処女王 最初の鋏が入った時、長い髪の一房と共に熱い水滴が手の甲に落ちた。 閉じていた瞼を上げると、耳元で鼻を啜る音。 「泣かないで、テラコッタさん。今日は私の門出の日よ。 女性なら誰もが、人生で最も美しくありたいと願う日。 私にとっても、同じなの。だから、うんと綺麗にしてね」 明るく言えば、真っ赤な目頭を皺に埋めて笑ってくれた。 重ねた手は、今も変わらず大きくて暖かい。 「ええ、ええ。もちろんですとも…!!」 そして鋏はゆっくりと、私の頭を軽くしてゆく。 泉が湧き出したように、足元を蒼い色で埋め尽くしながら。 物心ついた頃から、ずっと長く伸ばしていた髪。 幼い頃に亡くした、母譲りの色。 国を離れた2年間、焦がれ続けた砂漠の空の色。 数週間の大冒険を思い出させる、果てしない海の色。 母の優しい指先を、砂混じりの風を、潮の香りのする賑やかな甲板を 夢に見ては解いた髪に顔を埋め、涙を吸わせた日々に別れを告げよう。 全ては私の血となり肉となって今、ここにある。 やがて鋏の音が止み、ケープが取り払われた。 鏡の中の見慣れぬ自分に、思わず微笑む。 あの頃のナミさんより少し短く、Mr.ブシドーよりは随分長い。 トニー君は、まんまるい目をもっとまるくして驚くかしら。 サンジさんは、もったいないって大騒ぎするでしょうね。 ウソップさんは、さっそく似顔絵を描いてくれそう。 ルフィさんは…、ニイッと白い歯を見せて笑うかもしれない。 『おんなじだな!!』 ……って。 永遠の少年のようにサッパリとした頭に、白い薄絹が被せられる。 その上に乗るのは麦藁帽子ではなく、ずっしりと重い王冠。 首を真っ直ぐにして、前だけを見ていなければ落としてしまうだろう。 俯くことも、振り向くことも、許されない。 けれど、それまでの僅かの間、私の頭上を飾るのはオレンジの花冠。 みかんに似た爽やかな香りが、私の心を落ち着かせてくれた。 幾度もはたかれる白粉。 くっきりと引かれるアイライン。 仕上げに差される朱(あか)い口紅。 鏡の中をしげしげと見つめて、今度は溜息。 ミス・ウェンズデーもビックリの厚化粧だわ、ベイビー。 思わずぼやくと、刷毛を手にしたテラコッタさんが言う。 「今日のような日の化粧は、こういうものと決まっているのでございます。 ……陛下」 最後の声と同時に、控えていた侍女達が深く腰を折った。 そして黄金を手に、私を取り囲む。 涼やかな音を立てる耳飾り。 咽喉から鎖骨までを覆う首飾り。 神話の意匠がほどこされた腕輪。 金糸で織られ、宝石を編みこんだ飾り帯。 数分後、ようやく侍女頭のメイディが声を上げた。 「お支度、整いましてございます」 * * * 扉が開かれ、入ってきたのは“守護神”の正装をしたペルとチャカ。 2人揃って暫し固まったのは、短くなった髪に驚いたから? それとも厚化粧のせいかしら? けれど流石は百戦錬磨の戦士。厳(いかめ)しい顔で膝を付き、騎士の礼を取った。 「本日は、誠におめでとうございます。 この日の大役、僭越ながら先王陛下に代わって務めさせていただきます」 「陛下に我等“守護神”の永遠の忠誠を…。 御身に母なる大地と神々と、精霊の加護があらんことを」 いつの間にか、共に白いものが目立つようになった黒髪。 私が王家に生まれる前から、ずっと“守護神”として戦ってくれていた。 「ありがとう、ペル。そしてチャカ。あなた方“守護神”の忠誠に期待します。 だから、お願い…。衣の下の辞表を出すのは、もう少しだけ待って欲しい。 まだ未熟な私には、あなた方の支えが必要なのです」 私の言葉に、揃って固まる2人。暫しの間の後、床にぶつけそうな勢いで頭を下げる。 よし!じゃあ、そんとこはオッケーね!! 指を鳴らして喜ぶと、咳払いと共にしかめっ面が2つ並んだ。 ハヤブサの化身とジャッカルの化身に誘(いざな)われ、赴く先は葬祭殿。 古(いにしえ)の王達の魂に守られた場所。 母の傍で、父がようやく長い眠りについた場所。 ……お父様、お母様…。いいえ、今はパパ、ママと呼ばせてね。 パパ、ママには会えた? 今では私よりママの方が若いなんて、何だか不思議ね。 もちろんパパは気にしないどころか、喜んでいるのでしょうけれど。 今頃はべったり甘えて、膝枕で耳掃除してもらっているのかしら…? 数日前、厳かな葬儀の最中に思ったことを繰り返す。 あの時は黒一色の衣装だったけど、今日は真っ白な絹に黄金と宝石をあしらった アラバスタの正装。 この国の最高神官にして、大地の化身。 ……2人共、私の今の姿を誇らしく思ってくれますか? 