第十四章(2)へモドル | 第十五章(1)へススム | 009



(3)





 滝の飛沫を浴びながら、平らな岩の上で白い蛇の様に二つの体が絡み合う。

 そこはあの夜、009が濡れて横たわり、リアを見つけたその場所だった。



 009は信じられなかった。最初に嵐の様に唇を奪われてから、全てが信じられなかった。
月の光を背負う様にのしかかる体があのリアの物だと云う事も、そんな彼と今重なっているのが紛れも無い自分の体だと云う事も。
そしてリアの手に掛れば、すべて魔法の様にこの自分の全てを操れる事も。
防護服はリアの手に触れるだけで溶ける様に脱げて行き、また体も彼の僅かな動作一つで、彼の思う通りの形になるのだった。
応える間も考える暇も無くいつの間にか肌は曝け出されて、全身が彼のものになっていた。
 だがそんな繊細に見えて、愛撫には優しさ、穏やかさと云うものは欠けていた。乱暴でも独りよがりでも無いのに、熱をあからさまに上げて追い 上げては容赦無く 嬲る遣り方は呼吸をも奪われてしまいそうだった。

 009は訳が分からず、困惑と罪の意識の中でされるがままに彼の熱情に引き摺られる。
 
 手足を強く押さえ付けられて動きを封じられる。指先で乳首を何度も撫でられ弄ばれ、おもむろに舌先を絡める様にして吸われる。
あ、あ、あ。喘ぎ声が止むのも待たずに彼の舌や指は更に肌の上を這いまわり、当然の如く両足を大きく広げさせて、熱がはしたなく震えるをじっ と見つめられる。 抵抗の言葉なんて聞かない。 それどころか、わざわざもっと奥まで見える様な体勢にしてじっくり目で犯してから、濡れた唇で急に咥え込むのだ。駄目、駄目ぇっ・・・・! リアは相手の中の隠された快楽を暴き出し、更に羞恥と恐れまでもを無残に引き摺り出す。彼はこちらの弱点を最初からすべて見抜いているのだっ た。 ほぼ真上から照らす月の光は、部屋中に煌々と灯された明かりの様に、痴態を隅々まで浮かび上がらせるのだ。

犯されている、と悟った瞬間、009の目には涙が溢れた。

心に巣食う罪の意識を、リアが知らない訳は無い。
とても熱いものが裂く様に一気に入り込んで来る。体の中に刺さった儘疼いて止まなかった欠片に直接触れて、009は仰け反った。 彼の押し殺した呻き声に胸が締め付けられそうになって、009はリアの裸の体に腕を回し、強く強くしがみついた。
今まで積もり積もった想いの発露だなんて生易しい理由じゃない。残酷だと云う自分に対する彼の淫靡な復讐なのだと、血が逆巻く様な眩暈の中で 感じながら・・・。








「009・・・・」

膜を張った様な耳の中に低い声が流れて来る。
 

 重い瞼をゆっくりと持ち上げる。潤んだ瞳の中で眩い光がはらはら散って、こめかみへと落ちて行った。
体の中に残る衝撃が時折反動を起こして、意志とは裏腹にぴくりと体を震わせる。
滝の水音が徐々に意識を覚まさせる。水飛沫がふんわりとした霧になって体を包むのを感じる。
 頬に熱い手が触れた。応える様に009は身じろぎしたが、強い衝撃の後で体は重く動かなかった。
リアは覆い被さる様にして009の体を抱き寄せ、岩に敷いた自分の厚いマントの上に横たわらせた。岩の固く尖った感触が無くなって体が一気に 楽になる。マントの柔らかさ温かさに009はリアの腕の中で大きく溜息を吐いた。



「・・・・君は酷いな」

009は嗄れた声で言った。



「俺も痛いよ」


低いリアの声はぴたりと密着した全身に響いた。

「痛くて痛くて、やっぱりお前を殺しておくのだったと、また考えてしまう位だ」


 009はふ、と笑った。笑うとまた新たな涙が零れ落ちた。

 リアの指が静かに009の頬を撫でた。009は目を閉じて身を任せた。瞼に彼の唇を感じた。手指が首筋に移り、やがて体の方へと動くのにつ れて009の 体がゆるやかに撓った。あ・・・・。熱い息と共に耳が嬲られる。乱れた髪をかき上げて口づけられて、009は唇を開いて応えた。伸びた足が傍 らのレイガンと サーベルを蹴って、岩の窪みに重なって落ちた。

 熱い吐息が交わり、肌が一つになる。水飛沫に溶けた草木の香りが甘く二人を包み込む。
のけ反った白い喉からか細い声が漏れ出し、それは直ぐに嬌声へと変わる。
さっきの激しさとは違う、ゆるやかな、春の宵の様に悩ましい営みだった。

