不義理 毎年、バレンタインチョコはお父さんへ。 甘い物は、あんまり好きじゃなかったから、一口食べて残りは全部わたしにくれた。 今年は写真の前に供えて、5ふ…10分は我慢しようと思う。 楽しみだったのは、お父さんが仕事関係でもらって帰る大量の義理チョコ。 毎年どんどん増えて、最後の年は紙袋に2つも。 『娘が喜ぶから』 って、事務所の人や取引先に言って回ってたらしくて。 チョコに添えられたカードには、時々 『お嬢さんへ』 って、書いてあったりした。 …でも、今年からは義理チョコも食べられなくなってしまった。 大好物(の1つ)だったのになぁ…。 「あげようか?」 ふいに言われて、目の前でコ−ヒ−をすする笹塚さんを、ぽかんと見つめた。 ちなみに、ここは探偵事務所。 例によって、笹塚さんは事件の調書を取りに来てて。 一息ついて、もう2月ですね〜って話になって。 バレンタインの義理チョコが大好物って話になって。 ……ちょっと、お父さんのことを思い出したけど、それは口にしなかった筈…。 「義理チョコ。俺がもらったんでよければ、やるけど?」 「えええええっ!! 笹塚さん、チョコもらったりするんですか−!?」 思わず大声を出すわたしに、笹塚さんは眉ひとつ動かさずに言う。 「……喜ぶ前に驚くとは思わなかったけど…。 警視庁にも一応、女性警察官は居るから」 失言に気づいたわたしは、慌てて両手を振る。 「あッ!?いやいやいや!!! そんな、笹塚さんがモテそうに見えないとか、気安く義理チョコ受け取るタイプじゃないとか、 むしろ『喰わね−から』とか言って突き返しそうとか、そういう意味じゃなくって……」 人間、焦るとロクな結果にならない。 正面に座る笹塚さんは、やっぱり無表情なままだけど。 「……いらね−なら、別に「いえッ、いります食べます!ぜひに!! 何卒よろしくお願いしま−すッ!!!」 ロ−テ−ブルに両手を突いて、深々と頭を下げる。 返事は短くアッサリ。 「じゃ、そのうち持って来る」 やた−っ!! 今年も義理チョコゲット〜!! * * * ……と、いう話を翌日学校でしたら、叶絵に思いっきり馬鹿にされた。 「あんたって、ホンッと〜に食い気しかないよね〜」 「だって、くれるって言うし…」 今日の数学の予習ノ−トを写させてもらってる手前、反論も控え目になる。 「だから、ソコじゃなくて!! くたびれたオッサンは対象外としても、エリ−トのキャリア組とかに顔が利くんでしょ? ここで外交カ−ド使っとかないで、この先どうすんの!?」 「えぇ〜!?確かに不健康でくたびれてるけど、そんなオッサンじゃないよ−。 まだ30そこそこ…」 「IT社長ならともかく、平刑事で30過ぎてりゃ、只のオッサンで十分!! でも、オッサンはオッサンで顔が広いし、将来有望な若手とか紹介してもらえるじゃん!!」 「だから、オッサンじゃ…」 「あんたも何か義理プレして、機嫌とっときなっつ−の!! そんで誰か紹介してもらえそうなら、あたしもぜって−呼んでよねッ!!」 ……結局、ソコか…。 叶絵が好き放題に喋ったところで、休み時間が終わった。 笹塚さん、そんなオッサンじゃないのになぁ…。くたびれてるけど。 あ〜、でも。叶絵の言うコトにも一理ある。 もらってばっかじゃ悪いし、笹塚さんには日頃からお世話になってるし。 バレンタインにプレゼントってのは、良い考えかも。 でも、チョコくれるぐらいだから、甘い物は好きじゃないんだろうな…。 事務所開きに“たこわさ”持って来る人だし、コ−ヒ−はいつもブラックだし。 一体、何をプレゼントしたら喜んでくれるんだろう? お酒と煙草…は、渡した瞬間に手錠だろうしなぁ〜。 ネウロからの呼び出しが無い隙に、都内のデパ−トに行ってみる。 2月上旬は、どこもバレンタイン商戦一色だ。 それは必ずしも、洋菓子売り場だけじゃない。 ハ−トをモチ−フにした和菓子とか、お煎餅とか。お惣菜だってある。 あ、そうだ!!イカゲソを編んでハ−ト型にして、リボンなんか付けてみたらどうだろう? ……うん。想像しただけで、美味しそう…。(じゅるるるるぅ〜) おつまみコ−ナ−でウットリしてたら、お店の人に追っ払われた。 