青 空



灰色の空から、水滴が落ちてきた。
ポツリ ポツリ と肩を叩きながら、スーツに小さな染みを増やしていく。

笹塚は一つ、溜息を吐いた。
濡れるからではなく、煙草に火を点けることが出来ないからだ。

閑静な郊外の一軒屋。
逮捕した犯人は、五月蠅い後輩コンビと一緒にパトカーに押し込んで見送り済。
後は現場の始末を待つばかり。そろそろニコチンが恋しい頃だ。
煙代わりにもう一度吐き出した溜息が、甲高い声と重なった。

「笹塚さん、傘持ってないんですかぁ?」

ひび割れたアスファルトから立ち昇る、濡れた埃のニオイ。
じっとりと、肌にまとわりつく湿気。
そのどちらにもそぐわない、からりとした明るさ。
ついさっき、

 『犯人は…、お前だッ!!』

のキメセリフと共に、事件を解決した女子高生探偵・桂木弥子だ。
短いスカートから、今日も元気に生足をのぞかせている彼女は、手ぶらの笹塚の返事を
待たず、説教口調で後を続けた。

「駄目ですよー、この季節は折り畳み傘が必需品なのに!!」

言い終わらない内から、ゴソゴソと学生鞄をさぐりだす。
笹塚がこの場に残ったのは、彼女を家か事務所まで送り届ける必要があると思ったから
だった。
何しろここは、郊外というよりド田舎で、バスも2時間に1本しかない。
尚且つ、関係者一同をこの場に呼びつけた張本人、謎解きの解説担当者にして探偵助手
・脳噛ネウロは、犯人逮捕の後、忽然と姿を消している。
その事実に気づいた彼女が、呟いたセリフといえば。

 『……ま、また放置プレイ……。(汗)』

自分が口を出すことでは無いのだが、この名探偵と助手の関係は、ツッコみどころが
ありすぎると思う笹塚である。
もっとも、それ以上にツッコむべきは、傘を掘り出そうとする彼女の鞄から発掘されるのが、
マヨネーズやらケチャップやら七味唐辛子やら柚子胡椒であることだろう。
成り行きで、あふれ出る“マイ調味料”とやらを両手で預かる笹塚に、弥子は話し続け
ている。

「笹塚さんって、コンビニでビニール傘とかどんどん買っちゃうタイプでしょう?
 もったいないですよー。このエコ時代に」

最凶に燃費の悪い身体を持つ女子高生に、言われたくねーし。
そう心では思っても、黙って食べるラー油とジュレぽん酢を受け取る笹塚は、大人である
以前に面倒臭がりだ。
実は、ビニール傘を買うことも滅多になく、大概は濡れるに任せている。
低体温のおかげか、昔から雨に濡れて風邪をひいた試しがないのだが、それを口に
すれば、もっと色々と言われるだろう。
かつての友人ように、

 『フン!馬鹿は風邪をひかんとは、良く言ったものだな!!』

と、勝ち誇ったようにふんぞり返ることはないとしても、かつての後輩のように

 『風邪を甘く見て、肺炎にでもなったりしたら…。』

と、うるうるの黒目で訴えられるかもしれない。
正直、あれにはいつも困ったものだった。

そろそろ両手でも持ち切れなくなった調味料を見下ろしながら、笹塚は不思議に思う。
この子といると、どうしてか昔のことを思い出す。
まだ、学生だった頃。
雨よりも曇りよりも、晴れた日の方がずっと多いのだと思えていた頃の…。

「あったぁ!!」

ようやく、鞄の最下層から傘を発見した女子高生の声。
そこで笹塚は、はたと現実に戻る。
ちょっと待て。この流れでいくと、この子は三十路のくたびれたオッサンと、世間一般で
いうところの“相合傘”をするつもりなのだろうか?
……どうやら、するつもり満々ならしい。

若い女の子が好きそうな花柄や水玉、キャラクターのプリントされた傘を思い浮かべ、
笹塚は湿りを帯びた肩を更に落とす。
いやいや、この子のことだから、食べ物柄というのもあり得るだろう。
肉汁したたるステーキ柄とか、ほかほかの肉まん柄とか…。

無表情を保ったまま想像してしまう笹塚は、無口な人間が何も考えていないわけでは
決してないという見本である。
しかし、彼の想像に反して鞄から取り出されたのは、地味なグレーの傘だった。
しっかりした持ち手がついていて、折り畳みにしては大ぶりだ。
もしかしたら男物かもしれない。ふと、彼女の父親のことを思い出した。

そういえば、この子と初めて会った日も、灰色の雲が垂れ込めていた。
突然の訃報に呆然とした目は、どんよりと濁って、周囲を映してはいても何も見ては
いなかった。

雨の記憶は、また別の記憶をも呼び覚ます。
独り、両親と妹の葬式を出した日。
感情をどこかに置き忘れてしまった自分の代わりに、墓石を伝い落ちる透明な水滴。
幾筋も幾筋も、蜘蛛の巣がもつれ、よじれたような文様。
それなのに、自分が濡れていた感触も、雨の冷たささえも覚えてはいない……。

表情筋を一ミリたりとも動かさないまま、不透明な眸の色だけが澱みを深めようとした、
瞬間。


  ぽんッ


空気が、軽くはじけたような音。
消し飛ぶ、灰色。


「さあ、どうぞ!!」


背伸びした笑顔が、彼を招き入れる。
白い雲がぽかりと浮かぶ、青空の下へ。

「これ、私のお気に入りの傘なんです。
 空のプリントって、ホンモノはパッとしないお天気でも、ちょっとテンションあがりません?」

2人だけの頭上の、小さな青空。
調味料の代わりに傘の持ち手を受け取った笹塚は、一言答えた。


「……そーかもね」


その眸に、ひとときの晴れ間を映して。



                                   − 終 −


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(以下、反転にてつぶやいております。)

元々は7月の笹誕用に、弥子ちゃんが笹塚さんに折り畳み傘をプレゼント…という
話を書いていました。
以前、外側は地味なグレーで内側が青空プリント…という傘を見かけて、印象に
残っていたので。
(私が見たのは折り畳みではなく、持ち手も細くて女性用でしたが)

それが、書いている内にいつの間にやら誕生日ネタから逸脱し、現在に至る。
両思い未満…というより、恋人でも何でもない筈が、不思議に距離の近い2人。
笹塚さんにとっての弥子ちゃんは、10年間降り続く雨の、ほんのひとときの晴れ間の
ような存在です。

一度、BBSに書き込みしたものを手直して掲載しています。