等 価 − 4 − “ヒステリア”は逮捕され、爆破も無事に阻止された。 クイ−ン メアリ−ズホテルは美しいままの姿で、周囲のビルを誇らし気に従えている。 だが、弥子は納得できなかった。 早朝からホテルの警戒を行ったのも、ギリギリでもう1つの爆弾を止めたのも、笹塚なのに。 始末書がどうのと喚き散らしている笛吹に、“ヒステリア”逮捕の手柄を譲ると言うのだ。 2つ目の爆弾が仕掛けられていた35階の野外空中庭園では、回収作業が進められている。 笹塚が驚くべき射撃技術で撃ち抜いた小さな時計を見つめながら、弥子は不満を漏らした。 「1人占めにしちゃえば、出世のチャンスじゃないのかな…。 “ヒステリア”じゃないけど、もっと自分を正直に出してもいいと思うけど」 「あのメガネチビみたいにか?」 珍しく、絶妙のタイミングで入ったネウロの合いの手に、弥子は声をさらに大きくする。 「そう、あのメガネチビみたいに!!あいつはあいつで、前に出すぎだっつ−の!! 低いところから見下ろしちゃってさ−あ」 「…………。」 ふと気配を感じて振り向くと、弥子の背後に長身の男が立っていた。 笹塚が“筑紫”と呼んでいた、笛吹のキャリア部下だ。 「いや…、あのその…て、低身長でもお顔は高貴だなあ…って、言おうかと。ははははは」 「…………。」 表情を変えず無言でいる筑紫に冷や汗をかいていると、やがて彼は口を開いた。 「……笹塚さんは、出世や保身とは全く縁のない人です。 それに、あんな射撃の技術、警察学校で習うようなレベルではない。 まさに、“ヒステリア”とは正反対です。あの人は徹頭徹尾、本当の自分を見せなくなった」 「見せなく…、“なった”?」 ノンキャリアの笹塚を“さん”付けで呼ぶ彼は、笹塚と笛吹の大学時代の後輩だったのだ。 そして弥子は、大まかにではあるが笹塚と“X(サイ)”との関わりを知った。 10年前、彼の両親と妹が自宅で何者かに惨殺されたこと。 その犯人が“X(サイ)”ではないかと思われていること。 事件をきっかけに、笛吹等と同じキャリア組となる筈だった彼の人生が、大きく変わったこと…。 「殺された笹塚さんの妹は、貴女と同じぐらいの齢だった。雰囲気も少し似てる気がする。 ……貴女と現場に距離を置こうとしていたのも、貴女をあまり危険な所に居させたくは なかったのでしょう」 筑紫の言葉を聞きながら、弥子は考えていた。 これは本当なら、他人から聞いて勝手に知って良い話ではなかった。 だが、笹塚が弥子に自分の過去を話してくれることは、多分、きっと、絶対に、ない。 少なくとも、弥子が今のままでいる限りは。 「筑紫さんは…、笹塚さんが心配なんですね?」 そして、笹塚が周囲から誤解されてしまうことが辛いのだ。 守ろうとしてくれていることにも気づかず、反抗的な態度を取る馬鹿な女子高生を見て 歯痒く思ったに違いない。 だが、笹塚よりも背の高い彼は弥子の黒目がちな眸を見下ろし、静かに微笑んだ。 「自分などより、笛吹さんの方が笹塚さんを心配していますから」 「え゛ッ!?…あ、いやその」 心底意外な声が出てしまって慌てる弥子に、筑紫は苦笑する。 「ああいう人なので、わかりにくいでしょうが…。 本来、笛吹さんは現場に足を運ぶ時間など、持っていない人です。 なのにこの数日、デスクワ−クも重要な会議も放り出して、笹塚さんを連れ回して…。 戻った後は、毎晩泊り込みで書類を片付けています」 「…………。」 昨日とも一昨日とも違うス−ツとワイシャツとネクタイで、今日もパリッとした笛吹を盗み見た。 それが本当なら、彼は職場に何着のス−ツとワイシャツとネクタイを常備しているのだろう。 そのことを知る筑紫もまた、笛吹に付き合って連日の泊り込みを繰り返したのではないか? 「……今の話は、どうかお二人にはご内密に。 