帰 来 『アニキ?今日、実家(こっち)帰ってくんだよね?』 耳元で響く声。 あれ、そうだったっけ? 自分の口が、携帯越しに答えていた。 『あっ、ひで−!!あたしの誕生日つったじゃん!! それと、あんたの励ましかねて!!』 生意気盛りの妹。 “お兄ちゃん”が“アニキ”に変わったのは、いつからだったか。 思いながら、口は勝手に動く。 あ−ゴメン、悪かった。じゃあ、今から行くよ 右手が通話を切る。 早く逃げろ、警察に行け そう伝えることも出来ずに。 いつもと同じ、夢。 かつて経験した現実のリピ−ト。 傷のついたレコ−ドが、繰り返し同じ旋律を奏でるように。 傷のついた脳が、眠りの中で記憶を再生するのだ。 一切の干渉を許さず、僅かな変更さえ受け付けず。 忠実に、正確に。 何度も、何百度も、何千度も。 夢の中、21歳の自分。友人に囲まれ、笑っている。 気にかかるのは、来週に迫った国家T種試験。それもまぁ、何とかなるだろう。 笛吹に勝つのは骨が折れるが、かといって本気を出さね−と絶交モノだ。 イイヤツなんだけど、何にでもムキになる。今頃、筑紫が絡まれてね−と良いけどな。 考えているのは、その程度。 10年前の自分は、反吐が出るほど能天気だ。 未来は、バラ色とまではいかずとも、ほどほどに順調だと思っていた。 何の根拠もなく。 やがて目の前に、見慣れた我が家が現れる。 まだひび割れていない壁。手入れのされた植込み。街灯に照らされた表札。 夢の中の自分は、それらを当たり前のように目に映している。 夢の外の自分は、それらにさえ恐怖に似た痛みを覚える。 久しぶりに使う、家の鍵。最初のドアが開く。 近頃は物騒だからと、前の年にオ−トロックにした。 せめて鍵が開いたままなら、あの凄惨な光景を予期出来たろうか…? 鮮明だった記憶が、ゆっくりと混乱し、曖昧にぼやけはじめる。 土間に並んだ、妹のロ−ファ−と父の革靴。 その間に、自分のスニ−カ−を脱いだ筈だ。 きちんと揃えられたスリッパを履いて。ただいま と、言った筈だ。 廊下の向こうからは、誰の返事も無い。それを不審に思った筈だ。 親父?お袋…? そして妹の名を呼びながら、ノブに手をかけた筈だ。 覚えているのは、床の軋む音。 レバ−ハンドルを掴んだ、他人のもののような右手。 ……そして、ドアが開く。 「アニキ、おっそ−い!!」 妹が、唇を尖らせていた。 ドアの向こう。テ−ブルには所狭しと並んだ料理。4人分の食器。 「おう、衛士来たか。まぁ、座れ。焼酎あるぞ、焼酎!!」 既に食卓についていた父が、グラスを手に目を細める。 その奥で、エプロン姿の母が盛り付けの手を止めた。 「衛士、ちゃんと食べてるの?少し顔色悪いんじゃない? 今夜は腕をふるったから、しっかり栄養取って行きなさい」 いつものとおり、用意された自分の席。 母の手料理も父の晩酌に付き合うのも久しぶりだ。 「お母さんってば、ひで−んだよね〜。 あたしの誕生日なのにさ−、アニキの好物ばっか作ってんの。 お父さんだって、高い焼酎買ってきちゃってさ−!!」 今度は両親の方を向いて文句を言う妹。 お前も20歳になったら父さんと一緒に焼酎飲もうな やだよそれ芋臭いしど−せなら ワインとかお洒落なカクテルがいい 何いってんのあんたの好物もたくさん作ったのに こんなに誰が食べるのさアニキ図体デカイのに超少食じゃんそれにあたしダイエット中 口は減らなくても、妹の眸は笑っている。 賑やかな食卓。家族団欒の光景。 なんだそうか今まで見ていた方が夢だったのかずいぶんと長い夢だったなあ あれでもどんな夢だったか思い出せね−な何かすげぇ内容だった気がするけど まぁいいかどうせ夢だし俺はちゃんと家に帰って来れたんだから何もかもこれで 「アニキ!可愛い妹へのプレゼント、忘れてね−よねッ!?」 こんな時だけ笑顔だなお前もちろん閉店間際のデパ−トでちゃんと買ってきたって 店員はカノジョへのプレゼントだと思ったみて−だけどめんどいから訂正しなかった ありがた−く受け取れよこれで笛吹と筑紫から巻き上げた金もパアなんだからな 肩に担いだリュックを下ろし、やたら丁重なラッピングを取り出す。 ドアの向こうで、妹が笑う。差し出された手のひら。両親も笑いながら見守っている。 さあ、小さな包みを右手に、家族の元へ… 『だめ…っ』 どこからか、か細い声がした。 強くはない力で、後ろに引っ張られる。 『いっちゃ、だめ…!』 振り返ると、女の子が立っていた。 5つか6つぐらいだろう。大きな眸で自分を見上げながら、シャツの裾を掴んでいる。 