蜜柑の花



『みかんの花って、どんなのですか?見たことがないわ』

そう、あの娘は言った。


− 1 −

あの娘がこの船に居た頃は、ちょうどみかんの収穫期で。
緑の葉の間には、たわわにみかんが生(な)っていた。
慣れない海賊船の上で、手持ち無沙汰そうだったあの娘に
よく、みかんの手入れを手伝ってもらっていた。
そんな時の会話。

『っていうか、“みかん”って果物があることも、この船に乗って初めて知りました。
 オレンジならアラバスタにも輸入されてましたけれど』

『みかんはみかん、オレンジはオレンジよ。
 オレンジはナイフで切らなきゃ食べられないけど、みかんはこうやって手で剥けるの。
 お手軽でしょ〜』
 
『美味しいv』

目を細めて笑うあの娘を見るのが、好きだった。

『と〜ぜんよ。
 イ−ストブル−で一番甘くて美味しいみかんなんだから』

ベルメ−ルさんが育てて、ノジコが守っていたみかんの木。
一番枝振りのイイ三本を選んで、この船に乗せた。

『みかんって、アラバスタでは栽培出来ないのかしら?』

砂の国の王女様は、みかんが相当気に入ったらしい。
小首を傾げて、真剣に考え込む。

『砂漠の国じゃあ、よっぽど品種改良しないとね。
 でも、根付いたあかつきには紹介料1億ベリ−よv』

『ナミさんって、本当にアコギだわ〜』

…ねぇ、もっと笑いなさいよ。

『それも当然。
 あたしはみかんも好きだけれど、お金も大好きなのvv』


   濃い緑がサワサワと葉ずれの音を立てる
   甘酸っぱいみかんの匂い
   明るい笑い声


そんな夢を見てしまったあたしは、緑の葉の間にチラホラと付き始めた白い蕾を眺めて
…酷く、不機嫌になった。




− 2 −

「…だから、あたしはあんたに50万ベリ−の貸しがあるのよ」

「どうしてそういうことになるのかしら?航海士さん」

珍しく、今夜の航海士は剣士ではなく、考古学者を相手に酒盃を傾けていた。
それが何時の間にやら絡み酒になっている。
酒豪の彼女には、それも珍しい。

「ビビはねぇ、バロックワ−クスで働いてた時の給料をせっせと貯金してたのよ。
 で、その貯金の50万ベリ−をあたしに払うって約束してたワケ。
 ところがウイスキ−ピ−クを脱出する時のどさくさで、持ち出し損ねちゃって。
 可哀想に、タダ働きじゃないの!?」

この場合、“可哀想に、タダ働き”なのは王女様のことだろうか?航海士のことだろうか?
我が身が可愛いなら、ツッコミはナシだ。

「ど〜せ、クビにした社員の貯金は会社で没収しちゃってんでしょう?
 で、会社の経理を握ってたのは副社長のあんたじゃないの。
 だから、あんたはあたしに50万ベリ−の借りがあるの」


   * * *


航海士が早々に女部屋に引き上げた後、キッチンでは彼女を除いたクル−達で
緊急会議が開かれていた。

「朝から不機嫌っぽかったからヘンだとは思ったけど。
 ナミさんがロビンちゃんに絡むとはね〜」

酔い覚ましのコ−ヒ−を配りながら、料理人が言った。

「ビビのこと、思い出してたのか」

トナカイで猫舌の船医が、ふうふうとコ−ヒ−に息を吹きかけながら後を受ける。

「なんでぇ。俺はまた、“アノ日”だとばかり…」

「トレスフル−ル(三輪咲き)」

 メキバキゴキ

剣士は沈黙した。
残りの男共も暫し沈黙するが、一向に気にしない男もいる。

「ビビかぁ〜。おれも会いてぇなぁ〜。
 カル−に、カラカラのおっさんに、ちくわのおっさんに、国王のおっさんに、
 料理のおばちゃんに…。
 あ〜また、アラバスタ料理食いてぇ〜〜。
 サンジ、明日の晩メシに作ってくれ!!」

「そういう話じゃねェよ!!」

料理人の踵が船長の頭上に落ちる。

「じゃあ、ナミの誕生日のゴチソウは、アラバスタ料理だ!!!」

「何でナミさんのお誕生日に、おめェの食いたいモンを作らなきゃなんねェんだよッ!!?」

そのまま踵は船長のゴム頭の上で、何度かバウンドを繰り返した。
ちなみにこの緊急会議は、間近に迫った航海士の誕生日についての打ち合わせなのだ。
一応は。

「ナミは、ビビにメロメロだったからなぁ〜」

気を取り直した狙撃手が、話を元に戻す。

「あら、そうなの」

「そりゃあもう、俺の入り込む余地すらねェってホドで。
 コケティッシュでキュ−トなナミさんと、可憐で清純なビビちゃんの並んだ姿は
 一枚の名画のさながらで…。
 ああモチロン、知的でミステリアスなロビンちゃんとの取り合わせもまた、
 趣きの違う名画ですよ〜vv」

