琴 線 真王セィミヤに会うため、禊の場へ赴こうとするエリン。 リランの背に鞍を付ける彼女を、イアルは黙って見つめている。 丸一日、王獣舎で休んで顔色は良くなったが、肩の傷が塞がったわけではない。 まして、反逆者として追われる彼への追跡の手が、緩む筈もない。 ……なのに、この人は…。 リランの翼を撫でながら、エリンは唇を噛んだ。 昨夜、彼の口から語られた決意。 『俺も、貴女が救ってくれたこの手で、まだ守れるものがあると信じて戦う。 亡くなったハルミヤ様の為にも…。俺は、最後まで戦う』 最初に意識を取り戻してから、右手に掴んだ剣を片時も離そうとしない。 竪琴の音を聞きながら、半ば眠っている間も。 涙を流す彼女の肩を、そっと抱き寄せた時も…。 『貴方は、そのように真王陛下のためだけに生きてこられたのですね? 本当は、家族思いの優しい人なのに。 もう、貴方を縛る音無笛はなくなったんですよ? どうしてこの右手で、自分の幸せを掴むことを考えないんですか…。』 抱えていた竪琴に、視線を落とす。 形を変え、音色を変えながら、ずっと彼女と共にあった。 木枠に刻まれた彼の名。初めて聞いた、あの曲…。 「約束を、していただけませんか?」 咽喉から搾り出した声は、微かに震えていた。 壁に凭れるように立っていたイアルが、エリンを見つめる。 黒に近い鳶色の目は、冬の夜のように静かだ。 「いつか、貴方の作った竪琴で、もう一度あの曲を奏でてください」 リランから離れ、彼に向き直った。 エクの翼の下から抜け出したアルが、よちよちとこちらに近づいてくる。 「あの曲…?」 イアルの声もまた、微かに震えているように聞こえた。 右手を舐め、頭を押し付けてくる幼い獣。 その温もりを手のひらに感じながら、口にする。 「……“夜明けの鳥”…。」 そう言えば、最初にイアルと出会った時、彼から聞いた言葉がこれだった。 サリムの町で、吟遊楽士を装い竪琴を奏でていた青年。 無視すればよかったのに、子供だった自分の無邪気な問いに、律儀に答えてくれた。 とても嬉しかったことを、今も覚えている。 『“夜明けの鳥”?きれいでやさしい曲ですね』 無言のままの男を前に、くすりと思い出し笑いをする。 固かったイアルの表情が戸惑うように動いた。 言葉の意味を推し量り、どう答えるべきか真剣に考えているのだろう。 そんな彼を、困らせたいのか困らせたくないのか。 自分でもわからないままに、言葉を重ねた。 「私が変えてしまった、この竪琴の…。 大好きだった音を、もう一度、聞きたいのです」 イアルの目が、エリンの手の中にある竪琴を映す。 竪琴職人だった父親の形見であることは、昨夜聞かされた。 大切なものの筈なのに、見ず知らずの自分に託してくれた。 それどころか、リランを救うために手を加えることさえ許してくれたのだ。 何故なのか、尋ねたいのに今は尋ねられない。 だから、約束を求める。生きていて欲しいと。 「……わかった」 長い間を置いて、ぽつりと返事が帰って来た。 エリンは弾かれるように顔を上げる。 その緑の目を、イアルは真っ直ぐに見つめ返した。 「この戦いが終わって、無事でいられたら。貴女のために竪琴を作ろう」 だから、と。イアルは続ける。 「あの曲は、貴女が奏でて聞かせて欲しい」 長い長い間を置いて、エリンは小さく頷いた。 彼がどんな表情をしていたかは、わからない。 自分がどんな表情をしていたのかは、もっとわからなかった。 * * * 真王とは、無事に会うことが出来た。 リランを戦いに使わなくて良いと、望んでいた言葉ももらえた。 けれど、エリンは喜ぶことが出来ない。まだ何も、終わってはいない。 大公軍は“降臨の野(タハイ・アゼ)”に集結し、真王は要求への答えを出す。 争いは起こり、血が流れる。 その場に、彼は在ろうとするだろう。無事に辿りつく事さえ出来れば。 「………っ!!」 リランを戻した王獣舎の中で、ふいに溢れ出した涙。 きちんと折り畳まれて残されていた毛布に顔を埋め、声を押し殺す。 それでも、くぐもった響きに王獣達が不安げに首を傾け、寝藁の上に蹲った彼女を見下ろす。 「……イアルさん、イアルさん…!!」 彼女を置いて、行ってしまった男。 彼の名の刻まれた竪琴を抱いて。 生きる意志はあると。生き延びることが出来れば必ず会うと。 約束は、した。けれど守れるかどうか、わからない。 彼も、彼女も。 今も、エリンは短剣を持っている。一生、手離すことはないだろう。 生きている限り、この手の届くところに置いておくのだ。 自分の幸せを掴むことが出来ない、右手の。 ロン ロロン ロン 王獣達が、鳴いている。 エリンの心を、感じ取って。 哀しげに、苦しげに、切なげに。 そして、愛おしげに鳴く。 言葉にならない想いの代わりに。 響き合う竪琴の音色のように。 − 終 − ≪TextTop≫ ≪Top≫ *************************************** (以下、下の方でつぶやいております。) 時間軸ではアニメ版第47話「清らかな夜」の前後。 内容的にはアニメ版第46話「ふたりの絆」を参考に。 原作小説に比べ、格段に接触&密着の増えた二人。 竪琴と“夜明けの鳥”を小道具に、少女漫画張りの出会いを繰り返しています。 ……が、それでも微妙なんですよね…。(苦笑) 二人の間にあるのは恋愛感情なのか、共感なのか。 イアルより、むしろ王獣優先のエリンの方に問題があるなぁ…と思っていたら、 原作小説では後に押しかけ女房したことが判明。(笑) じゃあ、この頃には自覚してただろうなと捏造してみました。 第46話以降をMy解釈で長々書いていた話を思い切って分割し、整理し直した 中の一つです。 |