どこの子だろう?見覚えは、なかった。 だが、どこかで会ったことがある気もした。 『いかないで…!!もう、あえなくなっちゃう』 小さな両手をしっかりと握り、裸足で踏ん張って。 自分を“向こう”に行かせまいと、必死に頑張っている。 溜息を吐いて、膝をついた。振り切るのは簡単だが、乱暴なことはしたくない。 空いている手を、明るい色をした癖っ毛に乗せる。 でも行かね−と長いこと皆を待たせちまったし俺も家族に会うのは久しぶりだし 置いてけぼりはいやだしさ俺は家に帰るから君も早く帰らね−と心配してるよ 小さな頭が項垂れる。両手から、するりとシャツが抜け落ちた。 やれやれと腰を上げかけたところで、気づく。 スリッパのつま先に、裸足の爪に、フロ−リングの床に。落ちる、水滴。 ぽとり ぽたり ぽたた ぱたたたっ ちょっと待った何で泣くのもしかしなくても俺のせいかよ何か悪いこと言ったか ええと弱ったなハンカチいつ洗濯したっけ ポケットを探ろうと、ふわふわの髪から手を離す。 その手首を掴んだ白い両手は、細くても、もう子どもではなかった。 涙に濡れた大きな眸。 妹と同じ年頃の…、けれど少しも似ていない少女。 引き結ばれていた唇から、声が漏れる。 『わかってる、わかってるけど。それでも…!! おねがい、もうしばらくここにいて。わたしといっしょに、くるしんで』 思い出せなかった筈の夢の中で、良く知っている少女だった。 夢だと思った、現実の中で。 ならば今、見ているのは…… 『お父さん、お母さん。アニキ、まだみたい』 妹の声。振り向くと、ドアが閉じかけている。 『そうか、そりゃ仕方がないな』 『仕方がないわねぇ』 両親の声。それは少し残念そうで、とても嬉しそうに聞こえた。 ゆっくりと細くなる隙間。消えていく“向こう”の光。 思わず、少女に掴まれていない方の手を伸ばす。 せめて、この手の中のものを妹に届けなければ。 そう思った、瞬間。 右腕に、引き千切られるような痛みが走る。 手の中にあるのはプレゼントの包みではなく、朱に染まった銃だ。 だが、どちらにしても自分には、その重みすら感じられない。 記憶の断片、歪む視界。 押し寄せる狂気と悪意。凶刃、凶弾。悲鳴を上げることも出来ず、立ち竦む少女。 彼女を守る“あの男”の姿は無い。 それに気づいたのすら、身体が動いた後のことだ。 「………ッツ、ネウロ、ネウロ…!!」 「ボロ雑巾には似合いの顔だな、ヤコよ…。だが、解せん。 その男のおかげで切れ端にならずに済んだのだ。貴様は笑うべきだろう?」 ああ無事だったのか良かった“そいつ”がきたならもう大丈夫こわいことは何もない 君はちゃんと家に帰れる なのに なんで ないてんの…? 「馬鹿魔人ッ!!こんな…、こんな時に何言ってんのッツ!? ………が、死んじゃう…!!」 途切れる感覚、前後の秩序を失う時間。 血の匂い。動き回る人の気配。耳障りな機械音。怒鳴る幾つもの声。 苦痛。鈍痛。激痛。 「……かさん!!」 「心拍、戻りました!!」 「さ……かさん、ささづ……ッ!!」 「よし、搬送先に緊急連絡。 君、患者に呼びかけて!!もっと!!」 「ささ……、…づかさん、…さづ……っ、ささづ…さん!!」 「患者、男性31歳、右上腕の動脈を切断、他、裂傷と骨折多数。 出血多量。一時、心停止。現在、車内で救命活動を継続。血液型は…」 最後の記憶は、耳元で響く声。 枯れ果て、かすれ切った咽喉で。 何度も、何百度も、何千度も。 「笹塚さん、笹塚さん、笹塚さん…ッ!!」 * * * 病室のドアが横にスライドする。 挨拶も無しに飛び込んで来たのは、やかましい後輩兼部下だ。 「せんぱあぁああああ〜〜い!!1ヶ月ぶりにやっと会えた−ッツ!! 俺、先輩が心配で心配で。ロクに眠れなかった間に先輩を思いながら作った傑作の 全てをここに……ぶごっつ!?」 後頭部に頭突きを喰らった石垣が撃沈する。それも、見事にプラモデルの上にだ。 「病室で騒ぐなと言った端から、何やってるんですか!? やっと面会が許可されたとはいえ、笹塚先輩は重傷の身なんですよ!!」 倒れた背中に言い捨てると、等々力はベッドに横たわる笹塚に向かって敬礼をした。 「ご療養中のところ、お騒がせして申し訳ありません。 本日より面会の許可が出ましたので、警視庁を代表し、お見舞いに伺わせていただきました」 右腕をギプスで固定された笹塚は、生真面目な後輩兼部下に左手で敬礼を返した。 泣きながら作品の残骸を集める石垣を尻目に、等々力はテキパキと同僚等の様子を報告する。 