料理人のこういった発言は、常にキレイサッパリと黙殺される。

「そう…。
 じゃあ、航海士さんのプレゼントに、こういうのはどうかしら?」

「何だ?」

「等身大のプリンセス人形。材料費50万ベリ−でね。
 お願い出来るかしら、狙撃手さん?」

「……へ?(汗)」

固まる狙撃手の隣で、舞い上がる料理人。

「ソレは俺も是非、一体欲しい〜〜vv」

「シンコフル−ル(五輪咲き)」

 メキベキバキゴキグキ

「…冗談はさておいて」

「「「冗談かよっつ!!?(びしっつ)」」」

生き残った男共が、一斉にツッコミを入れる。

「とりあえず、航海士さんが今、一番喜ぶのはプリンセス絡みってコトね」

「ビビからナミに何かっつってもなァ。
 グランドラインの上じゃ、届けてもらうワケにもいかねぇだろ」

何時の間にやら立ち直っている剣士が、欠伸をしながら言った。

「別にモノじゃなくても構わねェだろ?
 要は、ビビちゃんがナミさんのことを忘れてねェってコトが判るようにすりゃあ
 イイんだから」

やはり立ち直っている料理人は、コ−ヒ−のお代りを注ぎ回っている。

「何か良いアイディアが?」

優雅な仕草で二杯目のコ−ヒ−を受け取る考古学者に、ウィンクを飛ばして。

「お任せあれv
 ただ、ちょいとウソップの協力が必要だな。
 あともちろん、ロビンちゃんには資金面で」

「ビビからナミに、何かしてやれるのか?
 きっとナミもビビも、すごく喜ぶぞ!」

船医のつぶらな眸がキラキラと輝く。

「じゃあ、ナミの誕生日はアラバスタ料理で決まりだなッ!!!」

「「「「決まってね−よッツ!!!!」」」」

ドカボカと手足でツッコミを入れられる船長を見ながら、
考古学者は楽しそうに笑っていた。



− 3 −

翌日、船はとある島に到着した。
考古学者が細工したくじ引きで、船番は航海士と剣士の二人になる。

いつもどおり、何処かに冒険に飛び出す船長と
食材や薬の材料を買いに市場へ向かう料理人と船医
そして狙撃手と考古学者の二人が連れ立って街を歩き回り、目的の場所を見つけた。

やがて、小さな建物から出てきた考古学者に狙撃手が駆け寄る。

「ロビン、首尾はどうだ?」

「まずまずね。
 現在のGM号の位置と、狙撃手さんの作品の電送はOKよ。
 現金書留の手続きも完了。
 相当な手数料だったけれど、それが私からのプレゼントということね」

「例の50万ベリ−だって、お前の持ち出しだろ?
 エライ出費じゃねぇのか?」

電伝虫での電送料は、当然その距離に比例する。現金書留も同様だ。
アラバスタからはもう、随分離れてしまった。
しかし彼女は気にする風もない。
もともと、航海士とは対照的に金や宝石にさほど執着を見せない女ではあったが。

「50万ベリ−は、“ミス・ウェンズデ−”が受け取るべき当然の報酬ですもの。
 労働の対価を労働者に支払うのは筋というモノでしょう?
 “正当な”…とは言えないにしてもね。
 それをどう使うかは本人の自由だわ」

「おまえ、この間から何か楽しそうじゃねぇ?」

テンガロン・ハットの下の顔を覗き込む狙撃手に、考古学者は笑った。

「楽しいわ。こういうのって、初めてですもの。
 7月3日が楽しみね」



− 4 −

「あたしに隠れて、何をコソコソと企んでんのよ?あんたたち」

中央甲板に大の字になって寝ているゾロを見下ろしながら、言った。
チラリと片目を開けて、またつぶる。
腕枕を崩そうともしない、うざったそうな態度にムカついた。

「ま、想像はつくけどね。
 せいぜい趣向を凝らして楽しませてちょうだい。
 驚いたフリぐらい、してあげるわ」

クル−の誕生日には宴会だなんて、誰が決めたのよ。
女が年取って嬉しいワケないじゃないの!!
何だかんだ言って、飲んで食って騒げりゃイイだけなんだからウチの男共は!!!

