砂に舞う花 − In Alubarna − アラバスタ王国の王族の食事は、常にはごく質素なものだった。 交易で財を成した豪商や、大部族の長の方が遥かに贅沢な暮らしをしているだろう。 その気になれば超カルガモを走らせ、港町から新鮮な魚介類や他の島の珍しい食材を 毎食ごとに取り寄せることも容易い筈が、国王はごく庶民的な食事をごく庶民的に食べた。 食事をするのも大勢の客を招くのでない限り、大食堂など使わない。 広すぎず豪華でもない小食堂は、こじんまりと家庭的な雰囲気を漂わせていた。 それでも、たった一人での食事は淋しすぎるのだろう。 国王は家臣の者を相伴させることが多かった。 この日、昼食に招かれたのは王国護衛隊の二人の副隊長である。 気さくな人柄が慕われている国王と、実直な武人である彼等との会食は和やかに進んだ。 「お味はいかがでしたか?」 綺麗に平らげられた料理の皿を下げながら、給仕長のテラコッタが尋ねる。 豆と野菜を中心とした献立であっても、国一番の料理人でもある彼女の腕は けっして食べる者を飽きさせない。 “悪魔の実”の能力者であり、その化身する姿から“アラバスタの守護神”と呼ばれる 二人は笑みと共に料理の感想を述べた。 「とても美味しかったですよ、テラコッタさん。 貴女の料理は、まさに“アラバスタの味”ですね」 「久しぶりにまともな食事をした気がします。 …本当に、とても懐かしい味でした」 護衛隊長の突然の失踪から、二年。 王国を守る軍隊六十万の責任を分け合うことになった二人は、文字通り寝食を忘れ 軍の規律を守るために働いた。 それでも、先頃ついに国王軍の半数は反乱軍へと寝返ったのだ。 国王は彼等の責任を問うことは無かったが、二人の憔悴ぶりは誰の目にも明らかだった。 だからこそ国王は彼等を食事に招き、テラコッタは自ら腕をふるうのだ。 北海岸の港町出身であるチャカの為には、干し貝で出汁を取ったス−プ。 東砂漠の部族出身であるペルの為には、羊のチ−ズを練り込んで焼いたパン。 「大の男が貧しい食事をするなんて、みっともないったらありゃしない。 鳥の餌や犬の餌じゃあるまいし、干し肉と乾パンばかり食べていて、この国が守れる もんですかね。 さて、では食後のコ−ヒ−をお出ししよう」 ずけずけと“アラバスタ最強の戦士”達に説教をして、テラコッタは空いた皿を両手に 奥へ引っ込んだ。 国王と二人の戦士は苦笑を浮かべる。 彼女は宮殿の“お袋さん”だ。誰一人頭が上がらない。 やがてテラコッタは盆の上に三つ分のコ−ヒ−カップと小皿を乗せて戻ってきた。 「その図体なら、あと一皿はお腹に入るだろうと思ってね」 小皿に載っているのは、砂糖衣で覆われた木の実の菓子だ。 形や中に入れる木の実は地方によって様々だが、アラバスタ全土で最も一般的な 祝い菓子として知られている。 アラバスタ人で、この菓子を食べたことのない者は居ないだろう。 アラバスタでは“パンとチ−ズとビ−ルの次に大事な食べ物”と言われる程だ。 「今日は、お祝いの日ですから」 それぞれの前に菓子の皿を置きながら、テラコッタは言った。 「……そうであったな」 国王が言い、三人は目の前の菓子を見つめた。 丸い小さな焼型で一つづつ焼かれたそれは、真っ白な砂糖衣で覆われている。 その上に青く染められた砂糖で描いた小さな花。 「王女が宮殿にいらっしゃれば……、」 言いかけた“ジャッカルのチャカ”は、一旦言葉を切って沈鬱さを振り切るように後を続けた。 「テラコッタさんも、我々の相手などする暇も無い程の大忙しだったでしょうね」 アラバスタでは、王と世継ぎとなる王位継承者の誕生日は国の祝祭日だ。 立志式こそ済ませてはいなかったが、王妃を亡くした国王に再婚の意志が無いため 10歳の時から一人娘であるネフェルタリ・ビビ王女の誕生日が国の祝祭日となっていた。 バルコニ−で宮前広場に集まった民衆に手を振り、その後は何百人もの客を招いての宴。 給仕長のテラコッタにとっては、一年で最も忙しい日になる筈だった。 だが、護衛隊長と共に王女が国から姿を消した後、主役を失った“その日”は何も無い。 