− 乙女の夢 −



  ――お手を、ミス・ウェンズデー――


 滅多にない、今にも降りだしそうな曇天。よその島では憂鬱を呼びそうな空も、
ここアラバスタの住人には逆に喜びの笑顔をもたらす機となる。
「好い天気・・・うふふ、ここ最近ずっと晴れ続きだったから、これでオアシスも皆も
潤うわね。早く降らないかしら」
 バルコニーに立って空を見上げながら、ビビは晴れやかな笑顔で微笑んだ。ふと、
雨を疎んじざるを得なかった二年間を思う。
「海では雨は疎ましいものだったけど・・・」
 国を出たばかりの頃、海の上でつい勿体ないと思ってしまった自分は、やはり芯
からアラバスタの民だった。長く異郷の地にあって、恵みという観念とは無縁の雨
に接するうちに次第に疎ましく思うようになり、必要な地には与えられない運命の
皮肉を呪いもした。
 潜入中は海に出ていることも多かったが、飲み水の不足でもない限り、そこでは
雨は忌み嫌われる。あの船の上でも――
「皆、元気かしら。こんな空だったら、ナミさんなんか忙しく走り回ってるわよね。他
のクルーに指図しながら・・・嵐になれば、いつもはのんびりしているルフィさんも、
寝てばかりのMr.ブシドーも、ふざけてばっかりのウソップさんも、もちろんトニー君
も。皆、真剣な顔で走り回って・・・サンジさんは操船手伝いながら、合間に手早く
炊き出しでオニギリ作って――」
 懐かしい。あの頃、自分も同じ船の一員として、嵐の際には一緒になって走り回
った。炊き出しの手伝いもした。自分は紛れもなく仲間だった。今も心の半分は仲
間たちと共に航海している。いつか、また――そう思った時、背後でノックの音が
した。
「どうぞ」
 顔を出したのは侍女のメイディだった。
「ビビ様、お友達がいらしてますが」
「お友達?」
「オカメさんですよ。昔、よくご一緒に遊ばれていた――」
「えっ!? オカメちゃん? 来てるの?」
「ええ、お会いになりますか?」
「もちろんよ。ここへ通して」
「畏まりました」
 メイディが引き下がり、ビビは思わず微笑んだ。砂砂団で一緒だった幼なじみ。
あの内戦終結の折には、バタバタしていて結局顔を合わせることはなかった。オカ
メはコーザに従ってユバに戻っており、他の古くからの仲間たちと共に町の再興に
日々勤しんでいると聞いていた。

