愛で殺したい − 1 − 「ロビンちゃん」 サンジさんが、ニコ・ロビンを呼んだ。 『ミス・オ−ルサンデ−』 『お姉様』 『レディ−』 『セニョリ−タ』 彼女がこの船に乗り込んでから、サンジさんは毎日呼び方を変えていた。 『ミス・ウェンズデ−』 『王女様(プリンセス)』 『ハニ−』 『マドモアゼル』 ちょうど、私がこの船に乗った時と同じに。 けれど、今朝になって突然に。 「ロビンちゃん、コ−ヒ−のお代りはいかが?」 いつもと変わらない口調で言った。 サンジさんよりずっと年上の筈の相手は、まるで最初からそう呼ばれていたかのように答える。 「折角だから、いただくわ」 振り向かずとも、唇の端だけを上げた微笑が見えるような気がした。 シンクに向かって朝食の後片付けを手伝っていた私は、自分の手が止まっているのに気づく。 蛇口からほとばしる水に押し流される、フライパンに残った油汚れ。 私の心にこびりつく昏(くら)い濁りも、洗い流せたらいいのに。 思いながら、私はフライパンの底をタワシで力任せに擦る。 茶色くなった洗剤の泡が、音をたてて蛇口に吸い込まれていった。 * * * 午後のお茶の時間になる前にと、私は後部甲板の階段を登った。 三角帆のマストから船縁に渡した何本ものロ−プに、洗濯物が色とりどりの旗になって 潮風になびいている。 我ながら、今日は頑張った。 元々、身体を動かすのは好きだし、私はこのぐらいしか皆の役に立てないのだから…。 マイナス思考に傾きそうになる自分に、軽く頭を振る。 私は私に出来ることをすればいい。 洗濯バサミを外して薄く糊付けしたシ−ツをロ−プから降ろす。 その時、白い布の影になっていた人影に気づいて、私は息を止めた。 ニコ・ロビンが、甲板の上で眠っている。 …と言っても、Mr.ブシド−のように大の字になって転がっているワケじゃない。 蜜柑の木蔭が届く位置に折り畳み式のベッドチェアを拡げ、その上に横たわっているのだ。 胸の上にはうつ伏せの本。 確かに今日は読書の最中に眠ってしまっても仕方が無いくらい気持ちの良い天気だ。 ……けれど、私の前でそんな無防備な姿を見せないで。 黙々と洗濯物を取り込む作業を続けながら、私は思った。 無意識に息を潜め、足音を消して、取り除かれていく障害物の影から彼女を伺う。 なんて細い首をしているの? きっと、私の両手でも絞めることが出来る。 首筋にそって流れる頚動脈を切り裂いたら、吹き出る血は赤いのかしら? あの日、砂塵が舞い狂う中、飛び散った色と同じように…。 『サア、今コソ復讐ヲ』 『死ンデイッタあらばすたノ民ノ無念ヲ晴ラスノダ』 『王女ヨ、ドウシテ躊躇ウ?』 『オ前ハ我等ノ苦シミト恨ミヲ背負ウ者ノハズ』 『忘レタノカ…?裏切ルノカ……?』 指先が、ポケットの中のスラッシャ−に触れた。 小指にリングを通したい衝動を、私は懸命に抑える。 子供の頃、国の歴史で学んだ。 砂漠の部族は、一族の誰かが殺されると、その恨みをけっして忘れない。 部族同士の争いが始まると、何世代にもわたって殺し合うのだ。 どちらかの一族が根絶やしになるまで…。 そんなことは馬鹿げていると、幼い私は思った。 国王軍と反乱軍に、『復讐を忘れろ』と説かねばならない立場にありながら。 大地を巡り四百年間争い続け、共存の機会を逸し続けた空島を目の当たりにしながら。 理想は、私という人間から程遠い高みで輝いている。 現に、この女の顔を見ているだけで、私は不安と恐怖で押し潰されそうになるのだ。 