないことについての説明も省略しました。

そのあたりの『書いたんだけれど、削らざるを得ない』描写を生かそうとして作ったのが、
このテキストです。
コミックス12巻のピンクのくまの≪さくら≫ちゃんは「さくらと一番の贈り物」に出しましたので、
今度は小狼君の『かならず帰ってくるから!』『まっててくれるか?』という(プロポーズもどきの)
セリフを使いたいな〜と考えていたのですが、本人が『まだ早い』って言いましたので
(妄想の中で:笑)、今回はこういう形で。

(初出01.1 「友枝小学校へようこそ!」様は、既に閉鎖しておられます。)