 あの内戦から既に一年以上も経ち、国はずいぶんと落ち着きを取り戻して、どこ
の街並みも元に戻りつつある。ただ国を愛する熱い想いだけは誰しも鎮まることは
なく、まずは国の建て直し、それが済めば次は新たなる繁栄をと、常に先へ先へと
人々の目は向いていた。
「本当にアラバスタは強いわ・・・国も大地も人も。その中でも私の幼なじみたちは
特に」
 くすくす笑っていると、メイディに案内されてオカメが入ってきた。
「ビビちゃんっ、お久しぶり!!」
 ビビの顔を見るや、オカメが飛びつくように駆け寄ってきて両手をしっかり握り締
める。
「え? あの・・・オカメ・・ちゃん? 本当にオカメちゃんなの?」
 思わずまじまじと顔を見つめてしまった。顔も体つきも幼い頃とは別人のような変
貌を遂げている。まるで昔の面影がない。いや、一つだけあった。真っ赤な頬――
すっかり痩せて女らしい身体になって、ほっそりした顔になっても、健康的な頬の
紅さだけは変わっていない。
「えへへ・・・ビビちゃんとは、十年ぶりくらいだっけ? 私、ずいぶん変わったでしょ」
「ええ、綺麗になっててビックリしちゃった」
「あはははは! そうだよね〜、あの頃はデブだったもんね〜」
「そんな・・・」
 笑って誤魔化していると、オカメが先ほどのビビと同じようにまじまじと見つめてきた。
「オカメちゃん?」
「ん〜・・・元々可愛かったけど、ビビちゃんってば本当に綺麗になったな〜って思っ
てね」
「そうかしら・・・」
「そうだって。何かイイコトあった?」
「イイコト?」
「素敵な恋でもしたとか」
 頬がかっと熱くなった気がする。目を泳がせていると、オカメがにやにや笑って背
中をばんばんと叩く。
「相っ変わらず素直だね〜っ、隠し事できないんだから。か〜わいい」
 けたけた笑い続けているオカメに、ビビは更に真っ赤になって無理やり話を変えた。
「とっ、ところでっ! 急にどうしたの? リーダーや他の皆と一緒にユバに帰って
たんじゃ――」
「ん〜、アルバーナにいる従姉の結婚式があってね。家族でお祝いに来たんだ。
で、せっかくここまで来たってのに、ビビちゃんに会わずに帰るのもどうかと思ってさ」
「そうなの。それはおめでとう。綺麗だった、花嫁さん?」
「んっ、あたしと一緒で色気の全くない豪快な姐御だったのにさ。昨日はまるで別人
みたいだった」
「そうなの?」
「うん、丸っきり恋する乙女。ダンナにベタ惚れって感じでさァ」
「そう・・・」
 また話が元に戻ってしまいそうで、ビビは少々引き攣った笑いを返しながら、誤魔
化すようにバルコニーの方に歩み寄って外を見た。
「ああ・・・降ってきたわね。雨雲も厚いし、しばらく降り続きそう・・・これで、水不足も
解消されるわ。良かった」
 一気に土砂降りに変わった雨足は強く、部屋の中にまで入り込んでくる。急いで
ガラス扉を閉めながら、ビビは安堵の溜息を吐いた。振り返ってみると、オカメは壁
の本棚の前で絵本を手にしている。
「懐かしい〜。これ、まだ取ってあったんだ」
「ああ、整理しようとは思ったんだけど・・・思い出があるから」
 微かな苦笑を浮かべるビビに、オカメは肩を竦めた。
「そうだね。あの頃は雨が降ると、女の子はよくここに集まって人形遊びしたり、絵本
読んだりしてたもんね」
 また苦笑が漏れる。二年ぶりに帰ってきて、忙しい毎日の中、少しずつ自分の部屋
を整理していたが、絵本を取っておいた理由は本当は幼なじみとの思い出のためで
はない。同じ大地に住む幼なじみたちには、会おうと思えばいつでも会える。
だが――
「――でも、ビビちゃんはつまらなそうだったけど」
「え?」
「本当は、コーザたちと一緒に外で泥んこになって遊びたかったんだよね?」
「あ・・・ええ。お人形遊びも絵本もあんまり・・・でも、雨の日は風邪をひくから駄目
だってイガラムが許してくれなくて。リーダーや男の子たちが羨ましかったわ」
「ビビちゃん、女の子たちの中で一番お転婆だったもんね〜。って言うか、他の男
の子より腕白だったけどさ。腕白中の腕白だったコーザの次くらいに」
 また豪快に笑う。
「ほんっと、すっかりおしとやかになっちゃって。私、今でも覚えてるよ?コーザと
取っ組み合いして、ボロボロになって青タン作ってたの。お姫様のくせにね〜」
「やだ・・・恥ずかしいわ」
「今のビビちゃんからじゃ、想像もつかないよね。あっはっはっは!」
「そうかしら・・・」
「だーってもう、取っ組み合いなんてやんないでしょ? 相手だって、こんな綺麗な
お姫様相手じゃ遠慮しちゃうだろうしさ」
 そうでもない――と笑みがこぼれる。あの時、あの船の船長と本気で取っ組み合
いをした。さすがに仇敵と対する時と同じだったわけはないだろうが、ルフィなりに
本気で相手をしてくれた。だからこそ――自分は初めて仲間たちの前で、全てをさ
らけ出すように涙を見せることができたのだ。
 心の中で密かに反論しているビビをよそに、オカメは手にしていた絵本を開いて
見入っている。やがて、ふふっと年頃の乙女らしい顔で笑った。
「あの頃は、あたしも王子様に憧れてたっけ・・・」
 開いたページの、いかにも絵本の定番とも言える金髪白皙に描かれた王子の絵
を見つめて呟く。心の底を覗かれたようで、ビビは一瞬どきりとした。
「女の子は皆そうだった。でも、ビビちゃんは違ってたよね」
 絵本に注いでいた目を上に向けると、オカメの探るような視線があった――

