嫌いじゃない




− 1 −

「…これは?」

目の前に並べられた幾枚かの写真に、我知らず声が出た。

「フロンティアエ−ジェントの欠員補充候補者です。
 前回の任務に失敗したMr.8ペアがアンラッキ−ズに“処罰”されましたので。
 Mr.9ペアも先月から欠員となったままですし」

任務の失敗は“死”を意味し、成功は厚遇と昇格を約束する。
それが秘密犯罪会社“B・W(バロックワ−クス)”の社訓。

「そうだったわね。
 Mr.10以下を昇格させるにせよ、ビリオンズから抜擢するにせよ、早く補充をしなくては。
 社の業務に支障をきたしてしまうわ」

言いながら、写真とプロフィ−ルを順に眺める。
そして視線は最後の一枚で止まった。
蒼い髪を高く結い上げた若い女。
大きく胸元の開いた服や濃い化粧は、そこらの街角に立っていても不自然ではない。
それにしては、少々“上玉”すぎるといえないこともないけれど。

秘書代わりの社員が部屋を出た後、別のファイルからもう一枚の写真を取り出した。
我が社の“計画”における不測要素。
一年前に行方不明となったアラバスタ王女の写真。

13歳の誕生日を祝う式典で撮られたそれは、まだあどけなさを残した少女。
民衆に向かって手を振る笑顔のアップ。
私はデスクに二枚の写真を並べた。

まったく違う印象。
恐らくは、そうと思った上で見なければ気づくことは難しい。
けれど、この耳の形。顎のライン。

そして、王女と共に行方不明となった王国の護衛隊長の風貌もまた並んだ写真の一枚に
見い出せる。
変装という点では、護衛隊長よりも王女の方が上手なようだ。

「……ご苦労様だこと」

誰がどこで聞いているか判らない。
だから、誰に聞かれても差し障りの無いことしか口にしない。
身に染み付いた習性。
私は椅子の背凭れに頭を預けて目を閉じた。

虎穴に飛び込んできた、勇ましい王女様。
B・Wの、そして私の“計画”にとって指先に刺さった小さな棘のようだった存在。
この駒をどう使うか、考えなければならないのだ。

けれど私の思考は未来ではなく過去へと時を遡る。

砂の大地の上に広がる、雲ひとつない空。
その鮮やかな蒼を、貴女の国の人々は絶望を込めて見上げている。

絶望が怒りに、怒りが憎悪に変わり、求めて止まない雨の代りに
乾いた砂が血で黒く染まるのも時間の問題。

……なのに、こんなところで何をしようとしているの?砂の国のお姫様。



− 2 −

アラバスタに雨が降らなくなり、半年が過ぎた。
人々が待ち望んだ雨季を迎えてさえ、一滴も。

『困った困った』
『ほんとに、どうなってるんだかねぇ…。』

空を見上げては口にする人々の顔に、不安はあっても絶望の影はまだない。
アラバスタ王国政府には、国民の最低限の生活を支える様々な援助を行う力があった。
国民の王家への信頼は揺らいではいなかったのだ。

それでも水面下で不満と不信は沈殿していく。

『何故、アルバ−ナにだけは雨が降るんだ…?』

豊かな水と仕事を求めて、貧しい村々から人が押し寄せる。
家族を養うために出稼ぎに来た者。干ばつで村を捨てざるを得なかった者。
王都の治安の悪化が、次第に問題視されるようになる。
元からのアルバ−ナの住人と、流れてきた人々との間で深まる亀裂。
原因となる些細な諍いや小さな犯罪の大半は、潜入したB・Wの社員による工作だった。

ゆっくりと募っていく不安の中で、“サ−・クロコダイル”の名は高まっていく。
一年前にアラバスタへの滞在を許された“王下七武海”の一人。
沿岸部では港町を襲う海賊を国王軍より早く蹴散らし
内陸部では飢え乾く村々への援助を惜しまない。

『アラバスタの守り神』
『砂漠の王』

人々は、彼をそう呼んだ。

遠い海の上で“ダンスパウダ−”を燃やし、この国にもたらされる筈の雨を奪っている男。
アラバスタを完全な砂の世界にしようとしている男。
その意味でなら、『砂漠の王』という呼び名は正にあの男に相応しい。

