髪 飾



ずっと、考えていました。

パソコンのキ−ボ−ドを打つ間も
探偵さんにトリ−トメントをしてもらっている間も
古びた壁紙の中で、まどろんでいる間も

私に何ができるだろう?
何をしてあげられるだろう?

事務所の壁に埋められた死体である私に
髪の毛だけが蘇ってしまった私に

命を与えてくれたあの人に、私は…。


   * * *


ホワイトボ−ドに、マ−カ−で書きました。
黒の太字で、くっきりと。


『これは、お返しします。』


三つ編みから抜き取った髪飾りを、机に置きます。
私が今の“私”になって、初めてのプレゼント。
綺麗なピンクをした三角形が、パチリと音をたてました。

ネウロさんは、髪飾りを一瞥します。
緑柱石(エメラルド)より鮮やかで、冷ややかな眸で。

「……それは貴様にやったのだ。
 我が輩、一度与えたものを返してもらうほど落ちぶれてはおらん」

ソファ−に寝そべったままの答えは、眸よりも温度の無いものでした。
どんな時でも、どんな姿でも。
ネウロさんは、地上の王が束になっても叶わないほど尊大に振舞います。
けれど今度ばかりは、私だって引き下がりません。

シックスとの戦いの後、戻って来たネウロさんの髪は白っぽく色褪せたまま。
上着も失われ、顔のヒビすら治すことが出来ないでいるのです。
サッと拭き取ったボ−ドに、今度は細かく文字を並べました。


『これを噛み砕けば、僅かでも魔力は回復するのでしょう?
 元気になって、私の“謎”を食べてください。
 約束してくれましたよね?』


今でも、昨日のことのように覚えています。
この不思議な、毒々しい程に艶(あで)やかな魔界の住人に初めて会った日のことを。
蘇ったばかりで戸惑う私に、彼は言ったのです。
天鵞絨(ビロ−ド)のように滑らかな、張りのある声で…。


   『いずれは、貴様の“謎”も喰ってやる』


甘く濃い瘴気が髪に触れた瞬間、電気に痺れたように毛先の震えが止まりませんでした。
けれど今、その香りは消えようとしています。
彼によって生かされている私には、ハッキリとわかるのです。
このままでは、あと数日の内にネウロさんは死んでしまうのだと。


『私は、知りたいんです。自分は誰だったのか。
 どうして壁に埋められてしまったのか。こんなことをしたのは誰なのか。
 どうか私の“謎”を解いて、食べてください。』


私はスラスラとボ−ドに書きます。
嘘ばかりの言葉を。

本当は、“謎”を解いて欲しくなんかないのです。
自分のことを知りたい気持ちは、確かにありました。
けれど、知ることで満足してしまったら、私は今度こそ死んでしまうでしょう。
少なくとも、探偵事務所の秘書でいることは出来なくなるのです。
それくらいなら、何もわからないままでいい。
このままずっと、探偵さんやネウロさんと一緒にいたい。

でも、“このまま”ではいられないのだと、わかってしまったから。
今の私に、できることは。

「……貴様に、食事の指図をされる日が来ようとはな…。」

ネウロさんが呟きました。
少しも笑っていない眸で、口元の両端だけを吊り上げます。
続けられた言葉も、表情に相応しいものでした。

「このまま我が輩が死にでもして、自分の“謎”がわからないままになることが不安か?
 随分と、見くびられたものだ」

根元から、髪が凍りつくようです。
弱っている彼に、自分の要求ばかり。軽蔑されることは覚悟していました。
それが想像の何倍も何十倍も辛くても、私は…。

どうすれば髪飾りを噛み砕いてくれるのか。
どう伝えれば“謎”を食べてもらえるのか。
マ−カ−を持ったまま言葉を捜す私に、ネウロさんは溜息を吐きました。

「わからんな」

今までの、冷たいばかりの声とは違った口ぶり。
探偵さんに対している時に近いそれ。
“謎”とは違う興味に心を動かされている時の…。

「賢い貴様なら、とうに気づいている筈だ。
 貴様が永らえているのは、その魔界電池を身につけているからだと。
 今の我が輩、ほとんど瘴気を放っておらんからな。
 外せば、1日と経たずに干乾びるとわかっていて、何故だ?
 それさえあれば瘴気が完全に途絶えたとしても、100年は動けるというのに…。」

……嫌です…!!

弾かれたように、私は三つ編みを激しく振り立てました。
彼からのプレゼントが、どれほどの力を持つのか。
わかっていたつもりでも、言葉にして突きつけられれば感じるのは拒絶ばかり。

100年なんて、探偵さんだって居なくなってしまう。
壁の中に閉じ込められたまま、独りぼっちで…。
それくらいなら、私を食べて。貴方の一部にして、連れて行って…!!


