終 始



午前0時が近づくにつれ、人の数は増えるばかりだ。
石造りの柵に背中を預け、笹塚は人の波を眺めていた。

流れの向かう先は、都内でも名の知られた神社である。
正月三が日の参詣者の数は、全国でも十指に入った筈だ。
ニュ−スで見たのか新聞で読んだのか。そんな知識を記憶から取り出して、溜息を吐く。


家族連れや学生同士のグル−プ、それにカップル。
ダウンジャケットとコ−トで着膨れした人々の中には、ちらほらと和服も見える。
大人しく、家で年越しソバでも啜っていればいいものを。
一体、何が楽しくて寒空の下に集まってくるのか…。


吐き出す息は、煙草ではなく冷気で白く染まった。
年末は、強盗や空き巣が多い。不景気であれば尚更だ。
現に今、笹塚のチ−ムも強盗殺人を担当している。犯人は既に確保されたが、余罪の追求は
年を越す。
人手は幾らあっても足りないというのに、この時期はあちこちの寺や神社、カウントダウン
イベントの為に人員を割かれてしまう。

現役の警察官にとって年末年始とは、そういう忌々しい時期である。
だいたい、こんな芋洗い状態。スリにとっては格好の仕事場だ。
無気力な視線を投げかけつつ、刑事の習性で人ごみの中に不審者を捜す。
だが、笹塚の目に映る顔の大半は、新年への期待で浮き立っていた。
日付が替わり、暦が変わる。それだけのことに、特に意味があるとは思えないのに。


また一つ、白い息を吐く。
その度ごとに、身体の奥から体温が奪われていくようだ。
くたびれたコ−トの襟を立て、マフラ−に首を埋めた。
ポケットに両手を突っ込むと、指先に中身のない煙草の箱が触れる。
コンビニに夜食を買いに行く後輩2人に、ついでに1箱を頼んだが、まだ帰って来ない。


 『先輩!!年越しっつったら、やっぱ天ぷらソバっスよねッツ!?』
 『いいえ、年越しソバと言えばタヌキに決まってますよ!!』


出掛けに唾を飛ばして尋ねられたのに、限りなくど−でもいい声で


 『どっちでもい−から、さっさと帰って来い』


…と答えて送り出してから、10分は過ぎている。
等々力が一緒だから、石垣が食玩の棚の前で動かないということはないだろう。
単純に店が混んでいるか、ソバが売り切れてコンビニをハシゴしているか…。
別に何でも構わないのに、20代前半の後輩達は笹塚よりも年中行事にこだわりを見せる。
正直、今の自分に必要なのはソバより煙草だ。

口寂しさを紛らわせるように、また溜息を吐く。
そのとたん、ス−ツ越しに振動が伝わった。


 『ソバの代わりにうどんとラ−メン、どっちがいいっスか!?』


…とかいう話だったら、置いて帰ろう。決意して、片手で携帯を引っ張り出す。
液晶の描く時刻は23時50分。その下には、予想に反して15歳年下の恋人の名。
メ−ルは日に2〜3件届くが、彼女から電話を掛けて来ることは滅多にない。
4コ−ル目の途中で通話に切り替えた。

「……もしもし、弥子ちゃん?」
〔あ、笹塚さん。コンバンワ!!
 お仕事中に、ごめんなさい…。今、大丈夫ですか?〕

彼女も外出中なのだろうか。
少し声が聞き取りにくいと思いながら、返事をする。

「……ん、今はね。何か、急用?」
〔えと、あの、別に用とかじゃないんですけども…〕

口ぶりからしてトラブルに巻き込まれたとか、そんな話ではなさそうだ。
恋人からの電話だというのに職業的な思考だが、勤務中なのだから仕方ない。
安堵しつつ、弥子の言葉を待った。

〔……もう、今年も終わりだなあって思って。だから、その…ッ。
 笹塚さんの声を聞いていられたらいいなって…、思って〕
「……………。」

そういえば、年末から年明けまでは携帯が繋がりにくくなる。
友人同士や恋人同士が、一斉に携帯を使って新年の挨拶をするからだ。
それは同時に、携帯からの緊急通報も繋がらないということで、警察にとっては
迷惑以外の何ものでもない。
…と、いう空気を読み取ったのか、彼女の声が慌てる。

〔や、やっぱり迷惑でしたよねッ。笹塚さん、お仕事中だし…。
 大晦日とかお正月とか警察は一番大変で、浮かれてる時じゃないし。
 えと、じゃあまた。よいお年……〕
「弥子ちゃん」

笹塚は、年の瀬の挨拶を遮った。弥子が一瞬、息を呑む。
次に出した声で、彼女の項垂れぶりが手に取るようにわかった。

〔ご、ごめんなさい〕
「……なんで、あやまんの?」
〔だって、お仕事中に電話…〕

笹塚は顔を上げ、周囲を見回す。
後輩達の姿が影も形も見当たらないのを確認し、言葉を紡ぐ。

「出れなきゃ出ね−し。話してらんなかったら話してね−し。
 だから、そんな気ィ遣わなくってい−から」

携帯の繋がりの悪さは、自分達が話を止めたからといって改善するものでもないだろう。
笹塚は、警察官らしからぬ結論に達する。
夜食も煙草も届かないのだ。口寂しさを紛らわすには、彼女との会話が必要だ。