B・Wによる計画が次の段階に入ろうとしていた、ちょうどその頃。
私はアラバスタ王女の姿を間近に見る機会があった。
国王に連れらた彼女が、“レインディナ−ズ”にやって来たのだ。


   * * *


“レインディナ−ズ”は、ギャンブルの町“レインベ−ス”最大のカジノとして。
また、サ−・クロコダイルが経営する店としても知られている。
アラバスタでの私の仮の姿はサ−・クロコダイルに雇われた“レインディナ−ズ”の
支配人(マネ−ジャ−)だった。

国王の行幸の知らせを受けた私は、抜かりなく手配を整えた上で後の応対を副支配人に任せた。
ネフェルタリ・コブラは“世界会議(レヴェリ−)”の円卓に座を占める列国の王。
世界情勢にも強い関心を持って国を治めている。
二十年近く前の事件を覚えていないとも限らない。

顔を見られたくない私は、カジノ全体を見渡せる最上階の窓から様子を伺った。
今ではないが、いずれ対面する相手だ。
私の望む場所に連れて行ってもらう為に。

コブラ王の用向きは、この年の大干ばつに対して近隣のオアシスに多くの援助を行った
サ−・クロコダイルへ勲章を授けるというものだった。
クロコダイルを宮殿へ呼びつけるのではなく、国王自らが足を運ぶというあたりが
“七武海”への敬意であり、“国の英雄”にあやかろうというコブラ王の処世術だろう。

黒い毛皮を纏い葉巻を咥えたクロコダイルが、感謝の言葉を述べるコブラ王と固く握手を交わす。
詰めかけた客の中から沸き起こる盛大な拍手。
目映いフラッシュが焚かれ、明日の地方版の一面を飾ることだろう。

……滑稽な、キツネとタヌキの化かし合い。

コブラ王の傍らには、一人娘でもある世継ぎ王女が居た。
鮮やかな蒼い髪と、薄絹のドレス。
顔に傷跡を持つ“英雄”を前に臆する事も無く、優雅に会釈し手にした花束を贈呈する。
絵になる構図に、先程よりも多くの光が迸った。

この国の王家の執政方針は、市井を良く知ること。
国王自らがしばしばお忍びで城下や港町、オアシスの村々を出歩くのだそうだ。
王女は下町の子ども達と取っ組み合いの喧嘩をしたこともあったとか。
その手の逸話は国中に溢れ、酒場や井戸端での恰好の肴となっていた。

そんなお国柄とはいえ、未成年の王女を連れてのカジノ見学とは。
御歳13歳の姫君は大きな眸を好奇心に輝かせて、スロットマシ−ンやル−レットを見つめる。
副支配人がハンカチで汗を拭きながら質問に答えていると、後ろに控えていた二人の護衛兵の
一人が彼女に向かって何か囁いた。
アラバスタの古い部族における砂漠の戦士の証として、顔に刺青を入れている。
少々不満そうな彼女は、小走りで先を行く国王を追った。
護衛兵等もまた、彼女と国王の後ろに付き従う。

聞くところでは、彼等二人は“悪魔の実”の能力者なのだそうだ。
“ハヤブサのペル”と“ジャッカルのチャカ”
彼等こそが本来の“アラバスタの守護神”だというのに、クロコダイルにお株を取られて
最近はその名も影が薄い。
当の二人は俗な名声など我関せず、影そのもののように王女と国王を守るだけだろう。

国の宝石、掌中の珠。
そう呼ばれるに相応しい、愛らしいお姫様。

私はガラス越しに人々の間を蝶々のように動き回る蒼い色を眺めていた。

あの少女に、これからどんな運命が待つのだろう?
殺されるか、国を追われるか、その前に国から逃げ出すか。
それよりももっと悲惨なことでさえ、この世の中には幾らでもある。

彼女一人のことではない。

この国の人間の、どれだけが死ぬだろう?
楽に死ねる人間は、その中のどれくらいだろう?
今、この場に居る人間のどれだけが…?

