等 価 − 1 − 「あ−ッ、もう!思い出すだけで腹立つ!! 警視だかキャリアだか知らないけど、えっらそ−にッ!!」 今を時めく女子高生探偵・桂木 弥子は怒っていた。 怪盗“X(サイ)”との遭遇で、落ち込んだ気分が復活したのも束の間。 ネウロに頭を掴まれ連れて行かれた、無差別連続爆弾魔“ヒステリア”の事件現場。 そこで対面したのは、高そうなス−ツをパリッと着こなす小柄で高飛車な眼鏡男。 『実物は一層、貧相なツラだ。こんなのが名探偵とは、笑わせるな』 『君達などに協力させる気は毛頭ない。そこでアホ面さらして見ていたまえ』 『待ってるがいい!私の力をもってすれば、君等の無能とインチキを暴くことは 造作もないことなのだ!!』 笹塚の上司だという男が投げつけたのは、失礼極まりない言葉の数々だ。 その一つ一つを思い出すごとに、弥子はコンビニとほか弁で買い占めた白飯を 1パックづつカラにする。 「……だいたい、笹塚さんも笹塚さんだよ!! ちょっと上に睨まれたくらいで、手のひらを返したようなあの態度。 あんな人だと思わなかった!!」 ひとしきりキャリア警視の嫌味を回想し終わったところで、弥子の怒りの矛先は 無表情で無愛想で何を考えているかわからない、くたびれた刑事に向けられる。 『気持ちはうれしいけどさ、帰ったら?』 『見ての通り、上からも睨まれてるし…。ちょっと、そういうのは面倒なんだよ』 掛けられた言葉は少ないのに、白飯の減るペ−スは早まった。 秘書のあかねが気を利かせて、ぬるめのお茶を何度も淹れ直してくれる。 ちなみに、おかずは当の刑事が事務所開きの祝いにと持ってきた“たこわさ”である。 「ヤコよ、貴様の言う“いい人”とは、つまり“自分に都合のいい人”という意味のようだな」 パソコンで“ヒステリア”の情報を眺めていたネウロが、興味無さ気に言った。 白飯を口に運ぶ箸が、ピタリと止まる。 「“こっそり捜査に協力してくれ”ず、我々に“隠し事ありそうなの感じてて、それとなく 見逃してくれ”るよう、笛吹という警視から庇ってもくれず。 当てが外れた、というところか」 今日、ふいに事務所を訪れた笹塚を見送った後、弥子が口にした言葉を皮肉っている。 さすがは魔界を代表する“いい人”だけのことはあった。 「己が予想したとおりに働かないから、期待を裏切ったと腹を立てる。 そんな感情を持って良いのは、奴隷に対する主人だけだ。 ヤコよ、あの刑事は貴様にとって、都合の良い奴隷というわけか。 ならば我が輩も、奴に対する態度を改めねばなるまい。 奴隷の奴隷に、主人の主人である我が輩が気を遣う必要など、あろう筈もない」 黙って聞いていれば、サラリととんでもないことを言いだした。 右手に箸を、左手に白飯のパックを持って立ち上がった弥子は、魔人に断固抗議する。 「奴隷とか主人とか、あんたと一緒にすんな−!!」 「ほう…、違うのか?」 ようやく、ネウロがパソコンから視線を外した。 わざとらしく意外そうな顔までして見せるのに、余計ムカツク。 「全然、まったく、完璧に、違うっつ−のッ!!」 無駄に長い脚を組み替えながら、ネウロは深緑の眸に弥子を映す。 魔人が奴隷と呼ぶ少女は、怒りながらも箸と白飯から手を離そうとはしない。 「では、あの刑事がこれまで我々に協力的だったのは、何故だ?」 「それは、あんたが…!!」 言葉に詰まって、弥子は箸を固く握り締めた。 いつもどこか飄々とした雰囲気の笹塚が、一度だけ見せた表情(かお)。 それは間違いなく真摯なものだった。 『……弥子ちゃん。…君の家のこと、マジで申し訳ない。 警察(うち)の身内が…、取り返しのつかね−事を……』 その前後に関連する、思い出したくもない場面を丸ごと振り切るように叫ぶ。 