『コノ女ハ、イツカ裏切ル』 『必ズ裏切ル』 『コレマデ、ズットソウダッタヨウニ』 『マタ、あらばすたノ悲劇ガ繰リ返サレルノダ』 『血ガ流レル、人ガ死ヌ』 『コノ船ノ上デ』 海面を赤く染めて燃える、イガラムの乗った船。 両腕を釘で板に打ち付けられたお父様。 切り刻まれたチャカ。 何発もの銃弾に撃たれたコ−ザ。 ペルを巻き込んで爆発した時限爆弾。 確かに、誰も死ななかった。 けど、誰もが死んでおかしくなかった。 そして私の幼友達の何人か、顔見知りの衛兵の何十人かは、もう二度と還らない。 『繰リ返サレル悲劇ヲ止メラレルノハ、オ前ダケナノダ』 『放ッテオケバ、コノ女ハ何ヲスル?』 『開ケテハナラナイモノヲ開ケル』 『知ッテハナラナイ真実ヲ暴ク』 『封印サレタ過去ノ恐怖、災厄、破滅……』 『世界ガ再ビ呑ミ込マレル前ニ』 『あらばすたガ呑ミ込マレル前ニ』 『コノ船ガ沈ム前ニ』 『闇ハ 闇ニ 還セ……』 「ビ〜ビちゅわ〜〜んvv」 サンジさんが、私を呼んだ。 ポケットの中で震えた指先が、スラッシャ−の刃に触れる。 小さく、痛みが走って我に返った。 「ナミすわあぁ〜ん、ロビンちゃあ〜〜ん、魅惑のおやつタイムでえぇ〜〜っすvv 本日はジャガイモのパンケ−キを焼きました♪ サワ−クリ−ムか、アップルソ−ス。どちらでもお好みで召し上がれ♪♪ オマケのクソ野郎共〜〜ッ!!!食いたきゃ来い!!!!」 ここは現実で、過去でも未来でもない。 ロ−プに一枚だけ残ったバスタオルが、風で大きくはためいた。 ドタバタと甲板を走る音と一緒にルフィさんの大声が近づいてくる。 「うおおおお〜〜っ!!うまほ−!!!」 「急がないと、船長さんに全部食べられてしまいそうね」 ニコ・ロビンが言った。 ベッドチェアから起き上がり、唇の端だけで微笑を浮かべて。 二十年間、世界政府と海軍の追跡を出し抜いてきたこの女が たった今まで、私を支配した殺意に気づかない筈が無いのに。 私は唇を噛んで、残ったタオルに片手を伸ばす。 ニコ・ロビンは私の後ろを通り過ぎ、キッチンへ続く階段を降りていった。 遠のく靴音に、私はようやくポケットから右手を出す。 血の滲む小指が、鋭く痛んだ。 − 2 − 少なくとも、今日一日は安定した天気が続くという予報は的中した。 “偉大なる航路(グランドライン)”で天気予報なんてと、最初は内心で呆れたものだ。 けれど、すぐにその正確さに驚かされることになる。 『航海士さん』だけではない。 この小さな海賊船には、天性の才能と類稀な技量を持つ者が揃っている。 『船長さん』 『剣士さん』 『狙撃手さん』 『料理人(コック)さん』 『船医さん』 彼等を名前ではなく船における役割で呼ぶのは、私なりの敬意だ。 同時に、馴れ合うつもりは無いという意思表示でもあるのだけれど。 …では、この呼び名はどうだろう? 『王女様(プリンセス)』 それは身分であり、生まれであり、彼女の技量でも能力でも無い。 船における役割というならば、彼女はこう呼ばれるべきだろう。 『船員(クル−)さん』 だが、その呼び名は彼女を表さない。 その時々で料理人さんや航海士さんや船医さんの手伝いをしているだけだとしても。 略奪されたワケではなく、国を捨てたワケでもないのに、海賊船に乗っている奇妙な王女様。 彼女の忠誠は、今も砂の国にのみ捧げられている。 この船の上で、彼女は私以上に異端な存在なのだ。 * * * 軽く二度、ドアを叩いてキッチンに入った。 コポコポと音を立てるサイフォンと、芳しいコ−ヒ−の匂い。 「ロビンちゃん、ナイスタイミングvv淹れたてのコ−ヒ−はいかが?」 