「見て、見て! この王子様」
「良いよね〜、王子様って」
「うん、女の子の憧れだよね〜」
 絵本を囲むようにして年かさの少女たちが、うっとりした顔で口々に言う。まだ幼い
ビビは、つまらない思いで窓辺に座って溜息を吐いていた。大人たちにとっては恵み
の雨も、外出を禁じられた自分にとっては疎ましいものでしかない。背後の少女たち
のように、人形で遊ぶ気も絵本談義をする気にもなれず、いっそのこと男に生まれ
たかったと思いもした。
 いつもは男女問わず、一緒になって転げ回り走り回って遊んでいる仲間たち。だが、
雨の日は綺麗に二手に分かれてしまう。やんちゃで腕白な少年たちは、雨が降ろう
と平然と泥まみれになって外で遊び、少女たちは屋内でいわゆる“女の子らしい遊び”
に興じる。その女の子らしい遊びというのが、ビビは大嫌いだった。
「ビビちゃんは、本物のお姫様だもん。大きくなったら、絵本に出てくるみたいな王子
様と結婚するんだよね? 良〜いな〜」
 オカメが本当に羨ましそうに言う。振り返ったビビは、思いっきり顔を顰めた。
「イヤよ、私は王子様なんて。私は、チャカやペルみたいな強くてカッコ良い戦士と
結婚するんだから」
「え〜?」
 一斉にブーイングが上がる。
「だって、お姫様は王子様とでしょお?」
「戦士なんて、お姫様には似合わないよぉ」
「似合わなくないもん。私はうんと強くなって、一緒に戦うんだから」
「そりゃあ、ビビちゃんはコーザと取っ組み合いするくらい強いけど・・・でも、ねぇ?」
「ねぇ?」
 ビビは口を尖らせて、オカメが示している絵本の王子の絵からぷいっと顔を逸らした。
「だって、嫌なんだもの。白い顔に金色の髪なんて、全然男らしくないじゃない。そん
な、綺麗なだけのお人形みたいな男の人なんて大嫌い」
「お姫様のくせに、ほんとビビちゃんって変わってるぅ」
「こういう王子様みたいなのじゃなくて、コーザみたいに強い方が良いってこと?」
「そっかぁ。もしかしてビビちゃん、コーザが好きなの?」
 まだ五歳のビビには、年上の少女たちの真意が測りかねた。だから、素直に頷く。
「もちろん、リーダーのことは大好きよ?」
 少女たちがどっと沸いた。その理由も良く判らなかった。

「今でも同じ?」
「え?」
 我に返ったビビは問いを聞き流してしまっていて、聞き返そうと顔を上げ、幼なじみ
の真剣な顔に驚いた。
「オカメちゃん?」
「今でも・・・あの頃と同じにコーザが好きなのかなってさ」
「え・・・リーダーのことは大好きよ? もちろん、オカメちゃんや砂砂団の皆のことも」
 きょとんと首を傾げるビビに、オカメの顔は険しくなる。
「そう言うことじゃないよ。男としてどうなのかって聞いてんの」
「は・・・?」
 初恋と呼べるのかさえ自信が持てないとはいえ、確かに淡い思いもいくらかあった
ことは否定できない。だが、それもまだまだ子供の頃の話である。少なくとも、この
国を出る前の自分は間違いなく子供だった。男としてと聞かれると戸惑ってしまうく
らいに。
「そんな風に考えたことなんて、私・・・」
 戸惑いを露にするビビに、オカメは苛立ったように一気に言った。
「・・・あたしは好きだった、ずっと・・・だから・・・だから、あたし、女の身で反乱軍に
まで入ったんだ。ずっと側にいたかったから・・・あたしなりに、振り返って欲しくて
頑張ったよ? 少しでも綺麗になろうってさ。でも――」
 驚いた。呆気に取られて何も言えずにいると、オカメは潤んだ目で尚も訴えてくる。
「――コーザは遠くばっかり見てる。アルバーナでビビちゃんに再会するまでは過去
を、ユバに戻ってからは東の彼方を・・・足元なんて見てくれもしやしない。だから
ね・・・ここへ来たのは、ビビちゃんに聞いてみたくて・・・」
「私に? 何を?」
「コーザは・・・ずっとビビちゃんが好きだった。もちろん女としてだよ」
「えっ!?」
 考えてもみなかったことだった。
「あの頃、言ってたよね? コーザのこと大好きだって」
「そっ、それは、そんな意味じゃ・・・」
「王子様みたいな柔な男は嫌いで、強い戦士が好きなんだよね? だったら――」
「ちょっ、ちょっと待って!」
 ビビは慌てて押し留めた。予想外の話の展開に付いていけない。うろたえながら
も、必死に頭を整理した。
「・・・確かに私・・・強くて逞しい戦士みたいな男の人が良いって思ってたわ。でも
ね、それは子供の頃の話。今の私は、やっぱり強い人が好きだけど、でも――」
「でも?」
「――今は少し大人になったわ。人の強さは腕力だけじゃないし、見た目で判断し
ちゃいけないってことも判ったの」
「どう言う意味・・・?」
 微かな笑みと照れた色を浮かべ、ビビはオカメの手にしている絵本をそっと取り
上げた。
「今の私は王子様に夢中・・・」
「・・・?」
 怪訝な顔のオカメに肩を竦めて見せ、ビビは雨にけぶる窓の外に遠く目を向ける。
あの頃は本気で思っていた。この自分が選ぶ相手は、筋骨逞しく猛々しく、誰もが
認める心身ともに強い男。真面目で、朴訥でも曲がったことの嫌いな真っ直ぐな眼
差しを持つような男だと。
例えて言うならチャカやペルのような、年の近い相手ならばコーザやあの船の剣
豪のような。だが、人の運命は判らない。様々な経験、出会いを踏まえて人は変
わっていく。好みすらも――