……それでも、私は。



− 3 −

王都アルバ−ナだけにしか雨が降らない。
そんな異常な状況が一年を過ぎて尚、続いた。
押さえようもない不信を裏付けるように、“ダンスパウダ−事件”が起きる。

大勢の国民の目の前で“宮殿へ運ばれる荷物”としてぶちまけられた“雨を呼ぶ粉”。
同じものが宮殿内からも大量に発見された。
捏造された“動かぬ証拠”に、国中に衝撃が走る。

アラバスタの各地で暴動が起こり、国王軍と血気に逸った若者達との間で血が流れた。
それもまた、B・W社員の勤勉さの成果だ。

流れた血は、それを洗うための新たな血を求め
燃え出した炎は、全てを焼き尽くそうと四方に紅蓮の手を伸ばす
それが、人間の持つ性(さが)というもの。

だが、反乱軍の勢力は予想外に伸び悩んだ。
国王軍の反乱軍への対応も冷静だった。
つけた火種はつけた端からボヤで消される。

「この国の連中は、思った以上に平和ボケしているようだな」

葉巻を噛み潰しながら、クロコダイルは言った。
国民の王家への信頼と親愛の根強さ。
それが、計画の最大の障害となって立ちはだかる。

「この国の人々の渇きへの忍耐が尽きるのを待つ時間が必要なようね」

私は言った。
だが、我が社の“社長(ボス)”は決して気の長い男ではない。
思うように進まない計画に苛立ったクロコダイルは、新しいアイディアを出した。

「ビビ王女の暗殺…?」

葉巻を咥えた口からそのセリフが出たとき、私はらしくなく問い直した。

「そうだ。反乱軍の仕業に見せかけてな」

「確かに、状況は一気に悪化するでしょうね。
 警備と応戦のみに徹していた国王軍といえど、世継ぎ王女の暗殺とあっては
 コブラ王も重い腰を上げざるを得ない。
 ……けれど、今の反乱軍には国王軍の総攻撃に対抗する力は無いし
 国王軍を勝たせてしまっては元も子もないのではなくて?」

この頃の反乱軍は、“軍”というより各地に乱立する“グル−プ”と言った方が適切だ。
砂に阻まれて互いに連絡を取り合うことさえ難しく、個々に孤立していた。

「あの王女は国民に人気があるからな。
 13、4歳の子供を狙ったとあっては、反乱軍の名も地に堕ちるだろう。
 だが、捕らえられた王女暗殺犯は国民の前で自白するのさ。
 『俺を雇ったのは反乱軍じゃない。国王だ。
  王女は反乱軍に同情的で、国王と意見が対立していた。
  反乱軍は王女を祭り上げて、国王に退位を迫るつもりだった。
  疑心暗鬼の国王は、ついに実の娘を殺そうと決意した……』
 証拠をたっぷりと付けてやったら、さてどうなることか」

クロコダイルは肩を揺らせて笑った。

「……悪い人ね」

「王族の骨肉の争いなんぞ、珍しくもねぇさ」

彼の言うことは、もっともだ。
血を分けた身内でさえ裏切るのが、権力の世界なのだから。

決行は、王女の誕生日を祝う記念式典。
14歳になる彼女の成人と正式な王位継承権の確定を意味する立志式でもあった。
華やいだ式典は、一転して惨劇へと変わる。
いかにもクロコダイルらしい演出だ。

狙撃による暗殺はバロックワ−クスの社員にではなく、無関係なプロの殺し屋に依頼した。
Mr.2が化けたニセのコブラ王に引き会わせ、虚構を真実と思い込ませる。
暗殺後に明らかになる“真相”のための準備も同時に進めなければならない。

“ビビ王女が反乱軍に同情的である”という既成事実を作るための様々な工作。
王女はユバ・オアシスの開拓青年団と幼馴染らしく、手紙のやりとりや往来があった。
その事実にほんの少しの色を付けて、酒場や井戸端で噂を流す。
捏造する証拠の手本として、郵便物の中から王女直筆の手紙を抜き出す。
その中の一通を目にする機会があった。


     ねぇ、リ−ダ−。
     私、約束を忘れてはいないわ。
     今この時に、国の為に何が出来るのか。
     何をするべきなのか。
     ずっと、ずっと、考えている。
     貴方は言ったわね。
     『民を守れない王は、もう王じゃない』
     ただ、待つだけではなく。ただ、信じるだけではなく。
     どうすれば、この国に雨を取り戻すことが出来るのか…。
     答えがもうすぐ出そうです。
     だから、お願い。
     どうか一人で急ぎ過ぎないで。
     私はアラバスタの王女として、必ずリ−ダ−との約束を守ります。



