月は夜ごと海に還り
(5)
突然に開けた視界は炎と煙に痛め付けられた目には眩しすぎて、ほとんど何も見えなかった。ただ涙だけが顔を流れた。それも吹き荒れる強烈な風がどんどん
吹き飛ばして、ひりひりと目と頬が痛んだ。防護服の裾が、半分燃え尽きたマフラーが、バタバタと扇られる。
腕の中からリアは消え、002との再会はほんの束の間の事で、今は自分はひとりだった。燻ったエンジン、ドルフィン号の滑空、耳をつんざく風。五月蝿い
位の音の洪水だったのに、009にはそれが感じられなかった。
轟音の中の静寂。
空は曇り。さらにエンジンから吐き出される黒い煙が、灰色のベールを作って雲をも覆ってしまう。
下は雲に覆われ、さらにその下は海。
世界は白く、荒涼としていた。
空と海の間風の中たったひとりぼんやりしながら、009は今こそ自分は生と死の境に居るのだと思った。
ようやく002がドルフィン号の発射口に到着すると、待ち構えていた仲間達が瀕死の怪我人の体を受け取って素早く奥に運んだ。
002はもう一度体を翻し、燃え盛る敵の機体に向かって飛び立つ。
その時。
戦艦の前方屋根部分が仰け反るようにして大きく剥がれて吹き飛び、それが一瞬の内に002の右足の噴射口を直撃した。
─── ・・・・・・・!!!
呻きと共に002の体が弓なりに撓った。コントロールを失った体は糸の切れた凧の様に皆の目の前を力無く落下する。
だが咄嗟に伸ばした005の腕が彼を救った。脱力して宙吊りになり機体の振動と強風に扇られる002の体を005は渾身の力で引き上げた。
発射口の壁にもたれて002はゼイゼイと荒い息を吐いた。彼の右足の噴射口は見るも無惨にぐしゃりと潰れてしまっていた。
それでも這う様にして外へと向かおうとする002の肩を005は掴んだ。
「何だよ!離しやがれ!」
怪力で無理矢理繋ぎ止められた体を捻って暴れる。
「よせ!!その体では無理だ!!」
「うるせぇぇぇ !!!まだ左足がある!009が待ってんだよ!!・・・」
「冷静に考えろ。片足だけでは009を抱えて運ぶ事は不可能だ。お前達二人共が死んでしまったら、俺達はどうなる?」
002はぐっと奥歯を噛み締めた。
体を捻って空を睨んだ。赤い炎の器の中に溶けかかった戦艦が浮かんでまるで地獄の釜の様だ。
「・・・糞ぉ・・・」
その頂上に一人ぼっちでぽつりと座り込んでいる009。
002は固い床に両の拳を叩き付けた。
「糞おおぉぉォォッッッ───!!!!」
「ハッチを開けろ!!」
それまで無言だった004が、ガタッと左足で体を支えて立ち上がり、叫んだ。
皆が驚いて振返る。
「009を飛び降りさせて、機体で受け止める!」
海に飛び下りさせるだけの方法では、戦艦の爆発の巻き添えになるだろう。だがドルフィン号で受け止め、素早く機体を方向転換させれば。
「ハッチだって?せめてデッキでは駄目なのか!?」
007が目を剥いた。確かに004の言葉は余りにも無謀に思えた。
僅かでもタイミングがずれれば、009はおろかドルフィン号までも大空の塵となってしまう。
「デッキは爆風をもろに被る恐れがある・・・」
「一か八かだな・・・」
確かに限界まで体が疲弊している筈の009にとって、もうそれしか方法は無かった。皆は顔を見合わせたが、心は既に決っていた。
「001、009の誘導を頼む!008、ギリギリまで距離を縮めて機体を降下させろ!!」
004は叫ぶ様に矢継ぎ早に指示を出した。
走って操縦管を握り締める008。
『009、聞こえるか! イイカイ、僕らはもうそっちへ行くことが出来ない。君が動かなくちゃならないんだ!』
─── 動くって・・・
009は狼狽えた。
飛び降りろということか。足元の機体はガクガク揺れ、吹き出た火の勢いはさらに強く、自分の足元まで迫っている。臨界点目前の熱気と振動が伝わって来た。
もうタイムリミットはすぐそこだ。
迷っている暇は無い。
『立って!僕らを、ドルフィン号をしっかり見るんだ!』
機体がぐうっと降下しながら間合いを詰め、ほとんど009の真下まで迫った。
「もっと左!」
足を踏ん張り、息を詰めながら008は体全体で操縦管を傾ける。ここは彼の腕の見せ所だ。
「傾けろ!!25度!」
008の額に汗が滲む。こんな至近距離での操縦はカンに頼るしか無く、まさに薄氷を踏む思いだった。
009は息を詰め、静かに立ち上がった。不安定に体が揺れた。生と死の分岐点。
ドルフィン号がさらに傾き、皆は必死で脚を踏張る。
「今だ!ハッチを!!」
大空に向かって、焦れったい程ゆっくりとハッチが口を開けた。
005が走って空中ギリギリまで体を乗り出し、上空に取り残された009に向かって太い両腕を差し伸べた。彼の足に006、00
7がしがみついて、落ちないように支える。
005の浅黒く逞しい巨体は、009からもはっきり見えた。
『サア!早く!飛び降りろ!』
機体の振動が激しくなる。やり場の無い破裂寸前のエネルギーが、その最後の暴走に向かっている。
体が浮いた気がした。自分が飛び上がったのか、エネルギーの暴発に巻き込まれようとしたのかは分からない。
『・・・・・・ 爆発スル!!!』
009は白い空に向かって身を投げていた。
大空を跳ぶと云うには程遠い、落下。
人形の様に四肢を泳がせて。
風の塊が体を包んだ。
強烈な発光が目の隅に映った。
叫び声が聞こえた気がした。
白い空よりもまだ白い巨大な塊が現れ、真っ赤に変貌し、そして・・・
・・・・・後は闇。
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