甘 苦



 〔今度の土曜日、笹塚さんのお家で待ってていいですか?〕


日々届く、年下の恋人からの近況報告メール。
その最後に書き添えられた質問に、笹塚は短く返信をした。


 〔遅くなると思うけど、それで良いなら〕


2分と経たず、着信を知らせる点滅。
開いてみると、彼女にしては珍しく1行メ−ルだ。


 〔土曜日中には帰れそうですか?〕


笹塚は首を傾け、捜査一課の壁に貼られたカレンダ−を確認する。
最近は親切に、祝祭日や大安以外のイベント日も印刷されているのだ。
次の土曜の日付の下に、“バレンタインデ−”の文字を読んで成る程と思う。
……結局、喫煙室に足を運んで電話した。


「なるべく早く帰れるように、努力する…。
 ………まあ、期待してるから」
「はい、今年は本命チョコですから期待しててください!!」


携帯の向こうでは、挑むように力んだ声。
やっぱり、女の子には全力投球のビッグイベントなのだろう。

甘いものは特別好きではないが、嫌いというわけでもない。
彼女が喜ぶのなら、ケ−キでもトリュフでも市販の板チョコでも食べて見せる。
そのために、土曜は昼食も夕食も摂らず、ハイスキル&ハイスピ−ドで仕事を終えた
笹塚であった。


   * * *


ドアを開けると、玄関にまでチョコレ−トの甘い香りが漂っていた。
家の台所を使ったらしいが、さて、どれだけの量になったことやら。
味見と称して、大半が彼女の胃に収まってくれているといいが。

出て来る様子の無いところを見ると、まだ作っている最中だろうか?
警視庁を出る前にメ−ルした時は、準備万端だという返信があった筈なのに…。

不審に思って台所を覗いて見ると、エプロン姿の弥子が床に座り込んでいる。
周囲に散らばるのは、舐めたように…実際、舐めたのだろう…綺麗なボウルと泡立て器と
ヘラと鍋その他のキッチンツ−ル。5キロ入り業務用チョコレ−トの袋が幾つも。
テ−ブルの上には、何かが盛り付けられていた痕跡が微かに残る白い大皿。
その全てが空である。

笹塚を見るなり、顔を真っ赤にした弥子はぼろぼろと涙をこぼした。


「……さ、ささづかさぁん…。ひっく、えぐぅ…ッ」
「…………あ−、弥子ちゃん。なんも言わね−でも、大体わかるから…」


名探偵でなくとも、状況だけで推理には十分すぎる。
大半どころか、その全てが綺麗さっぱり彼女の胃に収められたのだろう。
出来るだけ優しい声を出したつもりの笹塚だが、却ってそれが悪かったらしい。
弥子は、ますます激しくしゃくり上げた。


「ご、5キロ入りのチョコを10袋買ったから…ちょっとぐらい味見しても…っ、だいじょうぶだと
 思って、つい…!!
 気がついたら…ぜんぶ食べちゃ…て、ささづかさ…の分、無くなっ……、ふえっ、ひっく。
 せ、せっかく……、本命チョコ…なのにぃ……!!」


自分の体重以上のチョコを平らげた弥子は、小さな子どものようにえぐえぐと泣いている。
バレンタインデ−という一大イベントを成し遂げられないことが、余程のショックなのだろう。
笹塚はといえば、弥子らしい食べ物での大失敗が可笑しいやら、泣きじゃくる様が可愛いやら。
普段どおりのポ−カ−フェイスの下で、笑うのを必死で堪えている。

腹ならもう1〜2食抜いても平気だし、チョコはといえば部屋に充満する甘い匂いだけで、
ご馳走様だったりする。
でもまあ、折角だから。
膝を付いて目線を合わせると、口元にちょっぴりついた茶色を狙って唇を寄せる。
どれだけの間、この狭い台所でチョコの山と格闘していたのか。
ふわふわした髪からも、小さな両手からも甘い匂い。

すすり泣く声が、ぴたりと止まった。



………………………………。

………………………。

………………。



やがて唇を離した笹塚は、弥子をじっと見つめる。
赤い頬をした弥子は、照れているのか白いエプロンのフリルを両手でひねくり回していた。
口の中に残るのは、チョコレ−トの甘さと、その他に。


「…………………………………弥子ちゃん、酒臭い」
「の、ののののんれまへんよ〜〜!あじみらけっ!!」


一気に怪しくなる呂律に、笹塚は深々と溜息を吐く。
手錠を見せなくとも、自分がまだ未成年だという自覚はあるらしい。
視線を転じれば、調理台の上には菓子作り用のブランデ−、キルシュ、コアントロ−等々の
小瓶…何れもアルコ−ル度数はかなり高い…が転がっている。

妙だとは、思っていたのだ。
こと自分が絡む限り、食に対して信じられないほどの自制心を見せる彼女が、今日に限って
チョコの誘惑に負けたのも。
普段は人一倍、我慢強い彼女が恥も外聞もなく、幼子のように泣きじゃくるのも。


「よってなんかいましぇんからぁ〜?ほんとれすよ−、しゃしゃじゅかしゃん!!」
「……………………………………………。」


甘い匂いを振り撒いて、舌っ足らずな声で膝の上に乗っかってくる、酔っ払いな彼女。
狙っているのか、絵に描いたように“新妻風”なフリルのエプロン。
いつもどおり丈の短いスカ−トと、二−ソックスの間の白い脚。
涙を溜めて潤んだ大きな目。


「う゛う゛ぅ〜〜。しゃしゃりゅかひゃん、やっぱしおこってるぅ…?」
「…………怒っては、いね−けど……。」


“これ”を喰ったら、後々、苦い思いをするんだろうなぁ…とか真剣に考えてる自分に呆れてる。
……とは言えず、笹塚は天井を仰いだ。



  チョコレ−トは、甘くて苦い恋のよう

  食べすぎ胸焼け、ご用心



                                   − 終 −


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(以下、反転にてつぶやいております。)

BBSに反転で掲載しようかと思いましたが、結局こちらへ。
ちなみに原作の弥子ちゃんは、ザルを通り越して輪っかじゃないかという気がしますが
話の都合で人並みに。
この後、笹塚さんがどうしたかはご想像に丸投げです。
カップリングに嵌ると、イベントネタの誘惑から逃れられないのが怖いところ。
去年書きかけたネタを半日で直したものなので、あちこちズサンですいません…。