予防線



彼が初めて“彼女”を見たのは、ある事件の現場だった。
焦げ臭い匂い。床に飛び散る血痕。
爆発の跡も生々しいファ−ストフ−ド店には、客の代わりに警官がひしめいている。

野次馬を遮る黄色いテ−プ。
その向こうから、彼の良く知る名が元気良く呼ばれた。

「笹塚さ−ん!!さっきは“たこわさ”ありがと〜!!」

くすんだ薄茶の頭が、斜めに傾(かし)いだのが目に入る。
皺の寄ったス−ツの肩が下がったのは、溜息を吐いたからだろう。
思いながら、筑紫侯平(警視庁刑事部警部)は声の方向に顔を向けた。

派手な風貌の男に頭を捕まれ、“KEEP OUT”のテ−プを乗り越える少女。
明るい色のショ−トヘア。都内有数の私立進学校の制服。
くりっとした眸の、小づくりな顔。
間違いなく、噂の“女子高生探偵・桂木弥子”だ。

彼女が関わったとされる事件の捜査資料はもちろん、新聞雑誌の記事にTVの画像。
果ては飲食店から提供を受けた“早食い・大食い新記録達成記念写真”まで。
上司である笛吹警視の命令で、揃えたのは彼だ。
それ等の写真を見た時から、感じてはいたが…。

「また実物は一層、貧相なツラだ。こんなのが“名探偵”とは…、笑わせるな」

彼女に気づいた上司が、早速イヤミを並べている。
言い方はともかく、筑紫の目にも少女はイメ−ジしていたより、さらに華奢に映った。
凶悪な犯罪者に立ち向かう姿など想像できない、ごく普通の女子高生だ。

「捜査が一段落したら、おまえの化けの皮をはがしにかかってやる」

言いたいだけ言って、上司は探偵とその助手に背を向けた。
現場検証に戻る小柄な姿を横目で追いつつ、どうフォロ−に入るべきか考えていると
猫背気味の背中が彼等に近づく。

「悪いね、あんなんで」
「……笹塚さん」

初対面の相手に難癖をつけられ、唖然としていた少女の顔がホッと緩む。
その様子を無言で眺めながら、筑紫は心の中で呟いた。


……あ−、コレはマズイな…。


   * * *




  「笹塚ァ!!」

  キャンパスに、笛吹さんの甲高い声が響く。
  笹塚さんを怒鳴るように呼ぶのが、あの人の毎日の挨拶代わりだ。
  知り合った当初はいちいち驚いたが、今はすっかり慣れてしまった。

  「……あ−、はよ。笛吹に筑紫」
  「おはようございます、笹塚さん」

  煙草を咥えた笹塚さんは、眠そうな声で答える。
  低血圧で朝に弱いこの人は、午前中は大概ぼ−っとしているのだ。
  一方、朝からフル回転の笛吹さんは、ツバを飛ばす勢いで笹塚さんに詰め寄った。

  「おまえッ、昨日声を掛けてきた女をフッたというのは事実なのか!?」

  笛吹さんが笹塚さんに振る話題は、5割が試験やレポ−トの評価等、成績のこと。
  3割がマ−ジャンその他の賭け事のこと。そして、残りの2割が女性絡みだ。

  「………あ?ん−、タイプじゃね−から」

  そういえば、昨日は3年の合コンだっけ…。
  趣味と実益を兼ねたバイトにハマっている笹塚さんは、あんまりそういうのに顔を出さない。
  昨日も頭数が足りないからと、笛吹さんに強引に引っ張って行かれたようだ。

  「『タイプじゃない』だとォ〜!!
   彼女はウチの大学のミスコン優勝者だろうが!?」
  「………へ〜、そ−だっけ…?」

  気の無い返事の笹塚さんに、ますます熱(いき)り立つ笛吹さん。
  これも、いつものパタ−ンだ。

  「おまえッ!!学祭で、彼女に投票したのを忘れたのか−!?」
  「…………あ−…、うん。『2番に投票しろしろ』って、おまえがしつけ−から。
   俺は、どっちかって−と3番が良かったんだけど…」