事件解決へのご助力に、深く感謝いたします」 深々と頭を下げて、筑紫は回収された爆弾の確認にテラスへと歩み去る。 しゃんと背筋の伸びた後ろ姿を見送りながら、弥子は考え続けていた。 事務所を訪ねたあの時、笹塚はなぜ“X(サイ)”のことを尋ねなかったのだろう? 筑紫の言うとおり、弥子を事件に関わらせたくなかったのかもしれない。 ……でも、それだけじゃないかもしれない…。 事務所を手に入れた事情も、都合良く事件の現場に現われる理由も、探偵をやっている目的も。 何も、言えないことばかりで。 それでも『信用しとく』と言った彼は、弥子が話す気になるまで待とうとしたのかもしれない。 “X(サイ)”のことも、その他のことも、全部を。 笹塚に応えなかったのは、弥子の方だ。 一緒に暮らす家族ですら気づけないほど、他の人間になりすます怪物。 ナイフを突き刺されても、死なずに再生する化け物。 誰でもあって、誰でもない。どこにでもいるけど、どこにもいない。 怪物強盗“X・I” こんな馬鹿気た話、誰も信じないに決まっているから誰にも言えずにいた。 もっと早く、自分から笹塚に話しに行くべきだったのだ。信じてもらえないと決めつけたりせずに。 昨日の噴水の爆破だって、意地を張らずに笹塚に助けを求めれば良かった。 “ヒステリア”に気づかれずに被害者を出さない方法を、きっと考えてくれたのに。 信じていないのは、笹塚ではなく弥子なのだ。 頭の中の整理が済むと、弥子は笛吹と話をしている笹塚の方へと歩き出した。 背後に立っていたネウロが、筑紫の話に興味を示さなかったことはわかっている。 だから相談はしないし、する必要も無い。 人間のことは、人間に任されているのだから。 * * * 「笹塚さん、…ごめんさない。言ってなかったけど…この前、“X(サイ)”と会いました。 後で話します。知ってる限りのあいつの情報」 弥子が話すのを、ネウロは仮面を貼りつけたような顔で聞いている。 笹塚も、今は助手ではなく弥子を見ていた。 「……そっか、サンキュ−」 いつもどおりの無表情で、考えは読めない。 けれど、ほんの少しだけ弥子を見る目が柔らかくなったような気がする。 “気がする”だけかもしれないが、弥子にはそれで十分だった。 「…それがお前のやり方か、笹塚!!」 話を邪魔された笛吹が、キレたように喚く。 わざわざ笹塚を突き飛ばして“ヒステリア”に手錠をかけると、弥子には見向きもせずに言った。 「今回限りだ!!千歩譲って、お前の汚い手柄を借りてやる!! だが、間違えるな!!これは借りという名の貸しだからな!! …そもそも、そんな汚い雑菌共に、私は触れるのもお断りだ!! “X(サイ)”の情報は、お前が聞いて報告しろ!!」 捨て台詞を残して去っていく笛吹にも、以前ほど腹が立たない。 最後まで汚い汚いと失礼千万な男だが、彼が笹塚を気に掛けているのは本当だと思う。 「筑紫ィ!!行くぞ、ボサっとするな!!」 笛吹に従い、静かに目礼して立ち去る筑紫に、弥子もペコリと頭を下げる。 それを黙って見ていた笹塚は、やがて溜息と共に言った。 「まあ…情報くれんのは有難いけど、この事件の後処理が残ってる。 それ終わったら、話聞きに行くから…。 …ただ…、あんま、これからヤバすぎる事件に首突っ込むなよ。 もちろん“X(サイ)”に関しても、これ以上は無しだ。 そ−いう現場で会ったら、また追い出すぞ」 「はい」 ……でもそれって、“ヤバすぎない事件”だったらOKってことだよね? 勝手に解釈する弥子だったが、横からしゃしゃり出てきたネウロはキッパリと言った。 「もちろんですとも」 ……ごめん笹塚さん。コイツが居る限り、絶対に無理…。 “明らかに約束を破る顔(ツラ)”をした魔人に、弥子は肩を落とした。 * * * 1階のエントランスホ−ルは、警察の誘導で避難していた人で溢れている。 