やっぱり、食べ物関係は止めた方がいい気がする。 笹塚さんに渡す前に、自分で食べてしまう確率200%だ。 美味しい匂いに後ろ髪を引かれつつ、上の階の紳士服や小物の売り場へ。 このフロアも、赤いハ−トでいっぱいだ。 おこづかいをもらったばかりだし、今後の我慢次第で結構良いものが買える。 情報通のあかねちゃんからのアドバイスも、 『普段使ってもらえる、身の回りの小物が良いんじゃない?』 だったしなぁ…。 う−ん、ハンカチなんかが無難かな? 身につけるものへのこだわりは欠片もない人だから、何を贈っても問題ない気がするけど。 …そのまま使わずに放っておかれる気も、かなりするなぁ…。 何でも良いって、かえって悩むよね−。 わたし笹塚さんのこと、なんにも知らないしなぁ…。 ………………………あれ?何か、どっぷり落ち込んできた…。 出直そうと踵を返して、ふと目に止まったのは綺麗なチョコレ−ト色。 まるでパズルのピ−スのように、パチッとイメ−ジが嵌る。 足が勝手に近づいて、口が勝手に言っていた。 「あの、これ下さい!!」 ……これで当分、学校帰りの買い食いは50%我慢だ…。 * * * 〔約束してた義理チョコ、今から持ってって構わね−かな?〕 バレンタインの翌日、携帯に連絡があった。 笹塚さんが来るのがわかっていると、ネウロはあかねちゃんを連れて事務所から居なくなる。 今日もそうだ。 珍しく、出掛けのDVが無かったのが、逆に不気味だったなぁ…。 代わりに、あかねちゃんが出掛けにメ−ルをくれた。 〔がんばって!!〕 いやいやいや、別に頑張るほどのことじゃ…。 日頃、お世話になってますってことで、プレゼント渡すだけなんだけど。 ちょっと緊張してるのは、お父さんでも友達でもない男の人にプレゼントって初めてじゃん!? …ってことに、今日になって気づいたから、で。 コンコン 軽く2回、ドアを叩く音に飛び上がる。 「ジャマするよ」 いつもどおりに言って、笹塚さんが入ってきた。 見慣れる程、しょっちゅう会ってるわけでもないのに。 毎回、判で押したみたいに同じ格好。 皺だらけのス−ツ。伸ばしてるのか不精なのか、イマイチ不明な顎鬚。 一向に消える兆しのない目の下のクマまで、いつもどおり。 くたびれてて、不健康そうで。 でも、やっぱりそんなにオッサンじゃないよ。 もっとこう…、あちこちシャキッとすれば結構カッコイイのになぁ…。 「……弥子ちゃん?」 目の前に、指の長い大きな手をかざされて、びくっと後ずさる。 超珍しい、笹塚さんの驚いた顔。 …って、わたしってば。何、笹塚さんのことボ−ッと見ちゃってんの−!? 「す、すいません!…えっと。 ようこそ、いらっしゃいませぇ〜!!」 ……我ながら、挙動不審。(汗) 当然だけど、笹塚さんは疑わしそうな目でわたしをじ−っと見て。 それから小さく溜息を吐いて、左手の荷物を差し出した。 「とりあえず、コレ」 あ、そうだ。笹塚さん、義理チョコ持ってきてくれたんだった。 おかしいな。忘れてたわけじゃないし、楽しみにしてた筈なのに。 「あ、ありがとうございます」 不思議に思いながら紙袋を受け取って、ビックリした。 大きな袋にいっぱいの、色とりどりのラッピング。しかもズッシリ重い…ッ!! お父さんがくれた義理チョコは、実は半分はお父さんが自分で買ってたものだったのに。 笹塚さんって、女の人にも人気あるんだ…。 ……そっかあ…。そりゃ、そうだよね。 働いてる女の人は、みんな大人で。笹塚さんと同じか、もっと年上の人もいて。 笹塚さんが素敵なのぐらい、ちゃ−んとわかってて。 一括りに“オッサン”で片付けちゃう方が、“お子様(ガキ)”なんだよね−。 「大した数じゃなくて、悪い…」 笹塚さんは、リアクションの薄いわたしに何か勘違いしたらしい。 いや、違うの!!そ−じゃなくて!! むしろ予想外な量に驚いて声も出ないというか、いや、ここは無理矢理に出す!! 「いえいえいえ、そんなぁ〜!! これだけあれば十分です!大収穫ですよゴチになります!! あ、そうだ!!えと、……」 プレゼント、渡さなきゃ。 