うたかた



“敵”の目的を探っていたイアルは、逆に奸計に嵌められ、追われる身となった。
辛うじて刺客は倒したが、肩に負った傷は深く、逃げ切ることはできそうにない。
闇に紛れ、出血と痛みで朦朧とした彼が己の身を運んだのは、緑の目の娘の元だった。

数日前、“霧の民”の娘がラザル王獣保護場に迎えられたという話は聞いていた。
恐らくは親しい者達を人質を取られ、脅迫されたのだろう。
そんな彼女を頼れば、更に負担をかけることになる。

だが、イアルに選択肢はなかった。

この決着をつけずに、死ぬわけにはいかない。
何も知らず、陰謀に巻き込まれて死んだ仲間のためにも。
守ることの出来なかった、ハルミヤ陛下のためにも。
そして何より、“盾”として生きた己自身のためにも。

無事に辿り着けた記憶すら無かったが、緑の目の娘…エリンはイアルを匿い、
傷の手当てをしてくれたらしい。
彼が意識を取り戻した時、驚くほど近くに彼女の寝顔があった。
看病の途中で、睡魔に襲われたのだろう。
まるで、一つの床で眠っているように…。

藍色の闇の底に浮かび上がる白い輪郭を、彼はぼんやりと眺めていた。


   * * *


夜が明けると、探索の手はラザルにも伸びたが、エリンはとっさの機転でイアルを
王獣達の中に隠し、遣り過ごした。
美しい獣は、血の匂いのする彼を不思議そうに眺めたが、特に嫌がる様子も無く
鋼のような翼と綿のような羽毛で覆ってくれたのだ。

近衛士達が去った後、イアルは再び王獣舎の中に横たわり、じっと回復を待った。
野生の獣のように、身じろぎもせず、ただ眠る。
熱が高い所為か、とりとめのない夢を幾つも見た。

生まれては消える、泡沫(あぶく)のように。
寄せては返す、漣(さざなみ)のように。
折り重なるように繰り返し、繰り返し。

それでも自分が夢を見ているということだけは、不思議にハッキリとわかっていた。




重い瞼を開けると、鼻先に藁が見えた。
いつの間にか、うつ伏せで眠っていたらしい。身じろぐと、肩が鋭く痛む。
傍には水の入った桶が置かれていたが、手を伸ばすことすら億劫だ。
もう一度、浅いまどろみに戻ろうとする。


  ロン ロロン


低く、くぐもった響き。
僅かに顔を上げると、薄暗い獣舎に光が差していた。
開かれた扉の前に立つ、逆光の中の人影。
竪琴を鳴らしながら、こちらに近づいてくる。


  ロン ロロン ロン


竪琴にしては奇妙なその形と音に、彼は覚えがあった。
近づいてくる少女の姿にも。
傷ついた肩を庇い、もう一方でバランスを取りながら、彼は懸命に立ち上がった。
柵の前で立ち止まった少女を、慣れない高さで見下ろす。


「……イアル…」


竪琴を持った少女が、彼を見上げている。
涙に濡れた緑の目には、銀色の翼を持った獣の姿が映っていた。



  ロン ロロン



竪琴が、鳴っていた。
いや、竪琴に似たその響きは、彼の咽喉から出ているのだ。
自分の足が…鋭い爪のある獣の足だ…肉の塊を押さえつけ、牙で噛み千切る。
王獣となった自分を、イアルはどこか高い所から見下ろしていた。


  シャシャシャシャ


腰の辺りで、甘えた声が鳴く。
催促するように頭を摺り寄せられながら、噛み千切った肉を咀嚼する。
そして、自らはそれを喰らうことなく子に与えるのだ。
小さな翼をバタつかせ、子は次から次へと肉をねだった。
ようやく満腹になると、外敵から彼等を守るように目を配っていた母親に擦り寄っていく。
その姿に目を細めつつ、今度は自らが肉を喰らった。


  ロン ロロン ロン


子に与え、残り少なくなっていた肉の半分以上を残して、傍らの伴侶を呼ぶ。
翼の下に子を守る役割を代わり、その食事を見守った。
子に乳を与え続け、痩せ衰えていた身体にも、ようやく羽根のツヤが戻り始めている。
日の光を受けて、翼が瑠璃色に輝いた。
強い空腹を感じながらも、彼はそれ以上に満たされていた。



  ロン ロロン 



草の上に拡げた布。そこに並べた道具類。仕上げ用の紙やすりと布。
ようやく完成した竪琴は、会心の出来だった。
これなら得意先を満足させられるだろう。
試しに弦を掻き鳴らす。


  ロン ロロン ロン


「第4弦を締め過ぎたんじゃありません?」

落ち着いた声に、苦笑を浮かべた。耳の良さでは彼女に敵わない。
もう一度、調律の道具を手に取った。         

第4弦を直して、再び弦を鳴らす。
彼女が満足そうに頷くのを確かめ、いつものように“夜明けの鳥”を奏で始めた。
柔らかな声が、子守唄を歌う。


  並べ枕の 愛しき我が子 今宵も眠れ


けれど、母親と同じにこの曲が大好きな娘は、大喜びではしゃぎまわる。
彼に向かって小さな手を伸ばして笑う娘の目は、春に芽吹いた若葉の色をしていた。




  ロン ロロン ロン




竪琴が鳴る。低く、くぐもった響きで。
あの娘が弾いているのだ。夢の中で。記憶の中で。

蚊遣りの煙の所為か、熱の所為か、それとも夢だからか。
滲んだようにぼやける木の天井を、ただ映す。

そう、夢を見ているのだ…。


降り積もっては溶ける、雪のように。
響いては消える、弦の音のように。
繰り返し、繰り返し。


……夢は、夢に過ぎない。
発熱のために無防備になった心が、記憶をかき乱し、入れ替えるのだ。

カザルムの放牧場で、仲睦まじく寄り添っていた王獣達。
父が生きていた頃の、幸せだった家族。
今も変わらず、真っ直ぐに自分を見つめる緑の目。
頬に触れる近さで感じた、寝息…。


夢は夢に過ぎないのだと、わかっていても。
目覚めたくないと思う自分が、確かにいる。

その痛みが、閉じられた瞼から一筋の流れとなって、横たわる毛布に吸い込まれた。



                                   − 終 −


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 2009.10.24 本文を一部修正しました。
(以下、反転にてつぶやいております。)

原作小説「第8章 風雲/7 風の夜」より。
傷を負い、エリンに匿われた王獣舎の中で、一人眠るイアル。
『熱が高いせいもあるのだろう、次から次へ、様々な夢を見た。』
…とあるのですが、どんな夢を見たの〜?という話です。

ベタに直球な内容ですいません。(汗)
でも、イアルは武人だし本質は職人だし。
あまり抽象的な夢とか見そうにない気がします。

今のところ「原作設定」枠ですが、アニメでこの場面が出てきたら
「アニメ設定」枠に移す予定です。
イアルが指物師ではなく竪琴職人だったり、「夜明けの鳥」の歌詞など、
かなりアニメ設定寄りですので。

竪琴職人の方が絡めやすいのは確かですが、指物師の方が将来は
安定しそうです。(笑)

(2009.12.5追記)
アニメの第46話を見ると、かなり演出が変更されていましたので
このまま「原作設定」枠に置くことにします。