「アカネ…?」


掠れた、気だるそうな声が私の名を呼びます。
起き上がる力もなく、眸だけを向けて。

1つでも魔界電池を噛み砕けば。
1つでも謎を食べられれば。
ネウロさんは、地上と魔界との“壁”を越えることができるかもしれない。
そこでなら、きっと彼の傷は癒える筈だから…。

私の、この想い。
壁に埋められた腐敗した脳にあるのか、髪の毛自体にあるのかすらわからない想いを
人の心を持たない彼に、どう伝えればいいのでしょう?
震える毛先でマ−カ−を握り直した時、ドアの外の気配に気づきました。

お墓参りから帰って来た探偵さん?
文句を言いつつ心配してくれている吾代さん?
それとも事件の依頼人?

……いいえ、この気配は…。

私は慌てて壁紙の後ろに隠れます。
ネウロさんは目を閉じ、タヌキ寝入りを決め込みました。

事務所のドアが音もなく開き、誰かが入ってきます。
ここ暫く感じたことのない、強い瘴気と共に。


   * * *


ネウロさんは魔界へ帰ることになりました。
地上と魔界の“壁”を越える方法が見つかったのです。

今、下の空き部屋ではゼラさんという魔人が、魔界への帰り道を造ってくれています。
夜明けまでには、ネウロさんが通れるくらいに道(口?)が広がると。
それでも、まだ帰ることを躊躇っていた彼の迷いを払ったのは、探偵さんの言葉でした。


   『早く帰れ、バカ魔人。
    そんで、さっさと戻って来い』


サラリと言った彼女の声を。
笑って応えた彼の声を。
私は壁紙の中で、聞いていました。

そのまま2人は夜が更けても、他愛のない話を続けています。
探偵さんは私も誘ってくれましたが、遠慮しました。
ただ、眠気覚ましになればと美味しい紅茶を淹れただけで…。
ネウロさんは何も言いませんでした。

そして日付がとうに変わり、闇が最も濃くなる頃。
疲れたのでしょう。探偵さんはソファ−に顔を伏せて眠っています。
それを確かめたネウロさんは、音もなくソファ−から立ち上がりました。

最後の力を振り絞って、の筈なのに。真っ直ぐに顔を上げ、しっかりとした足取りで。
壁に…私に、近づいてくるのです。
おずおずと、壁紙の中から三つ編みを引っ張り出しました。

彼の言葉どおり、半日足らずでツヤを失い、毛先の荒れた私を映す緑の眸。
髪飾りは、仕事用の机の端に置いたままでした。
黒い手袋の指先が、それを摘みます。

ネウロさんが髪飾りを口元に運ぶのを、私は見つめていました。
カツンと、飾りが歯に当たる音。
けれど、尖った牙がそれを突き立て噛み砕くことはなく…。

「……言っておくが」

“人肉色”の髪飾りを、ゴムで束ねた三つ編みに戻しながらネウロさんが言います。
張りの無い声で、それでも自信たっぷりに。

「我が輩、これまで女性との約束を破ったことは一度としてない。
 いつか我が輩がここに戻り、貴様の“謎”を喰うまで待っていろ」

髪飾りから伝わる魔力で、みるみるツヤが戻ります。
擦り切れた手袋越しに、確かめるように髪を…私を、そっと撫でました。

「探偵事務所には、有能な秘書が必要不可欠だ。 
 そこで寝こけている“ザ・ナメクジ”と低脳な吾代だけでは、何とも心もとないからな。
 我が輩が戻った時、廃業しているようでは目も当てられん。
 ここは必要な場所だ…。我が輩にとっても、貴様にとっても」

瘴気の欠片もない吐息が、私に触れます。
なのに芯から震えるのです。生え際から毛先まで、まるで炎が走るように…。

「肌身離さずつけておくがいい…。
 魔界電池が放つ微弱な魔力を目印に、我が輩は帰ってくる。
 ……アカネ、貴様の“謎”を味わいにな」

最後に指先で髪飾りの縁をなぞり、彼は手を離しました。
どこかで弦を弾くような、涼やかな音が聞こえた気がします。

それきり一度も振り返らず、ネウロさんは事務所を後にしました。
私はただ、彼の気配が遠のき、消えていくのを感じていました。


……朝までに、震え続ける毛先を何とか落ち着かせなくては…。
目を覚ました探偵さんに、心配をかけないように。


   * * *










……あれから、3年が経ちました。
私は今も探偵事務所の秘書をしています。

事務所にいる間は、トロイが頑張って瘴気を出し続けてくれています。
ゼラさんも、ネウロさんに命令されたとかで、事務所に顔を出しては瘴気を残してくれます。
人間とは関わりたくないと言って、探偵さんや吾代さんが来ると姿を消してしまいますけどね。
そうやって、皆のおかげで私は元気にやっています。

そうそう。今は秘書だけでなく、探偵さんのボディ−ガ−ドも兼務です。
“探偵”というより、もっぱら“交渉人”として活躍する彼女は、治安の悪い国に行ったり
武装した人達の中に飛び込んだりすることが多いので。
もっとも、私がでしゃばるのは探偵さんが本当に危なくなった時だけです。
そういう最悪のケ−スは、年に1度あるかないか。
何度身ぐるみを剥がされても、銃やナイフを突きつけられても、ケロリとしている探偵さんは
つくづく逞しいというか懲りないというか…。