民衆が広場に集まる事も、宴も、宮殿に届けられる贈物の山も…、王女の笑顔も。 「御二人の行方がわからなくなってから、もう二年。 何処でどうしておられるのか。ビビ様とイガラムさんの御無事を祈るほか…」 低い呟きに、テラコッタは両手を腰に当てて“ハヤブサのペル”を睨む。 「ビビ様に何かあったら、ウチの亭主は生かしちゃおきません。 亭主だって良くわかってます。あたしが怖けりゃ、必死で姫様をお守りするでしょうよ」 護衛隊長夫人であり、宮殿の“カカア”でもあるテラコッタには誰一人逆らえない。 砂漠の戦士は首を竦めて菓子をつついた。 やがて、甘い菓子を苦いコ−ヒ−で胃に流し込んだ二人は国王と給仕長に礼を述べ それぞれの仕事へと戻った。 反乱軍に動きがあるとの情報が入っている。 だが、国王軍は反乱軍の動向を見守るだけ。 『けっして、こちらから攻撃を仕掛けてはならぬ』 それがアラバスタ国王、ネフェルタリ・コブラが二人に下した命令だった。 * * * 二人が退席した後も、国王は椅子に座ったまま動こうとしなかった。 折角の菓子にも手をつけず、深く溜息を吐く。 「何時までも食堂においでになられると、あたしの仕事が片付かないじゃありませんか。 さっさと食べて出て行ってくださいな。食べないんなら、あたしが頂きますよ」 テラコッタが言うと、国王は慌てて木の実の菓子を頬張った。 バリボリと手づかみで齧りながら、ポロポロと食べカスと一緒に涙をこぼす。 「うっうっう…。 ビビちゃ〜〜ん、パパを置いて何処に行ってしまったんだ〜〜!!」 名君賢君と誉れ高い国王は、時折単なる親馬鹿になる。 まだ彼が王子だった頃からの付き合いである護衛隊長と給仕長の夫婦。亡き王妃。 そして愛娘本人の前だけに限られるが。 菓子を呑み込むや、国王は手直にあった白い布で盛大に鼻をかんだ。 「王様!ナプキンで鼻をかむのはよしとくれと、あれ程言っただろうに!! 鼻紙を使いなッ!!!」 ティッシュの箱が飛んできて、スコ−ンと国王の頭に命中した。 − In Yuba − 西の砂漠の中央に位置する“ユバ・オアシス”。 かつては西砂漠の交易の中心地として栄えたが、今は反乱軍の拠点となっている。 …今までは、というべきだろう。 反乱軍は“カトレア”へ拠点を移すことを決めた。 今日、最後の一団が“ユバ”を出れば、ここに住人は居なくなる。 ただ一人を除いては。 「もうユバは終わりだ!!! たった一人でここに残って、どうするつもりだ!!」 その一人を残すまいと、息子は父親の説得を試みていた。 息子の名はコ−ザ。父親の名はトト。 父親は“ユバ・オアシス開拓団”の責任者であり、息子は反乱軍の指導者だった。 「決まっとるだろう、井戸を掘る」 コ−ザは口を開きかけ、そして閉じた。 これが今生の別れとなるだろうから、喧嘩で終わらせるべきではない。 思っていても、黙々とスコップで砂を掘り続ける痩せた背中を見て、結局は怒鳴った。 「町と一緒に死ぬ気かよ、親父!!!」 「出て行きたきゃ、勝手に出て行くがいい。この親不孝者が。 ビビちゃんが、今のお前を見たら何と言うか……」 トトの言葉を、コ−ザは途中で遮った。 「ビビ王女は、この国に居ない。それが現実だ。 何故、それを見ない!?国王が信じられるかどうかは関係ねぇ!! この国は枯れて死にかけている。その現実が、どうして見えないんだ!!?」 「目に見えるものだけが現実か…?よく考えろ、コ−ザ」 砂を掘る手を止めずに、トトは言った。 「雨は、降る」 「…………ッ!!!」 何を言っても無駄だということは、わかっていた。 始めたことは最後までやり遂げずにはおかない。どうしようもなく頑固で粘り強く、しぶとい。 根っからのアラバスタ人なのだ。 父も、父の血を引いた子も。 父親が雨を待ち続けるならば、息子はこの手で雨を降らそうと決めた。 アルバ−ナ宮殿の“ダンスパウダ−”を奪ってでも。 「……干からびて死ぬなよ、親父」 低く呟いて、コ−ザは父親に背を向けた。 ザクッ ザクッ ザク…ッ! 