…こんな自分には、もっとムカつく。

「何か言えば?」

何、カリカリしてんだとか。
あいつらが好きでやってんだから放っておけとか。
…何か。

ゾロは目を瞑ったまま、ボソリと言った。

「…白、か」

ギクリとした。
が、はたと思い当たって、その場から飛び退ると同時にサイクロンテンポをお見舞いする。

「勝手に人の下着、覗いてんじゃないわよ!?
 このド助平マリモ!!!」

「てめぇが勝手に見せてンだろ−が!!!」

その内、大荷物を抱えて帰ってきたサンジ君が、あたし達の様子を見るなり
血相を変えた。

「おめェ、ナミさんに何しやがった!!?」

「何もしてねぇよ!!!
 だいたい、この露出狂のヒス女が…」

「デリケ−トなお心をお持ちのナミさんに向かって、何たる暴言!!
 今夜の晩メシはマリモのオロシ和えだ〜ッ!!!」

あ、ソレは不味そう。

大声で怒鳴って少し気が晴れたあたしは、後をサンジ君に任せて後部甲板に上がった。

…ああ、もう花が咲き始めてる。


『みかんの花って、どんなのですか?』


…白い花よ。
小さくて、香りのイイ花。
きっとあんたも好きになる。

今もあの島に居る、あたしの姉さんみたいに
今もあの島に眠る、あたしの母さんみたいに


『満開だぁ〜。今年も豊作ね』

『イイ匂い〜』

『今年も“豊作貧乏”かぁ〜』

『あたし、みかんも好きだけど、みかんの花も好きよ』

『あたしも!!』

『あたしは、みかんもみかんの花も好きだけど、ノジコとナミも好きよvv』


……あたしの一番、好きな花よ。




− 5 −

カレンダ−は、7月2日。
空はどんよりと曇っている。
荒れる気配はないが、いつ何時サイクロンが襲ってくるやら予測もつかないのが
グランドラインだ。

「明日、ちゃんと届くかな?」

青い鼻を窓ガラスに押し付けながら、船医が心配そうに言った。

「天気が良くなきゃ、元も子もねぇよな…。
 “てるてる坊主”でも作るか」

狙撃手も厚い雲を見上げて呟いた。

「“てるてる坊主”?」

首を傾げる船医に、狙撃手が説明する。

「イ−ストブル−の呪(まじな)いみたいなモンだな。
 それが広まったきっかけはこうだ。
 ヤマタイ国の女王アマテラスに仕える占い師が、ある日このキャプテ〜ン・ウソップ様の
 元を訪れて言うには…」

狙撃手の嘘話は、その後30分に渡って続いた。
そして、キッチンの窓にはビッシリと、ティッシュペ−パ−で作られた人形が
首を吊ることになったのである。

「…なに?こんなものぶら下げて」

測量を終えてキッチンに入ってきた航海士は、あまり美しくない光景に眉を顰めた。
また一つ、“てるてる坊主”を吊るしながら、船医は椅子の上で威張って言った。

「呪(まじな)いだ!
 明日、晴れなかったら首をちょん切るんだぞ!!」

「明日はナミの誕生日だからな。
 甲板でパ−ティ−が出来るように、だなぁ〜」

その不機嫌なオ−ラを察知した狙撃手が、引き攣った笑顔を浮かべる。

「そう…。ありがとうチョッパ−。
 でもね、ティッシュペ−パ−もタダじゃあないんだから、明日雨が降ろうが晴れようが、
 その“てるてる坊主”の成れの果ては、あんたが責任持って鼻をかむのよ?
 …捨てたら、承知しないからね…?」

ゴゴゴゴゴ…。
と、背後に暗雲立ち込める勢いに、船医は椅子から転げ落ちかけながらも踏ん張った。

「お、おう…!!(ビクビクッ)」

「シッカリしたナミさんも、素敵だ〜vv」

フォロ−になっているんだか、いないんだか。
メロリンコックは、彼女の前にティ−カップを置いた。



− 6 −

7月3日。
“てるてる坊主”のおかげかどうかは知らないけれど、快晴だ。
けれど、あたしの気分は低気圧なまま。
ロビンもそれを察しているのか、何も言わずに女部屋を出て行った。

重い気分で甲板に上がると、チョッパ−とルフィが羊頭の上に座り込んでいる。
当番のウソップが見張り台の上で双眼鏡を持っているのはイイとして、
なんでゾロがこんな時間から甲板で寝転がっているんだろう?