笛吹と筑紫は、相変わらず忙しいようだ。 2人から預かったという見舞いの品を手渡された。 筑紫からは、ダンベルにグリッパ−、ゴムボ−ル等々。添えられたカ−ドには、 『今後のリハビリにお役立てください』とある。 笛吹からは、昇進試験用の参考書の山。メッセ−ジは無いが、言いたいことはわかる。 『現場で使えないなら、管理職でコキ使ってやるから上がって来い』だ。 笹塚の右腕は、切断を免れたのが奇跡と言われるほどズタズタだった。 いや、命が助かったこと自体が、奇跡だと。 丸太のようなギプスの端からのぞく指先は、針で突けば辛うじて痛みを感じる。 リハビリ次第で、キ−ボ−ドを打つ程度の作業は出来るようになると医者は言った。 だが、銃を撃つことは不可能だと。 まあ、左でも撃てるけどな と、参考書の表紙を眺めながら笹塚は思う。 右ほどの命中率はないが、それでも石垣よりは遥かにマシだ。 もっとも現場に復帰出来るかは、退院の目処が立ってからの話だ。 それまでの暇潰しには、丁度いい。 警察官の他に、やりたい仕事があるわけではないのだから。 報告を終えた等々力は、窓辺に飾られた花に目を向けている。 捜査一課と刑事部の総務が送ってきた、豪華なアレンジメントとは違う。 明るい色でまとめられた小さな花束は、高校生の小遣いで買える程度の値段だろう。 それに気づいたのか、等々力はハッと表情を変えた。 だが次の瞬間、踵を返して石垣の襟首を掴む。 「……では、我々はこれで失礼します。先輩、どうかお大事に。 さぁ、石垣さん!!仕事ですよ仕事ッ!!」 「こンの小娘がぁ〜!!モデラ−界に輝く俺様に指図をするとはいい度胸だ!! まだ先輩とは積もる話が…って、オイ。エレベ−タ−はアッチだろ−が!?」 「馬鹿で輝くのも大概にしてください!! それに今日は健康のため、非常階段を使いますからね!!ホラ、さっさと歩いて」 病室を出てからも騒々しい声が、遠ざかっていく。 あれはあれで良いコンビだ。当人達が何と言うかは置いといて。 痛み止めの所為で、ぼんやりする頭で考える。 しばらくして、また足音が近づいてきた。ハイヒ−ルでも革靴でもない、軽い音。 目敏い後輩は、窓の下を歩く見舞い客に気を利かせたらしい。 ぱたぱた ぱたぱたぱたっ 面会が出来ると知って、廊下を急いでいるのだろう。 看護士に見つかって、怒られないといいけどな。 ゆっくりと、身体をドアの方に傾けながら思う。 あの子は最初に何と言うだろう?右腕を見て、泣くかもしれない。 だから、その前に言っておこう。毎週届けてくれた花束の礼よりも先に。 ピタリと止まる足音。呼吸を整えているのか、暫しの間。 そして、ドアが開く。 「……ただいま、弥子ちゃん」 大きな眸に涙が滲むのが見えた。 「おかえりなさい…、笹塚さん」 − 終 − ≪TextTop≫ ≪Top≫ *************************************** 2008.8.12 本文を一部修正しました。 (以下、反転にてつぶやいております。) 「ネウロ」にハマったごく初期から考えていたネタの一つというか、一部分です。 長編を書く根性が足りないため、かなり端折ってまとめました。(汗) 端折った部分を含めて大雑把に説明すると… 笹塚は家族の仇(Xか、6か、他の何者か)と対決するものの、相手と決着をつけるより 居合わせた弥子を守ることを優先。結果、重症を負って死にかける。 その際、繰り返し見ていた過去を再現する悪夢の“違った続き”を見る。 辛うじて命は助かったものの、代償に笹塚は右手を失う。 だが、弥子を含めた周囲に支えられ、警察官を辞めずに生きるだろう。 …と、いうもの。 どうしても私には「笹塚さんの一人称」が難しく、一人称と三人称を混乱させた形で 書いてみました。読み難くてすみません。(汗) ちなみに当初はスッパリ右腕切断でしたが、ちょっとアレかと本文では微修正。 また、魔人様は魔界道具を応用し出血の速度を遅くするなどして、笹塚さんの救命に 一役買っている…というのが書ききれなかった裏設定です。 但し理由は、『笹塚が死ぬとヤコが(精神的に)壊れて使い物にならなくなる』から。 拙宅の魔人様は、大概こんなイメ−ジです。(汗) 今後、「血族」との決着がどうなるかわかりませんが、笹塚さんを初め、主な登場人物の ご無事を願って。 なお、一応「笹→ヤコ」と記載していますが、互いに恋愛感情を自覚していない段階。 でも潜在的には「笹→←ヤコ」です。 これからの入院&リハビリ生活で多分、何とかなるのではないかと。(笑) |