砂を踏む足音が消えて暫く経つと、スコップの音が止まった。 砂地に突き立てた柄に縋る様に両手を重ね、トトはその場に膝を着く。 「大馬鹿者が…ッ!!」 乾いた砂が黒く湿る。 それは彼が捜し求める水脈ではなかった。 湿った端から乾き、元の砂の色に戻る。 「国王様、ビビ様…。申し訳ごさいません…!!」 日没が近づいていた。 熱を奪われ冷えていく砂の上にうずくまり、年老いた父親は何度も繰り返した。 泣いて詫びても、何も変わらない。 今更腹を切って済むことでもなかった。 だから、立ち上がり井戸を掘らなくては。 ここは、国王様から預かった大事な土地。 雨は、いつか必ず降る。 オアシスは水を湛え、麦が実り、緑の木蔭に人々が憩う。 水辺には花も咲くだろう。 ここは、そうなるべく約束された土地なのだから。 * * * 「コ−ザ、親父さんはどうした?」 幌を張った荷台の中で副官の一人、ケビが尋ねる。 今や七十万を超える反乱軍の頂点に立つ彼を気安く呼び捨てに出来るのは 彼が砂砂団の頃から付き合いのある幼馴染だからだ。 「放っておけ」 素っ気無く、コ−ザは返す。 「だが…。」 言葉を濁すケビをサングラス越しに睨んで、“反乱軍の指導者”は言った。 「今は親がどうの、子がどうのと言っている時じゃない。 正念場だ…!!わかっているだろう」 国王軍をしのぐ力を持った反乱軍。 だが、増えた数を支えられる程の資材も糧食も無いのが現実。 士気を保てる間に決着をつけなければ。 だからこそ砂嵐に埋まった“ユバ”を捨て、より王都に近い“カトレア”へ本拠地を移すのだ。 それきり黙り込むコ−ザを、ケビは心配そうに見守る。 “カトレア”に本拠地を移す話は、暫く前からあったことだ。 だが、地の利やその他諸々の理由を挙げて却下したのはコ−ザなのだ。 それから間もなく、立て続けに砂嵐が“ユバ”を襲った。 まるで、彼等をここから追い出そうとするかのように…。 出発の時間が来た。 ばさりと幌がめくられ、反乱軍の幹部等が次々に乗り込む。皆、砂砂団の仲間達だ。 ファラフラとエリックは先発隊を指揮して、既に“カトレア”に到着している。 「なんだァ、いいモン持ってるじゃねぇか」 何本もの酒瓶を見てケビが尋ねると、ナット−が彼に一本放って寄こす。 「差し入れだよ」 「随分、気前がいいな。何処からだ?」 形勢が反乱軍に傾くに従い、彼等に援助を申し出る商人や地主が増えた。 それでも数十万の大所帯を支えるには十分とはいえないが。 「“カトレア”の豪商だ。今日は祝いの日だからとよ」 「祝いって…。」 今日が何の日であるか。誰も口にはしなくとも、ここに居る彼等は皆知っている。 「どうやら例の噂を本気にしているらしいぜ。 反乱軍が幽閉された王女を担ぎ上げて、コブラ王を追い落とすってやつだ。 新女王に乾杯!…ってところか」 無言のまま、コ−ザはナット−が持っていた酒瓶を引ったくり直に口をつけた。 咽喉を焼く強い液体。 ケビと目配せを交し合った彼等は、剥き出しの荷台の床に座り込んだ。 「どこに居るのかな…、ビビちゃん。 ホントに、どっかに閉じ込められてるワケじゃないよねぇ…?」 膝を抱えて、紅一点のおかめが呟いた。 酒の所為か普段より一段と頬が赤い。 「ンな筈ねぇだろ。第一、それで大人しく閉じ込められてるビビとも思えねぇ。 二年の間にとっくに逃げ出してるさ」 ケビがバンダナを巻いたおかめの頭を軽くこづくと、彼女は銃の詰まった木箱に 背中を預けて笑った。 「あははは…、そうだよねぇ。 ビビちゃん、宮殿を抜け出すの得意だったもんね〜」 彼等にとって、“ユバ・オアシス”は第二の故郷だ。 かつて枯れた村を捨てたように、再び枯れたオアシスを捨てる。 その絶望と怒りを持ってしても、彼等の中にビビを悪く言う者はいなかった。 国王なんて、偉い奴のことは知らない。 昔は良いオジサンだったかもしれないけれど、今はどうだか判らない。 偉そうな大人は、みんな自分だけが大事で、金儲けのことばかり考える。 