  先輩達のやり取りを聞きながら、苦笑を噛み殺す。
  どうやら、昨日も笹塚さんの一人勝ちだったようだ。
  共に頭脳明晰・成績優秀・将来有望な先輩達だが、女性へのモテ方には差がある。
  哀しいかな、成績よりも賭け事よりも明確な差だ。
  それがまた、一方が一方に一方的に食って掛かる原因なのだろう。

  「俺は本校の名誉のため、萌え系より正統派グラマ−美人が選ばれるべきだと考えて
   ……じゃ、なく!!
   彼女のどこが気に入らないのか、具体的かつ論理的に述べよッ!!」

  ビシッ!!と、人差し指をつきつけられた笹塚さんは、溜息混じりの紫煙を吐き出した。
  何にでも理屈をつけて、議論を吹っかける癖のある笛吹さんに律儀に付き合うのは
  笹塚さんぐらいだろう。

  「ん−と…。化粧がケバイところ。やたら胸と尻のデカさを強調した服を着てるところ。
   無駄にしなを作るところ。スズメの餌みて−なメシをマズそ−につついてるところ。
   ……とか?」
  「では、何か!?おまえの好みというのは、化粧ッ気のない地味な顔に、電信柱のように
   貧相な身体。その癖、バクバクと良くメシを喰う、色気ゼロの女だとでも言うのかッ!!」

  また、そんな極論を…。
  口を挟もうと思った矢先、煙草を片手に首を傾けた笹塚さんは真顔で言った。

  「……い−なぁ、ソレ。そ−いう娘いたら紹介してくれ」

  次の瞬間、笛吹さんがブチ切れたのは言うまでもない。

  頭に血が上っていた笛吹さんは、笹塚さんがふざけていると思ったのだろう。
  けれど自分の見たところ、笹塚さんは大真面目だった……と、思う。





   * * *


……30分の仮眠で、懐かしい夢を見た。
乱れたオ−ルバックをなでつけながら、筑紫は苦笑混じりの溜息を吐く。
彼の机の上には、“クイ−ンメアリ−ズホテル”の図面が広げられていた。


   * * *


都内でも屈指の高層建築物、“クイ−ンメアリ−ズホテル”。
その35階の野外空中庭園では、爆発物の回収作業が行われていた。

へたり込んだ“無差別連続爆弾魔”を前に、2人はまた何か言い争っている。
正確には、怒鳴る笛吹に笹塚が淡々と受け答え、それがまた笛吹の怒りを煽るという
10年前とほぼ変わらない図だ。

「もったいないなぁ…。手柄、あの人にあげちゃうんだ。
 1人占めにしちゃえば、出世のチャンスじゃないのかな…」

いつの間にか、当然のようにそこに居る女子高生探偵。
黄色いテ−プが張り巡らされるより前に、現場に入り込んでいたらしい。
彼女は、笹塚が“ヒステリア”逮捕の手柄を笛吹に譲るのが、納得いかないようだ。
自分が現場から遠ざけられた理由すら、よく理解(わか)ってはいないのだろう。
それが筑紫には、歯痒くてならない。