読み様によっては、偽造の必要すら無い。
可哀想な王女様。
“バロックワ−クス”は貴女の国の諜報員ごときが正体を掴める組織ではないわ。
掴んだとしても、それはトカゲの尻尾。
切り離せば終わり。
そしてこの組織はね、最後には全ての手足を、頭さえも切り離し何も残らない様になっているの。

“Mr.0”も、この私も。

……そう、最後には全てが。


   * * *


暗殺計画は失敗した。
…正確には、実行不可能となったのだ。
14歳の誕生日を迎える直前に、王女は護衛隊長と共に姿を消した。

「……計画が漏れたんじゃねぇだろうな」

灰皿に葉巻の灰を落とすクロコダイルに、私は答えた。

「暗殺計画の全容を知っていたのは、私と貴方だけ。可能性は少ないわ」

クロコダイルはニヤリと笑った。
この男は私を信用してはいない。私がこの男を信用していないのと同じ程に。

「食えないコブラ王のことだ。家出に見せかけてどこかへ隠したのかもしれねぇな。
 まぁ、どっちにしても計画にとっては都合よく事が運んでいる。
 ……ああ、それと。要らなくなった殺し屋は始末しておけ。後々面倒だ」

「ええ」

クロコダイルの言うとおり、王女と護衛隊長の失踪は国民の中に動揺を生んでいる。


『ビビ王女はアラバスタを見捨てたのか?』
『コブラ王は我が子可愛さに、王女を安全な国に亡命させたんじゃないのか?』
『知ってるか?ビビ様は反乱軍に肩入れして王様に逆らったって話だぜ。
 それで怒った王様に、どこかに幽閉されたそうだ…』


事前準備に流した噂は、無駄な仕事ではなかったのだ。
動揺は、反乱軍に味方する。
間を置かず“ユバ・オアシス”の青年達がこぞって決起したとの情報が入った。
強い指導力を持った新しい組織に近隣の村からぞくぞくと若者が集まり、やがて“ユバ”は
反乱軍の最大組織となった。

これまでの反乱軍に決定的に欠けていたのは、強力な統率力だ。
主だった反乱軍のグル−プに潜入させていた社員からの情報を総合し、B・Wは
“ユバ”グル−プに狙いを定めた。

巧みに、彼等にそうとは気づかせないように反乱軍の組織を一つに纏め上げていく。
反乱を支援する大地主や豪商を影から操って。
時には国王軍のフリをして邪魔なグル−プの幹部等を殺し、敗走した組織が“ユバ”へ
向かうように仕向けて。

皮肉にも、国王軍と対決すべく反乱軍の指導者に祭り上げられていったのは
抜き出された王女の手紙の受取人だったユバ・オアシス開拓団代表の息子だった。
彼女が“リ−ダ−”と書き綴っていた青年。

名実共に反乱軍の若き統率者(リ−ダ−)となった青年についてのファイルを纏めていて
使い道を失った手紙を見つけた。
この手紙が彼の手に届いていたら、こうはならなかったのだろうか?
彼は王女の言葉を信じ、辛抱強く枯れたオアシスで井戸を掘り続けていただろうか?

……歴史に“もしも”など、存在しないというのに…。

王女の手紙と写真を挟んだファイルを元に戻す。
B・Wに属する全社員のプロフィ−ル。お金の出入り。関わった人間。
その全ての記録がここにあるのだ。

海軍、世界政府、アラバスタ王国。
誰の手に渡っても、“バロックワ−クス”という組織は壊滅する。

ただし、“ミス・オ−ルサンデ−”に関しての記載は一切無い。
クロコダイルの口さえ塞ぐことが出来れば。

……“私”という存在は誰に知られる事も無く、闇から闇へ還るのだ。


   * * *


革張りの椅子に凭れていた私は、ようやく目を開けた。
この写真を見たのは、本当についこの間のこと。

…だから、気づいたのだ。

そうでなければ、この鮮やかな蒼い髪が心のどこかに引っかかったとしても
二つの色が結びつくまでには、時間が掛かったに違いない。
それとも、アラバスタの空を見た瞬間に思い出しただろうか…?

