桜戦線



世間は春爛漫の花ざかり。
パステルカラ−の女の子や、真新しいス−ツのフレッシャ−ズが街を行き交う季節である。
そして、春の食材を取り入れた新作スイ−ツと弁当が、コンビニを彩る季節でもあった。

しかし、巷で噂の大喰い女子高生探偵、桂木弥子は空腹だった。
今日も魔人の謎喰い(とき)に付き合わされ、時刻はどっぷり夜9時30分。
ようやく暖かくなってきたのに、彼女の懐は厳寒のシベリアだ。
所持金0円。
隣県まで連れ出された挙句、財布を奪われ放置プレイされたのだ。

いつかの温泉旅行の帰路と同様、あちこちで頭を下げて都内に帰り着いたところである。
以前より顔が売れたおかげで、サイン100枚と切符を交換できたのは助かったが…。
駅のホ−ムで乗り換えの電車を待ちながら、弥子は溜息を吐く。

「お腹空いたぁ……」

呟く声より、ぎゅるぎゅると鳴く腹の虫の方が大きい。
携帯が奏でるメロディ−も、危うく聞き損ねるところだった。
のろのろとスカ−トのポケットから携帯を引っ張りだす。
ス−パ−マ○オのテ−マは、警視庁情報犯罪課のヒグチの設定だ。
(ちなみに捜査一課の笹塚の設定は、はぐれ刑事○情派のテ−マである。)

〔よッ、桂木。元気ィ−?〕
「あ−…、ヒグチさん。……こんばんわ」

無駄に陽気な挨拶に、お腹に力が入らない弥子は答えるのがやっとだ。
屋外に居るのか、ヒグチの声にはガヤガヤと騒がしさが混じっている。

〔な−んか、疲れてるっぽいな〜。
 今さぁ、K公園で笹塚さんや笛吹さん達と花見してんだけど、来んのムリ?
 花見弁当が大量に余っちま「行く−−−ッ!!!!」

即答である。
どこからか運ばれた桜の花びらが、ふわりと目の前を過ぎった。


   * * *


警視庁から程近いK公園。
枝を拡げた桜が、そこかしこで薄紅色の東屋を作っている。
わざわざ名所を求めて遠出をしなくても、日本という国は桜に事欠かない。
まばらな街灯の光でも、満開の花が散り始める様には風情がある。

だが、舞い踊る花びらの下に弥子が見たのは、さながら戦場跡だ。
ブル−シ−トの上に累々と連なるス−ツ姿の男達。
ある者は大の字に倒れて花びらにまみれ、ある者は桜の幹に凭れて蹲(うずくま)る。
あたかも討ち死にした兵(つわもの)のようだ。
……但し、あたりに充満するのは血の匂いではなく、強烈なアルコ−ル臭である。
ついでに言うと兵どもの大多数は、何故かネクタイを頭に締めていた。

平均より体格の良い男達の間をぬって、弥子はきょろきょろと辺りを見回す。
足元にはビ−ルの空き缶や酒の空き瓶、ツマミ類の空き袋が散乱している。
目指す姿を見つけられず、思わずその場にしゃがみ込みそうになった、その時。

「お、桂木−。急に呼び出して悪ィな」

夜桜の下だというのに、立ち上がったヒグチが手にしているのはノ−トパソコンだ。
だが、そんなことはどうでもいい。
弥子は顔を輝かせ、一直線にヒグチの元へと駆け寄った。
その頬は紅潮し、眸は涙で潤んでいる。

「やっと…、やっと会えた!!
 会いたかったよ……、わたしのお弁当−−−ッ!!!!」

本当に、危なかった。
空腹の余り、弥子はツマミ類の残りカスを漁る寸前だったのだ。

「……………相変わらずだな、桂木…。」

足元に積み上げた花見弁当に抱きつく女子高生に、ヒグチは肩を落とした。


   * * *


「な〜んか毎年、刑事部の有志で花見してるとかで。
 笛吹さんに言われて、俺が弁当の手配させられてさ−。
 けど、オッサン達って飲むばっかで喰わね−から。たく、人に頼ませといてムカツクよな−」

