煙 霞



『笹塚家之墓』と刻まれた御影石の前で、煙草に火を点けた。
フィルタ−を咥えて、深く吸う。
次の瞬間、毎度のごとく激しく咽(むせ)た。

ゲホゲホと咳をしながら、いつものように思う。
なんで、こんなものが好きだったんだろうと。

息が整うのを待って、細く紫煙を上げるそれを香炉の前に置いた。
花立に生けられなかった百合は、拝石の上に。

一歩さがると、パンプスが敷石で硬い音を立てる。


「おひさしぶりです、笹塚さん」


かつての女子高生探偵は、そう呟いて手を合わせた。



   * * *



「私ね、今年で31になったんですよ−。
 笹塚さんと同い歳だなんて、すっごい不思議な感じです」


暫しの黙とうの後、弥子は棹石(さおいし)に向かって話し掛ける。
ただ静かに、ゆらゆらと立ち昇る白い煙。
まるで、そこに彼の人が居るかのように。


「16歳だった私には、笹塚さんはすごく大人で落ち着いて見えました。
 いつか私も、あんな風になれるのかな−って。実は憧れてたんですよね…。
 でも、いざ自分が31になってみたら、もうゼンゼンでガックリです。
 ついウッカリと余計なツッコみ入れちゃったり、要らないお節介を焼いちゃったり。
 相変わらず、トラブル続出の毎日ですよ。
 なんかもう、高校生の頃から進歩ないな−って」


盆でも彼岸でもない郊外の霊園に、人影は少ない。
まだ鮮やかさを保つ木々の緑。
それでも近づく秋の気配が、いくつもの墓石の間を静かに流れる。
煙草の香りを揺らして。


「……私、自分が仕事をするようになって、つくづく思い知りました。
 忙しい時に周りの、それも部外者にまで気を配るのって、口で言うほど簡単じゃない。
 その部外者の小娘に、仕事に首を突っ込まれて、好き勝手に引っ掻き回されて。
 それで腹を立てないなんて、なかなか出来る事じゃない。
 ホント今更ですけど、あの頃の自分には顔から火が出る思いです。
 笹塚さんには申し訳ないやら、ありがたいやら。もう、頭を上げられません」


言葉どおり、弥子は90度に頭を下げる。
思い出すのは、いつも同じ姿。
くたびれたス−ツに、だらしなく緩んだネクタイ。
少し背中を丸めて、肩から上が斜めに傾いて。
気だるそうで、めんどくさそうで、やる気なさそうで。
でも、いつも彼女を気にかけてくれた人。


「……でもね、笹塚さん…。
 私、笹塚さんと同い歳になるより、46歳の笹塚さんに会いたかったなぁ…。
 たまに会って、一緒に焼酎とか飲みながら昔話なんかして。
 あの折とかこの折とかその折とかは、すいませんでした−ッ!!…って、会う度に謝って。
 でも、今はこうして元気で、幸せにやってますって。
 笹塚さんのおかげですよって。ありがとうございますって。
 ちゃんと、言いたかったなぁ……」


頭を下げたまま、小脇に抱えたハンドバッグからティッシュを取り出した。
2、3枚引き抜いて目元を押さえる。
鼻をかむと、その勢いで白い花びらが震えた。

花の香りと煙草の煙が交じり合う。
ふわりと、弥子の髪を、頭を撫でるように。


「……私ね…。あれから、ずうっと考えてたんです。
 あの時、笹塚さんは最後に私を見て、どうして笑ったのかなって」


顔を上げて、物言わぬ石を見つめる。
ぐしゃぐしゃのティッシュをバッグに入れて、弥子は言葉を続けた。
その端々で すん と鼻を啜りながら。


「出血で朦朧としてて、私を妹さんと間違えたのかもしれない。
 私に心配させたくなくて、無理に笑ってくれたのかもしれない。
 それとも、何か伝えたいことがあったのかも…。
 だとしたら、それは何だろうって。
 何通りも、何十通りも考えて。それでもまだ、納得のいく答えが見つからない…」