「ミス・マンデ−(月曜)よりは、ウェンズデ−(水曜)ね」

私は小さく呟いた。



− 4 −

「おめでとう。貴女は今日から“ミス・ウェンズデ−”よ」

“偉大なる航路(グランドライン)”に幾つか設けられたB・Wの支社。
その一室で向かい合った彼女に、初めて掛けた言葉だった。
入社して一年足らずでのナンバ−エ−ジェントへの抜擢は、最近では異例のことだ。

「あら、そうなの」

じっと私を見つめた彼女は、直ぐに視線をそらしてつんと頭を聳やかす。
高慢で不満げな声色を聞き流して、私は手元の書類をめくる。

「貴女のペアの相手はMr.9。
 新しく任命されたMr.8ペアと共にウイスキ−ピ−クで指令を待ちなさい」

横を向いた頬の筋肉が、ほっとしたように緩む。
護衛隊長と離されずに済んで安心したのだろう。
同時期に入社した者同士でペアを組ませることは出来ないけれど、このくらいの便宜は
図ってあげるわ。
それに、新しいMr.9は紳士的で親切な男。
多少マヌケではあるようだけど、その方が貴女も助かるでしょう?

「…ねぇ。“社長(ボス)”には会わせてもらえないの?」

片手を腰に当て、ショ−トパンツから伸びるすらりとした脚を強調するようにポ−ズを取る。
書類から目を離さず、彼女の位置からは死角になる机の陰に生やした“目”を使って
鏡に映る彼女の様子を見ていた。

「社訓をご存知ないのかしら?」

「知ってるわ。“謎なぞナゾ”何もかもが謎よね。
 ……ただ、あんたよりあたしの方が社長のお気に召すんじゃないかと思っただけ」

“Mr.0”のペアの座を狙う野心家の女エ−ジェントが、実はやっと15歳だなんて。
誰も思いもしないでしょうね。
私の唇に浮かぶ笑みを馬鹿にされたと思ったのか、細く整えられた眉が吊り上がった。

「時がくれば、社長も姿を現すわ。
 我が社が掲げる“理想国家(ユ−トピア)”と共にね」

「それって、何時よ?待たされるのは嫌いなのよね」

アイラインとマスカラで縁取りされた大きな眸があまりに挑戦的だったので、私は顔を上げた。
そして自分自身の目で彼女を見た。

「遠くはない…、とだけ言っておきましょう。
 向上心の強い人って、嫌いじゃないわ。でも、余計なお喋りは終わり。
 ごきげんよう、“ミス・ウェンズデ−”」

ショ−トブ−ツの踵を返して、彼女は部屋を出て行った。
肩を怒らせた彼女は、しかし優雅に音を立てずにドアを閉めた。


   * * *


ウイスキ−ピ−クは、賞金稼ぎの町だ。
同じような町が他にも幾つか双子岬から発する七つの航路の最初の島に設けられている。
野望を胸に“偉大なる航路(グランドライン)”へ乗り込んで来る海賊達の首に掛けられた賞金は
B・Wの貴重な資金源となっているのだ。

ウイスキ−ピ−クにおけるMr.8とMr.9ペアは町の元締めの役割を持つ。
また、社長である“Mr.0”直々の任務も与えられる。
二組の働きは、特に可も無く不可も無い。
それなりに任務をこなしてはいるが、処罰されない程度の失敗も繰り返し昇格も降格も
ないままだ。

Mr.8とミス・ウェンズデ−は、任務の合間に“Mr.0”についての情報収集に励んでいた。
ナンバ−クラスとなっても直接の情報が得られないと悟った彼等は、副社長である私を
マ−クするようになった。
害は無いので、暫く放って置くことにする。
彼等の関心は私の背後に居る“Mr.0”であって、“ミス・オ−ルサンデ−”の正体では
ないのだから。

一方のアラバスタでは、国王軍と反乱軍の力が逆転しつつあった。
三年に及ぶ干ばつに、ようやく国民の忍耐も限界を迎えたのだ。

『民の苦しみを見過ごす王に、もはや王たる資格無し!!』

反乱軍の飛ばす檄文は一面において正しく、その一面の正しさが言葉に力を与える。
間もなく国王軍30万人が反乱軍に寝返るだろう。
彼等の多くは干ばつで滅んだ、或いは滅びようとしている村の出身者なのだ。

度重なる砂嵐に、“ユバ”を放棄し港町に近い“カトレア”へ本拠地を移した反乱軍。
その砂嵐を誰が起こしているのか、気づく者はない。
反乱軍の幹部の過半数が、“ユバ”を第二の故郷と思う開拓青年団で占められていたから。
計画にとっては、反乱軍が港町“ナノハナ”の近くに居てもらった方が都合が良いから。
“ユバ・オアシス”は砂に埋められたのだ。