大きめのバスケットを傍らに、金髪の料理人さんが愛想良く微笑む。 もうじき日付が変わる時間なので、他には誰も居なかった。 「ありがとう。ちょうど暖かい飲み物が欲しかったところなの」 席につくと、彼はカップに注いだコ−ヒ−を静かに私の前に置いた。 普段より少し濃い目のそれは、今夜の不寝番のためのものだろう。 バスケットの中には、一口で食べられそうなフィンガ−サンドと彩り鮮やかなプチフ−ル。 今夜も食が進まなかった王女様のために、食べやすくて食欲をそそるよう工夫された夜食。 「料理人さんも、大変ね」 王女様の食欲不振の原因である私が言えば、二重の皮肉だ。 けれど、彼はニッコリ笑ってはぐらかす。 「食べてくれる人の笑顔が、俺の生甲斐だからね〜。 それが美女なら申し分なしvvロビンちゃん、プチフ−ルはいかが?」 「魅力的だけど、眠る前だから遠慮しておくわ」 断わる私に気を悪くした様子もなく、料理人さんは戸棚から保温ポットを取り出した。 彼を相手に話題をコントロ−ルしようとしても意味が無い。 恐らく彼は、私が何をしに来たかもわかっているのだろう。 コ−ヒ−カップから立ち上る湯気に顎を湿らせながら、私は口を開いた。 「今日のお茶の時間のことでは、貴方にお礼を言うべきかしら? それとも王女様の為にしたことだから、私がどうこう言う筋合いではない?」 キッチンと後部甲板は、すぐ近くだ。 あれだけの殺気を交えた緊張感に、彼が気づかない筈がない。 現に、キッチンで顔を合わせた剣士さんと船長さんは、何も言わなかったにせよ 私の顔をじっと見たのだ。 けれど、彼は緊張感のカケラも無い返答をした。 「じゃがいものパンケ−キは、焼きたてが一番美味いからねv」 王女様が仕掛けてこない限り、私に動く気は無かった。 彼女が耐えられなくなるまで緊張は続き、その間にパンケ−キは冷めてしまっていただろう。 ……彼が、本気でパンケ−キの心配をしていたのならだけど。 そのパンケ−キも、王女様は一枚の半分を食べるのがやっとで。 残りは船長さんの胃袋に入ってしまったのだ。 「おかしな人ね、料理人さん」 「興味がわきました?残念だなァ〜、俺には既に意中のレディ−がvv」 こんな場面を王女様に目撃されてもイイのかしら? 軽口を叩く彼に、心の中で尋ねてみる。 この船に乗ってから、私は極力、彼と二人きりになることを避けていた。 ただでさえ私という存在に神経質になっている王女様に、余計な刺激を与えないために。 もっとも、彼にはまた別の思惑があるようだ。 私の興味を引いたのはその点で、それが目的だというのなら彼の“作戦”は成功している。 「そんなに大事にしているのに、どうして貴方は『ビビちゃん』の気に障ることをするのかしら? …というところが、特に興味深いわ」 「『ロビンちゃん』の気にも障った?なら、他の呼び方を考えるけど」 王女様のご希望は、どうやら私の次になるらしい。 サイフォンのコ−ヒ−を保温ポットに注ぎながら問う彼に、私は少し考えて返事をした。 「そうね、年下の男性に『ちゃん』付けで呼ばれたのは初めてよ。 けど、意外に気にならないものね。多分、貴方に呼ばれるからだろうけれど」 呼び方そのもの以上に声音やイントネ−ションで、相手が受ける印象をコントロ−ルする。 料理と足技に次ぐ、彼の特技かもしれない。 「それって、褒め言葉だと思っちゃってイイのかな〜v」 ポットの口を閉めながら、彼はいかにも嬉しそうだ。 元はレストランで接客商売をしていたというだけあって、話を反らすのが本当に上手い。 けど、残念ながら私にそんな手は通用しない。 