どこかで、鳥が鳴いていた。
その声に耳を澄ませる。
大気に溶けて見えなくなっていく煙。
蝉の季節は、もう通り過ぎている。


「……笹塚さんと同い歳になったら、わかるかな−とか思ってたんですけど。
 やっぱり駄目ですね〜。まだまだ人生修行が足りないみたいです」


ニッコリと笑う。紅くなった目元と鼻とで。
今でも悲しい。今なら泣ける。そして、笑うこともできる。
あの時は、出来なかったことが。

生きている。変化する。
それはけっして、不幸なことではない。


「あ、それから警視庁の皆さんは……って、報告の必要はないですね。
 それぞれに来てるみたいだし」


ゆっくりと、弥子は立ち上がる。
カツンと、踵が音を立てる。


「じゃあ、また。笹塚さん」


記憶の中で、返事があった。
抑揚の無い低い声で、ぼそりと呟くように。



  『またな、弥子ちゃん』



瞼に浮かんだ笑みに、弥子も笑みを返す。
同じように穏やかに、やわらかく。

あの時は出来なかったことが、今なら。


もう一度、深く頭を下げた拍子にポトリと水滴が落ちて
弥子は慌ててティッシュを捜した。



   * * *



「ごめんね−、タイクツだった?」

縁石の端に座っていた子どもが、もぐもぐと口を動かしながら立ち上がった。
お供え物に手を出さないようにとあてがったキャラメルポップコーンの大袋が、10分足らずで
食べ尽くされている。
我が子ながら末恐ろしいと思いつつ、右手を伸ばした。

「じゃ、行こっか。
 まずはデパ地下巡りして、それからお祖母ちゃんちね−。」

咀嚼と嚥下の作業を終えた子どもが、小さな手で弥子の指先をぎゅっと握る。
将来は父親に似そうな、けれど今はまだつぶらな眸が笹塚の墓を映した。

「これ、だあれ?おじ−ちゃんじゃないよね」

幼いながら、そこにいるのが“人”だということは理解しているのだろう。
それが母親にとって、“大事な人”だということも。
敏いところは彼女似だと、親バカ丸出しの夫は強く主張する。

「ん−、パパにはナイショって約束する?」

微笑みながら言うと、真剣な顔で小指を差し出した。
素直で可愛い気があるのは、どっち似だろう?
弥子はますます破顔する。


「うん、やくそく−!!」


何よりもいとおしい、日常。
命をかけて守る、価値のあるもの。

指切りの向こうには、フィルタ−まで燃え尽きた何本もの煙草。
敷石に溢れる白い花々。


「この人はね−、ママの」


忘れない 忘れられない
いつも煙草の匂いと花の香りにつつまれている、貴方は




  「初恋の、人」



                                   − 終 −


※ 煙霞(えんか):煙(のように立ち込めたもや)と霞(かすみ)
            ほのかにぼんやりと見える景色、自然の美しい景色


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  2009. 5.10  ネタバレ注意書を削除しました。
(以下、反転にてつぶやいております。)

原作でお葬式があった以上、お墓参りの場面もいずれ出てきそうな気もしますが…。
第181話以降、頭の中をぐるぐる回る数限りない妄想イメ−ジの一部断片寄せ集め。

弥子ちゃんの旦那さんについて、敢えて設定はありません。
既に出会っている人(人外含む)かもしれないし、これから出会う人かもしれない。
また、弥子ちゃんの職業についても特に設定はありません。
探偵業を続けているのかもしれないし、意外と警視庁に入っているのかもしれない。
あるいは、全く別の仕事をしているのかもしれない。

ただ、独りではなく家族があり、職業も持っている15年後。
31歳・既婚・働くママさんな弥子ちゃんです。

笹塚さんとは特に両思いだったわけではなく、ず−っと後になって
『ああ、そうだったんだ…。』と、やっと気づくような笹←ヤコ。
そして笹塚さんの最後の笑みは、目の前に居る人間に向けた無意識で単純で純粋な
“好意”だったのではないか…と。
そういう解釈も有りかな〜と思う現時点です。

ところで笹塚さんの吸っている煙草の銘柄は良く分からないままでした。
とりあえず背景画像はコレですが、縦にラインが入っているコマもありましたし。
あのキャラのことだから特に銘柄のこだわりもなく、適当に吸っていた気もします。