そういえば昔、長時間一体化していると人格が入れ替わると脅されていましたが、
あれはネウロさんの嫌がらせだったようです。
最後に髪飾りに触れたとき、何かの調整をしていたのかもしれません。
そうでなくとも、今の彼女はとても安定していてエネルギ−に溢れているので、
私が身体を乗っ取ることなんて出来そうにありませんけれど。

そんな風にして、私も探偵さんと一緒に世界中を旅しています。
忙しくて、充実した毎日です。

今は、南米から日本に戻る飛行機の中。
探偵さんの髪の毛の中で、“アヤ・エイジア”の新曲を聴いていました。
日本はもちろん、世界中で大ヒットしています。


   ♪ 地を這う虫が 蛹の中で冬を越し 羽を拡げる
     私は知っていた あなたは そうある者であったと ♪


優しく力強い曲は、探偵さんを歌ったものなのでしょう。
そして彼女と共にあった“探偵助手”のことを。


   ♪ 独り飛ぶ鳥でさえ 寄りそって 空に踊る
     命の流れは違っても 束の間を 永遠に変える ♪


いつか、私も飛び立てるでしょうか?
蝶のように、壁に縛られた身体から、解き放たれて。
鳥と共に、この髪を風に躍らせることが……










………鳥の羽ばたきを聞いた気がして、目が覚めました。
いつの間にか、眠っていたようです。

傍らには、スヤスヤと穏やかな探偵さんの寝息。
それ以外にも、どこかで何かが聞こえます。

音のない音が、微かに、涼やかに。
弦を弾くように…。


   リリ リリリ チリリリリ…


はっと、私は毛先を見ました。髪飾りが震えています。
感じているのです、近くに…!!

急いで探偵さんの頬をくすぐりました。
寝ぼけ眼で目を擦るのを、生え際を引っ張って窓の外を示します。
そこに、見えたのは。


分厚いガラスを踏んだ、黒い革靴の底
その向こうに見える青いス−ツ、白いスカ−フ
90度で見下ろす緑の眸


ここはジェット機の中で、外は高度1万m以上。
そんなことは関係ないのです。魔界の住人には。

……帰って来た…!!

喜びにはちきれそうな自分を抑えようとしたとたん、機内で悲鳴が上がりました。
甲高いフライトアテンダントの声。
客席で誰かが死んでいる。殺されていると。

「さあ、先生!!
 “名探偵・桂木弥子”の出番ですよ」

いつの間にか通路に立ったネウロさんは、すっかり助手モ−ドです。
まだ、あんぐりと口を開けたままの探偵さんの頭を鷲掴み、ぶら下げるように立たせます。
そして私に気づき、声をかけてくれました。

「……後で、新しい髪飾りをくれてやろう。
 また、我が輩とお揃いになるようにな」

見ると、ネウロさんの髪飾りが以前と違っています。
生き物のように蠢く不思議な模様が入っているのです。
髪飾りだけでなく、カフスやス−ツのボタンにも。
そのどれもから、以前とは比べものにならないエネルギ−を感じます。
長期滞在の準備万端、といったところでしょう。

「……あんたって、相変わらずあかねちゃんには優しいよね〜。
 私にも、たまにはプレゼント……、ぐふうッ!!」

ネウロさんが笑って片手を探偵さんの口に突っ込みました。
もう、すっかり元通りですね。


けれど、新しい髪飾りをいただいても、今の髪飾りは手元に置いておきたいと思います。
ネウロさんが許してくださるなら。


“私”にとって初めての、大切なプレゼントですから。



                                   − 終 −


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  2009. 8.18  ネタバレ注意書を削除しました。
(以下、反転にてつぶやいております。)

最後回とその前の数回。
あんなに弱っていたにも関わらず、あかねちゃんの三つ編みには髪飾りがあった
ことに魔人様の“愛”を感じました。
そんなワケで原作を基本に、力の限り大捏造。
なお、原作6巻では“髪留め”ですが、拙作では“髪飾り”としています。
他にもあちこち原作と変えているところがありますが、演出上の都合ということで
ご容赦ください。

魔人様はあかねちゃんの“謎”を解く(喰う)気は無い…というより、“究極の謎”を
食べた後のデザ−トにする気なんじゃないかな−と密かに思っています。
“謎”が無くなっても消滅も成仏もさせず、有り余る魔力で完全蘇生させる気満々。
もっとも、魔界基準の“空前絶後の美少女”をリアルに想像したくないですが…。

なお、私の中の魔人様を巡る魔界探偵事務所相関図は、

 弥子ちゃん=相棒兼奴隷
 あかねちゃん=秘書兼婚約者
 トロイ=愛人

…です。なんて見事なオフィス・ハ−レム。
相関図により、あかねちゃんの弥子ちゃんへの気持ちは微妙に複雑なものと
解釈しています。
たとえ親友でも、恋人の仕事上の相棒は最大の恋敵(ライバル)ですから。(笑)