けれど、ケンカで自分が怪我をしても絶対に泣かない癖に “友達”が自分の所為で危ない目にあったり怪我をしたりすると ずっと泣き続ける小さな女の子のことを、彼等は良く覚えていた。 ゴトゴトと、砂の上を荷車が走る。 風が悲鳴のような声を上げて啼いている。 ……何処に居る、ビビ…? 俺のすることに文句があるなら、言いに来い。 俺は約束を守れなかった…。 お前はどうだ? 今のお前はアラバスタの“立派な王女”なのか…? だったら何故、今、この国に居ない!? 答えろよ、ネフェルタリ・ビビ…!! 投げ捨てた酒瓶は、岩に当って砕けた。 青いガラスが、まるで花びらのように砂の上に散らばる。 沈む太陽が万華鏡のような光を投げかける。 ずるずると荷車の床に倒れ寝込んだ男に、皆は羽織っていたマントを掛けてやった。 「あんな強い酒、一人で全部飲みやがって…。」 「コ−ザは一人で何でも溜め込んじゃうからねぇ」 「……だから、俺達が居るんだろ?」 − In Rainbase − 「何をやっている、“ミス・オ−ルサンデ−”」 男の声に、呼ばれた女は顔を上げた。 コ−ヒ−ブレイクを邪魔されても、気にした様子もなく優雅に菓子を摘む。 「この国の祝い菓子だそうよ。アラバスタの濃いコ−ヒ−には、ちょうど良い甘さね。 貴方もいかが…?“Mr.0”」 「ドブ泥のように苦ぇコ−ヒ−に、砂糖の塊りのような菓子か。 まったく、野暮ったい国だぜ」 苦々し気に葉巻を咥える男に、女はただ笑みを浮かべる。 「そういえば、“レインベ−ス”のカジノも半分は休業ね。 アラバスタ中のあらゆる店の半数が閉まっているわ。去年と同じ様に」 「泣かせる話じゃねぇか。 “ミス・ウェンズデ−”も、あの世で嬉し涙に暮れているだろうよ」 宝石で飾られた右手で灰皿に葉巻を押し付け、男は黒い毛皮を纏った肩を微かに揺らした。 「…そうでしょうね」 彼女が、このことを知る機会があれば良いのだけれど。 女は声には出さずに思った。 “Mr.0”の後ろで耳にした“Mr.3”からの王女ビビと麦わらの一味抹殺完了の報告。 電伝虫が繋がった瞬間の相手の返事は。 〔ヘイ、まいど。こちらクソレストラン〕 あの声は、確か。 『よく見りゃ、キレ−なお姉さんじゃねェかっ!!』 だから王女はまだ生きている。 生きて、この国へと向かっている。 あの海賊達と共に。 コ−ヒ−を飲み終えた女は、その陶器に描かれた青い花の模様を見て微かに笑った。 * * * 星明りの下、青い花びらが乾いた風にカサカサと揺れる。 雨を失ったアラバスタでは、この三年間。 オアシスの傍で人工的に栽培されるものを除き、花は咲かない。 だから人々は、紙や布で花を造った。 思い思いの可憐な青い花は、店先だけでなく多くの家々の戸口をも飾る。 ……2月2日。 この日、砂の国は祈りにも似た静かな囁きに包まれた。 何処にいらっしゃるのですか…? ご無事でいるのなら、どうかお戻りください 一刻も早く、この国へ アラバスタへお帰りください ……我等の、王女よ − 終 − ≪TextTop≫ ≪Top≫ *************************************** 王女不在のまま迎えた2月2日のアラバスタ。 企画一作目の「Taste of a home」とほぼ対となる設定です。 …実は、宮殿での食事場面は「Taste 〜」で考えていたものだったりします。 話が膨張しすぎる中、メリ−号船上・麦わら一味のみに絞ろうと、バッサリ斬った部分です。 企画最後のTextとしてリサイクル(汗)するにあたり、この時アラバスタに居るビビ姫関係者を 並べてみました。 …そしてまた、微妙に膨張…。(汗汗) ビビちゃんがアラバスタを愛し必要とするのと同じくらい、アラバスタの人々も彼女を愛し 必要としている。 そうであって欲しいなと思います。 これにて2005年姫誕企画の〆となります。 28日間、ありがとうございました!! 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2005.3.1 上緒 愛 姫誕企画Princess of Peace20050202 |