弁当を空き箱の山に変えていく弥子の隣で、ヒグチはブツブツと文句を言う。
一口大の俵型に区切られたコシヒカリを一度に3つ口に入れながら、弥子は返事をした。

「むぅ〜ん、ほうらったんら〜。(はぐもぐごっくん)このお弁当、すっごく美味しいのに−。
 湯葉のお刺身に、春野菜と湯葉の木の芽マヨネ−ズサラダ、菜の花と穴子の湯葉巻き煮
 海老の湯葉春巻き…。卵焼きも湯葉入りだし、湯葉尽くしってのが粋だよね−。
 まず、この湯葉がそんじょそこらじゃ味わえない一級品だし!!」

10個目の弁当に箸をつける弥子は、その湯葉がかつて彼女と魔人をヒッチハイクさせて
くれた走り屋の店の品とは気づかない。
目の前の天才ハッカ−兼体力無しの19歳が、その走り屋の店に数日間、厄介になって
いたことも。

「だろ〜?俺、実は湯葉がマイブ−ムでさぁ。
 笛吹さんには『精進料理かコレは!!?』とかって、不評だったんだけど〜。
 桂木なら、この味をわかってくれると思ってた!!」
「いやいやヒグチさん、お弁当選びのセンスありありだって!!
 桜の下で食べる湯葉弁当ってのが、また一段とオツだよね〜〜」

湯葉談義に盛り上がりつつ、弥子は思う。
何だかんだと文句を言いつつ、ヒグチはこの場に呼ばれたことが嬉しいのだろう。
デジタルの世界では稀有な天才少年も、現実では淋しがり屋で構われたがりの男の子だ。
それがわかっているから、弁当係という名目で笛吹は彼を呼んだのではないか。

食糧が胃に入り、弁当しか目に入っていなかった弥子は、ようやく周りが見えるようになる。
少し離れて丸まっているのは石垣だ。
仮装なのかコスプレなのか、派手な衣装は靴跡だらけ。
恐らく、笹塚か等々力かその両方に、蹴られたり踏まれたりしたのだろう。
大事そうに抱えたプラモの箱が無事なのは、勤務時間外のおかげか。

その笹塚は、隣のブル−シ−トで笛吹と差し向かいに座っていた。
まだ飲み続けているのは、この2人だけのようだ。
相変わらず、笛吹は低身長をビシッと高そうなス−ツで包んでいる。
対して笹塚は、いつもどおりのくたびれたス−ツに緩んだネクタイだ。

「笹塚さんと笛吹さんって、お酒強いんだ〜」

15個目の弁当の蓋を開けつつ弥子が言うと、ヒグチは肩を竦めた。
ちなみに警察官の真っ只中で未成年飲酒をやらかす気の無いヒグチが手にしているのは
スポ−ツドリンクである。

「いや〜、笹塚さんは確かに強いみて−だけど、笛吹さんはそ−でもないんじゃね?
 なにせ飲んでるのが、あ−いうのだし」

そのとたん、良く通る甲高い声と、通りの悪い間延びした声が聞こえてくる。

「いいかッ!警察官に必要なのはプライドだッ!!」
「……あ−」

酒の席だというのに、上着のボタンはおろかネクタイすら緩めず熱弁をふるう笛吹。
片手に持っているのは、カクテ○パ−トナ−のさくらピ−チフィズだ。
辺りに転がるのは、カシスオレンジとメロン&バニラ、その他の空き缶。
ちなみに紙コップを手にした笹塚の傍には、半分に減った芋焼酎の瓶。
空き瓶も既に1本、足元に転がっている。

「そもそもだ!警察というものはだなァ!!」
「……うん」
「“太陽に○えろ!”のようにはいかんのだッ!!
 あの殉職率の高さは異常だ!!しかも、殉職によってしか異動がないなど有り得ん!!」
「……そ−ね」
「“西○警察”のようには、もっといかん!!
 凶悪犯罪に対して、安易にショットガンで対抗するなどと日本警察の恥だッ!!!」
「……あ−」
「我々が目指すのは、国民に信頼される警察だ!
 犯罪という非日常に対応しつつも、日常に直結したものでなければならん!!」
「……うん」
「例えば、だな。一日警視総監にリ○ックマを呼んでみるとか。
 机の上に一般市民に人気のある猛獣の置物を飾るなどして、心にゆとりのあるところを
 見せるのも肝心だ!!」
「……そ−ね」

見た目はパリッとしていても、笛吹の中身はグダグダらしい。
明らかに、趣味と主張がごっちゃになっている。

「超てきと−だけど、笹塚さんもアレで意外と付き合いが良いってゆ−か…。
 いつもなら筑紫さんが相手をしてるトコなんだろうけどね−」
「あれ、そういえば筑紫さんは…?」

