世界で二番目に  
〜 終章 T 〜



「…私も、サンジさんが好きです」

真っ赤な顔で、それでも真っ直ぐに彼を見つめて、ビビは言った。

微かに、息を呑む気配。
足音を立てずにもう一歩、目の前の人影が近づく。

そして、ビビはタバコと海の香りに包まれた。
黒いス−ツを着た男の腕は、優しい闇のようだった。

「…ありがとう」

深く溜息を吐くように囁いて、彼女の唇に触れる。
軽く、合わせるだけのキス。
それでも、自分が溶けてしまいそうな気がした。

一旦、緩められた腕が、再び力強く彼女を閉じ込める。
ビビはしがみ付くようにサンジの胸にもたれかかった。
糊の利いた青いワイシャツの奥から、響く鼓動。

「…ビビちゃん、俺…」

先程までとはうってかわって、歯切れの悪い彼のコトバ。

「俺、もう……」

不思議そうに見上げるビビに、困ったような笑顔を浮かべて
また唇を重ねてくる。
今度は、きつく押し付けるように。
サンジの舌先がビビの唇をなぞる。
おずおずと解かれた隙間から潜り込んだ舌が、彼女を探した。

「ン…っ」

「逃げないで…」

生まれて初めての、深いキス。
吸ったコトのないタバコの苦味。
頭の芯が痺れて、時間の感覚さえ無くなってしまいそうだった。

ふいに、サンジが離れる。
大きく呼吸を繰り返しながら、ビビは彼を見つめた。

「嫌なら、言って。やめるから…。今なら、まだ」

闇に慣れた目に映る彼の表情が、とても苦し気に見えた。
それが、酷く切なかった。

ドキドキして、頭がクラクラする。
ようやく搾り出した声は、少し擦れていた。

「嫌じゃ、ない…です」

「ビビちゃん……」

多分、こんな返事が返ってくるとは思っていなかったのだろう。
ビビにも、信じられなかった。
何もかも。

自分が、この船に乗っていることも
国が救われ、平和を取り戻したことも
このひとに好きだと言われたことも

全てが都合のイイ夢のような気がして
…怖かった。

「サンジさんなら…、いいです」

……このひとが好き。
   このひとに愛されたい。
   愛したい。

一度は諦めて、ココロの中に閉じ込めておこうとした筈の恋。

正直になりたかった。
せめて、このキモチにだけは。

「…もう、止まらねェ…よ?」

頷いたまま、俯くビビの頬を長い指がそっと撫でる。
気を失いそうなほど、胸が苦しい。

…だが、サンジの手はそのままビビから離れていく。

「…?」

「ちょっと、待ってて」

顔を上げると、彼の背中が目に入った。
頭がぼうっとして膝に力が入らないビビは、ドアに背中を預けてやっとカラダを支えた。

何か探し物でもしているかのようにサンジは棚に目をやり、倉庫の床に積み上げられた
荷物を見回す。
やがて幾つかの麻袋を持ち上げ、並べ直し始めた。

一体、どうしたというのだろう?
コンナ時に倉庫の整理でもないだろうに。

恥ずかしくて、不安で、そして悲しくなった。

サンジは棚の上から予備の毛布を取り出すと、並べた麻袋の上に拡げる。
そしてビビの元へ戻ってきた。

物言いた気な彼女の様子に、ふわっと笑いかけ、細いカラダを抱き上げる。

「ちゃんとしたベッドじゃなくて…、ゴメン」

酷く申し訳なさそうに、簡易の寝床にビビを横たえる。
頬を紅く染めながら、ビビは何度も首を横に振った。

……このひとが、好き。

胸が痛むほどに、思う。

……私の一番はアラバスタだけれど
   ニ番目は貴方。
   パパよりも、亡くなったママよりも、ずっと…。

覆い被さる男の熱い体温を感じながら、ビビは目を閉じる。



   その後、生涯に渡って
   彼女の“一番”と“二番”は変わることはなかった。



天蓋付きの大きなベッドと、羽根布団。
レ−スと刺繍で飾られた絹のカバ−。

生涯の大半を一人で過ごしたその寝床で、ビビは繰り返し思い出した。

素肌に触れる、化繊の毛布の感触。
波の揺れ。
タバコと混じり合う潮の香り。
そして、小麦粉の匂い…



「……苦しい?」

重い瞼を開くと、鮮やかな青い眸が心配そうに覗き込んでいた。
どうやら、少しうとうととしていたらしい。

「…大丈夫…」

微笑んで答える彼女に、皮肉気な苦笑が浮かぶ。
濡らしたタオルで、額に滲む汗を拭き取ってくれながら。

「アナタの“大丈夫”は聞き飽きました」

若い娘にしては、ぞんざいな口調で。

……ああ、似ている。

外見は、彼女や彼女の母に生き写しだと皆が言う。
その髪と眸の色を除いては。

けれど中身は、ほっそりとした見た目に反し、病気一つしたことも無いほど頑丈で。
チャカやペルに剣術を習っていても、カッとなるとつい足が出て。
厨房が大好きで、テラコッタさんにくっついて1日中パンを捏ねたり野菜の飾り切り
をして“遊んで”いるような子供だった。