優秀で、警察官としての信念と正義感に溢れた、尊敬する先輩達。
それぞれに誤解されやすい彼等をフォロ−することこそ、己の役割だ。

「笹塚さんは…、出世や保身とは全く縁のない人です」

筑紫は少女に向かって、ゆっくりと話し始めた。
不思議と存在感の薄い助手は、興味が無いのか少し離れた場所に立ったままだ。

「……まさに“ヒステリア”とは、正反対です。
 あの人は徹頭徹尾、本当の自分を見せなくなった」
「見せなく…、“なった”?」

初めは筑紫を警戒していた少女の顔が、次第に真剣さを帯びてくる。
黒目がちな眸は瞬きすら忘れ、彼の言葉を一言も聞き漏らすまいとしていた。

自分を見上げる女子高生探偵を、筑紫は頭一つ上から観察する。
そして再び、心の中で呟いた。


……この子、モロ笹塚さんのタイプなんだよなァ…。


少女のスレンダ−な体型と、化粧ッ気のない顔。色香のカケラもない言動から
彼はある意味、非常に失礼な結論に達していた。

あれから10年。キャリアと現場に道が分かれ、互いの立場は変わろうと。
今も心から尊敬する先輩である笹塚は、31歳。
対して目の前の少女は、16歳の現役女子高生。


……犯罪だ…。思いっきり都条例に引っかかる。


しかも少女の様子を見れば、笹塚に少なからぬ好意を抱いているのは明らかだ。
今は年上の男性を慕い、憧れるような気持ちでも、怖いもの知らずの10代。
思い詰めれば、どんな行動に出るかわかったものではない。


……危険だ…。あまりに危険すぎる。
   だからこそ、笹塚さんも桂木探偵と距離を置こうとしているのだろう。
   きっとそうだ。そうに違いない。むしろ絶対に間違いなく完璧にそうだ。


尊敬する先輩の社会的地位と世間的名誉を守るため、自分にも出来ることがある筈だ。
そう考えた筑紫は、少女への言葉を付け足した。


「……笹塚さんの妹は、あなたと同じぐらいの歳だった。
 雰囲気も、少し似てる気がする…」




   * * *






  「……って。あの時、筑紫さんに言われて。
   だから私、“妹みたい”にしか見てもらえてないって、ず−っと思ってたんですよね〜」

  定番の白いフリル…ではなく、ワ−クエプロン姿の“彼女”が、笑いながら言った。
  今も変わらず、あれほどの食物がどこに入るのか不思議な、細い身体だ。

  「………あ−…。それで俺は、いきなりシスコン呼ばわりされたワケか」

  コ−ヒ−を手に、笹塚さんが言った。
  驚いたことに、この新居には灰皿が一つも見当たらない。
  笹塚さんが家庭内禁煙をしているという噂は、事実のようだ。

  「え−、シスコンなんて言ってないですよ〜。
   『私のことが“好き”の、その前には“妹みたいに”ってのが入りませんか?』
   って、確認しただけで」
  「………てっきり、遠回しに『“お兄さんみたいに”しか思えない』って言われたのかと
   マジでヘコんだけど…」

  そう言った笹塚さんの目が、自分の方を向く。
  手土産の王美屋のフル−ツロ−ルケ−キでは、許してもらえそうにない鋭さだ。
  来客用のソファ−の上で冷や汗を滲ませつつ、深々と頭を下げた。


  「……その節は、大変に申し訳ないことを……。」


  だが、自分は密かに自負している。
  笹塚さんが、かつての“女子高生探偵”と世間から後ろ指をさされることなく
  家庭を持つに至ったのは、自分のフォロ−あってこそだと。



                                   − 終 −


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(以下、反転にてつぶやいております。)

笹塚さんが、弥子ちゃんに殺された妹さんを重ねている…という笹ヤコのお約束は
第30話での筑紫さんの一言が元になっています。
……しかし。
笹塚さん自身の言動には、弥子ちゃんと妹を重ねていることを匂わせる明確な描写は
見当たりません。(←自分的解釈では、ですが)
亡くなったのが同じ年頃なら、重ねても不思議はありませんが、刑事で大人の男性が
女の子を危険から遠ざけようとするのは当たり前ですし。

……と、いうことで。
筑紫さんの“あのセリフ”について、勝手に妄想してみた結果のコネタです。
私の中の筑紫さんは、尊敬する先輩達のフォロ−が自分の天職だと思っているらしい。
それぞれが幸せな家庭を持つのを見届けて、やっと自分のことを考えるような人。
(だから笛吹さんも早く良い嫁を見つけないと、筑紫さんが晩婚になるばかり…。)

…ここは一つ、ツッコミは無しの方向で…。(汗)