高身長の上に人一倍体格の良い姿は、周囲の泥酔者の中に見当たらない。
20個目の空箱をゴミ袋に入れながら、弥子が尋ねる。

「ああ、等々力さんとか女の人達をタクシ−乗り場まで送ってってる。
 あの人、マメってゆ−か面倒見イイから……って、ホラ。噂をすればってヤツ?」

降りしきる花びらの下を、一直線にやって来るのは確かに筑紫だ。
笛吹を見習ってかキッチリとス−ツを着込み、ネクタイはもちろんオ−ルバックにも
一筋の乱れも無い。
弥子に気づくと驚いた様子もなく、穏やかな笑みを浮かべて腰を折った。

「こんばんわ、桂木探偵」
「筑紫さん、こむばふわ−。(もぎゅもぎゅもぎゅ)」

25個目の弁当を頬張りながら弥子も頭を下げる。
隣でヒグチが軽く手を挙げた。

「筑紫さん、お疲れ〜。遅かったね。
 等々力さんとか、かなり酔ってたみたいだったけど?」
「少し足元が覚束なかったが、口調はしっかりしていた。
 彼女達も警察官なのだし、タクシ−に乗れば大丈夫だろう。
 戻る途中でコンビニに寄ったので、少し時間が掛ってしまったが…。
 ちょっと、失礼」

筑紫は相変わらず熱弁を続ける笛吹の横に、新しいカクテルのカラフルな缶を置いた。
つくづく気配りの人である。
30個目の弁当に手を伸ばしつつ、弥子は感心した。

「さて…と」

呟いた筑紫は、おもむろに背広を脱いだ。
確かに今夜は暖かい。酒が入れば暑いくらいだろう。
笛吹と違ってTPOを心得ているのか、筑紫はスルリとネクタイも外す。
そしてワイシャツのボタンを外して脱ぎ、アンダ−シャツを…。

「……ぶぇッ!?(/////)」

弥子は慌てて後ろを向いた。
向きながらも35個目の弁当を食べる手は止めない。
背後ではカチャカチャとベルトを外す音と、ヒグチの声。

「ちょ、筑紫さん!!何ズボンまで脱いじゃってンの−ッ!!?」
「……あ−、大学の頃からのコイツの癖だから。
 酔ったら脱ぎ出すけど、最後の一枚は残すから猥褻物陳列罪にはならね−し」

いつの間にか、焼酎の瓶を手に移動してきた笹塚が淡々と言う。
2本目らしいソレは1/3以下に減っているが、足元は少しもフラついていない。

「まあ、見られても恥ずかしくね−ように、普段から身体鍛えてるみて−だし。
 プロレスとかボクシングとかと同じと思って…」
「あ−、確かにK-1並にスゲ−腹筋と胸筋…。それにボクサ−パンツだし」
「それは言わんでいい−ッ!!(////)
 てか、そんな理由で身体作り!?」

40個目の弁当を持って背を向けたまま、弥子は思わずツッコみを入れる。
脱ぎ終わった筑紫は、どうやら彼の定位置に戻ったらしい。

「よし。いいかッ、筑紫ィ!!日本警察の未来はだなァ〜」
「はい、笛吹さん!」
「我々の肩に掛っているのだ!!
 頭の固いクソジジイどもめ、事件が会議室で起こっていると思うなよ〜ッ!!」
「おっしゃるとおりです!!」

焼酎の瓶とツマミを足元に置いて、笹塚はシ−トの上に胡坐をかいた。
紙コップに焼酎を注いでストレ−トで飲むと、小さく溜息を吐く。

「ま、ストレスの強い職場だからさ……。
 一般市民に迷惑を掛けない範囲で、羽目を外すのぐらいは勘弁してやって」

いや、少なくとも犬の散歩中の一般市民には、迷惑かけてるようですが…?
『何、この酔っ払いの集団!?』と書かれた顔で横を通り過ぎる飼い主さん達の白い目を
やりすごしつつ、弥子は45個目の弁当からコシヒカリを頬張る。

「……あ−、ところで弥子ちゃん何で居んの?
 とっくに10時過ぎてるし。勤務時間外だから手錠はね−けど、補導するよ」
「今気づいたか!?…って、いやその補導はご勘弁〜」