私が選んだ道を、喜んでくれますか…? 泣き崩れるパパを宥めるのに、ママが手を焼いている最中かもしれないけれど。 連なる篝火に導かれ、祭壇の前に跪いた。 私を見下ろす神々の石像。巫女達の歌声。楽の音色。 神官の手で頭上に置かれた、王冠の重み。 オレンジの残り香を掻き消す、4千年の時の香り。 この冠が頭上にある限り、私は誰にも膝を折ることはないのだ。 世界政府の五老星であろうと、海軍元帥であろうと、海賊王であろうと…。 立ち上がった私の前に差し出される、神々からの贈り物。 ハヤブサの化身とジャッカルの化身から受け取った、王権の象徴。 右手には、ブーケではなく王笏(おうしゃく)。 左手には、指輪ではなく宝珠(ほうじゅ)。 傍らに立つ者の姿はなく、誓いの口付けもないけれど、私は神々の前で誓う。 病める時も、健やかなる時も、永久(とわ)に。 死にさえ分かたれることなく、共にあることを。 * * * 花びらが舞い、国中の鐘が鳴り響く中、真紅の絨毯が敷かれた道をゆっくりと歩く。 ハヤブサの化身とジャッカルの化身を従えて。 その両脇で膝をつき、頭を垂れる王国の家臣と騎士達。 ずっと手前の、まだ若く地位も低い者達の中には、見知った幾つもの顔。 今は互いに目を合わせることも出来ないけれど、私は何も変わらない。 すぐに皆、それを思い知るでしょう。 だって来週のユバ・オアシスの視察には、抜き打ちで私も行くつもり。 父の葬儀の後、気落ちして寝込んでいるというトト小父さんのお見舞いもしたいもの。 その奥には、各国や都市からの来賓が並ぶ。 後でウォーターセブンの副社長を捕まえて、今日の祝いに特別割引をする気はないか 交渉しなくちゃ。 サクラ国の大使には、ドクトリーヌ・くれはがお元気か尋ねたい。出来れば若さの秘訣もね。 誰にも膝を折ることのない私は、真っ直ぐに立って手を差し出す。 この国の人々に、他の国の人々に、船で冒険をする人々に。 握手を、求めて。 微笑んで歩を進めれば、バルコニーまであと少し。 最後には、巻き髪のかかった大きな肩。足を止め、前を向いたまま声をかけた。 「イガラム…。私、結婚したわ」 テラコッタさんと同じだけ皺の深くなった顔が、ハッと息を呑む。 それだけで、全てを悟ってくれたのだろう。 長く引き摺る衣の裾を取って、うやうやしく口付けた。 ……ありがとう、イガラム。 お見合い写真の山との格闘も、当たり障りのない断りの理由に悩むのも、 やっと今日でおしまい。 私は、これ以上ない良縁に恵まれたの。だから、喜んで…? バルコニーへ進み出た私を迎える、幾十万の歓声。 『女王万歳!!』を叫ぶ人々で埋め尽くされた宮前広場。 …けれど、群集に混じっているのだろう。 世界政府の諜報員。海軍の情報部。革命軍の工作員。列国の密偵。 この国の民と、そうでない者達に伝えるために、マイクの前に立つ。 王冠の重みに耐えて、真っ直ぐに前だけを見つめて。 砂の海と境を接した、蒼い空を映して。 〔私は今日、結婚をしました。 アラバスタと…。 喜びのときも、悲しみのときも、この命の限り共にあることを。 そして今日、この国の一千万の民の全てが、我が子となったのです。 ならば世の母が、我が子に為すことを、私はしましょう。 この命を、心を捧げて慈しみ、育てましょう。 私の持てる全てを与え、託しましょう。 豊かに実る、この国の大地を。この国の未来を…。〕 閉じた瞼の奥に映る、海の色。 果てしない世界、自由、冒険への憧れも。 全ての未来を。 − 終 − ≪TextTop≫ ≪Top≫ *************************************** コブラ王急死後、国王代理ではあったものの葬儀を終えて正式に即位したビビ女王 …という状況設定。多分、20代後半。 即位と同時に、『(アラバスタと結婚したので)誰とも結婚しません』宣言です。 揺れ動く世界情勢を鑑み、色々と思うところがあるらしい。…多分。(汗) 元ネタというかイメージは映画「エリザベス」(ケイト・ブランシェット主演の方) 元ネタ自体うろ覚えな上に、 『エジプト風の戴冠式ってどんなだろ〜?まあいいや、適当適当』で、書いています のでご容赦ください。 なお、管理人にとってはカップリングの有無を問わず、姫の未来の理想図って 『生涯未婚の女王』なのです。 カップリング有なら未婚のまま子供を産んで 『父親?“アラバスタ”ですが何か?』が理想だったりしますが何か? |
2011.2.23 上緒 愛 姫誕企画Princess of Peace20110202 |