クロコダイルは私に反乱軍に与えるための武器を積んだ偽装商船の手配を命じた。
そして、“偉大なる航路(グランドライン)”の各地に散るオフィサ−エ−ジェントの召集。
全てが揃えば、いよいよ計画の最終段階“ユ−トピア作戦”が動き出す。

私は賞金稼ぎの実績について、定期的にフロンティアエ−ジェントの報告を受けていた。
そのついでに社からの指令書を手渡す。
場所はウイスキ−ピ−クにあるB・Wの支社の一つ。
そこで私はクロコダイルに電伝虫を掛けた。
ドアの外にミス・ウェンズデ−が張り付いているのを承知して。

〔この忙しい時に賞金稼ぎなんぞ、どうでもいい〕

電伝虫からは、用心の為に音声を変えたクロコダイルの声。
これでは誰だかわからないでしょうね。

「そうはいかないわ。社員の統率という点ではね」

〔計画も大詰めだ。さっさと帰って来い、ミス・オ−ルサンデ−〕

「貴方の計画は完璧よ。
 後はただ、自分の座る椅子が玉座に変わるのを待てば良いのではなくて?」

天井に生やした目が、ミス・ウェンズデ−の肩の震えを映す。

〔玉座の座り心地は期待しねぇがな。〕

「貴方には砂の玉座がお似合いかもね。……“砂漠の王”」

その眸が見開かれ、紅を引いた唇が強く噛み締められる。

やっとわかった?
貴女達が味方だと信じ込んで疑わなかった王下七武海、サ−・クロコダイル。
あの男こそが、“Mr.0”の正体なのだと。

わかったところで、貴女はどうするのかしら?
とりあえずは指令書に従って、双子岬の大クジラをウイスキ−ピ−クの社員の食料にする任務に
向かうしかない。
遂行を怠れば、“アンラッキ−ズ”の制裁が与えられるのだから。
けれど時間はもう、残り少ないわ。

アラバスタに戻った私は、一日の間を置いて“Mr.0”に報告を入れた。
ファイルから抜き出した写真を手に。

「作戦発動前に社内の大掃除をしていて、面白いことがわかったわ。
 ミス・ウェンズデ−とMr.8。
 その正体は、二年前に行方不明になったアラバスタ王国の王女と護衛隊長。
 どうやら二人は貴方の正体に気づいた様子ね」

召集に応じて既にアラバスタに到着していたMr.5ペアに、電伝虫を通じて
社長直々の指令が出された。


〔俺の正体を嗅ぎまわる、五月蝿ぇハエを二匹始末しろ〕


そして私は再びウイスキ−ピ−クへ向かった。
Mr.5ペアが二人を始末するのを確かめに。

……正確には、始末したことにするために。



− 5 −

「その船は降りた方がいいわ、Mr.8。
 …それとも、護衛隊長さんとお呼びしようかしら?」

夜の海の上で声を掛けた私に、船上の彼は目を剥いた。
これ程早くに追っ手が来るとは予想外だったのだろう。

「お前は…、ミス・オ−ルサンデ−!?」

砲撃の構えを取るMr.8こと、アラバスタ王国護衛隊長イガラム。
サボテン岩に生やした目と耳で、町で起こった事柄は把握していた。
Mr.5ペアの任務は、まだ完全には失敗していない。

「Mr.5が、その船に気づいていないと思って?
 火薬をたっぷり使った時限爆弾が仕掛けてあるわ。
 無理に、とは言わないけれど。こちらの船に移った方が身のためよ」