弁当を持ったまま、弥子は思わず後ずさる。
無表情に無言の圧力を放つ笹塚と彼女との間に、ヒグチが割って入った。

「ま−ま−、笹塚さん。オレが呼んだんだよ。
 ホラ、弁当余っちまってて、もったいね−からさ」
「……あ−、身内が呼んだんじゃ、見逃すしかね−な。
 弥子ちゃん、良かったら俺の分も喰ってくれる…?」

笹塚は、酒の肴になりそうなものだけ箸をつけたらしい弁当を差し出して言う。
弥子はホッとすると共に哀しい気持ちで呟いた。

「………笹塚さん。わたし、コッチなんですけど…?」

笹塚の差し出した弁当は、弥子が築いたゴミの山に向けられていた。
項垂れる彼女の隣で、ヒグチもボソッとコメントする。

「笹塚さんも笹塚さんで、タチの悪ィ酔い方してんな−」

顔色も表情も言動も普段と全く変わりが無いのに、認識力だけが出来上がっている。
焼酎臭い息を吐いて、笹塚は首の関節を鳴らした。

「……ん?あ−悪ィ。俺も、ちょっと飲みすぎちまったかも…」
「「いや、“ちょっと”じゃね−から!!」」

思わずハモってツッコむ10代ズ。
三十路男は身体の向きを変えると、少し声を改める。

「若いモン同士、仲が良いのは結構だけどさ…。
 …ヒグチ、こんな時間だし、後でちゃんと弥子ちゃんを家まで送ってけよ?
 まあ、お前も若い男だし。弥子ちゃんは年頃の女の子だし。
 ウッカリ盛り上がったりするかもしんね−けど、身内が淫行罪で逮捕とかなると
 イロイロめんど−臭いから勘弁な…。
 ……って、何?鼻なんか鳴らして酒飲みて−の?
 お前、まだ未成年だろ−が。ホレ、代わりにスルメやるから…。
 ……あれ、弥子ちゃんが欲しがらね−なんて、明日は大嵐だな」
「………笹塚さん。
 言いて−コトはイロイロあるけど、とりあえずソレ、オレじゃね−し…」

通りがかりの野良犬にスルメを喰わせる背中に、ヒグチは項垂れる。
その隣で、弥子も虚しい気持ちで呟いた。

「更に言わせていただくと、隣のソレがわたしでしょうか…?」

笹塚は、ドラム缶に向かって首を傾けた。

「……あれ?弥子ちゃんの声が後ろからする…」

この人は某魔人から何か吹き込まれているのか、素の発想が某魔人と同じなのか。
ブルッと背中を震わせて、弥子は考えるのをやめる。

やがて50個の花見弁当を完食し、弥子はようやく箸を置いた。
お腹も膨れ、満足して両手を合わせる。

「ごちそ−さまでした。美味しかった−ッ!!」
「それは良かったですね、先生vv」

噂をすれば、の言葉どおり闇の中から闇より黒い影がさす。
但し、一見にこやかな美青年の顔をして。

「これはこれは、皆さんお揃いで…。
 先生も、財布も無しに何処をほっつき歩いているのかと思えば、こんなところで残飯を
 漁っておいでとは。いやはや、先生らしい」
「「ゲッ、ネウロ……!!」」

再びハモる10代ズ。
一方、顔を上げた酔っ払い達は口々に言った。

「ああ、弥子ちゃんトコの胡散臭い助手の人か」
「今夜はいつも以上に胡散臭いな、助手の男!!」
「こんばんわ。その三つ編みのおさげ、とても胡散臭くてお似合いですね助手の方」

一部、本音がダダ漏れだ。
やはり普段は色々と、見ないフリをしてくれているらしい。
…というか、待てよ。三つ編みのおさげ…?

