モドル | ススム | 009

  キッスで殺せ   




 シンクは空のグラスとお皿で満杯。コンロ横も空いたビールやワインの瓶から焼酎、発泡酒の缶までが、ぎっしりと並んでいる。時刻は既に夜中の十二時を 廻っていると云うのに、リビングからはまだ酔っ払い達の喚き騒ぐ声が響いて来る。
 久々に全員が揃った今夜、サイボーグ達は日頃のストレス発散と永久の友情に、今宵の酒全てを懸けんとばかりに乾杯を重ねた。皆は早々に出来上がり、延々 と宴が続く中、浮かれる皆の間を縫って、切れた酒を追加する、空いた瓶や皿を下げる、床に零れたアルコールを雑巾で拭く、そんな雑用を一手に引き受ける健 気な少年が、自分。
 家ってこんなにグラスあったっけ?とか考えながら、洗って拭いてを繰り返す。シンクと洗い籠の中身が順番に増えたり減ったりした。リビングにも台所にも 充満するアルコールで、匂いだけで酔ってしまいそうだ。明日はきっと誰も何も覚えていないに違いない。そんな彼らが羨ましい。酔って忘れてしまえると云う 事は、全てをリセット出来ると云う事だから。
 そんな事を考えながら、洗い物の山をやっつけて行く。
 
 
「君は働いてばっかだね」
 
突然の声に振り向くと、ワイングラス片手に微笑むピュンマがいた。
 
「誰かが遣らないと、後で大変な事になるからね」
 
「それにちっとも飲まないね」
 
「そんな事ないよ。合間合間に結構飲んでる」
 
「い〜や、僕の見た所、せいぜいビールを半分ってところだ」
 
「そ・・・そうかな、よく見てるね」
 
 内心ドキリとしながら答えた。ピュンマは背後の作業台に両肘を付き、ニヤッと笑った。
 
「そうだよ。僕はいつだって見てるさ」
 
 再び背を向けて、泡の付いたグラスをすすぐ作業を続行した。一つ一つ丁寧にすすいでは洗い籠に伏せて行った。ピュンマは黙ってグラスを傾けながら、それ を眺めている。そこにあるすべてのグラスを流し終える間、お互い口を開かなかった。
 グラスは全部でぴったり二十あった。 

 
「戻らなくていいのかい」
 
 相手がやたら楽しげに長い事こちらを眺めているので、布巾で濡れたグラスを拭きながら尋ねてみた。
 
「本当はね、君を呼びに来たんだよ。みんな、ジョーはどこ行ったって騒いでいるよ」
 
「みんな酔っ払っているから分かってないよ」
 
「みんながみんなじゃ無いよ。例えばアルベルトなんか、君と同じく殆ど飲んでいない。折角彼好みの辛口ワインが揃っているのにね」
 
「逆に君の方はしたたか飲んだみたいだね」
 
元々彼はやたらアルコールに強い男で、底無しのザルだった。だが今夜は日本帰国で久々に浮かれているのか、珍しくほろ酔いのご機嫌だった。
 
「そうでも無いよ。でも、そもそも君が居てくれないんじゃ、僕としたってただ飲むしか無いじゃないか」
 
彼はおどけた口調で言って、笑った。

この遣り取りの間、ただひたすらにグラスを拭いていた。
今でようやく七個目だった。
 

「ところでさ、僕が何で君を手伝いもしないでいるか、分かるかい」
 
「さあ・・・・・。でも元々僕一人で十分だから、気にしてないよ」
 
コトンとグラスを台に置く音がした。
 
「早く作業が終わっちゃったら、君はその分早くリビングに戻らないといけなくなるだろ?だからさ。・・・・・僕としては、これでも協力しているつもりなん だよ」
 
ほんの一瞬、グラスを拭く手が止まった。
 
「・・・・よく分かんないな」
 
つまりさ、と、ピュンマは楽しげに続けつつ、グラスごと作業台をぐるっと回って近くまで来た。
 
「君があまり顔を合わせたくないと思う相手が、リビングに居るって事」
 
「・・・・・僕は誰とも喧嘩なんてしてないよ」
 
「喧嘩だったら別にどうって事無いんだけどね」
 
 相手の回りくどい言い方を少し癪に感じた。でもここで何を言っても藪蛇になりそうで、自分はただグラスを拭き続けるしか無かった。
 ピュンマは何かを推し量る様な眼差しを、じっとこちらに向けて来た。それに気付かぬ振りをして、最後のグラスを拭き終えた。
 
「さあ、もう戻りなよ。みんなと一緒に飲む酒の方がおいしいだろ?それに、」
  
「お〜〜〜い、誰かぁ、我輩のとっておきのブランデー持って来てくれたまぇぇぇ!!!!」
 
酔っ払いの舌足らずな声がリビングから響いて来た。
 
「はーい、今持って行くよ!!・・・・それにもうすぐ僕も戻るから さ、ね?」
 
ブランデーが仕舞ってある棚に足を向けながら、相手に微笑みかけた。
 
「戻ったら、飲むのかい?」
 
この言葉が急に耳元で囁かれたので飛び上がりそうになった。
 
「の・・・・飲むよ」
 
どぎまぎして答えると、彼は手にしたグラスをぐいっと最後まで呷った。そして背後からぐいと抱き締め、振り向いた顔を固定して、唇を捕えた。
途端に口の中に流れ込む甘苦い味と豊かな芳香。粘膜を焼き、喉に流れ込んで、喉元がコクンと微かに鳴った。
 
「今夜の君の言う事は、信用出来ないからね」
 
そう言って粋に片目を瞑ると、ピュンマはさっさ台所から出て行ってしまった。
 
 
 自分が何をしようとしていたのか忘れかけていたのを思い出し、急いで棚からブランデーの瓶を出した。
濡れた唇を舐めるとアルコールが再び口の中に広がった。
 
 悩みの種がまた一つ増えた。酔わなかった今夜に、少しの後悔を覚えながら、心の中で一つ、ワインの香りの 溜息をついた。






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