「料理人さんにこんな言い方はおこがましいけれど。 スパイスを効かせ過ぎては、折角のお料理も台無しになってしまうのではなくて?」 恋人にヤキモチを焼かせたいだけなのだとしたら、私ほどその当て馬に相応しくない女は いないだろう。 この機会に彼が王女様と手を切りたいと思っているのなら話は別だけれど、そういう様子も 見えない。 返答を待つ私に、料理人さんはポットをバスケットの中に収めると大袈裟な溜息を吐いた。 「だってビビちゃん、ロビンちゃんの方ばっか見てて、妬けちまうんだもん。 俺だって、あんな熱烈な目で見つめてくれたコトねェのに〜〜」 そうして、恨みがましい目で私を見た。 初めて見る、愛想笑い以外の表情だ。 「本当に、おかしな人ね。……殺されたいの?」 少しだけ、声を落として言ってみる。 彼の芝居がかった素振りを、信じたわけではないけれど。 「殺したいくらいに想われてみたいなァ〜ってトコかな?」 「私と何かあったら、貴方も王女様に殺してもらえるかもしれないわね」 サイフォンに残ったコ−ヒ−を私のカップに注ぐ彼に、そっと囁く。 料理人さんは、青い右目を少しだけ見開いた。 そして、カラになったサイフォンを持ったまま苦笑交じりに答える。 「どうかな〜?バレたとたんに力いっぱい俺を引っ叩いて、さっさと愛想を尽かして。 それでオシマイな気がすんですけど」 「随分と、確信がありそうな口ぶりね」 必要以上に実感の込められたセリフに、私は尋ねてみた。 もしかしたら彼は、いつか来るだろう王女様との別れの時に、そんな寸劇を演じることを 心に決めているのかもしれない。 サイフォンをシンクに置いた料理人さんが、軽く肩を竦める。 「ビビちゃんが誰かを殺したいほど憎むのは、アラバスタのためだけだからね」 …そう、確かに。 王女様が見ているのは、私であって私ではない。 だからこそ、料理人さん曰く“熱烈な”視線となる。 彼が本当に嫉妬している相手も、私ではないのだ。 私の眸に理解の色を見つけたのだろう、彼はバスケットの蓋を閉めて言った。 「カップはシンクに置いといてくれりゃ、朝メシの支度の時に片付けるから」 そのまま当分戻らないことを暗に告げた彼の背中に、私は声をかけた。 「気をつけなさいね、料理人さん。 愛しすぎて殺すのは、きっと貴方の様な人だから」 バスケットを片手で肩の高さに持ち上げた彼が、肩越しに振り向く。 「そんな勿体の無ェこと、やらかさないように気をつけね−と」 プッと、吹き出したのが自分の口だったことに驚いた。 コ−ヒ−の香りに包まれながら、テ−ブルに肘をついて肩を震わせる。 「……ごめんなさいね」 目尻に涙まで浮かべながら謝っても、まるで説得力はないだろう。 けれどドアのところに立ったまま私を見つめていた料理人さんは、呆気にとられていた その顔を崩して言った。 「そうやって笑ってると、本当に『ロビンちゃん』ってカンジだけどね」 静かにドアが閉じる。 狙撃手さんが彼を『ラブコック』と呼ぶワケが、わかったような気がした。 − 3 − これでも、女性の呼び方には気を遣っている。 誰かれ構わず呼び捨てにしちまう他の野郎共と、同じにしねェで欲しい。 俺がこの船に乗った時の、唯一人の女性クル−は、『ナミさん』 出会った瞬間の衝撃と共に呼び名は決まった。 姉御肌に加えて女王様タイプってのは、とにかく立てねェと。 それに、航海士ってのは海の上じゃエリ−トだからな。 美貌、プロポ−ション、才能、心意気。 どれを取っても尊敬に値する最高のレディ−だ。 