「……いやホント。何その三つ編みのおさげ」

ヒグチの声に、弥子はハタと我に返る。
どこのビジュアル系かと言いたくなる派手な頭の後ろから、青いス−ツの胸元に垂らされた
一本のおさげ。
艶やかな毛先が、何やら困ったようにもじもじしている。

「あかねちゃ…!?いやその、ちょっと失礼ッ!!」

魔人の腕を引っ張って、弥子は警察関係者から離れる。
助手の正体を知るヒグチにも、あかねのことは教えていない。
特例だろうと相手は刑事だ。事務所の壁に死体が埋まっているなんて、言える筈がない。
掘り出されたら、あかねは死んで(いや既に死んでいるが)しまうのだから。

「ちょ、桂木…?」

弥子の思わぬ行動に唖然とするヒグチ。
その背中に独身男達からの労わりの声がかけられた。

「あ−…、アレは相手が悪い。あきらめろ、ヒグチ」
「何ィ!?貴様、あの貧相な大喰い探偵にこっ…、思春期にありがちな甘酸っぱい欲情を
 抱いていたというのか−!?」
「ヒグチ…、気持ちはわかるがヤケ酒は20歳をすぎてからだぞ」

口々に言っては頭を撫で、背中を叩く彼等に、つぶらな眸の野良犬が尻尾を振る。

「……あんたらに言いて−ことは山ほどあるけど。
 ど−せ明日になったら、きれ−サッパリ忘れてるんだろうな…」

オレは大人になっても、ぜって−酒なんか飲まね−ぞッ!!
…と、桜の向こうに輝くお星様に誓うヒグチであった。

余談だが、20歳の誕生日を迎えた日、星の誓いが忘れ去られたのは言うまでもない。


   * * *


「なんで、アンタがこんなところに…。しかも、あかねちゃんまで連れて!?」

警察の面々から離れ、小声で問い詰める弥子の顔面に、アイアンクロ−がかけられる。
能面のように無表情だが、どうやら魔人はご機嫌ナナメらしい。

「ウジムシめが、“謎”の生まれる気配を感じたからに決まっている。
 もっとも、我が輩が喰える状態になるには、暫く熟成期間が必要なようだ。
 下見を兼ねて、あかねにも“サクラ”とやらを見せてやろうと思ってな…。
 この国の人間は、木に咲く人肉色の花を随分と好むそうではないか。
 …だというのに来てみれば、五月蠅い奴隷どもがゾロゾロと…」

時折、深夜に魔人があかねを連れて夜の町を散策しているのは知っていた。
瘴気の塊である魔人についていれば、壁に埋められた本体を離れても彼女は消耗しない。

「……アンタって、あかねちゃんには優しいよね〜〜」

どうせなら、肘で脇腹でもつついて言いたいセリフである。
むろん、後が怖い以前に顔を掴まれ宙吊りの状態で、できる筈もないが。

「有能な秘書への当然の報酬だ」

取り澄ます魔人だが、垂れ下がった黒髪は恥じらいに身をよじっている。
この場にホワイトボ−ドがあれば、何か必死でいいわけを並べそうだ。
今更ではあるが、春は恋の季節でもあった。

……その時。

「たっ、助けてくれ!!殺される〜ッツ!!!」

男の悲鳴が夜に響く。
その声が闇に消えるより、早く。
焼酎入りの紙コップを置いた笹塚が、立ち上がるや俊敏に走り出した。
笹塚だけではない。
ブル−シ−トに転がり、桜の木にもたれていた屍達も弾かれたように跳ね起きる。
ストロベリ−マルガリ−タの缶を放り投げた笛吹が叫んだ。