「……あんたが、お父さんの事件のことを持ち出して、笹塚さんを脅させたからじゃんか!!」 「フム、そんなこともあったか」 しれっとした顔で、今思い出したようなセリフを吐く魔人に、弥子は本気でキレそうになる。 事件の謎を食べ(とい)てくれたことは、今でもネウロに感謝していた。 あの日、飢えた魔人が現われなければ、父を殺した犯人はわからずじまいだったろう。 泣いたり笑ったり、食べ物を美味しいと感じる“日常”を弥子が取り戻すことも、 まだ出来なかったに違いない。 だが、死んだ父をネタに笹塚を脅迫させたことは、今でも許せないと思う。 「最後に犯人逮捕の手柄を与えることで、釣り合いは取れると思っていたが…。 一般人を犯行現場に立ち入らせることは、どうやら想像以上のタブ−らしい。 いずれにせよ、貧相な女子高生の心の傷を癒すという名目だけでは、口煩い上司を 敵に回す割に合わないということなのだろう」 傍若無人な鬼畜魔人には腹が立つことばかりだが、それ以上に時折ゾッとする。 人目を引く容貌の美青年の皮を被った目の前のコイツは、“人間”ではないのだと。 人間の“心”がないのだと、思い知らされるのだ。 それでも何故か、ネウロが居ない“日常”がひどく遠いものになっているのも確かだった。 ……非常に、認めがたいことではあるが。 「貧相は余計なんですけど…?」 とりあえず主張してみるが、綺麗サッパリ無視された。 黒い手袋をはめた指を顎の下で組み、勿体をつけた口調で語る。 「何かを得ようとするには、それと同等のモノをこちらも差し出す必要がある。 同等でありながら、相手にとってはこちらが得ようとする以上に価値のあるモノを。 それがお前たち人間がやってきた“取引”というものではないのか?」 「……………。」 ネウロが何を言おうとしているのか、理解した弥子は唇を噛んだ。 取引だとか、見返りだとか、他人との関係をそんな風に考えたことはない。 事件を通して、いろんな人と知り合えるのが嬉しかった。 謎に近づくことで、その人の心が垣間見えると、自分の世界が拡がるような気がした。 ただそれだけで、ネウロの言うまま続けていた“探偵ごっこ”なのだ。 なのに“進化の可能性”とやらを追求する魔人の要求には、止め処がない。 「ヤコよ、貴様はあの刑事から必要な協力を取り付けるのに、何を差し出せる?」 そんなもの、ない。 フツ−の高校生が、刑事と取引できるものなんて、持っているワケがない。 うつむく弥子を、緑の眸が冷ややかに見下ろす。 流れを止めた水のように澱んだ笹塚の眸とは違い、ネウロのそれは金属のようだ。 伸ばした指先は弾かれて、硬く冷たい表面をなぞるだけ。 「その豆腐頭で考えるがいい。 我々が事件の現場に立ち入ることと引換えに、提供できるものは何かをな」 ネウロの言葉に、はたと弥子は我に返る。 「……って、何であたしが!?事件の現場に入る必要があんのはアンタだけ……って、 ハハハ、ハィッ!死ぬ気で考えますです−!!」 「チッ…」 短く舌打ちしたネウロは、人差指と中指の先で摘み上げたパソコンを机に戻した。 それから後は一言も言わず、パソコンの画面に視線を固定する。 二人の会話が終わったのを見計らって、あかねがそっと熱めのお茶を置いてくれた。 * * * 30パックの白飯で“たこわさ”一瓶を空にした弥子は、一人事務所を後にした。 ヤケ食いで腹立ちはまぎれたが、つんとしたわさびの後味がまだ口に残っている。 朱に染まった空の下には、都心のビルのシルエットがぼんやりと浮かんでいた。 − Next − ≪TextTop≫ ≪Top≫ *************************************** |