「…?」

ふと、視線を感じて振り向くと、キッチンの窓からサンジ君がこっちを見ている。
目が合うと、へらっと笑ってハ−トを飛ばしてきたけれど。

「??」

首を傾げていると、カモメが一羽、空から船縁に舞い降りた。
天候の良い日は必ず、何処かの島から新聞を運んで来る。
どんな海でも、情報は命綱だ。

「はい、ご苦労様。
 …いつも買ってるんだから、たまにはサ−ビスしてよね」

一言、釘を刺してからお金を払い、新聞を受け取る。
相変わらず世界は不穏で、ロクな記事がない。
ク−デタ−、内乱、飢饉、テロ。
随分離れてしまったせいで、もうアラバスタの名を見ることもない。
イ−ストブル−なら、尚更だ。

二面、三面と進み、次をめくった。
そして、イキナリ視界に飛び込んで来たモノに、あたしは暫し呆然とした。

「……みかん?」

新聞の一面イッパイを使って描かれたソレは、どこをどう見ても“みかん”だった。
円よりは楕円に近いてっぺんのヘタと、そこにくっ付いた小さな葉っぱ。
知らない人間には、潰れたオレンジに見えるかもしれない。
けれどソレは、“みかん”なのだ。

…だって、その“みかん”は小さな“×”印を並べた線で描かれているんだから。


「……ビビ……」


コツリと靴音が響いて、あたしは振り返った。

「何か、良いニュ−スでも?」

口元だけのアルカイック・スマイルを浮かべる考古学者。
船首の上からこっちを伺う船長と船医。
双眼鏡を真下に向ける狙撃手。
薄目を開けて寝る剣士。
咥えタバコの料理人。

「…あんたの差し金ね」

「何のことかしら?」

そう答えながらも、しらばっくれる気はないらしい。
だって、鳶色の眸が楽しそうにキラキラしている。
あたしは溜息をついて、新聞を示した。

「一海域あたりの有料広告丸々一面分、50万ベリ−じゃ足りゃしないわ」

「あら、それは。
 砂の国のプリンセスも随分奮発したものね」

さすがにロビンも新聞の一面いっぱいの“大みかん”には、驚いたようだ。

「今はまだ、国にだって余裕がないだろうに…。
 お母さんの形見の宝石でも売っ払ってなけりゃイイけれど」

あんたがお金に替えたのは、クロコダイルからネコババした宝石のうち、
あたしに渡さなかった残りなんだろうけれど。
あの娘はどうでもイイような贅沢品なんか持つような娘じゃないんだから。

「でも、嬉しいでしょう?」

顔を上げると、ロビンは目を細めてあたしを見ていた。
あんたのそんな顔、初めて見た。
…だから。

「そりゃあね」

この数日、ずっと離れなかった苛立ちが、何処かへ消えていった。


   * * *


「ナミ〜ッ、宴会始めるぞ〜〜ッツ!!」

何時の間にやら甲板にはテ−ブルと椅子がセットされている。
まったく、こういうコトにだけ手際がイイんだから。

「朝からァ?」

呆れながら返事をすると、甘酸っぱいみかんの匂いが拡がった。

「朝食は、みかんジャムを添えたパンケ−キと、みかん風味のアイスティ−。
 本日は全て“みかん”をコンセプトにしたメニュ−ですので、お楽しみに〜vv」

「甘くねぇモンも出せよ」

「いや〜めでてぇなァ」

「人間って、不思議だな。
 年を取るのがめでたいのか〜」

「さ、行きましょう」

ロビンと肩を並べて歩き出すと、ルフィが大口を開けて にしししっ と白い歯を見せた。


「ナミ、笑え!!」


   * * *


『アラバスタにも花は咲くのよ。
 雨が降ると、ほんのつかの間、砂漠に花畑が拡がって…。
 ナミさんにも、見せたいわ』

……ビビ

『アイツ等と楽しくやんな、ナミ!!
 そして気が向いたら、ココに帰っておいで。
 あたしが作ったみかんを食べにね』

……ノジコ

『いつでも笑ってられる強さを忘れないで。
 ノジコ、ナミ……大好きv』


……ベルメ−ルさん…。


   ねぇ、笑ってくれる?

   みかんの花の下の、あたしのように



                                   − 終 −



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蜜柑の花の開花は、5〜6月だそうです。
ナミさんの誕生日の頃に咲いているのは時期外れなのですが、そこはグランドライン。
季節感は無視です。(汗)

ナミさん誕生日話にかこつけた『ビビちゃんを忘れないでね話』
ビビちゃんをノジコさん、ベルメールさんと同列にするのはおかしいと思われるかも
しれませんが、彼女はナミさんにとって“妹”的な位置づけと解しています。
…ここは、姫贔屓サイトですから。
なお、ノンカップリングですので特に意識はしていませんが、深読みは如何様にも。(笑)

ちなみに“蜜柑の花”の花言葉はオレンジやレモン等のシトラス系共通で“純潔”。
オレンジの花は花嫁のブ−ケに好まれますが、蜜柑はどうでしょうか?
(検索による複数サイト様からの総合情報)