二人目の、そして俺にとっての運命のレディ−は、『ビビちゃん』 いわくつきで乗船した彼女は、迷った挙句にそう呼ぶことにした。 三つ年下だってのもあるが、変装を解いた彼女は素直で可愛い女の子だったし。 王女様なら、『ちゃん』づけが新鮮かと思ったんだよな−。 実際は、ユバで井戸掘ってたオッサンとか、ビビちゃんのお父様とか。 結構色んな連中が彼女を『ビビちゃん』って呼んでたんだけどさ。 そして、三人目のレディ−の登場。 ビビちゃんにとって何より大事な国の、仇だった美女。 とはいえ、船長が彼女を仲間にすることをビビちゃん自身が認めたワケだし。 彼女の方でも、今更ビビちゃんをどうこうするつもりはねェだろう。 だからこそ、適度に気安く適度に距離を保つスタンスが必要で。 色々と考えて考えて考えて。考えたんだよな−、これでも。 * * * 「ビビちゃん?」 見張り台の梯子を登った俺は、縁から頭だけを覗かせて彼女を捜した。 カンテラの灯りの下、床の上に膝を抱えて座る俺の王女様(プリンセス)。 ……そういえば、この呼び方もロビンちゃんに取られちまったっけ。 思いながら、縁を跨いで見張り台の床にバスケットを置く。 「毛布ぐらい被ってねェと風邪引くぜ?」 薄いシャツにカ−ディガンを羽織っただけの彼女に、声をかけた。 冬島気候でなくとも、夜はかなり冷える。 ビビちゃんの眸は、まっすぐに水平線を見つめている。 空と海とが交わるところ。 雲と星とが途切れるところ。 水平線は、砂漠が描く地平線に似ていた。 「……ビビちゃん」 もう一度呼びかけても、振り向きもしねェ。 怒らせた覚えは……、しっかりとある。 見張り台なら、彼女がキッチンに入ってきたのは見えるだろうし。 彼女がキッチンに来てから、俺がここに上ってくるまで15分はあったし。 いつもなら、とうに夜食の差し入れを持って来てる時間だし。 修羅場を覚悟するトコロだろう。 「怒ってるの?」 我ながら、間の抜けた質問をしてみる。 『わかっていて怒らせるようなことをしないで!!』 普通なら、その手の答えが返ってくるだろう。 けれど、普通とは一味違うビビちゃんの返事はこうだ。 「考えているの」 前だけを向いたまま、ポツリと言った。 近づくと、彼女の傍には毛布が折り畳まれたまま置かれている。 俺と話をする気はあるらしいのにホッとしていると、ビビちゃんは口を開いた。 「どうして、サンジさんは九歳も年上の相手を『ちゃん』なんて呼ぶのかしら? 一つ年下でも、ナミさんは『ナミさん』なのに。 ……でも、そんなのはサンジさんの勝手だから、私が口を挟むことじゃないんだわ」 問い詰めるまでもなく、ビビちゃんは自発的に話してくれる。 けれど流暢な口ぶりは、まるでセリフの棒読みだ。 質問が質問になってねェから、俺は返事も返せねェ。 彼女も俺の応えなんか待たず、矢継ぎ早の自問自答を続ける。 「ナミさんとサンジさんが二人でいても、こんな嫌な感じはしないのに。 …ナミさんだったら、もっと簡単に平気なフリが出来るのに。 自分だって、騙せるのに。 ナミさんは素敵な人で、私だって大好きだから。 それに、ナミさんには他に好きな人がいるから…」 こんな形で、ビビちゃんのホンネを聞くことになるとは思わなかった。 …いや、チョットは期待してたかもしれねェ。 床に転がった毛布を拾いながら、無性に煙草が吸いたくなった。 「何故、ニコ・ロビンには平気なフリが出来ないの? ……だって、あの女は私の国を滅茶苦茶にしたから。 だから、また滅茶苦茶にするに違いない。 何時かきっと、この船の皆を…。 私はそう思い込んでいて、そこから抜け出せない。 