その中には、“ヒステリア”と同じエレベ−タ−に乗り合わせていた3人の顔もあった。 セレブな自営業のおばさんは、文字通りの自転車操業。 真面目な女子高生は、塾ではなく夜のクラブ通い。 彼氏を“ヒステリア”の爆弾で亡くした女子大生は、常に10股以上。 改めて話してみれば、それぞれ表と裏を使い分けて“上手くブッちゃける”人達で 弥子は大いに脱力させられた。 世の中って、真面目で不器用な人が損をするように出来ているんだなぁと、つくづく思う。 「……ねぇ、ネウロ。難しいね、人間って…」 思わず感慨深くなる弥子を、魔人が嘲笑(わら)った。 「フハハハハ。何を突然、我が輩のようなセリフを。 …だが、“X(サイ)”の情報を取引に持ち出すとは、掃除用モップにしては良い判断だ。 口煩い上司も今回のことで恩を着せることができた。 プライドの高い男だけに、これで当分は余計な口を挟まんだろう」 食後の所為か、無駄な魔力を使わずに済んだからか、ネウロも機嫌が良いようだ。 そういえば、笹塚が2つ目の爆弾を止めてくれなければ、弥子は目からビ−ムを出して 人間をやめるところだったのだ。 「…取引とか、そんなんじゃないよ。善良な市民の義務を果たすだけだもん。 それに、笹塚さんなら“X(サイ)”の話、きっと信じてくれるし。 ところで掃除用モップって、さりげに雑巾から進化してんの?」 「全く、愚かな人間の相手は、愚かなゾウリムシに任せるに限るな」 「……聞いてね−ようで、聞いてるし」 溜息を吐く弥子の頭を鷲掴み、魔人は低く囁いた。 「ヤコよ、アヤの信頼を得たように、いずれあの男の信頼を勝ち得てみせろ。 “信用”ではなく、“信頼”を…な」 ネウロが何を言おうとしているのか、理解した弥子は小さくうなづく。 自信があろうとなかろうと、他に選択肢はないのだから。 「……うん。」 奴隷の返事に、鋭い牙の覗く口元が歪んだ。 「それが得られた時、奴は我が輩の“使える手駒”となるだろう」 「…って!?結局、アンタが自分の都合ばっかなんじゃね−かッ!!」 喚く弥子の頭をギリギリと締め上げながら、 ネウロは深緑の眸を細めて舌なめずりをする。 その表情(かお)は、“謎”の気配を感じた時と同じものだ。 魔人に頭を押さえつけられながら、エントランスホ−ルの出口で弥子はもう一度振り返った。 何事も無かったかのように行き交う、大勢の人々。 その向こうに、遠くからでもハッキリとわかるくたびれた背中。薄いカフェオレ色の髪。 ……感情も本音も、人に見せずに生きている人。 でも、見せないから“無い”わけじゃなくて。 話せば、何気ない仕草や言葉の端々から透けて見える、その人自身。 それに気づかせてくれたのが、“人”ではない生き物だなんて皮肉だけど、それでも。 なんだか、わたしは もっともっと“人”を知りたいなと…思った これから出会う人 今まで出会った人 “笹塚さん”という人のことも、もっと − 終 − ≪TextTop≫ ≪Top≫ *************************************** (以下、下の方でつぶやいております。) 弥子ちゃんにとっての笹塚さんは、“いい人”で“優しい人” …吾代さんのことも筑紫さんのことも、今では笛吹さんのこともそう思っているでしょうが…。 本当のところ、笹塚さんは単なる“いい人”で“優しい人”ではないと思いますが、少なくとも 弥子ちゃんに対しては、そうあろうと、そうありたいと思っている人だといいなと思います。 ……切実に。 笹塚さんが女子高生の弥子ちゃんを“信用”したのは、上司の犯罪を見抜けなかった 負い目も絡んでいたのでしょう。 けれど、それ以上の“信頼”を彼から得るには、実績はもちろん弥子ちゃん自身の成長が 必要で。その結実が12巻のエピソードに繋がることになるのかなぁ…と。 →12巻発売後に「憧憬」を書いてみました。 |