〔あ、そ…ですか〕
「ん、そ−だから」

やる気の無い肯定に、弥子の声が元気を取り戻す。
いつもどおり、口数の少ない笹塚を促しながら話し出した。

〔笹塚さん、今は外ですよね?車の中とかじゃなくて。
 なんか、まわりがザワザワしてるし〕
「……ん。弥子ちゃんも外?」
〔そうなんですよ〜。友達と初詣に繰り出してて。凄い人ですね−。
 屋台に並ぶのも大変です〕

そっちかよ、と内心でツッコみつつも笹塚は苦笑する。
多分、今も手には食べ物を持ったままなのだろう。その様が容易に思い浮かべられる。

〔笹塚さんは、初詣の警備ですか?〕
「いや、聞き込みの帰り。警備用の駐車スペ−ス借りただけ」
〔そうですか−、お疲れさまです。
 寒いから、風邪引かないように気をつけてくださいね〕
「弥子ちゃんも、な」

携帯に向かって吐き出す息は、相変わらず真っ白だ。
なのに不思議と今は寒さを感じない。
弥子からのクリスマス・プレゼントだったマフラ−が、やわらかく襟元を包んでいる。

〔あ、私は大丈夫ですよ〜、着物って結構あったかいから。襟巻きもしてるし。
 笹塚さんよりは断然、厚着してます〕
「弥子ちゃん、もしかして振袖…?」
〔はい!!初詣だから、みんなで振袖にしようって〕

笹塚の脳内弥子が、普段のコ−ト&ブ−ツ仕様から振袖姿へと変換される。
…が、上手くいかなかった。
彼の想像力は、見たことの無いものを再現できるほど創造的ではない。

「そっか…、見れね−で残念」

笹塚は、素直に呟く。
傍(はた)からは残念さの欠片も感じられない口調だが、彼女には通じた。

〔や、あの、えっとぉ…。(/////)
 お見せするホドのモンじゃないんで、ガッカリしないでくださいね?〕

弥子の言葉に首を傾げる。携帯で写メでも送ってくれるつもりだろうか?
尋ねようとした瞬間、その声が勢い込んだ。

〔あ、もうカウントダウンですよ!! じゅ−う、きゅ−う、は−ち…〕

話している内に、10分が過ぎたらしい。
弾んだ声。彼女もまた、来年への期待に心を浮き立たせている。
人波からも声が上がる。


  な−な、ろ−く、ご−、よ−ん


笹塚も、口には出さずに呟いていた。携帯からの号令に合わせて。


 〔さ−ん に−! い−ち!!〕


次の瞬間、歓声と口笛が弥子の声を掻き消した。
参詣が始まったのだろう。揺れるように人波が動き出す。
遠くで誰かが叫んでいた。


 『走らないで下さ−い!!福は逃げませんから!!』


ご苦労なことだと思いながら、新年の挨拶を口の端に上らせる。


「弥子ちゃん、明けま…」
「笹塚さん、明けましておめでとうございます!!」


その声は、背中から聞こえた。
振り返ると、そこに弥子が立っている。携帯を持った手をヒラヒラさせて、笑って。
もう一方の手には、やたら大きなビニ−ル袋を持って。
春の花の上を蝶が踊る振袖は、彼女自身をそのように見せている。
…が、笹塚の口から出たのは素朴な疑問だ。

「……何で、いんの?」
「初詣だって言ったじゃないですか−。
 ここの神社、全員のウチから近くて便利なんです」

彼女の家と学校とを思い出し、成る程と思う。だが彼女は偶然、自分を見つけたのだろうか?
その疑問を察してか、弥子がタネを明かす。

「屋台巡りの途中でコンビニに寄ったら、石垣さんと等々力さんを見かけました。
 ポットのお湯が切れちゃって、沸くのを待ってたみたいですよ?
 『先輩が待ってるのに、年が明ける〜ッ!!』って。
 どっちも両手にカップ麺のおソバ持って、叫んでて。
 それで、近くに笹塚さんが居るんだなって。
 慌てて飛び出して、友達と別れて、神社の周りをぐるぐるしてました」

笹塚は早速、今年最初の溜息を吐いた。
石垣だけならともかく、等々力までもテンション上がりまくりらしい。
しかし、おかげで弥子に会えたのだ。後輩達の喧しさも、偶には役に立つ。
それからやっと、携帯を耳に当てたままなのに気づいた。
新年の挨拶をしそびれていたことも。
パチンと閉じて、心持ち背筋を伸ばす。それでも、口から出るのはいつもどおりの声。

「……ま、おめでとう」
「はい、今年もよろしくお願いします!!」

咲くように、舞うように、弥子が笑う。
携帯をコ−トのポケットに入れて、空いた手を伸ばした。
遠くから後輩達の声がするのを聞きながら、指先に力を込める。
焼きソバやお好み焼きが詰まった袋の重さごと、小さな手を包み込む。

「コレ以上は、また今度ね」

耳朶を掠めるように呟くと、真っ赤に染まる。


  今年も、よろしく。



   * * *


「……で、弥子ちゃん。ソバは天ぷらとタヌキ、どっちが好き?」
「どっちも!!」
「んじゃ、俺が一口づつ喰った後はよろしく」
「わ−い!!」



                                   − 終 −


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(以下、反転にてつぶやいております。)

笹ヤコ年末年始。
探偵業とか魔人様とか細かいことを省略すると、ロ−テンション刑事と大喰い
女子高生の年の差カップル
それはそれで、話は成立するな−と思います。
原作にはあり得ないラブコメだけど、ソコは二次創作万々歳の精神で。
今年もよろしくお願いいたします。