「ジョー、」

息を喘がせてリアは囁く。


ジョー、ジョー・・・・。


 耳元で何度も迸る様に彼は囁き続ける。

 








 濡れた岩場に腰掛けて水面に垂らされた009の足を、水に浸かったリアはそっと両手で包み込んだ。
 紺色の滝壺の中に浸り、金銀の欠片を濡れた体に輝かせるリアは、丸でこの滝に潜む水の精の様だった。


「・・・・初めてお前を此処で目にしてから、お前の事を考えない時は無かった」


 リアは濡れた脛に唇を付け、足首から甲へと移す。


「あの夜から俺は、B.Gとお前と、二つに身を裂かれて生きて来た。・・・・だが今夜こうして会えたのは、裂かれたこの身から溢れた血が、お 前の所まで流れて 届いたからなのかも知れないな・・・・・」


 足の指の一本一本を口に含んで、リアは優しく愛撫を繰り返した。
愛撫の合間にリアは視線を投げる。009はそっと微笑んで見せる。


 リアの手が009の手首を掴んで、引いた。


 冷たい滝壺の中、二人は重なって水底へと沈んでいく。水を通した光の中で柔らかい泡に二人の体は包まれ、流れと一つになる。



 闇のカーテン、月の光のベール、そして水の泡に覆い隠されて、この世でただ一つの今夜が過ぎて行く。
 









 水辺を囲む森の向こうを細い紫の帯がたなびいている。夜明けが朝露の匂いを運んでは撒き散らし、木の葉を鮮やかな緑に染め始める。  早起きの鳥が一羽二羽、目覚めの太陽の方へと飛び立って行った。
 



 一分の隙も無く衣服を纏ってリアは、最後に黒いマントをばさっと引き寄せた。

 すぐ傍でぼんやり彼を眺める009も、既に防護服を身に付け終っていた。



 サーベルを腰に差す音が固く響いて、009の耳を打つ。


 二人はじっと黙っている。滝はぼんやりした灰色の光の中に浮かび、金色に輝いていた月は既に白く、小さくなって、薄い闇の向こうへ帰ろうと している。



 リアはそっと009へ視線を投げ、やがて向き直って傍へと来た。


「・・・・もう行け。明るくなってからも此処に居るのは危険だ」


 虚ろな目で009はリアを見つめる。

 
「さあ、早く」


「・・・・それは君の意志なの・・・・?」


「そうだ」


「・・・・・・・」


 森の向こうの紫の霞がじわじわと広がって来る。朝が二人を追い掛けて来る。
 俯く009の目の前に、黒く輝く丸い石がリアの手の平に乗せられて差し出された。サーベルの柄から外し取ったオニキスだった。


「俺が行ってしまったら、その手で捨ててくれ」


009の手を掴んで握らせ、指を閉じさせた。
二人を包む風にはまだ夜の匂いが残っている。揺れた髪がくすぐる頬に指を触れ、リアは僅かに躊躇いがちに、この夜最後のキスを009に落とし た。



 背を向けてマントは大きく翻り、黒い翼が風に乗って遠くの岩へと飛び移った。そこでもう一度009の方を振り返り、・・・・滝を飛び越し て、見えなくなった。











 灰色の薄い日差しが差し込むコックピット、急に立ち上がった003は、脇目も振らずに開いたハッチへの方へと駆け出して行った。
 沈黙が眠りにも似た様子で部屋の底に沈んでいた中、仲間達ははっと目を覚まされた顔になって、次々後へと続いた。



 木立の向こうからゆっくり歩いて来る009の姿が見える。
 徐々に皆の目に大きくなる姿はやたら重苦しく、顔は弱い朝日の中でもはっきり分かる程蒼白で、目はどこか焦点が定まっていない。
 茂みを抜けて皆の姿をはっきり捉えた009は、その青い顔に強張った微笑を浮かべた。


「ただいま・・・・・心配掛けてごめんね・・・・」


 無理やり明るく張り上げた様な声は掠れていた。
 ただならぬ009の様子に皆は戸惑い、顔を見合わせた。声を掛けようにも、何を言ったら良いか分からなかった。
 皆の後ろで険しい顔をしていた002は009の方へ飛び出そうとしたが、無言で005に体を掴まれ、引き戻された。


 厳しい表情をしていたのは003も同じだった。彼女は一歩、二歩進み出て、009を引っ叩きそうに手を上げては降ろすと、突然駆け寄って彼 に抱きついた。


「ごめん・・・003・・・みんな・・・・本当に・・・・ごめん」


 003の背中を撫でながら、009は繰り返した。
 003の肩越しに004と目が合った。009は目を伏せ、003の髪に頬を寄せた。




 朝が灰色のベールを脱いで、長い眠りから目覚めようとしていた。





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