 グランドラインの入り口。潜入した犯罪会社で組まされたパートナーと共に、そこ
へ向かったビビは心ならずも捕鯨の任務を帯びていた。内部から攻撃を加えるた
めに、巨大なアイランド鯨の腹の中に入り込んだ。そうして胃袋へと到達する直前
に、何者かに突き飛ばされるようにして、胃酸の海へと落下した。
 一瞬で溶けるほどの強力な酸ではないだろうが、人体に無害な訳はない。何が
何だか判らないままにそこへ落ちてしまったビビは突然のことに対処できず、慌て
るあまりに酸を含んだ海水を飲み込んでしまった。喉が焼けて咽返り、泳ぐことを
忘れて苦しさのあまりもがきながら沈んでいく。
――死なない覚悟はおありですか――
 あれは誰で何を言っているのか。脳が言葉の意味を解さない。ぼやけた視界に
誰かが近づいてきたのが見えた。白い顔、金色の髪。何の脈絡もなく、幼い頃忌
み嫌った絵本の王子が頭に浮かんだ。
 伸びてきた手が自分を捉える。しがみつく気力もない。自分の身に圧し掛かる水
圧がどんどん軽くなっていく。意識がなくなる寸前、唐突に空気の存在に包まれた。
呼吸を求めて更に激しく咽返り、粘膜を刺激する海水を吐き出す。咳き込むように
咽続けるビビを誰かが酸の海から引き上げた。
「おい、ウソップ! 風呂の残り水で良いから、急いでバケツに汲んで来いっ!!」
「バッ、バケツ!?」
「早くしろっ!!」
「わっ、判ったよっ!」
「ナミさんっ、一番でかいジョッキに飲み水汲んできて! それとタオル!」
「え? ああ・・・判ったわっ」
 バタバタと足音が遠のいていく。咳が止まらない。喉やら鼻やら粘膜がひりひりと
焼け付くように痛んで涙が出た。やがて再びバタバタと戻ってきた足音。
「持ってきたぜ?」
「貸せっ!」
 身を縮めるように蹲って、苦しさに耐えていたビビの身体にざばっと勢いよく水が
かけられる。
「おっ、おい、サンジ!?」
 うろたえる声に混じって、カツカツとヒールの忙しない音が近づいてきた。
「サンジ君、水汲んできたわ」
「ありがと!」
 乱暴に身体を引き起こされ、涙やら鼻水やらでぐしゃぐしゃになった顔を覗き込ま
れる。
「飲んで!」
 ジョッキを口元に突きつけられたが、まだ咳が止まらず口を開けることすら覚束な
い。強引に上を向かされたと思うと、開いた口に無理やり水を流し込まれた。半分
は飲み込み、半分は咽て吐き出した。苦しさにもがきながら激しく首を振ると、頭を
抑えられてまた水を流し込まれる。それが何度も続いた後、今度はいきなり引き起
こされ、柵から身を乗り出させられるようにして喉の奥に指を突っ込まれた。
「ぐぇっ・・・!」
 急激な吐き気に襲われ、飲み込んだばかりの水を胃の中の物と共に吐き出し続
ける。喉の焼け付くような痛みが少し収まった。咳も少しずつ収まっていく。崩れ落
ちるように座り込んで肩で息をしていると、またもやバタバタと足音が響き、頭上で
声がした。
「ほら、お前にも汲んできてやったぜ」
「おう、ありがとよ」
 再び大きな水音がして、飛び散った水しぶきが足元を流れていく。
「にしても反応早いな〜、お前。女だって判った瞬間に飛び込んでたろ」