バンチの後ろに引かせている小船を見て、彼は砲撃体制を解いた。

「我々の暗殺命令を出したお前が、何故、私を助けようとする!?」

似合わない女装をした護衛隊長は、赤く塗られた唇で私に問いかける。

「暗殺命令を出したのは“Mr.0”であって、私ではないわ。
 私には、まだ貴方達が生きていてくれた方が都合が良いことがあるのよ」

「お前の目的は、“Mr.0”…、クロコダイルとは違うということか?」

「貴方とお喋りをするつもりはないし、そんな時間もない。
 そこに居るか、こちらに移るか。すぐに決めて頂戴」

護衛隊長は素直に小船に乗り移ってくれた。

「バンチ、すぐにここを離れて」

「ウィ」

手綱を引くと、従順な水陸両用亀は全速力で泳ぎ出す。
数分後、爆音と共に火の手が上がった。
夜明け前の空と海が紅々と炎に照らされる。

これならば、島の何処に居ても見えるだろう。
むろん、正体を暴かれた王女様にも。
バンチに繋いでいたロ−プを解き、私は護衛隊長に言った。

「小さな船で悪いけれど、退職金代わりと思って頂戴。
 貴方に運があれば、アラバスタでお逢いしましょう。
 その時に、国の名前が変わっていなければいいけれど」

「待ってくれ、王女は……!?」

彼の声には振り返らず、バンチに炎の中を進ませる。
護衛隊長がダミ−にと作ったらしい人形が燃える波間に浮かんでいた。

「馬鹿ね…、おとりなんて」

こんなもので誤魔化せると思うなんて、甘すぎる。
あの国の人々は、皆。

私は王女を乗せた海賊船を追った。
英雄気取りか、報酬目当てか。
王女の護衛をすることになった海賊達に興味があったのだ。

ウイスキ−ピ−クで見た一枚の手配書。
懸賞金額三千万ベリ−の“D”の名を持つ男。
…というよりは、少年だ。白い歯を見せて屈託無く笑う麦わら帽子の男の子。

それに、彼女に渡すものもある。
“何もない島”への“永久指針(エタ−ナルポ−ス)”

生き延びるチャンスをあげるわ、王女様。
どう使うかは貴女次第。
私は目的さえ果たせれば、貴女の大事な国がどうなろうと知ったことじゃない。

滅びようと、生き延びようと。

……そう、どちらでもいいの。



− 6 −

「さっき、そこでMr.8に会ったわよ?ミス・ウェンズデ−…」

髪を緩くまとめて、お化粧はすっかり剥げ落ちて。
土と煤とで汚れた彼女は、それでも“王女”の顔をしていた。

「まさか……、あんたがイガラムを…!!!」

蒼ざめた顔は怒りに燃えて、愛想笑いを振り撒いているよりよっぽど鮮やかだ。
人間の本性は、笑いよりも怒りと憎しみに表れる。
それに、怒りは悲しみよりも人を突き動かす力を与えてくれるのだ。

「あんたの目的は、一体何なの!!?」

…馬鹿ね。
言って叶う望みなら、こんなことは最初っからしやしない。
四年も掛けて、こんな面倒なことなど。

「さァね…。貴女達が真剣だったから、つい協力しちゃったのよ。
 本気でB・Wを敵に回して国を救おうとしている王女様が、あまりにもバカバカしくてね」

「ナメんじゃないわよ!!!」

引き攣った顔で叫ぶ、威勢のいい王女様。
事情もロクにわからないまま、得物を手に彼女を守ろうとする海賊達。
少数ならではの見事なチ−ムワ−ク。
小さいけれど造りは頑丈で、整備の行き届いた船。

「この船の進路を、お前が決めるなよ!!!」

“永久指針(エタ−ナルポ−ス)”を握りつぶした麦わらの船長。
彼が、真に“D”の男だというのなら。

貴女には、何かが味方しているのかもしれない。
強運の“星”のようなものが。
どれだけ非論理的であろうとも、歴史を紐解けばそうとしか思えない人間が
この世には確かに存在する。

その強運が、あの国をどこまで守れるか。
試してみるのも悪くはない。


「私は威勢のいい奴は、嫌いじゃないわ。
 生きてたら、また逢いましょう」


絶望的に蒼く澄んだ空の下
乾いた砂が血で黒く染まる前に


……急ぎなさい、お姫様。



                                     − 終 −


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***************************************

2月6日。ニコ・ロビンさんのお誕生日にUpです。
今更かもしれませんが、ロビンさん視点での“アラバスタ事件”の断片。
過去話がまだ登場していない所為もありますが、彼女について姫絡みではない話は
まだ書けないようです。ロビンさん自身のお誕生日ネタも含めて。
ロビンさんのビビちゃんへのコメントは『嫌いじゃない』
これ以上でもなく、これ以下でもない。
もしかしたら麦わら一味達に対してさえ、そうとしか言えないのかもしれません。
今でも、なお。

今年も姫誕らしくないTextとなりました。(汗)
しつこく毎回繰り返していますが、私は私なりにロビンさんが好きなのです。

2005.2.6 上緒 愛 姫誕企画Princess of Peace20050202