それなのに、サンジさんは平気な顔であのひとと一緒に居る。 私と同じように、あのひとを呼ぶ」 ぎゅっと、ビビちゃんは自分の肩を抱いて小さくなった。 彼女の不安を笑い飛ばすことも出来ただろうけれど、それはしない。 理屈で感情は騙せねェ。 代りにビビちゃんの後ろに胡坐をかいて座る。 そして、拡げた毛布で二つの身体をふわりと包んだ。 ビビちゃんは、少し身体を硬くしたけれど、逆らわなかった。 頭の上で、海賊旗が音を立ててはためく。 怒るなら、いくらでも謝った。言い訳もした。 お願いされれば、呼び方なんかどうでもよかった。 けれど、そのどれも君は望まない。 俺の差し出す答えは、受け取らねェんだ。 だから俺は、ただ待っている。 毛布の中が二人分の体温で温まった頃、ずっと前だけを見ていたビビちゃんが ふいに夜空を仰ぐ。 その眸に星を映しながら、やっと“俺に”向かって言った。 「私は、ニコ・ロビンがこの船に居ることに慣れなくちゃならない。 だからサンジさんは、いつもと同じでいいの。 決めたなら、あのひとの呼び方を変えないで。……こんなことぐらいで、変えたりしないで。 どんな呼び方をしたって、気になるに決まってるもの。 他の皆のように呼び捨てにしないだけ、まだ“マシ”なんだって思うから」 化粧で誤魔化した目の下のクマ、細く尖った顎。 たった数週間で一回り痩せた身体が、ささやかな体重をかけてもたれてくる。 俺は蒼い髪に鼻先を埋めながら、短く答えた。 「……うん」 本当は、彼女をどう呼べばビビちゃんの気に障らないかを、ずっと考えていた。 あれこれ呼び方を変えながら、ビビちゃんの顔色を伺っていた。 けれど、俺が彼女をどう呼ぶかなんて些細な問題だってこともわかっていた。 その証拠に、俺が最初に『ロビンちゃん』と口にしてから24時間経たねェうちに 君は自分で見つける。 俺の『ビビちゃん』に相応しい答えを。 「そういう風に思えるようになった私は、ちょっとだけ“マシ”になったんだわ」 ボソリと、自分に言い聞かせるようなビビちゃんの言葉に、今度こそ苦笑した。 重ねた右手の小指には、絆創膏が張られている。 その切り傷のワケも俺は尋ねなかったし、ビビちゃんも言わなかった。 触れられて、顔を顰めた彼女は夜の闇に向かって深く息を吐いた。 「負けないから、私…。」 ニコ・ロビンの乗船は、一つのきっかけに過ぎねェ。 腕の中に居る彼女は、今よりも更に強くなる。 今よりもずっと、遠くを見るようになる。 海賊船での旅を必要としなくなる。 ロビンちゃんの言ったことを思い出す。 思い出しながら、俺は華奢な身体を後ろからぎゅっと抱きしめた。 もう一度、自分に繰り返す。 『そんな勿体の無ェこと、やらかさないように気をつけね−と』 そして、白い耳元に囁いた。 「……ビビ」 二人が一番近くなる時だけの呼び方で。 − 終 − ≪TextTop≫ ≪Top≫ *************************************** メリ−号船上の王女と考古学者と料理人。 変則的三角関係…か? ロビンさん乗船後、数週間。アラバスタ事件からは7〜8ヶ月後。 忘れた頃の捏造設定シリ−ズです。(汗) 九歳年上のロビンさんを『ロビンちゃん』と呼ぶサンジ君。 年齢差がある分、それを感じさせぬよう親しみをこめたいという意図なのかしら? しかし、サンビビスキ−としては何故にワザワザ同じ呼び方するかな〜!? と、問い詰めたくなるのです。 ……そして、例によって例のごとくあれこれと妄想を拡げすぎました。(汗) |