「根っからフェミニストなもんでね。ルフィは?」
「お前の後に、ゾロが助けに行ったけど――」
「・・・無事に拾えたみたいよ。こっちに向かってくるわ」
「もう一人いたよな?」
「ん、それも一緒に拾ったみたいね」
 ぼっと小さな音が響き、僅かな煙が流れてきた。ふいにバスタオルで身体を覆わ
れ、煙草を横咥えにした男が心配げに覗き込んでくる。
「大丈夫?」
「え・・・ええ、何とか・・・」
「そ? 良かったv」
 いきなり浮かんだ満面の笑顔に面食らう。苦しみから解放された直後ということ
もあって、つい――表情を作ることを忘れてしまっていた。じっと見つめる男の目が
一瞬訝しげに歪み、ふいっと和らいだ。
「鼻水出ちゃってる」
 くすりと笑った男が小声で言った。一気に真っ赤になったビビの顔をタオルの端で
拭い、何ごともなかったかのように立ち上がる。
「あいつらの分も水汲んで来ねェとな。ウソップ、行こうぜ」
「おっ、おう」
 ここは船の上。そのクルーに助けられたらしい。やがて筋骨逞しい男がぐったりし
た少年を背負って、船縁から垂らされたロープを伝って甲板に上がってくる。バケツ
を下げた男二人が胃酸の海から上がったばかりの二人に水をかけ、妙な鼻の形を
した男がまた船内に駆け込んで行く。自分を助けた男は船縁から乗り出すようにし
て、何とか自力で上がってきた仮初めのビビの仲間を引っ張り上げていた。
 慌しい状況が続く中、どうにか落ち着きを取り戻したビビはようやく気がついた。
ただの船ではない。マストにはジョリーロジャーがはためき、帆には帽子を被った
奇妙な髑髏が描かれている。
『か、海賊船・・・!?』
 冷や汗が出る思いで、ビビは慌ててクルーたちを一人一人見やった。胃酸の海に
自分たちを突き落とした男も、どう見ても少年のようだが仲間なのだろう。それを
助け上げた剣士は眼光が鋭く逞しく、いかにも強そうに見えた。変わった鼻の男に、
自分よりいくらか年上らしい目に鮮やかなオレンジの髪の綺麗な女性。剣士以外
は、誰も海賊に見えない。そして――
『あの人が一番そんな風に見えないわ・・・嫌だ、まるで絵本の王子様みたいじゃ
ない。白い肌に金髪・・・華奢で優雅な身のこなし、スーツなんか着てるし。本当に、
この人たち海賊なのかしら?でも、あれは間違いなく海賊旗だし・・・』
 そんなことを思っているうちに、金髪の男が自分の隣りにしゃがみ込み、やけに
嬉しそうににこにこと見つめてくる。困惑のあまり目が泳ぐ。ようやく、パートナーが
我に返ったように身をもたげた。気づくと、自分たちはクルー全員に取り囲まれて
見下ろされてしまっている。
「ミ・・・Mr.9、こいつら海賊よ」
「わ、判ってるよ、ミス・ウェンズデー。しかし、話せば判るはずだ」
 ボソボソと話し合っていると、鯨の保護者の方に海賊たちの注意が逸れたので、
これ幸いと二人で行動を起こした。その後は良く覚えていない。気が付いた時に
は、胃酸の海ではなく本物の海の中に落とされていた。それでもう、訳の判らない
海賊船とは縁が切れるはずだった。だが――