「捜査ニ課は東、三課は西門を封鎖!!
 機動捜査隊は周辺に駐車する車両及び二輪車を残らず押さえろ!!
 捜査一課は、私に続けッ!!!!」

その間に、筑紫は目にも止まらぬ早業で衣服を身につけ、ビシッとネクタイまで締めている。
夜桜の下では、またたく間に幾つもの声が響き渡った。

「警察だ、手を上げろ!!「警察だ、手を上げ「警察だ、手を「警察だ「警察「けいさ…」
「げッ!?何で、こんなオマワリだらけなんだ−ッツ!!?」

“謎(トリック)”を作るヒマもなかった犯人の叫び。
あっという間に取り押さえられる加害者。無事に保護される被害者。押収される証拠の数々。

「う〜わ〜〜、スゲ−刑事魂…」

そういうアナタも一応、刑事じゃありませんでしたっけ…?
心でツッコみを入れつつも、口に出せない弥子はダラダラと汗を流している。
隣に佇む魔人の無表情が怖い。


………謎が…、消えていく…。


とか何とか、思っているに違いない。
謎を喰い損ねた魔人の機嫌が良いワケは無いのだから。

ブル−シ−トの上で今もスヤスヤ眠ったままの石垣が、ニヤケタ顔で寝言を言った。

「やった…!!やっと完成したぞぉ〜。
 春の新番組、“海洋戦隊セルリアン”先輩バ−ジョン…!!
 うにゃぐにゃふにゃ」

腹いせというより、ほぼ目に入らなかったのだろう。
踵を返した魔人の足が、プラモの箱に足型を残していった。

警察相手に本性を現し、大暴れするのではないかという最悪のシナリオの回避に安堵しつつ
弥子はその背中を追う。

何としても、財布を回収しなければ。
明日もタダで花見弁当にありつけるとは、限らないのだから。


   * * *


昨夜の一件は、翌日の朝刊の一面を華々しく飾った。
魔人が気配を察知するだけあって、只の殺人未遂ではなかったのだ。


  『桜の代紋、桜の下で大捕物
   勤務時間外に殺人未遂犯逮捕!!密輸ダイヤ取引による仲間割れか!?
   2億相当を押収。密売ル−ト摘発へ思わぬ糸口』


「せっかくの“謎”が生まれる前に邪魔されるとはな…。しかも警察に。
 有能すぎる手駒も考え物だ。
 ……まあ、大した腹の足しにもなりそうにない“謎”だったことだし、今回はやむを得まい。
 偶には手駒共にも手柄を立てさせねば、いざというとき使いにくくなる」

トロイの上に拡げた新聞を眺め呟く魔人に、弥子はホッとする。
あの後、笛吹や笹塚達は警視庁にとって返して仕事に追われたに違いない。
多分、今も。
お疲れ様です、と。弥子は心で手を合わせる。
現実の手は合わせることができないからだ。

「オイコラ、ふざけんな!!何で俺まで−!?」
「吾代さんも、お疲れ様〜。
 ……あんまり怒鳴ると、頭に血が下がるのが早くなるよ〜?
 ホラ、桜の花でも眺めて心を落ち着けて…」
「うるせェ!!俺ァ、頭に血が昇ってんだよ!!!
 朝っぱらから呼び出されて来てみりゃ、何で事務所に桜が生えてんだ−!!?」

魔人が何処かから(多分、あの公園から)引っこ抜いて来たらしい桜の木。
その見事な枝から、簀巻き状態で逆さ吊りにされている弥子と吾代であった。

「ハッハッハ、五月蠅い毛虫どもだ。
 その口に、仲間を詰め込んでやろうか…?」
「ぎゃあああああ〜、ヤメロ〜ッ!!」

魔人の笑いと吾代の悲鳴。

桜の花びらがトロイを飾る。
窓から差し込む春の日差し。
黒檀がいつもより艶やかに光って、なんだか嬉しそうだ。
あかねも壁紙の隙間から、桜を眺めているに違いない。
夜の桜も良いけれど、昼の桜もやっぱり良い。

……ああ、桜餅が食べたいなぁ…。

胸いっぱいに桜の香りを吸い込んで、弥子は思う。
意識が遠のくのは陽気の所為か、頭に下がった血の所為か。


日本の平和は、あの人達に任せて大丈夫!!


そう思えた、のどかで平和な春うらら。



                                   − 終 −


TextTop≫       ≪Top

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(以下、反転にてつぶやいております。)

情緒的な背景画像と全くマッチしない内容ですいません。(汗)
たまにはカップリング前提無しで、皆でワイワイしている話も書いてみたかったので。

…といいつつも、ほんのり「ひぐ→ヤコ」&「ネウあか」ですね。
笹塚さんが10代ズを心配するお兄ちゃん(というより叔父さん?)みたくなっているのが
拙宅にしては珍しいかもしれません。
そして警視庁トリオを、それぞれ酷い酒癖にしてすみません…。特に筑紫さん。(汗)
また、等々力さんはまだ“変”さが確立していないため、上手く使えませんでした。
石垣は常に冷遇されています。うん、石垣だからこれで良い。

尚、タイトルの「桜戦線」は造語です。
「桜」の字が入った風変わりで面白い言葉を捜したのですが、適当なものが見つから
なかったので、「桜前線」を捻りました。

最後に念のため。
私は「太陽にほえ○!」も「西部○察」も大好きでした。
あと、「大都○」とか「特捜最○線」とか「Gメ○75」とか…。
刑事ドラマ黄金時代のTVっ子ですから。
逆に「踊る〜」は、映画シリ−ズしか観ていなかったりします。