1日遅れちゃったけど、チョコレ−トの代わりにチョコレ−ト色の……、………。 目の前で揺れるチョコレ−ト色に、息を呑んだ。 「……笹塚さん、ネクタイ…」 「ん?あぁ……」 わたしの視線を追った笹塚さんは、胸元のネクタイを指先で撫でた。 いつものように、だらしなく緩んでて。でも、いつもの黒いネクタイじゃない。 ス−ツはベ−ジュだから、茶系のネクタイでも合いそうだなって、前から思ってて。 「もしかして…、バレンタインのプレゼント…ですか?」 「……よくわかるな。 昨日、等々力が『今後もご指導お願いします』っつって。 『チョコレ−トは?』って聞いたら、不思議そうな顔された」 ……思ってたのは、わたしだけじゃなくて…。 もらった紙袋を持ち上げて、両手で抱えて。 チョコの匂いを胸いっぱいに吸い込んで、吐き出した。 「わ−、そうなんですか!! びっくりしたァ〜。どういう心境の変化かと思いましたよ。 すっごく似合ってます!! あ、そういえばわたし、まだお茶も出してないですね。すぐに用意しますから…」 「いや、コレ渡しに来ただけだし。もう戻らね−と」 笹塚さんは傾いてた首を、真っ直ぐに起こした。 それだけで、ずいぶんシャキッとして見える。 濃い茶の…チョコレ−ト色のネクタイも、本当に良く似合ってた。 イメ−ジの、とおりに。 「じゃ…、あんま無理しね−ようにな」 「はい!今日は、わざわざ、ありがとうございました!!」 事務所を出て行こうとする笹塚さんに、紙袋を抱えたまま頭を下げる。 低い声がボソリと呟いた…、ような気がした。 「……ごめん、な」 ………え? 顔を上げた時には、ドアは閉じる瞬間で。 パタンと小さな音がしたとたん、目の前が滲んでぼやけた。 …あれ?あれれっ?おかしいな…。 昨日、お父さんの写真の前にチョコを供えた時も。10分経ってチョコを食べた時も。 悲しくなんか、ならなかったのに…。 でも、やっぱり思い出してたのかな。 この前も、今日も。自分で気づかないうちに泣きそうな顔して、笹塚さんに心配かけて…。 お礼のプレゼントも、渡せなかったのに。 カバンを探ると、出番の無かった平たくて細長い箱が目に入った。 ラッピングに張られた、赤いハ−トのシ−ル。 いよいよ本格的に溢れ始めた涙を拭うのに、カバンを引っ繰り返してティッシュを捜す。 ソファ−に座って涙を拭いて、鼻を咬みながら。それでも、もらった義理チョコを食べる。 チョコは、どれも甘さを抑えたビタ−テイスト。 レベルも値段も高いものばかり。 「……もう、笹塚さんからも義理チョコはもらえないなぁ…。」 そう呟いたら、涙も鼻水も大洪水になって、慌ててティッシュの箱を取り行く。 甘くて苦いチョコは、ついでに酷くしょっぱくなった。 − 終 − ≪TextTop≫ ≪Top≫ *************************************** 2008.2.16 本文を一部修正しました。 2008.7.6 ネタバレ注意書を削除しました。 (以下、反転にてつぶやいております。) 珍しく笹←弥子です。潜在的には笹→←弥子を希望。 甘くなるべきバレンタインネタに、糖度過少ですみません。(汗) 笹塚さんは弥子ちゃんが悲しい顔をしたのを、お父さんを思い出させた所為だと思い、 笹塚さんの内心を察した弥子ちゃんも、自分が悲しいのはお父さんを思い出した所為 だと思い込む。まるで互いに暗示を掛け合うように。 どちらも当分、自分の気持ちに気づかない。(嘆息) 第143話で等々力さんが笹塚さんに贈った(そして、たぎる石垣に邪魔された…。) ネクタイから思いついた話ですが、等々力さんへの他意はありません。 むしろ、彼女が笹塚さんを何とかできそうなくらい太い神経と巨大な器の持ち主であると わかれば(または、成長すれば)応援したいぐらいです。 笹ヤコ寄りの私ですが、弥子ちゃんは誰とでも幸せに“なる(←自発的に)”けど、 笹塚さんは余程の人じゃないと、一緒に居ることすら互いに耐えられ無さそうな気が…。 その“余程の人”が今のところ弥子ちゃんしか思い当たらない、というのが笹ヤコ寄りに なった消去法的理由だと思うこの頃です。 |