 ビビはくすくす笑う。傍らのオカメがむっとしたような目で覗き込んだ。
「何で笑うかな・・・怒るよ?」
「あっ、ごめんなさい・・・この絵にそっくりな人と出会ったときのことを思い出しちゃ
って」
 頬を染めて、絵本を開いて見せる。
「そっくりって、この王子様と? こんな男いるの?」
「少なくとも、表面的にはそっくりだったわ」
「金髪で?」
「ええ。偶に見かけるような薄い金髪じゃなくてね、本当に綺麗な色なの。さらさら
で・・・」
「こんな色の髪って本当にあるんだ・・・じゃあ、肌も白いわけ?」
「ええ、ノースブルーの出身なんですって」
「顔もこんな?」
「そうね、とっても似てると思うわ。本物は眉毛がちょっと変わってて、普段の目付き
はやたら鋭いけど。あ、でもね・・・私にはいつも、とっても優しい目を向けてくれて
たの。細身で足が長くてね。さすがにマントは付けてなかったけど――」
 微笑みながら浮かれたように言うビビに、オカメは目を丸くして黙って聞いていた。
「――船の上だって言うのに、いつも黒いスーツをぴしっと着込んでてね。それが
とっても良く似合うの。指がとても綺麗で、彼の手は魔法の手みたい・・・信じられ
ないくらい美味しいお料理を作ってくれるのよ」
「・・・・・・」
「彼は、いつも煙草を吸っていたわ・・・煙草の臭いを嗅ぐと、すぐ側にいるような錯
覚をしちゃうくらい。女性には物腰が柔らかくて優しいのに、男性には物凄く態度が
悪くてね・・・言葉なんて、びっくりするくらい酷いのよ?」
「・・・・・・」
「見た目は本当に王子様みたいなのに、中身は全然違うの。だって、バナナワニ
でも平気で倒しちゃうような人なんだもの。本気で戦ったら、きっとチャカやペルよ
りも強いんじゃないかしら」
「・・・あの守護神たちより強いって、そんな男いるの? 能力者だとか?」
「ううん、普通の人よ? 普段は全然そんな強い人には見えないの。見た目が王子
様で、中身が戦士だなんて素敵だと思わない?」
 誰が見ても恋する瞳に上気した頬――それと気づかず真剣に同意を求めるビビ
に、オカメは頭を掻いて深々と溜息を吐いた。
「オカメちゃん? どうかした?」
「ん〜・・・いや、十分良く判ったってこと」
「何が?」
「あたしの心配がいかに馬鹿らしいものだったかってことさ」
「・・・?」
 訳が判らず小首を傾げていると、オカメは曇りのない笑顔で言った。
「ビビちゃんの男の好みが変わってて良かったって話」
「・・・!」
 いつの間にか惚気てしまっていたらしい。恥ずかしさに絵本を抱き締め、真っ赤
になった顔を伏せた。
「恋・・・してるんだね、その王子様に」
 小さく頷く。
「・・・ええ、今は会えないけど大好き。誰よりも・・・きっと、この気持ちは一生変わ
らない・・・」
「変なとこで頑固だしね〜、ビビちゃんは」
 からからと笑われ、ビビはまだ赤い顔でふっと微笑む。
「そうね・・・彼は、永遠に私の王子様だわ」
 窓の外に遠い目を向け、恋しい人の顔を思い浮かべた。絵本の王子のような優
しい笑顔に笑みを返し、心の中で同意を求める。
『ね? サンジさん・・・』


                      <END>



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「Mr.プリンスの館」様、60000Hit記念のDLF小説をいただきました。
遠恋期間中ビビ姫視点シリ−ズ(?)の一品です。
“戦うお姫様”なビビちゃんですから、きっと本来の理想の男性像はペルとかチャカだった
んでしょうね。
GM号クル−ならゾロが一番近いのかな〜と思います。
でも、予定通りには行かないのが人生ってモノです。だから面白い。(私が:笑)

海賊コックの王子様と型破りなお転婆王女様の恋物語。
神矢さんのサンビビ作品、これからも楽しみにしています。

                「Mr.プリンスの館」様へ

                    04.5.22Up