一体、何処で覚えてくるのか口は悪いし、煙草は吸うし、お酒も飲むし。
年頃になったと思ったとたんBFをとっかえひっかえして、家臣達の気を揉ませている。

……ほとんど、会ったコトもない筈なのに。

父親にソックリなのだった。

「本当に、呼ばなくてイイの?」

冷たい水の入ったタライで手ずからタオルを絞りながら、娘が言う。

「アタシを見て、そんな遠い目をするくらいなら、呼びゃあイイじゃん」

そして、ポツリと付け加える。

「…アタシは会いたくないけどさ、言ってやりたいコトぐらいあるし…」

思わず、笑う。
成長するにつれ、娘は彼を避け始めた。
年齢と共に徹底的に。
宮殿からも、アルバ−ナからさえも、出ていくほどに。
血の繋がった娘であろうと、女のコにはトコトン甘い彼がガッカリしていたのは
見ていて気の毒だった。

「少しは、オトナになったのかしら?」

冗談めかして言うと、露骨にムッとした表情になる。

「また、子供扱いして!アタシはもう、ママがアタシを産んだのと同じ歳なのに!!」

……ああ、もうそんなに…。

なら、娘は出会った頃の彼とも同じ歳だ。

時間はまるで……重さの無い雪のように、降り積もる。



冬島で見た、桜雪。

今も鮮やかに蘇る、夢のような光景。

皆がいる。

彼がいる。

そして彼女も、そこに居た。



……私の一番は、アラバスタ。
   そして二番目が、貴方。


二十年以上、変わらない。


……三番目は……


かつては、父だった。
今はもう居ない。
自分の地位が四番目に転落したことを哀しむより、孫娘を目に入れても痛くない
ほどの可愛がりようだった。


……私の三番目は、貴女。


母親の、そして父親の一番になれないことを未だに悔しがっている
幾つになっても子供っぽいトコロのある娘。

この諦めの悪さだけは、自分譲りかもしれない。
彼はアッサリと、

『ニ番目なら、上等vv』

とか言うひとなのだから。


……貴方の一番は、“海”。
   そして、ニ番目が私…。


オ−ルブル−が見つかった後も、彼が船を降りることはなかった。

解っていたことだ。
彼が必要とするのは“ビビ”だけであって、それに付随する全てに用はない。
解っていて、選んだのだ。

諦めることは出来なかったけれど
後悔は、していない。

何もかも、自分で選んで決めたのだから。


「…何もかもを……貴女の、思うように」

「……?」

「誰も、貴女の代りにはなれない。
 貴女が望んで求めるならば、貴女を助けようとする手は、この世に数多くある…。
 けれど、選ぶことと決めること。
 それは、貴女だけの責任…」

娘の表情から豊か過ぎる情感が消え、真剣な面持ちになる。
そうすると、母と娘は本当に瓜二つだった。

「王としても、一人の女性としても
 夢を追う人間としても……。
 全てを、貴女の思うように……なさい」

「はい」

自分に似ていて、彼にも似ていて。
でも、他の誰でもない輝きを持つ青い眸に、ビビは微笑んだ。

そして深く、溜息をついた。


   * * *


『先代女王陛下は、そのまま目を閉じて静かな寝息をおたてになり、再び目覚める
 ことはなく、数日後に息を引き取られました。

 “全てを、貴女の思うようになさい”

 それが、母の私への遺言でした。
 そして私は、私の思うようにしています。
 王としても、一人の女としても、人間としても。
 …彼女の唯一人の娘としても。
 自らに恥じることのない、この国の“最後の王”となるのです』


(「ネフェルタリ王家/第十四章“最後の王”」
 アラバスタ王国最後の王位継承者・第十四代女王晩年のインタビュ−より抜粋)


                                   − 終 −


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“アラバスタ編以降捏造設定”
どう終わらせるかは、最初の「海賊王女」を書いた時に、決まっていました。
もう少し、時間的なエピソ−ドをつめてから出すべき話なのですが、原作が動くと書けなく
なってしまうという不安が大きく、思い切って掲載に踏み切りました。

なお、こちらは三部作となっております。
究極の自己満足捏造設定モノではありますが、最後までお付き合いいただけましたなら
嬉しいです。